東大寺があれば「西大寺」があるのは道理ではあるのですが…
この日、唐招提寺/薬師寺と西ノ京を歩き、平城京跡に向かおうと近鉄西大寺駅で降り立ち、
そこから100mのところにこちらがあると知りました。
765年、称徳天皇が鎮護国家と平和祈願のため7尺の金銅四天王の造立を発願されたのが、当寺のはじまりである。南都七大寺の一つに数えられ、当初は、110もの堂宇が立ち並ぶほど栄えた。平安時代に火災などによって一時衰退したが、1235年、叡尊上人が当寺に入寺して再興し、密・律兼修の根本道場として発展した。現在の堂宇は1502年の火災で焼失したのちに、江戸時代に再建されたものである。
とは同寺HPの語るところ。
写真で「四王金堂」と読めるそれの由来も明白ですな。
じっくり歩いた訳ではないのですが、境内はそんなに広くない様子です。
ここが駅から道を入ったところにある寺の角、
そこから左手の道を行くと、小さな山門。
そこを入って、右側に池があって、お寺の前衛ということか「玄武」と記され、
そして右手に最初の金堂、
後から示す五重塔跡の先の方に僧坊だったんだろうなあ、と思われる建物が見えます
→ 本堂が桜の向こうのそれでした^^;
これは東塔跡、創建時のものは平安時代に焼失、その後…
藤原後期に再建されたが、これも室町時代文亀2年(1502)に焼失した。壇下の八角の小石列は、先年発掘調査によって確認された、創建期に計画され途中変更された八角七重塔の基壇の規模を示す。
とのことです。
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