美術の学芸ノート

中村彝などを中心に近代日本美術、印象派などの西洋美術の他、独言やメモなど。

ルノワールの「白衣のピエロ」

2018-06-13 19:45:34 | 西洋美術
デトロイト美術館蔵の作品。

この作品は、20世紀になってから描かれた。この頃の彼の作品は、もはや完全に印象主義の様式から離れたものであり、彼は巨匠としての独自な道を大きく歩み始めている。

モデルとなっている子供は画家の次男ジャンである。
ジャンは後に有名な映画監督となって、「大いなる幻影」や「ゲームの規則」など、特に1930年代に優れた作品を発表している。

「白衣のピエロ」は父ルノワールが晩年に描いた特殊な肖像作品だ。すなわち彼は、モデルたちに仮装用の衣装を身につけさせて、自分が描きたいようにポーズさせた。それは、もはやモデルたちが自分の社会的地位等を誇示するために思いのままに画家に注文した肖像画ではない。そういう時代はもはや終わろうとしていた。

モデルと画家の関係は、ルノワールの晩年の芸術にあたっては完全に逆転している。画家は何らモデルに媚びることなく、芸術家として自分の描きたい肖像画を追究しているのである。

子供の肖像画ながら実に堂々とした趣は、モニュメンタルな芸術を目指した晩年のルノワール芸術を完全に具現化したものとなっている。
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中村彝の「カルピスの包み紙のある静物」

2018-06-13 19:17:08 | 中村彝
茨城県近代美術館蔵の作品。

「カルピスの包み紙のある静物」は、関東大震災の前後、画家の死の前年に描かれています。

画面には何か張り詰めたような凛とした気分が漂い、凍れるような鋭利な感覚、棘(とげ)のように突き刺さってくる線の錯綜が見られます。

中村彝は、真に自己の内面生活と芸術上の表現方法を直結させる力を持っており、愛と死、生と死との激しい緊張感の中に創造の根源を見出すことができる芸術家でした。

彼の伝記的事実を調べ、その作品展開を追っていくと、幼い頃から死は絶えず彼の身辺にあり、自らも不治の病を宿して、自己の命とひきかえに作品が制作されていることがわかります。

彼の「生の芸術」は、その対極で常に死を内在させた生の緊張感の芸術であったと言えます。

この作品にはそうした彼の芸術の特質が、よりいっそう先鋭に表現されています。
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杉山寧の「秋意」

2018-06-13 16:38:21 | 日本美術

紙本・彩色、4曲1隻屛風。茨城県近代美術館蔵。昭和12年の第一回新文展出品作。画題の「秋意」とは「秋の気配」を意味する。画因となっているのは、白馬、蜥蜴、西瓜。

白馬と少女とが大地に腹ばいになって休んでいる。少女は蜥蜴を見詰めている。西瓜は夏の代表的な果物であるが、季語としては秋を示す。

ふと何者かの鋭く動く気配を暗示するのは、小さな蜥蜴だけである。夏の季語に属する蜥蜴は、少女の視線に捉えられているが、画面の中ではかろうじて気づかれるような極小の存在。
画面の中に巨大に描かれた白馬と比べると、これを見るものに、軽い驚きを誘うほど。

こうしている間にも時は確実に過ぎ去る。知らぬ間にも季節は移りゆく。

造形的には画因の極小から極大に至るコントラストの激しさ、生命体の異なる種類の取り合わせの妙、少女のポーズとそれを捉える視点の斬新さ、すなわち、白馬を大きく画面中央部に、少女を極端なほど左端部に捉える構図の意外さを含んだ大胆さなどに、この画家の特異な才が認められる。

作者は昭和8年の東京美術学校卒業制作の「野」およびその前後の帝展出品作「磯」「翠蔭」「海女」などの優れた初期作品によって、早くから名声を築いている。

「秋意」はこれら一群の初期作品に比べると、その画趣は非常に異なる。

色彩は極度に抑制され、画面全体を覆い尽くす細密な描写は見られない。この作品は作者が病による長い沈黙の時代に入る前の、こうした特徴をよく示すものとして、重要な位置を占めている。

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6月12日(火)のつぶやき

2018-06-13 03:55:24 | 日々の呟き
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