こんにちは
小野派一刀流免許皆伝小平次です
さて、東京書籍出版社の歴史教科書による歴史探訪「ヒミコ、ヤマタイ国編!」
といきたいところだったんですがちょっと今回もお休みです
と申しますのも、やはり古代から日本の歴史を妄想する際に、かの、アジアの超大国
「中華人民共和国」
つまりは「中国の歴史」についてはっきりとさせておかなくてはならない事がありまして、今回はその辺の事をお話し致したいと思います
「支那」
という言葉をお聞きになった事はみなさんもちろんあるでしょう
この「支那」という言葉は以前より、中国に対する「蔑称」だから使うな!という風潮がありまして、ネットだので検索しようと「sina」とローマ字入力しても変換されません
そんな事ですから、今、わざわざ「中国」の事を「支那」と呼んでいる人達は、いわゆる「ネトウヨ」か保守系の言論人、または石原慎太郎氏のような極右政治家であり、へそ曲がりの連中だ!
などと思っている人がまだまだ大勢いるようなのであります
もう今更の話で、多くの人はわかっている事と思いますが「支那」はもちろん差別用語ではありませんし、差別的な意味合いもありません
元々は大陸のあの地域の人たちが自ら「支那」と呼んでいたのですから、「支那」と呼ぶことに何の問題もないのです
「昔はともかく、今は中華人民共和国、中国なんだから素直にそう呼べばいいじゃないか!」
というような意見も多く見られますが、保守系の人たちが中国を「支那」と呼ぶのは、別に差別的な意識のもと、ひねくれてそう言っているのではありません
「支那」と呼ばねばならないから、そう呼んでいるのです
なぜ「支那」と呼ばねばならないか
そのことがわからなければ、古代からの日本の歴史も、現代の日中関係においても、真実を見誤ることになるのです
近代史において「日中戦争」なる戦争で、日本と中国が戦争をしたと多くの人たちは認識しています
また学校でもそう教えているわけですが、「支那」、と本来私たちが呼ばねばならない理由を知らなくては、「日中戦争」なる戦争において、我が国日本が戦った相手は一体誰なのか、また戦わねばならなくなった理由は何なのか、そもそも日中戦争などと呼べる戦争が存在したのか
と言った事についての真実も見誤る事になるのです
さて、なぜ「支那」と呼ばねばならないか
このことについての詳細は、ネットなどでも多くの人が触れておりますので、興味のある方はぜひとも調べ(変換されませんので一字ずつ入力しなくてはいけませんが…)、自身の感性で感じてみて下さい
小平次としては至極簡単に述べてみたいと思います
「支那」とは「ヨーロッパ」と同義であると言って差し支えないかと思います(実際はもう少し複雑でありますが)
さて、通常「ヨーロッパの歴史」と言った場合、それは例えばフランス一国の歴史、とは違う概念であります
ですから「支那の歴史」と言った場合、同様に特定の一国の歴史ではありません
以前、小平次の娘(中3)が家で何かを暗記しようと天井を見上げ、声を出しておりました
「いん、しゅう、しん、かん、さんごく、しん、なんぼく、ずい、とう、ごだい、そう、げん、みん、しん…、」
小平次は尋ねます
「何をぶつぶつ言ってんだ?」
「中国の歴史、昔の中国の国の順番だよ」
「ふうん、もう一回言ってみ?」
「いん、しゅう、しん、かん、さんごく、しん、なんぼく、ずい、とう、ごだい、そう、げん、みん、しん…、」
「あのさ、今、げん、て入ってたけど、げんってどんな国の事?」
「元はさ、モンゴル人が創った国で、鎌倉時代、日本にも攻めてきた国だよ」
「そうだよな、モンゴル人の国なのに、何で中国の歴史として、中国の国の順番に入っているんだ?」
「…、ああ、そうだよね、何でかな…」
とまあこういう事であります
元とはモンゴルが築いた大帝国であり、モンゴルが「元」として、「支那地域」を支配していたという事です
この元に限らず、文化、人種、言語の異なる民族が、太古の昔より戦乱に明け暮れ、互いに支配し支配され、滅ぼし滅ぼされを、この「支那地域」において繰り返してきたのです
ですから、現在の共産党政権と「大清帝国」には何ら連続性はないのです(それまでの王朝同様、中国として支那地域の支配を宣言したと言う意味においては連続しているとも言えますが)
同じ日本人による、北条、足利、豊臣、徳川と為政者が代わったものとは全く異質なものなのであります
例えば今、ヨーロッパにおいてイタリアが、超強力な兵器を開発し軍事大国となり、近隣のスイス、フランス、ドイツに侵攻してたちまち制圧し、さらに侵攻を拡大させほぼヨーロッパ全土を制圧したとします
そしてローマに強力な独裁的中央集権政府を樹立、「大ローマ帝国」の復活を宣言したとします
さて、その場合、フランス革命からナポレオンの治世の時代のフランスの歴史を、「イタリアの歴史」として認識できるでしょうか
また、イタリアが「この地域はヨーロッパではない、すべて第三ローマ帝国である」と宣言しても、そんな事が世界の共通認識になり得るでしょうか(中華民国が日本に「支那」と呼ぶなと言ったのはこの理屈によるものです)
さらに、当然の事ながら、元フランス、元ドイツ、その他の国々において、イタリアからの独立を回復しようと抵抗の戦いが始まるでしょう
それがまさに「中華人民共和国」内で起きているチベットの独立運動であり、ウイグルのテロ活動に他ならないわけです
ですから、「ヨーロッパではない!第三ローマ帝国である!」などという事を、理不尽に侵略されたフランスやドイツのためにも認めるわけにはいかないのと同様に、「大中華共産帝国」、「中華人民共和国」を、チベットやウイグルの人達のためにも認めるわけにはいかないのです
ですから仮に「中国」と呼ぶにしても、多民族の複合国家が、とりあえず国家の体をなし、抵抗する異民族国家を理不尽に弾圧しながら飲み込んでいるのが「中華人民共和国」であると認識していなくてはなりません
大体元々「シナ」は外来語であり、英語でも「China、チャイナ」であり、その他の言語でも「シナ」の語源をもとに「シーヌ、チーノ」などと世界中で呼ばれているのです
「他の国はいいけど、日本にだけは支那と呼ばれたくない!」
本気でこういう事を言う「中国人」がいます
そういう意味でも私たちは国際標準である「支那」を使わねばならないのです
その他にも様々な理由から、「中国」と言う呼称は本来使うべきではないのです
さて、それでも小平次はこれまでこのブログの中で、あえて現代の中華人民共和国を言う場合は「中国」と書き、歴史探訪などでお話する場合は「中華王朝」とか「大陸の国」などと表現してきました
それは、小平次として、このブログを出来る限り
「昔日本はアジアでひどいことをした」
とか
「明治以前の日本は遅れた封建暗黒国家であった」
などと、漠然とそう思い込んでいる方々、おそらくは「支那」などと言う言葉を使うのはへそ曲がりの右翼だ、とやはり漠然と思っておられる方々、それでも何かがおかしいと感じ始めている方々に読んで頂きたいという思いでありまして、そんな方々と共に考え、感じてまいりたいからなのであります
ですが、「歴史探訪」もいよいよヒミコの時代を迎えるにあたり、どうしても大陸との関係に触れなくてはならなくなりますので、この辺でちょっとお話させていただいた次第であります
さて、話は変わります
昔の事ですが
漫画の「美味しんぼ」の中で、主人公の山岡の勤務先の上司が、大事な客人である「中国人」を「支那そばや」に連れて行ったら
「支那とは日本人が中国人を侵略虐殺していた時代に、蔑称としてつけたものだ!」
と、その中国の客人が激怒するという話がありました
そして、主人公の、あのいけ好かない山岡が、その「中国人」を代弁するがごとく
「あえて支那という言葉を使う政治家や言論者がいるが、幼稚でみにくい」
みたいな事を言ったわけであります
それをふまえて、最後にこの「支那」にまつわる小平次の体験談を一つお話します(以前やっていた下世話なブログでも書いたものですが)
それは小平次が大学3年生のころ、初めての海外旅行でヨーロッパへ行った時の話です
高校生の頃、世界史の資料集の中にあった、ピカソの「ゲルニカ」の写真を見て、衝撃を受け、この絵を生で見たい…
ゲルニカが、マドリードのプラド美術館にある事を知った小平次は「いつか絶対に見に行こう」そう思っていたのでありました
そして、実現した初めての海外旅行、どうせなら他の国も行こうと計画を立て、まずはドイツのフランクフルトへと向ったのでありました
ドイツと言っても東西冷戦の末期、そこは西ドイツでありました
フランクフルト…、イメージは?
そりゃあやっぱり何と言ってもフランクフルト!です
ドイツ人といえば大きなソーセージをパキッと食って、ビールをぐびぐび飲む
そんなイメージしかありませんでしたので、その地名だけ聞けば、おそろしくフランクフルトがうまいに違いない
そう思っていたわけであります
確かにソーセージはうまかったし、ビールもうまかったです
未だに忘れられないのは、ソーセージの付け合せに必ずついていた、キャベツの酢漬けのようなもの
あれがなんともうまかったなあ
日本に帰ってから、その味を思い出しながら作ってみたりしましたが、なかなか上手には作れませんでした
それはさておき
そのフランクフルトで、二日目の昼下がり
郊外の動物園に、白いトラがいると聞いた小平次は、ちょっと行ってみようと、フランクフルトマイン駅へと向ったのです
券売機で切符を買い、市電乗り場へ向おうとしたその時!
突然誰かに、後ろから右腕を掴まれたのです!
振り向くとそこには、4人の東洋人が立っておりました
4人は全員男で、その内の一人、小平次の腕を掴んでいた頭のはげた小柄な男は、聞きなれない言語を大声で発しながら必死に何かを訴えてくるのです
「Can You Speek English ? 」
との小平次の問いかけは全く無視
とにかく身振り手振りの大声だけで、必死にジェスチャーで何かを小平次に知らせようとしているのです
最初は小平次もとまどっておりましたが、はげおやじの死に物狂いのジェスチャーで、少しずつ事態が飲み込めてきたのでした
どうやら
「ケンバイキニオカネイレタケド キップガデテコナイヨ!」
そう言ってる様でした
遠い異国の地で、英語すらままならない状態で、どうしていいかわからなかったのでしょう
そこにたまたま見かけた同じ肌の色の東洋人
藁をもすがる思いだったに違いありません
「Please Wait,Wait!」
何を言っても大声とジェスチャーは止まりせん
「もうわかったからちょっと待って!」
日本語で言ってみましたが当然だめです
「あーーもう!」
小平次は何とか落ち着かせようと紙とペンを取り出します
顔つきは日本人とそう変わりません
中国か韓国、香港、台湾あたりの観光客だろう
もしかしたら漢字で書けば意思の疎通ができるかも知れない
そう考えたのでした
4人の男は、小平次がメモとペンを取り出したのを見て、これから小平次が何かをしてくれるのだろうと、期待を込めてとりあえずジェスチャーを止めました
まずとにかく落ち着かせなくてはと、彼らの国籍を聞く事にします
「中国人」
そうメモに書いて、一番うるさかったはげおやじに見せ、指をさし、確認してみました
4人は一斉にメモを覗き込みましたが、皆一様に首をかしげ、怪訝そうに何の事だというような顔をしています
「うーん中国人じゃないのかな」
続いて、そのころ「支那」が差別だのの議論の対象になっているとは夢にも思っていなかった無知な小平次は、堂々と!
「支那」
と書いて、はげおやじに指を向けたのでした
ああ恐ろしい!
美味しんぼの山岡の言う通りだったら、
小平次はこの4人の男に殴られ、倒れた所を蹴られ、うずくまっている所に石を投げつけられたに違いありません
しかし!
実際そうはなりませんでした
それどころか、4人は一斉に明るい顔になり
「シナ!シナ!」
そう叫びながら自分達を指さしたのです!
ようやく意思の疎通がとれ、お互いの信頼が少しだけ生まれた瞬間であります
小平次は次に
「駅員」
と書いてみます
「自分が駅員を呼んで来てやる」
と伝えようとしたのです
しかし彼らは再び曇り顔
「駅員」
では通じないようです
少し考えてから
「係員」
と書いてみます
すると彼らは、再び明るい顔を取り戻し、4人で小平次を見つめます
その後、何とかジェスチャーで、今「係員」を呼んできてやるからここで待っていてくれというような事を伝え、六カ国語辞典を取り出し、ドイツ語の「故障」という言葉を覚えてから駅員を呼びに行ったのでした
全てが解決した後、4人の「支那人」は、両手を胸の前で合わせ、丁寧に頭を下げ
「ダンケ・シェーン」
そう言って笑顔で去って行きました
さて
いまだ「支那は差別語だ!」と言う人がいます
「中国様が日本にだけは支那と呼ばせない!と言ってるんだから言うな!」と騒ぐ人がいます
この「支那」についてもたくさんの人たちが正反対の事を言い合っています
自らの感性を信じ、真実を感じていきましょう
その昔
お互い遠い異国の地で
身振り手振りで
助け合って
笑い合って
心を通わせた
「支那人」と「日本人」
がいた事こそが
小平次にとっての真実なのであります
御免!
コメントありがとうございます。
>>「孫文」は「清」とは言いたくなかったのでしょう
なるほど、そうだとすればなおのこと、かの地域の人たち自身が清とその後の支配勢力とは別のものと認識していたということになりますね
そこらへんを間違えるといつまでもかの国にいいようにやられてしまいます
ありがとうございました
日本に「支那」と教えたのは「孫文」だということを読んだことがあります。当時は「清」が支配していたので「孫文」は「清」とは言いたくなかったのでしょう。「孫文」は漢民族「清」は女真族ですから。
僕もあの地域は「ユーラシア大陸の東部」などと言います。「中国大陸」「支那大陸」は存在しない呼称ですので。これからは「支那」を積極的に使っていきます。
コメントありがとうございます。
すっきりした、と思って頂けたのなら大変光栄です。
私も娘が大学生で、思った以上に勉強していることもあり、時に答えに窮することってありますよねー。
成長を喜びつつも少し寂しくもあり…
日頃お付き合いをさせて頂いている「猫の誠さん」というブロガーさんが、当記事へのコメントにて北京語について大変興味深い論を述べられており、それについてHPに記事を書かれています。
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~bwidow/
よろしければご覧になってみてください。
娘さんとの会話がまたはずむかもしれません
今後もお時間のある時、当ブログも覘いていただければ幸いです。
ありがとうございました
同級生が上海の人と結婚しましたが、上海語と北京語は違うと云っていた話を思い出し、教わるのは北京語かなと尋ねると、え、何で?と問います。
支那語は読み方が地域によって違うんだよ、同じ日本人の読み方も北京語はリーベンレンで、上海語は確かゼーベンニンだったかな?、等と娘と話していると、何で支那人と云うのか?と。
私が小学生の時の中国は広島県を中心とした中国地方の事を云い、中華人民共和国の事は中共、中華民国の事は台湾と云っており、中共と台湾を総称して支那と云っていたので、私としては普通なのですが、娘は差別語ではないかと疑っており、答えに窮していましたした。
本ページに辿り着き、すっきりしました。
有難うございました。
コメントありがとうございます
通州事件が事実として封印されているとは思いませんが、積極的に語られたり教科書に載ったりはしていないのは確かだと思います
大陸での大規模な戦争の引き金の一つになったことも確かだと思います
ですが、それと右傾化はあまり関係のないことのように
思います
ありがとうございました
戦前のプロパガンダになって一気に右傾化した原因。
調べるほどに右傾化するから
たぶん封印されている事実。
中国でいう天安門事件扱いかもしれん。
何でそう呼ぶジジババいるんだろ?って思うなら
通州事件は切り離せない問題であり続ける。
だからお前はシナ人だな!って怒鳴るわけ。
コメントありがとうございます
おっしゃる通りだと思います
インドラネットさんからのコメントの返信でも申し上げましたが、私は、個人的には日本の中国地方という地方名称があること、そのことがかの国を支那と言う意味も分からずに中国と呼ぶべきではない、そのもっとも大きな理由であると思っております。
ありがとうございました。
中国とは日本のことです。
葦わらの中国(なかつくに)は日本です。
中国自動車道は日本の道路
中国経済圏は日本の経済団体
中国銀行は日本の銀行
支那_china-sina
sina oilと支那人自ら支那と発音してる。
日本を蔑視するために、支那と言わせないだけ。
コメントありがとうございます
おっしゃる通りだと思います
かの国が日本に中国と呼ばせることによって、あの地域に連綿と一つの国が続いて来たかのような錯覚を多くの日本人に持たせてしまっています
それがどれだけ危険なことなのか
そのような想いで記事に致しました
ありがとうございました
優秀な人々が住まう世界の中心であり、
その外の人々はすべて野蛮な人種である
といった意味が込められています。
つまり、支那人以外の全ての人種を見下す言葉。
大昔からあの土地は支那と呼ばれており、蔑称でもなんでもなく、むしろ中華のほうが問題ありなんです。
コメントありがとうございます
当記事には大変多くの方からコメントを頂いておりますが、この度無知さまからこ頂いたコメントの内容は、これまでも何人かの方にご指摘いただいております
それに対する私の考えも述べておりますので、よろしければコメント欄もご一読いただけると幸いです。
一部はおっしゃる通りと思います
本来差別的な言葉でなかったものが、
『支那人が!!』
などと差別的な意識のもとで使用する人が多くなり、真実が見えにくくなっているように思います
本記事で最もお伝えしたかったことは、『一つの中国』という言葉に包み隠された覇権主義により、チベット、新疆、モンゴル、ひいては台湾、沖縄までもが飲み込まれかねない、だから『支那』という言葉の意味を理解する必要があるのではないか、というものです
いくつかの頂いているコメントでお答えしていますが、その辺りを理解した上で『中国』という国名を使用することに私はなんら異論はありません
>>差別用語あるいはそれに相当する行為というのは、差別された側が規定するものであって、する側が規定するものではない…
どうなんでしょう、差別された、とされる側のみが一方的に規定するものであれば、下手をすればどんなことも差別となり、元々差別のないところに差別を生み、対立をお煽り、逆差別を生み、意図的に元々の地域や文化を破壊しかねない、大変危険な思想のように思います
>>わざわざ相手が嫌がる「シナ」という語を当てているのか…
ではなぜ、China、については中国自身も世界も許容しているのでしょう
そのあたりも一度は議論すべきことと思います
ありがとうございました
そもそも、なぜ「中国」と呼べばすむものをわざわざ相手が嫌がる「シナ」という語を当てているのか。そこにこそ人間精神の卑劣さがあり、さらにはそれを認めない卑劣さが見え隠れしている。
コメントありがとうございます
>>コロナ禍の世界はどうなるのでしょうか?
私にはわかりかねますが、わが国においては、コロナそのものより、メディアの洗脳がどれほど恐ろしいモノなのか、そのことを痛感しております
季節労働者さま、だいぶ本稿の内容からそれてきました、コロナ関連の記事も投稿しておりますので、もしよろしければ、そちらをお読みいただき、コメントを頂ければ幸いに存じます
ありがとうございました
実に妄想の膨らむお話ですね
私の以前の記事、卑弥呼ではない、日御子さまです!
という記事で少しふれておりますが、私は、大陸からの勢力と旧来からの日本人との価値観の衝突だったと考えております
その争いが、一人の女王の即位によって治まっていく
興味深い話です
よろしければ過去記事をご覧いただければ幸いに存じます
いずれまた、この辺りのことについてもあらためて触れてみたいと思います
ありがとうございました
倭国大乱以前にも、小規模な内乱がありましたけど、倭国大乱は、この国が経験した史上初の大規模な内乱だったと言われています。
7世紀後半に起こった壬申の乱を、考慮すると小生は、倭国大乱は、あったと思います。
倭国大乱について、知っている事がありましたら、ご投稿して下さい!
待ってます。
コメントありがとうございます
古代に関する大陸の史書等を見ますと、倭国、は、それなりの大国であったことが窺え、どちらかと言えば百済も新羅も従えていたようにも見えますが、不思議と日本発の『文化』と呼べるようなものは見当たりません
にも関わらず、百済や新羅が倭国へ王子を人質に出している…
このあたりは日本人の特性を考えるに当たり、大変興味深いことと思っております
またいずれ記事にできれば、と思います
さて、話題も本記事とは離れてまいりましたのでこの辺で
またお越し頂ければ幸いに存じます
ありがとうございました
パスタもイタリア発祥ですが、日本では、和風スパゲッティ、あんかけ、ナポリタン、など日本独自のパスタが花開いています。同じように、英米加豪新でも、スパゲッティ・ウィズ・ミートボールやマカロニアンドチーズ、スパゲッティ・サラダなど、独自のパスタ文化があります。
また、日本発祥の文物として、神社や浮世絵、新幹線、日本語、日本酒などがあります。
韓国では、中国が父親、自分達は、長男、日本は次男という差別的な考え方をした小中華思想がありますが、それは、モンゴル人やフィリピン人、ベトナム人に対しても差別的な態度を取っています。それは、同じ韓国人同士でも、障害者や女性、低学歴の人達を差別する、超差別大国なのです。講した韓国の差別的な傾向に、アメリカ合衆国の国務省や国連人権理事会などから、是正を求められています。人類のルーツは、アフリカには違いありませんけど、それもエチオピアやケニア、タンザニアの様な、東アフリカなのか、ボツワナや南アフリカ共和国の様なアフリカ南部なのか、諸説あります。
人類の起源を調べるのは、中々、興味深いと思います。
コメントありがとうございます
>>日本人の祖先は中国だけでなく、モンゴルや中央アジア、朝鮮半島、シベリア、台湾、東南アジアど色々な所から、渡って来て生まれたのが日本人ですから…
どうでしょう、日本人のルーツは少なくとも現代中国人とは関係がないと思いますし、縄文期、弥生期に大陸で中華王朝を創り上げていた民族は今の中国人とは違うと思います。
遺伝子学や言語学からも、日本人のルーツは少なくとも支那地域の人々とは無関係ではないでしょうか
東南アジアやモンゴルも、わずかに共通点を主張する方もいますが、日本人のルーツと呼べるほど確たるものはありません。
文化や技術の積極的な受け入れも、これはあくまでも私の主観ですが、基本的に縄文期の人々は、できる限り大陸の人々との接触を避けていたのではないかと思います。
その中での文化や技術の受け入れは、幕末から明治期にかけての日本とよく似ていて、本来必要はなかったが、国防の都合上受け入れざるを得なかった、のではないでしょうか。
実際漢字を国語文字として受け入れるまでに1000年くらいの時間をかけています
仏教も同様のように思います
受け入れたものもあれば、断固侵入を阻止していたものあります
日本人のルーツを学問的に探究するのは興味深いことと思いますが、例えば朝鮮半島の人々が言うように、朝鮮は日本の文化の兄である、といったようなことは非常に危険な思想に結び付くと思いますし、ルーツをたどれば現生人類の共通の祖先はアフリカにいた、ということになります。
ご先祖様や先人を敬う心は大切ですが、ルーツ的な祖先だから
>>中国を否定するのは、自分自身のルーツを否定する事になりかねないので…
とお考えになる必要はまったくないと思います
ありがとうございました
コメントありがとうございます。
様々な文化、多くの技術が大陸由来というのは間違いのないことと思いますが、日本人のルーツが中国、というのはかなり無理があると思います。
ありがとうございました
とはいえ、漢字や火薬、羅針盤、紙、印刷などは中国発祥だし、抑、日本人のルーツは中国にある可能性が高いです。
中国を否定するのは、自分自身のルーツを否定する事になりかねないので、非常に難しい感じです
重ねてのコメント、感謝です。
難しいところですね。
ただ、それも日本企業が安価な労働力を中国に求めた結果と、中国をマーケットとして、長い目で見た時の国益よりも目先の利益を求めた結果のように思います。
今からでも遅くはないと思います
今からでも協調相手としてともに発展していくべき国を中国ではなく、インドを中心とした東南アジア諸国にシフトするべきだろうと思っています
ありがとうございました
手
コメントありがとうございます!
おっしゃる通り、支那の意味を理解していれば「中国って一体、何なの?」
となります。
逆にただの差別語だなどと言って理解してなければ、チベット、ウイグル、台湾、周辺海域への中国の行動を正当化させかねません
ありがとうございました
そうなると、抑、中国って一体、何なの?とその根幹に関わりますね!
コメントありがとうございます
小平次と申します。
おっしゃる通りで、本来の言葉の意味も考えず、差別的な意識のもとでこの言葉を使う人がいるために、何とも本末転倒な事になっていると思います。それこそ中共の思うツボだと思います。
できれば、今後もしコメントを頂けることありましたら、せめてハンドルネームかニックネームでも結構ですので、合わせて記載して頂けるとありがたく存じます。
ありがとうございました。
コメントありがとうございます
小平次と申します
そうなんですか❗
びっくりです
で、Unknownさまのおっしゃる私が遭ったシナ人とはどんな人たちで、どんなところで暮らしている人達なんでしょう
逆に本物の中国人とはどこまでの人達を言うのでしょう
その違いはなんでしょう
また、日本人は支那と言うと本物の中国人に殴り倒されるから気をつけなければいけないのに、アメリカ人はchinaと言っても本物の中国人に殴り倒されたりはしないのですか❓
であれば、日本人としてとても不愉快ですし、そのような暴力的な差別はとても許容できるものではない、と考えますがいかがでしょう
ありがとうございました
古い記事にも関わらず、お越しいただき感謝です
猫の誠さまのHP、時折お邪魔させて頂いております
その内容、分量にただただ敬服するばかりです
『乾隆帝宛ての、琉球国の公文書が、漢字とは全く異なる…』
大変興味深いお話ですね!
そこから推測していろいろ調べられるという猫の誠さまにまた敬服です
あらためてじっくり拝読させて頂ければと思いますが、
漢民族などはとうに滅んでいる、北京語は満洲語、という論に私は全く同意です
そう考えるのが自然だとのお考えにも同意です
話は変わりますが、私には何人かの中国人の知人がおりまして、その中のある女性が『私は漢族ではありません!満州族です!』と強い口調で言ったのを覚えております
私が『中国、という国に対して祖国、という感覚はあるのですか?』と尋ねましたら、『それはあります』と言ってましたが、かなりきょとんとしてました
猫の誠さまのブログ、ならびにHP、大変啓発されております
これからもまた宜しくお願い申し上げますm(_ _)m
『日本にも「中国」地方がありますよね。』
私はじつのところ、このことが、かの国を中国と呼ぶべきではないことの一番の理由だと考えています
しかしながら、このことに限らず、中韓との歴史認識においては、事実を理解していない、理解しても発信できない日本側にもはや問題があるようにも思います
私もインドラネットさまに勉強させて頂いております
『支那の夜』
は、いいですね!
これからもよろしくお願いいたします
「支那」は地域をさす言葉(どこまでを指すのかはわかりませんが)。
「中華人民共和国」は国名。
※ちなみに「中国」は国家の中心エリアをさす言葉です。日本にも「中国」地方がありますよね。
たしか世界で「中国」という言葉を使用させられているのは、日本、南北朝鮮、ベトナムのみ。残る99%の国々はシナ、キナ、チナ、チャイナと呼んでいるはずです。実際、自らも「Peole's Republic of China」と称していますし。
戦後、教科書やマスコミを使った刷り込みの影響は大変なもので、今や「支那」という言葉は、差別用語として文字変換もできないようになっています。
そして残念なことですが、この言葉の使用を一番厳しく批判するのが、当の日本人。本当に洗脳の怖さを感じます。
「支那の夜」という美しい歌がありますが、これはシナの人たちにも人気があったそうです。「東シナ海」「南シナ海」という国際用語は今でも使われています。
「シナ」を差別用語だと決め付ける今の日本の常識こそ、見直されるべきだと思います。
支那=Chinaで間違いのないところだろうと思いますし、元々の語源についても諸説あるものの、差別表現などではないわけです
かの超大国中国が、欧米諸国に対してはCihinaを許容し、日本には差別語だと非難する
日本政府、メディアも支那という表現を使用することを暗に規制している
その意味と状況を我々国民はよく理解しなくてはならないと思っております
ありがとうございました
コメントありがとうございました。
以前コメント下さった方の返信でも述べましたが、ドイツでの出来事は実話です。
随分と昔のできごとですが、日記などもつけておりましたので概ね事実通りです。
ご訪問ありがとうございました!
よろしければこれからも覘いて見てやってくださいませ
コメントありがとうございます
美味しんぼの鼻血の件はひどかったですね…
古代史なんかを学んでますと、とても現代の中国といにしえの王朝を同一視できないと感じます
日本側から見た視点による大陸の歴史、そういう教育が必要だと強く感じています
『猫を救出してた方達を支援するために福島に通って…』
しゃちくんさん、すごいですね!
いろんなことなさっているのですね!
ありがとうございました
私は原発から半径20kmの警戒区域内に置き去りになった猫を救出してた方達を支援するために福島に通ってましたが鼻血を出してる人を見たことも聞いたこともありませんでした。
「美味しんぼ」を読んでグルメになる?知識人と呼ばれたい?そんな意図が見え見えです。
支那とはchinaのローマ字読みです。日本人を蔑むための言いがかりを差別だと勘違いした日本人が多く、お人好し外交をいつまでも続ける元凶ではないでしょうか?
すいません、自分の言いたいことばかり書いてしまいました。。。
コメントありがとうございました
「中国を自国名と称しているのだから」
記事内でも書いている通りですが、歴史的経緯、今の「中国」の現状を思料したうえで「中国」と呼ぶことに私は異論はありません
学術的研究等による解釈については様々あるかと思いますが、私は満州事変以降の現在の中国国内で起こした日本の軍事行動に、侵略的側面があったことは否定できないと考えております
同時に、蒋介石国民党も毛沢東共産党も、さらにはソ連も、満州に関し侵略者であると思っております
特に共産党はその後、満州からモンゴルの一部、チベット、ウイグル等を「中国」として飲み込み、あたかも古代から連綿と続いてきた「中国」が、侵略者である日本から取り戻したかのような錯覚に陥らせていると思うのです
さらに「一つの中国」などというまやかしのような言葉を使い、台湾も飲み込まんと画策しております
「中国」
という国名に包み隠されてしまっている歴史的経緯、や現状がわからず、平然とテレビ番組などでは
「中国の清の時代…」
などという言葉が使われております
また、単純に、なぜ「China」はよくて「支那」はだめなのでしょう
日本にだけはそう呼ばせないとする彼らの意図をよくよく感じ取らなくてはならないとも思います
意味もわからず侮蔑的意識の下「支那人が!」などという人がいることで、どうにも本末転倒なことになっているようにも思います
そのような歴史的経緯、現状を思料したうえで「中国とは?支那とは?」と、ご一緒に学ばせて頂き、考え感じて行ければ幸いに存じます
記事後半の私の体験談は実話です
自ら「支那人」を名乗った人たちはナニモノなのでしょう
後から知りましたが、少なくとも二十数年前までは、こういう人は大勢いたようです
もし、現在そういう人たちが「中国国内」で減っているのだとすれば、チベットやウイグルの現状などと合わせて考えてみることも必要なことのように思います
長々返信失礼いたしました
ありがとうございました
おそらくブログ主様は、あなた様と同様の考え方もあったからこそ、このようにわざわざに記事とされておられるわけでありますから、そのことを素直に尊重しつつ、おひとりおひとりがブログを纏めていけば良いことだと思います。
そして、中国と支那、この使い分けも柔軟でいいと思います。
ブログでは支那と呼び、しかしある場面では中国と呼ぶ・・・
そのどちらも、差別ではありませんが、しかし嫌悪感を抱く人に対して、しつこくいうことではありませんからね。
そして、ブログ主様は、誰々様に対して、絶対に支那と呼ばなければならないんだ、なんてことを述べておられるわけではありませんから、最後にあなた様がいう 「呼べがいいんじゃないでしょうか」という文言には違和感をおぼえます。
通りすがりでしたが、あれこれ申しまして誠に失礼いたしました。
しかし今現在一つの国家として体をなし、中国を自国名と称しているのだから、
現在の国家間の話をする時に、
わざわざ歴史的な地域の名前を持ち出してくる必要があると考えてる人が大勢いるのは未だ納得できないです。
支那という呼称に歴史がある、差別的な意図によって生まれていない、使う事に問題がないという事は説明できてると思うんですが
現存の国家という括りの中では彼らの自称する名前では頑なに呼ばない"必要性"がわからないです。(筆者さんはそうしないのは理解しましたが)
歴史の話なら支那地方の歴史とでも呼べばいいんじゃないでしょうか。
コメントありがとうございます
そうですね
その言葉を使う側の心理、というものもあると思います
以前、20年以上前「差別用語」というものについて調べていた際、目の不自由な方とお話する機会がありました
その方がおっしゃるには、世間一般で使ってはならないとされた言葉そのものに込められた「使う側の気持ち」によって傷つきもするしなんとも思わないこともあるということでした
たとえどれだけ飾られた言葉に変えても結局は使う側の想い、ということになるのかもしれません
そういう意味では「支那」も時に差別語となるのでしょう
おっしゃる通りそう感じさせる人たちも大勢いるようにも思います
ありがとうございました
差別用語です既に・・