さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

徴用工のウソを発表した韓国人学者の言う日本の良心的な知識人

2019-08-30 | 社会・経済


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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

以前から何度か韓国・落星台(ナクソンデ)経済研究所の研究委員、李宇衍(イ・ウヨン)博士に関わるニュースをご紹介してきました

イ・ウヨン博士は、韓国の徴用工判決は、捏造された証拠に基づくもので誤りであり、さらに国際的約束を守らない韓国政府の姿勢を厳しく批判し、自らの研究結果を国連で発表した方です

徴用工は決して奴隷労働ではなく、給与も支払われ、民族的な差別はなかった、と国連で発表した韓国人学者のイ・ウヨンさんは言います

『日本の「良心的知識人」の「歪(わい)曲(きょく)された歴史観に根本的な問題がある』



さらに、

『安易に謝罪する日本人の行動は、不必要な同情心で、むしろ韓日関係を深刻化させている』

とも

この李宇衍(イ・ウヨン)博士がどんな方なのか、小平次はまるで知りません

が、おっしゃっていることには全く同感なのであります


ちょっと解釈や、感覚で異なるかもしれませんが。1980年代の始めころまで、日韓関係って、まあ、良かなかったかもしれませんが、ここ10数年位に比べれば、こんなにも反日、嫌韓、なんて感じじゃありませんでした

日本の漁船が韓国に拿捕され、漁民が殺されたりなど、不幸、かつ不当な出来事もありましたが、国同士の関係としては、互いに好意的でもなければ、今ほどいがみ合うでもなかったように思います

そういう意味では今よりずっと関係は『良好』だったかもしれません

おおっぴらに『反日』なんて感じになり始めたのは、やはり、朝日新聞の慰安婦についてのウソ記事以降、河野談話、村山談話、といった日本の『反省』とか、『お詫び』が歴代継承され始めてからのように思います

それがどんどんどんどんエスカレートして今に至っているように見えます


「良心的知識人」さんたちからすると、『ちゃんと謝っていない』って言い分になるかもしれませんが

『安易に謝罪する日本人の行動は、不必要な同情心で、むしろ韓日関係を深刻化させている』

面は否定できないように思います

で、「良心的知識人」さんってどんな人たちなんでしょ

こんな人でしょうか



こんな人ではないかもしれませんが、同じようなことを言う人たちかもしれません

『日韓関係の悪化は、歴史を直視しない日本側に責任がある!』

とか、過去のウソ交じりの日本軍の『蛮行』を宣伝し

『戦争加害国として過去の悪行を心に刻み、反省し続けなければ日韓の友好は訪れない』

という人たちもいます

それは、逆に言えば

『日本と日本人が歴史を直視し、反省し続けなければ、日本はまた戦争を起こす』

と言っているように聞こえます

で、そのようなことを言う良心的な知識人さんたちに言いたい

『大丈夫です!』



過去の歴史を直視していようがいまいが、今の日本人に『戦争したい!』なんて思っている人は、よほど特殊な思考回路を持っている人でなければいませんから

『また他国を侵略する!』

それも

『大丈夫です!』

韓国併合なんて、ほとんどの日本人が二度と御免だ、と思っているでしょうから


さて、先のイ・ウヨン博士のその後


心配していたとおり、相当な批判にさらされているようです

研究所に殴りこんできたっぽい人もいたようです

反面、落星台経済研究所の理事長、李栄薫(イ・ソンフン)ソウル大教授を中心に、イ・ウヨン博士らと共著として書かれた

『反日種族主義』

という、徴用工の強制動員や、慰安婦の強制連行による性奴隷という認識に対する反証本が10万部を超える勢いでベストセラーになっているそうです

そして、この本に影響を受けた人たちが、今度は『反・文在寅』デモを起こし、『反日デモ』と衝突してる、ってニュースもあったようです


『安易に謝罪する日本人の行動は、不必要な同情心で、むしろ韓日関係を深刻化させている』

だけでなく、韓国国内の分断にも影響が出ています

さて、どうしましょう

良心的な知識人さんたち、とその影響を受けている人たちへ


徴用工や慰安婦の強制連行があった、なかった、なんていう正反対の言い合いはずっと続いているんですが、韓国人の多くは

『戦時中、20万人もの女性がトラックに乗せられ連れ去られ性奴隷にされた』

といったことを信じているようです

強制連行があった、なかった以前に

『戦時中、20万人もの女性がトラックに乗せられ連れ去られ性奴隷にされた』

これが『ウソ』であることは間違いありません

良識的な知識人さんたちもわかっているはずです

その上で

『謝れ!』

『ずっと謝り続けろ!』

『そして金を払え!』

『払っても払っても払い続けろ!』

と、言って、人を裁き、過去を裁こうとしているんですから、いくらなんでもその根拠に『ウソ』が一つでも混じっていたらダメでしょう

良識的な知識人さんたちは、自分たちなりの立ち位置でかまいませんので、少なくとも、何が『ウソ』で、何を『問題』として

『日韓関係の悪化は、歴史を直視しない日本側に責任がある!』

と言っているのかくらいは明らかにしなくてはなりません

でなければ、イ・ウヨン博士の言うとおり、いつまでたっても

『安易に謝罪する日本人の行動は、不必要な同情心で、むしろ韓日関係を深刻化させている』

ところから抜け出せません

どこまでが本当でどこからがウソか

そういうこともわからず、ただ

『戦時中、20万人もの女性がトラックに乗せられ連れ去られ性奴隷にされた』

と信じこまされている韓国の方々も不幸です

その子々孫々も不幸です

そのような中で

『反日種族主義』

という本がベストセラーになっている

『事の良し悪し、事の善悪』

そういったこと以前に

『何が事実』で、『何がウソか』

を知ろうとする韓国の方々がいるということは非常に重要なことと思います

なぜなら、それがわからなければ、誰かを批判することはもちろん、過去を裁くなんてできるわけがないからです

いい加減日韓関係の悪化の理由、どこにあるのか気づきましょう



売国奴だとか、日本の極右から支援を受けている、等々、散々な批判にさらされている

『反日種族主義』

の著者のみなさんが言います

『日本の「良心的知識人」の「歪(わい)曲(きょく)された歴史観に根本的な問題がある』



そして、韓国国内で批判を繰り返す学者やメディアに対して、こう言っています

『感情的な批判ばかりで、私たちの論証に対し、反証をあげての反論が全くないことが、問題なのだ』








御免!

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スカイツリーの真下でハゼ釣り 令和元年版

2019-08-28 | 釣り



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こんにちは
小野派一刀流免許皆伝小平次です

今年も行ってきました

スカイツリーの真下でハゼ釣り!


もう1年の定例行事です

釣り情報などから、近辺河川では結構釣れていることを確認しておりましたし、急に秋めいて暑さもだいぶ和らいだ感もありましたので、いつも通り女房殿とチャリ乗ってGO!

これまでご紹介してきたスカイツリー下でのハゼ釣りの日は、大体曇りでしたが、この日は天気も良く暑さもさほどではなく釣り日和

例年通り、女房殿はチョイ投げ仕掛け、小平次はここのところハマっているテナガエビ釣りでも使っているのべ竿のウキ釣り仕掛け

先に女房殿の仕掛けを作り、自分ののべ竿仕掛けを作り始めると、早速女房殿が1尾目を釣り上げます



おお~

今年もハゼ君たちは元気そうです

小平次もすぐに竿を出します

ウキ下を1.5mくらいに調整し護岸の際に落としますとすぐにウキがチョンチョン、スイッ、と消し込まれます

が、乗らない

でもすぐにまたアタリ、今度はうまく合わせて小平次も令和初のハゼ君とご対面

その後も頻繁にアタリがあり、乗ったり乗らなかったり、それでも夜のお酒のお供にするくらいはコンスタントに釣れてきます

突然、これまでとは違う素早いウキの消込み、合わせますと縦横に走る明らかにハゼ君とは違う引き

釣り上げますと



キビレ!

の子供

本来ならリリースですが、去年と同じように小平次がヘタクソでのませてしまいました…

すでにエラ付近から出血、ごめん…

持ち帰ることに

釣りってのはやはり罪深い遊びです

小平次は基本的には釣った魚を食べますが、そうできないこともあります

自己満足ではありますが、良く行く釣り場では、時折線香を焚いて、魚と海や川に感謝し手を合わせることをしています


さて、そこそこ釣れたところで、以前から情報を聞いて、気になっていたスカイツリー下のテナガエビ、をちょっとだけ狙ってみようと少し場所を移します

テナガエビは基本的には、石のまわりや下に身をひそめていますが、ここの運河にはあまりそういう場所がありません

ですが、まさしくスカイツリーの真下、ってあたりに、水生植物を植えているところがありまして、おそらくその下には捨石のようなものがあるだろうと…



その水生植物の土台になっているような石周りに仕掛けを落とすとすぐにアタリ!

お!

と合わせて竿を立てると、釣れたのはやはりハゼ君でした…

50尾を超えたあたりで、納竿とし、帰路へ

帰り際、橋の下でずっと一人で釣っていたオバチャンに釣果を聞くと

『いいウロハゼが釣れた』

と、20cmくらいのウロハゼを見せてくれました

ウロハゼはこんな感じの魚



マハゼによく似ていますが、マハゼより大きくなり、太さも結構太いです

以前、ここの場所で夜釣りでウロハゼをいっぱい釣っているどなたかの動画を見ましたが、いるんですね~


次は夜釣りでウロハゼ狙ってみようかな




さて、釣ったハゼ君たちは、いつも通かき揚げで

ちょっとうまく揚げられなかったので、写真はなしで

でも、とても美味しかったですよ~


ハゼ君、ありがとう!

調理前のハゼ君たち
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持続可能な移民政策?

2019-08-20 | 社会・経済



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小野派一刀流免許皆伝小平次です



今年の4月から入管法他が改正(?)され、日本が実質、移民の受け入れを始めたことについて、以前の記事で何回かにわたり述べさせて頂きました

その後、どうなっているのか


今のところ、昨年法案をゴリ押しして通したことからも、ある程度想像はできていたんですが、あわてて作った感が否めないところがやはりあり、一部を除いては法律に制度的な実態が追いついていない感じです

現行の技能実習法との間にも矛盾点が見られ、受け入れ側の体制も整わず、一気に外国人がやってきた、というような感じではありません

細かい話はまた別の機会にいたしますが、現場を見ていると、本当に一部の人たちの利権のため、役人、政治家の天下り先の新設が目的の一部であったことを実感します





さて、本日はちょっと別な視点で外国人労働者の受け入れ拡大について述べてみたいと思います

『キツイ、キタナイ、キケン』

な仕事を

『3K職業』

なんて言って、若者がやりたがらない…

そんなことが世間で言われ始めたのはどうでしょう、20年前くらい?、もう少し前かな

建設業界の、現場仕事などの道へ進む若者が減って行った…

本当に現在外国人労働者に頼らざるを得ないほど日本人の労働力が不足しているか、ということについては議論が必要だと思いますが、現実に建設や農業などの現場では、日本人を募集しても集まらない、来てもすぐにやめてしまう、といった話ばかりを聞くわけです


外国人労働者の受け入れ…

もともとこの『体のいい出稼ぎ労働者の受け入れ』は、インドネシアを中心に若者の技術習得、みたいなことを建前に始まったわけですが、その後爆発的に中国人の技能実習生が増えて行きました

中国人は、日本語が通じなくても漢字である程度、意思の疎通ができるとか、中国側の『送出機関』と呼ばれる人材派遣業兼、日本語講習施設みたいな団体がいち早く日本の制度に対応し、力も強かったということがあったのだと思います

ところが、数年前から都市部の人や、地方も含め若い中国人の人材が集まりにくくなってきたのです

理由は世界有数の経済大国ですから、都市部の若い人材は、日本に出稼ぎに出る必要がない、キツイ仕事はいやだ、ということです

そういう中で人を集めようと思えば、自ずと地方の農村などの割と貧しい層の人たちに募集をかける、ということになります



決して差別的な話をするわけではありません

それでも実際、都市部と地方の農村の教育の差は明らかにあり、日本にやってきてもうまくやれない人たちが増えました

失踪する人も増えました


そうなれば日本の企業側も、中国からの技能実習生の受け入れを避けるようになり、ベトナムからの人材募集へとシフトしていったわけです

結果、今ではベトナムからの技能実習生が一番多くなっているわけですが、そのベトナムでも

『キツイ仕事はいやだ』

という若者が増え、建設系の職種には人材が集まりにくい、って状況が生まれ始めています

ベトナムの大手送出機関などでは、建設系には人材を派遣しない、というようなところもあるようです

フィリピンもすでに似たような状況です


高度経済成長を終え、日本は豊になった、でもそうしたら若者がキツイ仕事をやりたがらなくなった…

で、中国人にその代わりを求めたら、中国人もわざわざ日本へ行ってキツイ仕事はやりたくない、と人が集まりにくくなった…

で、次にベトナムに人材を求めたら、わずか数年で建設業などのキツイ、と思われる仕事には人が集まらなくなりつつある…


で、今はミャンマーやカンボジア、などにシフトしつつある…


さて、じゃあ具体的にどうしたらいいんだ!

ってことですが…


どうしたらいいんでしょ?



御免!



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音楽のはなし 衝撃を受けたアーティスト②

2019-08-13 | 音楽のはなし


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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

本日は音楽のはなし


衝撃を受けたアーティスト、というとこの人たちを抜きには語れません

『EX』

EX、と書いて『エックス』と読みます

EXは1980年代初頭に活躍(?)した日本人バンドです

小平次のブログへお越し下さる方の中に、ご存知の方がいらしたら…

すげーーーーーーーーー!って思います

あ、でもリーダーだった梅林茂さんはその後映画音楽だとかで活躍されて、そこそこ有名なので、そちらから知っている方はいらっしゃるかも…


結成時はギター&VOCAL、リーダーの梅林茂さんと、ドラムの羽山伸也さんの2人組でデビュー、その後シーナ&ザ・ロケッツの奈良敏博さんが加わりトリオバンドとなります

小平次は昔、EXのことは、名前だけは知っていたのです

その頃、やはり日本はもとより、世界的に衝撃を与えた『イエローマジックオーケストラ(YMO)』




この人たちが出てきたときも本当に衝撃的でした

まあ、メンバーを見ればもともとすごい人たちだったんですけど

小平次もまだ少年でしたが、とても衝撃を覚えました

いずれ『衝撃を受けたアーティスト』としてもご紹介したいくらいです


FIRECRACKER - YMO 1979 LIVE


YMO、すごい人気でしたね~

クラスのみんなも高橋ユキヒロさんの影響受けて、教科書なんかを棒持ってバタバタ叩いてましてね

小平次もそのころご多分に漏れず夢中になりましたよ

そのYMOを特集した雑誌が出まして、今でも誌名も表紙の絵も覚えておりまして、検索したら画像がありました



この本にはYMOのほか、国内外のテクノ、というよりニューウェーブ、とジャンル分けされたアーティストが紹介されておりました

その中に、4ページほど割かれてEXが紹介されていたので、曲は聴いたことはありませんでしたが名前は知っていたということです


そんなある日、テレビを見てましたら

がつーーーーーーーーーん!、ときました、がつーーーーーーーーんと

Bobson、のGパンのCMでした

今でもよく覚えています

例えれば、なんでしょう… City派のロックンロール うーーん… うまい言葉が見つかりません

とにかく、そのサウンドを耳にしたとき、小平次は箸を持っていた手がとまり、口をあけて動かなくなりました

画面の片隅に出ていた『Music by EX』の文字

『EXって!あのテクノボーイに出ていたEXか!』

すぐにレコード屋へ走り探しましたがなかなか見つかりません

『あああ、あの!EXってバンドで、BobsonのGパンのCMで流れている曲、あれが入ってるLPください!』

『ええ…、?そんな情報だけじゃわかんないなああ』

それでもようやく2枚だけ出ていたアルバムを見つけ、何度も何度も聴きました

『ぴあ』

を見てましたらEXが原宿のあの老舗ライブハウス

『クロコダイル』

でライブをやる情報が!

田舎の少年だった小平次は、1人で行くのはおっかないもんだから、友人2人を誘い、カツアゲなんかされたときのために靴下の中に1,000円を隠すように入れたりして出かけました




なんてったってあのクロコダイルですから

大人の危険な雰囲気も満々の中(ガキにはそう思えた)、田舎感丸出しの少年3人に店員さんが

『ご注文は?』

ああ、なんか頼まなきゃいけないのか!

『オレンジジュース!』『コーラ!』『オレンジジュース!』

緊張の中で始まったEXの生ライブ

カッコよかったですよ~

そのEXの動画、探したんですけどね~

かろうじてPVはあったんですが、あまり好きだった曲ではないので、小平次が衝撃を受けたBobsonのCMに使われた

『Sweet little dancer』

という曲を、途中まで試聴できるサイトを見つけたのでぜひ!聴いてみてください

『EX Sweet little dancer』

『EX2』というアルバムの7曲目です



まあ、イントロとかのギターリフは、ビートルズの『You can`t do that』という曲のまるパクリ、って感じもしますが…

あ、もう1曲、さんざん聴いた曲も見つけたので貼っておきます


EX - Masked Ball

動画投稿主さん、ありがとうございます

PS
ちなみに15年くらい前、今やっているバンドメンバーの一部で、このEXを8曲くらいコピーして横浜でライブもやりました
個人的にはいい出来だったかなあと


御免!

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戦争と平和

2019-08-10 | 歴史



こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です


『戦争と平和』


大仰なタイトルです

上記の絵は、東京大空襲、炎に包まれた言問橋に、炎に包まれた人々が集まっているところです

本所側から火の海を逃げて浅草側に逃げようとした人々と、浅草側から本所側に逃げようとした人々が橋の上で逃げ道を失い、焼かれている、という絵です

なぜ両側から火の海が押し寄せたのか、と言えば、米軍がその地域の人々を逃がさないようにするため、まずは周囲を焼き、退路を塞いだ上で中心に焼夷弾の雨を降らせたからです



小平次の母は、昭和20年3月10日未明、空襲警報の音で飛び起きました

まだ小学生程度だった母は、外に出て空を見上げます

真っ赤に染まる空

降り注ぐ焼夷弾を見て

『花火みたいできれいだ…』

と、思ったそうです

そんなのんきなことを言っていたのもつかの間

すぐに炎が押し寄せてきます

母の母、つまり小平次の祖母は母の手を引き、母より少し年長だった母の姉をつれ、炎から逃げようと走り出します

しかし、周りは火の海

どこへ逃げれば良いのか

偶然たどり着いた耐火性の強そうな倉庫群

そのうちの一つの倉庫に逃げ込みます

そこには多くの人がすでに逃げ込んでいました

しかし、建物自体は焼けずとも、周りの炎で中の空気がどんどん熱せられていきます

母たちは、その倉庫を出て、次の倉庫へ逃げ込みます

そこもすぐに熱くなり、息すらできないほどになります

そしてまた次の倉庫

母の記憶はこのあたりでいったん途絶えます

どこをどう逃げたのかわかりません

途中、姉ともはぐれました

母の次の記憶は、あたり一面の焼野原

夥しい数の黒焦げの動かぬ人々の山

川にはおぼれ死んだ人々と、水でも消えない炎と水とで膨れ上がり半焦げになった多くの多くの人々が浮かんでいる


母は祖母と黒焦げになった人々を乗り越えながら、自分の家のあった方へ向かいます

母の姉は一人、どこをどう逃げたのか、顔を真っ黒にしながらも、どうにか生き延び家のあったあたりで再開したそうです


小平次の子供のころは、まだまだ母のような戦争体験者、実際に軍に入り戦地へ赴き帰還した人たちがたくさんいました

子供のころからどれだけ戦争が悲惨で醜いものかを聞かされて育ちました

前にも書きましたが、小平次は以前クリスチャンでした

そのような戦争体験を聞いた小平次は、教会に行き祈ります、二度と戦争などが起きないように、決して起こさないように

若い頃からバンドなどをやっていましたので、時にギター片手に反戦、反核集会などで皆で歌ったりもしていました

署名活動なんかもやりました

今はキリスト教とは決別いたしましたが、戦争など二度と起こしてはならない、という想いは今も全く変わりはありません


ですが、小平次は現行憲法を破棄し、自主憲法持つべきだ、と考えている人間ですので、護憲派の方々からは

『戦争をする国にしたいのか!』

と、罵られる部類の人間です

『戦争など二度と起こしてはならない』

という想いは同じであるのに、そこに至るまでの考え方が異なる、ということです

逆に言えば、そこに至る方法論としての考え方が異なるだけで、想いは同じである、ということです

想いが同じであれば、互いに互いの考え、気持ち、そういったものを尊重し、協調しあうことはできないのでしょうか

そのためには、対立を煽り利益を得ているような人たちとは一線を画し、おかしな情報に踊らされたりしないように気をつけていなければならないと思います

戦時中の歴史については、様々な正反対の論が出回っておりますが、戦争について、少なくとも今わかっている事実を共有する、ということは互いに協調しあうためにおいて重要なことと考えます

例えば、南京大虐殺と言われる事件について

日本軍が南京占領後、30万人もの南京市民を、それこそ人が想像し得ないような残虐な方法で虐殺した、と言われております

妊婦のお腹を裂き、胎児を銃剣で突き刺し空にかざしたとか…

それに対して、当時20万人の人口の南京で、『どうやって30万人もの人を殺すのだ』、南京大虐殺などなかった、という反論があります

さらにその反論として、『30万人は誇張かもしれないが、数は問題ではない、1万人でも虐殺は虐殺だ』という人がいます

虐殺そのものが事実であれば、1万人だろうがその通りだと思いますが、数は問題ではない、はずがありません

現在、30万人もの南京市民を、それこそ人が想像し得ないような残虐な方法で虐殺した、と多くの中国人は信じているのでしょうから、本当に虐殺があったかなかったか以前に、30万人がウソであるとわかっていながら話し合いが出発することになります

ウソを横に置いたままでは、事実にたどり着くことができません

それでは互いに尊重し、協調し合えるような話し合いにはなりえません


事実の確認を怠ったままでは、感情的で不毛な議論となり、前へ進めません

これまで戦時の歴史論争なんていうものはいつもそうでした


以前のことですが、小平次の知人の韓国人男性が言いました

『日本人は20万人もの韓国人女性をトラックに乗せ連れ去り、性奴隷にした』

小平次は反論しませんでした

『それが本当だとして、あなたは今日本にどうして欲しいのですか』

『事実を認め、心から謝って欲しい』

『歴代首相の何人かが謝罪し、条約によってすべてを精算する約束でお金も払っています』

でも彼からすれば、そういう理屈は関係ないようでした

理屈は関係ない…、その気持ちはわからなくもないのです

『日本人は20万人もの女性をトラックに乗せ連れ去り、性奴隷にした』

そのように教えられ、そう信じているのですから、許せない、という純粋な気持ちなのです
(ちなみに彼は日本が大好きでした もはや会うことはかなわないのですが…)

だからこそ、『証言』とかだけではない、客観的な事実を導き出すために冷静に話し合い、その事実を共有することが、戦争を振り返り、二度と起こさないために重要である、と考えます(せめてまず日本人同士で)


最後に、日中韓の歴史認識について思うとき

もし、南京などでの凄惨な虐殺を、日本軍が軍の方針で行ったということが客観的な証拠から事実だと認められれば、それはそれで受け入れ、日本人として向き合わなければなりません

しかし、もはや戻ることのできない過ぎ去った歴史について、当時の世界情勢、それが生み出していた空気、緊張感、当時の価値観、道徳感、倫理観、そういったものを肌で感じることのできない現代人が、反論したくともかなわない故人に代わって謝罪するという行為は、歴史に対して大変傲慢な向き合い方だと常々思っております

そしてそのような行為は、何度かご紹介した韓国人研究者のイ・ウヨン博士のおっしゃる通り、日本が

『不必要な同情心で謝罪することが、むしろ韓日関係を深刻化させている』

と、思います



御免!

PS ちなみに小平次は、反韓、嫌韓を叫ぶネトウヨ連中は大嫌いであります
小平次がこれまでの人生で最も辛く苦しい思いをしていたとき、心温まる励ましをして下さったのは在日韓国人のある女性でした(彼女とかじゃありませんよ!ずっと年配の方でしたから)


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少女像 表現の不自由展?

2019-08-08 | 社会・経済



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小野派一刀流免許皆伝小平次です


本日は、すっかり大騒ぎになってます、あいちトリエンナーレでの少女像の展示中止について


この件ついては、メディアでも識者や専門家、といった人たちが色々述べているのですが、小平次がフォローさせて頂いているブロガーさんたちの方がずっと的確なことをおっしゃっているように思います


で、小平次も思うところを少し述べてみようと思います

この少女像は『平和の少女像』というそうですが、いわゆる日韓の従軍慰安婦問題上の象徴のような像であるのは間違いのないところだと思います

で、このいわゆる従軍慰安婦問題っていうのは、30数年前に素性もよくわからないあるオジサンが書いた手記をもとに、戦時中、日本軍が少女を強制連行して娼婦にした、というようなことを朝日新聞が大々的に報じたところから騒ぎが大きくなっていったわけです

以降、戦時中の日本軍は

『泣き叫ぶ少女を誘拐、拉致し、性奴隷にした』

と、韓国はもとより、日本、そして世界に認識されるようになっていったわけです

ところがこの報道直後から様々な調査や研究が行われた結果、朝日新聞の最初の報道は事実に基づいていないことがわかり、素性のわからないオジサンもその後作り話を盛り込んだことを認めたのです

で、今も日本軍が組織だって、泣き叫ぶ少女を誘拐、拉致し、性奴隷にしたなどということを示す客観的な証拠などは見つかっておらず、現時点での結論は、日本軍が『泣き叫ぶ少女を誘拐、拉致し、性奴隷にした』というのは

『ウソ』

ということです

こんなことは韓国政府も、日本の一部の『良心的な知識人』もわかっているのです

韓国政府や、日本の一部の『良心的な知識人』が

『慰安婦問題は女性の普遍的な人権問題』

と、言葉巧みに問題をすり替えていることからもそれは明らかです


その上で

『表現の不自由展』

いわゆる従軍慰安婦問題、については、大新聞が、素性のわからないオジサンの作り話を、なんのおとがめもなく大々的に報じ、なおかつ30年も放置、というより、さらに続報のようにウソ記事を報道することすら、なんのおとがめもなくできたのです

『従軍慰安婦』

について、30年以上にわたりウソを報道しっぱなしてた大新聞があるってのに

『表現の不自由』…



自由すぎだろ!


今回の展示についても、一度は展示の許可が下り、一部のバカが脅迫めいた脅しなどをしなければ、今も展示は続いていたでしょう

一部のバカの脅しまがいの脅迫、これは許されることではありません

ですが、津田大介さん

これだけ日韓関係がこじれている上で、さらにその関係をこじらせてでも、この少女像の展示を『芸術表現』と言ってするってんならば、それほどの芸術的な使命を感じてるってんならば、補助金申請してやるような展示にしないで個展でもやれよ!

それでも、一部のバカの脅しまがいの脅迫はきっとあるでしょう

しかし、今、このタイミングでこの展示をやるってんですから、そんな脅しも脅迫も覚悟の上でしょう


さて、先にも述べたとおり、今現在、このいわゆる従軍慰安婦問題において韓国政府の高官らの中にも

『日本軍が泣き叫ぶ少女を誘拐、拉致し、性奴隷にした』

と思っている人はいないでしょう

ですが、戦後世代の一般韓国人の多くは

『日本軍が泣き叫ぶ少女を誘拐、拉致し、性奴隷にした』

と信じています

小平次の知っている何人かの韓国人もそう思っています(純粋に)

そういうプロパガンダが主に日本発でなされているからでしょう

そしてそれを韓国が外交カードに利用している

何度かご紹介した韓国人研究者の、イ・ウヨン博士の言うところの『日本の良心的な知識人』たちがそれを後押ししているのが今の現状のように思います


そういう韓国国民と、一部日本人の認識、それを踏まえて今回の『芸術』を表現するというのであれば、現時点で明らかになっている『事実』くらいは提示してからやるべきだと思います

でなければ、せめて、『泣き叫ぶ少女を誘拐、拉致し、性奴隷にした』のが現時点ではウソであるならば、『従軍慰安婦問題』の『問題』っていうのは一体何を『問題』としているかくらいは提示すべきだと思います

それを提示しないでこのような展示をすれば

『日本軍が泣き叫ぶ少女を誘拐、拉致し、性奴隷にした』

と多くの国民が信じている韓国との間で、ただただいがみ合いの火種に油を注ぐ結果になるだけではありませんか

作り話をスタートラインにして、今わかっている事実の提示も共有もない状況では、互いに有益な議論なんかできるわけもないでしょう 

ましてや尊重なんてし合えるわけがないでしょう


そしてさらに、脅迫に屈した、行政に展示中止を促された、的な形で事が終われば、より火に油を注いだだけ、ということです



津田さぁん…


あ!

最初からそれが狙いか!



御免!

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音楽のはなし 衝撃を受けたアーティスト①

2019-08-01 | 音楽のはなし


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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です


前回から始めました

『音楽のはなし』

続けてお送りいたします

しばらくは『衝撃を受けたアーティスト』と題しまして、小平次にとって音楽を始めるきっかけになったとか、ギターに目覚めた、とか、何かしら自分と音楽の関係に影響を与えてくれたアーティストをご紹介したいと思います


第一回目は、

やはり

あの

『The・Beatles』


前回の記事でも申し上げましたが、小平次が物心ついた時にはビートルズはすでに解散してました

まだ子供だった小平次、聞いてた音楽はピンクレディーとかそのあとの松田聖子、小平次は太田裕美さんの大ファンでした

そんなでしたから、洋楽なんて聴きませんでしたし、すでに解散しているバンドなんて全く関心もありませんでした

どっちかというと

『ずうとるび』

の方がなじみが深かった世代です

(山田さん、笑点がんばって!)

そんな小平次ですが、ある日、テレビから流れてきた

『Let it be』

何かこう、…、がつーーーーんときました がつーーーーーーん、と!

メロディもポールのピアノも、コーラスも、ジョージのギターソロも、みんないいんですが、小平次が衝撃を受けたのは、サビの部分の、リンゴのライドシンバルを刻む音

なんか、こう…

『シンバルが泣いている!、そして歌っている!』

って感じたんです

それから遅ればせながら、ビートルズってなんだ?

夢中になっていろんな曲を聴きました

このころ、小平次くらいの世代には、かえって新しい世界のように感じられたのだと思います

そして

『Please Please me』

これを聴いて、自分もビートルズの曲を演奏してみたい!

と、ギターを始め、今は、まあ、ギターはもう腐れ縁の友達のような存在になっています

今は、一応、大人になり、演奏しているのは主にボサノバとかのJazz系の音楽が多いのですが


さて、小平次にとって、まあ、人生のかなりの部分に影響を与えてくれたであろうビートルズ

好きな曲、と言われればたくさんあるんですが、自分でもビートルズをコピーして、若い頃は数十曲はソラで弾けたと思いますが、1曲だけ、がんばってもがんばってもなかなか弾けない曲がありました

ギターリフがエライ難しい!


ある程度大人になって、自分でもJazaギタリストなんかをコピーして、結構いけてるなって思うくらいは弾けるようになってましたし、基本、ビートルズの曲は、ただ演奏するだけなら、技術的にさほど難しくはありません(歌は別ですが)

しかし、この曲だけは結構練習しましたが、かろうじて弾けるくらいにはなったものの満足いくようにはなかなかなれませんでした


これ、ギター2本でやっているのかな?

一人でこのリフをやろうと思うとかなり難しい

仕方なくどうにかコピー譜を見つけて(海外物)、譜面を見たら、1本に書かれてる

うーーん…

ジョージがこれ一人でやれるとは思えんけど、ポールが一人で弾いてるのかな

まあ、この曲を人前で演奏する予定もなかったですし、あるころからすっかり忘れてしまっていたんですが、先日、昔からの音楽仲間から、あれはやっぱりギター2本でやってて、ポールとジョージのツインリードらしい、と聞かされて…

えーーーーーーっ!

若かりし頃、結構苦労してコピーしたのになあ…

でも納得

その曲は

『And your bird can sing』

アルバム、Revolver の収録曲です



さて、今現在、いろんなアーティストが世の中にはいますが、それぞれがそれぞれいろんな人やバンドから影響を受けていて、辿って行けば多くのミュージシャンに影響を与えたビートルズ、通常のコード進行なんかは、ほぼビートルズがやりつくしたって感じ

いまだ色あせないその楽曲は、本物の芸術なのだろうと思います


御免!
コメント (2)
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