美術の学芸ノート

中村彝などを中心に近代日本美術、印象派などの西洋美術の他、独言やメモなど。

マネの「白菊の図」

2018-06-14 15:49:53 | 西洋美術

茨城県近代美術館蔵。1881年作。

扇面形式によるマネ晩年の作品。

このような画面形式は1870年代後半ごろからフランスの印象派及びその後の世代の画家たちによって盛んに試みられた。

マネの他、ドガやピサロ、ゴーガン、ロートレックなども、こうした日本的な、特異な形式を楽しんでいる。

その他、屏風のような形式や浮世絵の柱絵のように極端に細長い形式、これらは、特に構図の斬新さや意外さ、豊かな想像力を刺激するものとして、西洋の芸術家たちを驚かせた。

屏風のような形式や極端に細長い画面形式の影響は、特にボナールやヴュイヤールなど、そのあとの世代の画家の作品にもよい例が見られる。

オランジュリー美術館の巨大な装飾画であるモネの睡蓮、二つの楕円形を閉じた特異な形式と内容すら、ジャポニスムの最終局面における偉大な影響と見られないこともない。

19世紀後半からはまさにジャポニスムの時代で、20世紀初頭に至るまで日本の芸術、文化が、ある意味で行き詰まっていた西洋文化に大きな影響を与え、活性化したのは事実だった。

それは、これ以前の中国趣味や近東趣味、あるいはマネにも大きな影響を与えたスペイン趣味、これらを圧倒する勢いで多くの美術家や文学者、大衆の趣味にまで及んだ。

マネの「白菊の図」は、こうしたジャポニスムの一端を示すものだが、ここには、また、たった一本のアスパラガスを瑞々しい筆致で描いたマネ独自の、あの珠玉の作品世界を思い出させる要素もある。

マネは、同年、親しくしていた女性メリー・ローランをモデルに「」を描いている。その背景は、日本の着物の色彩を思わせる装飾的なものであった。まるで浅葱地繍入草花文様風とでも呼びたいような装飾的背景であり、そこには菊の花が認められる。

この白菊の扇面画が、「秋」のモデルと具体的な何らかの関連があるとすればもっと面白いのだが…

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ピサロのポントワーズ風景

2018-06-14 10:48:14 | 西洋美術

茨城県近代美術館にかつて「グルーエットの丘からの眺め、ポントワーズ」と題されていたピサロの作品があった。現在では、近年の研究により、「グラット=コックの丘からの眺め、ポントワーズ」と改題されている。1878年作。

常陽銀行寄贈の作品。

グルーエットとグラット=コックとでは、それほど距離が離れているわけではないが、厳密に改題された。

ついでに言うと、ルノワールの「マドモワゼル・フランソワ」という同館作品も、一時、「マドモワゼル・フランソワーズ」と呼ばれていたが(英語版のある画集にこの作品が掲載されており、そこではフランソワーズと読めるように表記されているが)、それはおかしいので、現在の呼称に至った。

ピサロのこの作品は、同館所蔵の印象派絵画(他にマネ、モネ、ルノワール、シスレー)の中でも、1860年代末から1870年代後半に至る最も純然たる印象主義様式が開花した時代の作品として、きわめて重要である。

さて、この作品が描かれたポントワーズは、パリの北西約30キロのオワーズ河畔にある小さな町の名で、フランス語で「オワーズ川の橋」を意味する「ポン・ド・ロワーズ」に由来する。

オワーズ河畔の上方には家々が階段状に集落を形成しており、川の流れや近辺の景観とともに画家たちの眼に魅力的に映ったようである。

しかし、ピサロが描いていた当時、この町は、取り立てて有名であったわけではない。むしろピサロらによって、これまで名も知られていなかった小さな丘や通りの名が知られるようになったのである。

ピサロはこの町に最初1863年から68年まで住んだ後、1872年から74年9月まで、そして1875年から83年までの3度にわたって住み、この地で制作している。

それゆえ、ピサロは1870年代における印象派の高潮期の作品を、まさにポントワーズで生み出したのである。

ところで、この作品に描かれているのは遠景の丘の麓の煙突から煙がのどかにたなびいているような、ごく日常的に見られる風景に過ぎない。

それは、バルビゾン派の描いた静かな、時には理想化されたフォンテーヌブローの森の風景とも、モネやルノワールが同時代に描いた活気のある都市の風景や、都市に住む人々が遊びに来る郊外の風景とも異なっており、自然と都市の中間をいく、いわば人の生活の気配と大地の匂いとが調和した風景と言えよう。

造形の面から彼の作品を見ると、他の印象派仲間に比して、力強く構築された画面と実在感のある作風を持っており、これは、まさしくこの地において互いに影響を及ぼしあったセザンヌの芸術とも密接不可分の関係にある。

そして、この作品にもそうした特質はいかんなく発揮されており、この時期のピサロの作風を知る上で非常に良い作品と言える。

ニューヨークのメトロポリタン美術館に、ピサロのこの作品に強い親近性を持つ作品がある。茨城県の作品の中に小さく描かれた歩いている農夫らしい姿は、メトロポリタン美術館の作品の中にも、似たような雰囲気の姿で認められ(こちらには女性の姿もあるが)、ともに風景の中に完全に溶け込んでいる。







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6月13日(水)のつぶやき

2018-06-14 03:51:56 | 日々の呟き
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