シモキタのtokyoboy

下北沢に居を構える初老オジのエクスサイズ、呑み歩き、美術館巡りなどの備忘録生活記録ブログ、含む膝蓋骨骨折リハビリ記録。

JPS 日本写真家協会展 (東京都写真美術館)

2018-05-30 | 写真

この日は帰宅前に時間が少しあり、

この時点で走っていたぐるっとパス対象外の企画展の内、内藤正敏さんの写真展を先ず拝見。

まだ時間があるから折角だし、はパッシブな言い方ですが、実際には拝見して良かった企画展。

 

第43回目の展覧会で入賞者が選ばれます。

その他、まあ同人といっても良い方々の写真が並び総出展数はかなりのもの。

個人的には選に入ったものが優れていない場合もあり、と見ました。

昨今高齢者が立派な一眼レフ…、レフじゃないか、を首から下げているシーンをよく見ますが、

今回面白かったのは18歳以下の作品でしたかね。

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豊潤稲荷神社 (神田須田町)

2018-05-30 | まち歩き

これまで気が付かなかったなぁ…

 

神田市場関係者によって「商売繁盛の守護神」として勧請されたお稲荷さま「豊潤稲荷神社」。

関東大震災後の区画整理の際に、当時あった神田市場の関係者や地域住民の要望により勧請され、昭和5年(1930年)に創建された、比較的新しい神社。

 

がネットで知った情報。

 

更に…

神田の青果市場は江戸時代の明暦の大火[1657]以降に,江戸八辻ヶ原と呼ばれた神田多町・神田須田町の地に,商人たちが集まって形成された市場.徳川幕府の御用市場となり,駒込・千住の市場と並んで江戸三大市場と称されるに至ります.約1万5千坪[約5万9500㎡]もの広大な市場は平川[日本橋川]左岸の神田橋門外の鎌倉河岸からの荷揚げで大いに賑わったそうです.青果市場を意味する「やっちゃ場」という言葉の発祥の地も神田の青果市場だとされます.

1923[大正12]年の関東大震災後に復興した神田市場でしたが,その後、 1928[昭和3]年には秋葉原西北に移転.さらに,1990[平成2]年には大田区へと移転しています.

 

だそうで…

 

 

由緒正しいか、単に新しい神社か不明ですが、

ちょっとしたランチタイムでの発見でした。

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