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今日は帝劇 明日は日劇 はたまた国技館に後楽園ホール さらには落語家の追っ掛け 遊び回る日常を描きます。

桐山照史大健闘!「松本幸四郎INアマデウス」

2017-10-07 11:06:49 | 日記
来年1月に襲名が控えている松本幸四郎。「幸四郎」として、最後の「アマデウス」という宣伝文句に惹かれ、サンシャイン劇場へ行ってきました。1982年初演のこの作品 今公演中に450回を達成したということ。幸四郎としての「現代劇」の代表作になります。私、観るのは20年ぶりくらい。
サリエーリは、なぜモーツァルトを殺さねばならなかったのか? 神の意志に反してモーツァルトを葬ったサリエーリに与えられた罰とはなんだったのか? 作者P・シェーファーの描く世界は過酷です。
天賦の才能の持ち主だったモーツアルト。が、その才能に気づいたのは、サリエーリだけ。サリエーリは己の才能の無さを嘆きますが、やがてその感情は、モーツアルトへの憎しみに変っていきます。音楽的才能には恵まれたものの、ほかの面ではからきしのモーツアルト。傍若無人な振る舞いを繰り返し、宮廷内で味方の少ない彼を抹殺することは、サリエーリにとって簡単なことでした。失意のうちに世を去るモーツアルト。一方、権勢を欲しいままにするサリエーリ。が、やがて、「神」の恐ろしい意志に気づいたサリエーリは・・・というお話。
モーツアルトの作品は、亡くなって200年以上経った今も、世界のあちこちで聴かれるのに、サリエーリの作品は、彼の存命中から、ほとんど聴かれなくなってしまっている。誰からも忘れられて、それでも生きていかなければならないサリエーリ。この神の仕打ちにサリエーリは慨嘆する。今まで私は、そう解釈していたのですが、今回、もう1つの点に気づきました。それは、冒頭、サリエーリがモーツアルトの為に作った入場曲を、モーツアルトがアレンジして、自らのオペラの中に取り入れている点。つまり、そのわずかなフレーズは、モーツアルトのオペラが再演されるたびに、いやでもサリエーリの耳にはいってくることになる。老いさらばえたサリエーリにとって、これほどの苦痛はないでしょう。なるほど、ラストの悲劇性が、ますます深まってきました。
サリエーリ演じる幸四郎の素晴らしさは、今更言うまでもありませんが、初役 モーツアルト演じたジャニーズWESTの桐山照史も、素晴らしかった。躍動感みなぎったモーツアルト。その幼児性が、よく出ていました。コンスタンツェは、大和田美帆。彼女も、ラストの長台詞 情感あってよかった。また観たくなる「アマデウス」でした。