今回初めてその存在を私は知った松井家は肥後細川藩の筆頭家老にして八代城主。
一国一城制度の江戸幕府において支藩でなく城持ちのステータスを保っていた訳ですから、徳川将軍家も一目置く存在であったことは明らか。
戦国動乱期から江戸幕藩体制確立までの時期、細川家と共に生き抜いた松井家三代の生き様に焦点を当てたのが本企画展。
そしてこの表紙に見られる松井家第二代の興長の着ている陣羽織や後ろに置かれた兜…、それぞれ徳川家光、豊臣秀吉から拝領した品、が戦国時代の松井家の活躍を物語ります。
なお、その兜は初代康之に贈られたもの。
松井家は元々足利将軍家に仕えていましたが、康之の頃将軍義輝が廃され、その後細川藤孝と行動を共にし15代将軍足利義昭擁立に向け行動、織田信長の知遇を得るようになる。
私的には戦国時代最強の家老、というと伊達家の直江兼続とかが頭に浮かびますが、康之も戦功を認められ秀吉から18万石の所領🪨が提示され直参として大名に取り立てる、ということもあったそうな。
それを断り、代わりに拝領した「十八万石の壺」も今回展示されていました。
そして丹後時代から時の為政者から松井家が一定の戦力を保てるよう所領と居城を持つよう指示も出て、その後豊前・豊後、肥後と細川家の国替えの際にも常に所領中2番目の重要拠点に松井家は城を構えて八代城主という顔も持った、とのこと。更には山城国での所領も秀吉、徳川家から安堵され幕府直参でもあった、そんなユニークな松井家を知ることが出来ました。
展示では信長、秀吉、徳川三代から送られた各種書状、朱印状の他、宮本武蔵や千利休といった人物との交流が密度の濃い資料から浮かび上がって非常に興味深かった今回、その入場料は1,000円。これが無料となって、ぐるっとパス効果は計25,420円となりました。
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