「悲劇喜劇」で「横内謙介」さん(扉座主宰)が、ジュリーと同じく、マキノ氏に寄せた文章があるが、その中でとても興味深い箇所を抜粋したい。
「異端なる正統派」
この二十数年、演劇界というのは、それほど変わってきたということである。 そういう変化を生んできた一人が、ほかならぬマキノノゾミである。
そんなマキノはアンチテアトロ派の圧倒的隆盛に対する、大衆劇派逆襲の旗手である。
そもそも現代演劇界においては、アンチが主流というのがおかしなことだった。しかしそれはおそらく文明開化以降の潮流であったと言えるだろう。新劇は伝統芸能のアンチであり、アングラはその新劇に対するアンチであった。小劇場ブームはアングラのアンチであったのだが、だからと言って一気に大衆に開かれた演劇の王道に回帰するのではなく、あくまでも新人類文化という、カウンター的カルチャーとして花を咲かせた、
言ってみれば、我が国の現代演劇は実はずっと大衆と付き合ってこなかったのである。
すごくおもしろくてわかりやすい解釈である。
私たちは演劇と言えば、アングラ(ワケがわからない)だと思っていた。ちょうど高校時代に流行したからだ。演劇部員たちはこぞって、わけのわからない脚本を書き、それを競っているようにも見えて、どうしても文化祭に上演される劇も見に行こうという気持ちにならなかったのを覚えている。
今、純粋に正統派に見えるマキノ氏も実は、「異端なる正統派」として戦ってきた歴史があるのだな、と思った。
それはジュリーにも同じく、不思議とこの「異端なる正統派」はジュリーの歌手人生にもあてはまる。
ジュリーとマキノ氏が通じる部分はこういうところにあるのかもしれないと思った。
マキノ氏ならジュリーの良さを存分に引き出してくれるかもしれない、と大きな期待で胸が膨らむ^^。
「異端なる正統派」
この二十数年、演劇界というのは、それほど変わってきたということである。 そういう変化を生んできた一人が、ほかならぬマキノノゾミである。
そんなマキノはアンチテアトロ派の圧倒的隆盛に対する、大衆劇派逆襲の旗手である。
そもそも現代演劇界においては、アンチが主流というのがおかしなことだった。しかしそれはおそらく文明開化以降の潮流であったと言えるだろう。新劇は伝統芸能のアンチであり、アングラはその新劇に対するアンチであった。小劇場ブームはアングラのアンチであったのだが、だからと言って一気に大衆に開かれた演劇の王道に回帰するのではなく、あくまでも新人類文化という、カウンター的カルチャーとして花を咲かせた、
言ってみれば、我が国の現代演劇は実はずっと大衆と付き合ってこなかったのである。
すごくおもしろくてわかりやすい解釈である。
私たちは演劇と言えば、アングラ(ワケがわからない)だと思っていた。ちょうど高校時代に流行したからだ。演劇部員たちはこぞって、わけのわからない脚本を書き、それを競っているようにも見えて、どうしても文化祭に上演される劇も見に行こうという気持ちにならなかったのを覚えている。
今、純粋に正統派に見えるマキノ氏も実は、「異端なる正統派」として戦ってきた歴史があるのだな、と思った。
それはジュリーにも同じく、不思議とこの「異端なる正統派」はジュリーの歌手人生にもあてはまる。
ジュリーとマキノ氏が通じる部分はこういうところにあるのかもしれないと思った。
マキノ氏ならジュリーの良さを存分に引き出してくれるかもしれない、と大きな期待で胸が膨らむ^^。