★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

ヒプノセラピーの記憶

2020-09-22 | 体験やイメージ

世の中には神秘的な遺産が沢山ある。

何処もなかなか大変そうな場所にあるので気軽に行けないから

いつか機会があったら行ってみたい。

 

その中の一つにはティオティワカンもあるのだけれど

先日モヘンジョダロを見たとき

何故か「ここにいたことがある」と瞬時に感じた。

 

ただ生活していたように感じるのだけれど

特に細かなことは感じないので

そのままにしていた。

翌日の明け方、スッキリと目が覚めてしまったのだけれど

ハッと何年も前に受けたヒプノセラピーの一つを思い出した。

今までにヒプノセラピーは数回受けたことがある。

 

私はまだ小さな子供で、

綿だか麻のような素朴な白っぽいワンピースを着た

4、5歳くらいの女の子。

そこは全て焼け焦げた後のような何もない場所。

でも、火事の後ではないのがわかる。

霧でもない。

空も周りも白っぽい灰色のような状態で

森だったような場所なのに木々はただ真っ黒な折れたような幹が

所々に立っているだけで死んだ木だ。

そこには何の生気も無く

何も生き物もなく

空気も木も全てのものが死んでいるようだった。

何も色がない。

 

そこから少し歩いたところに

壊れそうな小さな小屋があって

そこに住むおばあさんが私を家によんだ。

おばあさんと私だけしかいない。

 

私には両親がいて、仕事だか買い出しだかで二人とも街に行ったようだ。

いつもと同じ、お喋りをを楽しんで笑顔で手を振っていた。

「ここで待っていてね」と笑顔でお母さんが振り返って言っていた。

そこの街はとても豊かで栄えていたように感じる。

 

だから私はそこでずっと二人が帰ってくるのを待っている。

何年も何年もずっと待ってるけれど誰も何もいない。

でも待っていないと、お母さんが帰ってきたときに

心配するだろうから待っている。

 

ある日おばあさんが通り、うちで待っていればいいと言った。

「ここにいなかったら、あなたを探して

必ずうちの前を通るから家で待っていても会えるわよ」

と言ったので初めは拒んでいた私も納得して家に行った。

私は全く喋らなくなっていた。

おばあさんも子どもたちや家族を無くして喋らなくなっていた。

二人ともただ一緒に暮らした。

 

小屋の窓からも

立っている黒い木々の残骸と

灰で覆われたような灰色の景色がただ広がっているのが見える。

他の色は何もない。

 

ヒプノセラピーで、そんな一つを見たのを思い出した。

よく聞くような何をしたとか、何もなく

ただ色のないところで一人で待っているだけのイメージ。

 

後から私が見たあの景色は核の後だと思っていた…

でも、それが何の意味があるのかわからないし

特に意味づけする必要もないし

そんな景色、核を使うなんて日本以外歴史上無いだろうし、

私の想像で作り出したのかなぁ

変なイメージ、くらいにしか記憶になかった。

 

他のヒプノセラピーでの記憶の方が強烈だったこともあるし

例え、記憶の一部であったとしても過去は単に過去に過ぎない。

 

でも、おかしな話だけれど

あそこの遺跡は関係があったのかもしれない。

無いのかもしれない。

 

そんな事を感じた日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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