研究成果を発表する場がどんどん無くなってきていると言われ出してかなりの時間が経過しています。
さらに研究者同市の情報交換にも、齟齬が生じてきています。
この部分の原因には複合的な原因と理由があります。
そのⅠ インターネットの普及と、情報発信の場の拡大
逆説的ですが、日本野鳥の会等の皆様の話を聞かせて頂いたときも、個人のメールやHP等での、稀な鳥情報等の交換は盛んになり、自分のHPやブログ等での公開が先行し、公式の野鳥の会等への投稿や発表がおろそかになってしまったきらいがある。
今までは、年に1回でも学会誌の形で発刊され、それへの投稿という形で印刷物が残されています。印刷物は、改ざんできない情報媒体として、研究者や学者の方々が引用できる対象でした。
しかし、個人や学界でもHP上での情報は、いつ消されるかわかりませんし、内容の改定が可能ですので、簡単には論文等への引用が出来かねます。
その2 WindowsのDOS版でのデータベース構築が先行したが、息切れ説
一つは、パソコンでもDOSの時代に一つの技術開発のピークを迎えています。それまでに日本国内で独自に構築された技術関連のデータベース環境等が、今考えてもかなりのレベルまで達しましたが、パソコンのWindows化を機会に一気に衰退してしまい、今の研究者とのコミュニケーションにも齟齬を来して、うまく接続出来ないほどです。
DOS時代の蓄積情報を(例えばd-base等)、今のWindowsXP等へ移行することは簡単ではありません。成功出来ないケースも多々あると聞いています。
今の環境との整合性が保てないために、大学の教授の方々が、教育してきた若手への業務移管がうまく運びません。多くの場合に、学生が参加しません。
定年を控えた老研究者の皆様の落胆振りは、今でもとても気になるところです。
第3としては 行政との対応では、システム運用への無理解が大きな継続的なシステム発展の機会を逸し、逆に研究成果を潰してしまうことがとても多く残念でなりません
たとえば、ある目的に添って10年以上にもわたる長期的な研究があって、その情報を的確に登録、データベース化され、WEB上でも管理目的に添って展開していたとします。
でも、その成果を評価出来るように適切な利用方法を開発したとしても、そこだけの範囲でしか価値を生まない狭い世界になってしまっているのが現状です。
別の角度で言えば、折角の投資価値に関して誰もが利用し応用することも、ましてや評価も出来ない世界になってしまったのが現状です。
なぜなら、共通な情報処理に関する共通情報収集システムが育てられていない現実が、そこにあります。
たとえば例として、ある官庁が業者に、1,000万円を投入してWEB上に生物の情報収集システムを委託開発したとします。出来上がりました。でもその後のデータ入稿の管理費や、サーバーの管理費、そして発展させていくための運用費をも、予算計上出来ない(財務省の担当官が認めないためとの弁明も聞かされました)。
この件で、制作した業者は仕事を終えて、サッサと姿を消してしまい、任意団体の一員として、この運用を一任された複数の方々には、全額自己負担でデータ管理やサーバ管理、そして諸経費の負担を強いられる状態です。
でもこのような状況に関して発注した側では、すでに過去の案件としての認識しかなく、有効活用を呼びかけても、担当官はすでにおらず、現在の担当官は聞く耳を持ちません、
せっかくの投資を有効に活用しようという認識がなく、ひたすら新しい角度で予算獲得に役立てられるようなプロジェクトを求めて動き回るだけとなっているようです。
これでは、この分野へは、誰も喜んで参画出来なくなります。
これらデータベースの維持管理するだけの連続的な運用環境を事前に設定してなければ、産みっぱなしで餌もやらない常態では、結果として衰弱死させてしまうだけという認識すら、相互間で共有されない現実があります。
同時に、やる気のある有為の方々を決定的に遠ざけてしまう結果となってしまいます。
さらに研究者同市の情報交換にも、齟齬が生じてきています。
この部分の原因には複合的な原因と理由があります。
そのⅠ インターネットの普及と、情報発信の場の拡大
逆説的ですが、日本野鳥の会等の皆様の話を聞かせて頂いたときも、個人のメールやHP等での、稀な鳥情報等の交換は盛んになり、自分のHPやブログ等での公開が先行し、公式の野鳥の会等への投稿や発表がおろそかになってしまったきらいがある。
今までは、年に1回でも学会誌の形で発刊され、それへの投稿という形で印刷物が残されています。印刷物は、改ざんできない情報媒体として、研究者や学者の方々が引用できる対象でした。
しかし、個人や学界でもHP上での情報は、いつ消されるかわかりませんし、内容の改定が可能ですので、簡単には論文等への引用が出来かねます。
その2 WindowsのDOS版でのデータベース構築が先行したが、息切れ説
一つは、パソコンでもDOSの時代に一つの技術開発のピークを迎えています。それまでに日本国内で独自に構築された技術関連のデータベース環境等が、今考えてもかなりのレベルまで達しましたが、パソコンのWindows化を機会に一気に衰退してしまい、今の研究者とのコミュニケーションにも齟齬を来して、うまく接続出来ないほどです。
DOS時代の蓄積情報を(例えばd-base等)、今のWindowsXP等へ移行することは簡単ではありません。成功出来ないケースも多々あると聞いています。
今の環境との整合性が保てないために、大学の教授の方々が、教育してきた若手への業務移管がうまく運びません。多くの場合に、学生が参加しません。
定年を控えた老研究者の皆様の落胆振りは、今でもとても気になるところです。
第3としては 行政との対応では、システム運用への無理解が大きな継続的なシステム発展の機会を逸し、逆に研究成果を潰してしまうことがとても多く残念でなりません
たとえば、ある目的に添って10年以上にもわたる長期的な研究があって、その情報を的確に登録、データベース化され、WEB上でも管理目的に添って展開していたとします。
でも、その成果を評価出来るように適切な利用方法を開発したとしても、そこだけの範囲でしか価値を生まない狭い世界になってしまっているのが現状です。
別の角度で言えば、折角の投資価値に関して誰もが利用し応用することも、ましてや評価も出来ない世界になってしまったのが現状です。
なぜなら、共通な情報処理に関する共通情報収集システムが育てられていない現実が、そこにあります。
たとえば例として、ある官庁が業者に、1,000万円を投入してWEB上に生物の情報収集システムを委託開発したとします。出来上がりました。でもその後のデータ入稿の管理費や、サーバーの管理費、そして発展させていくための運用費をも、予算計上出来ない(財務省の担当官が認めないためとの弁明も聞かされました)。
この件で、制作した業者は仕事を終えて、サッサと姿を消してしまい、任意団体の一員として、この運用を一任された複数の方々には、全額自己負担でデータ管理やサーバ管理、そして諸経費の負担を強いられる状態です。
でもこのような状況に関して発注した側では、すでに過去の案件としての認識しかなく、有効活用を呼びかけても、担当官はすでにおらず、現在の担当官は聞く耳を持ちません、
せっかくの投資を有効に活用しようという認識がなく、ひたすら新しい角度で予算獲得に役立てられるようなプロジェクトを求めて動き回るだけとなっているようです。
これでは、この分野へは、誰も喜んで参画出来なくなります。
これらデータベースの維持管理するだけの連続的な運用環境を事前に設定してなければ、産みっぱなしで餌もやらない常態では、結果として衰弱死させてしまうだけという認識すら、相互間で共有されない現実があります。
同時に、やる気のある有為の方々を決定的に遠ざけてしまう結果となってしまいます。