さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

インド放浪 本能の空腹 ② 『市街へ!Ⅰ』

2019-10-31 | インド放浪 本能の空腹



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前回から始めました20ン年前のインド放浪、当時つけていた日記をもとに書き綴ります



インド放浪 本能の空腹 ② 『市街へ!Ⅰ』


***********************************************


 カルカッタダムダム空港の空港ビル内に入ったおれは、さほど混んではいない入国審査の列に並んだ。
 天井を見上げると、大きいばかりでまるでのろまな扇風機が、そよ風とすら呼べない弱々しい風を審査を待つ人へ向けて送っていた。
 床には、間もなく命尽き果てるだろうと思われる大きなゴキブリがヨタヨタと這いつくばっていた。
 風呂桶を高くしたような木製の枠の中にいる白い制服を着た入国審査官は、おれのパスポートをなげやりに見ながらすぐに入国のスタンプを押し、下を向いたままアゴをぷいっ、と横に振った。日本人からすると小バカにされたようにも思えるこの仕草は、インドでは『OKだ』という意味であることを知るのはもう少し後のことだ。

 おざなりな入国審査を終えたおれは、空港ロビーへ向かう通路へと出た…

 『☆※◆✖▼△¥%★ーーーーー!』

 『なんだ!なんだ!』

 おれが通路に出た途端、腰ほどの高さでカギ状に仕切られた木製の柵の向こうから、身を乗り出すようにして大勢の男たちがおれに向かって一斉に叫び出したのだ!

 『☆※◆✖▼△¥%★ーーーーー!』
 
 『☆※◆✖▼△¥%★ーーーーー!』

 男たちの目には、何だか怒りが込められているようにも見えた。

 
 『なんだ!なんだ!おれが何かしたのか!』

 おれは大いに怯んでしまった。

 『☆※◆✖▼△ TAXI ¥%★ーーーーー!』

 ん?

 『Taxi、タクシー?』

 確かにそう聞こえた。そうか、こいつらはみんなタクシードライバーなのだ。今着いたばかりの日本人観光客であるおれを見つけ、『オレのタクシーに乗れ!』と、そう叫んでいるのだ。下から何かを掬い上げるように、勢いのついた手招きをしているやつもいる。
 おれは少し落ち着きを取り戻した。まだ両替も済んでいないのにタクシーなんか乗れるわけがないだろう…、まず両替が先だ。

『☆※◆✖▼△ TAXI ¥%★ーーーーー!』

 おれは男たちの怒鳴り声のような大声を後ろに聞きながら空港ロビーへと向かった。
 両替カウンターはすぐに見つかった。カウンターの上にテレビモニターのようなものが取り付けられていた。そこには

 『Welcome to Calcutta』

とだけ書かれた文字が、モノクロ画面の中で今にも消え入りそうに小刻みに震えながら浮かんでいた。歓迎されているようには思えない…

 さて、いくら両替するか。大金を持ち歩くわけには当然いかない。一週間程度過ごせる金、インドのホテルはピンからキリまであるが、トイレやシャワーが共同、簡易ベッドだけの大部屋のようなところなら日本円で一泊25円くらいからある。だがこの時おれはもう泊まるホテルは決めていた。一泊70ルピー、日本円で350円程度だ。飯に関しては、地球の歩き方を見る限り、一食50円も出せば普通に食えるようだ。3食150円+宿代350円、500円で一日が過ごせる。一週間なら3500円、少し多めに5000円、1ルピー約5円だから1000ルピー、何かあった時のために倍の2000ルピーも持っていれば十分だろう。街にはたくさんの物乞いの人たちがいるのは間違いのないことだから、おれは念のため少し小銭を多めに、米ドルのトラベラーズチェックをインドルピーに替えた。

 さて、市街まではタクシーを使わなければ仕方ない。バスもあるのだろうが、不慣れな地で、どこ行きのバスに乗り、どこで降り、そこから地図を見ながら目的のホテルまで行くというのは、この時のおれには少し難しいことだった。しかし、タクシーで行くといっても、インドでは正規料金でタクシーに乗れたらラッキーだと本には書いてある。おれを獲物でも見るような目で睨みながら大声を出しているあの大勢の男たちの中から、ボッタクリなんかしなさそうなやつを選ぶ、というのもハードルの高いことのように思えた。
 ふと両替カウンターの横に目をやると、『Taxi Booking』と書かれた紙を貼った机に、一人の男が座っているのが見えた。

 おお! ここでタクシーを予約できるのか! 公的な場所でタクシーを予約できるのであればボッタクられる心配もないだろう、ありがたいことだ。


 さてここで、日記を3日ばかり過去に戻す。おれがこのカルカッタへ来る前に、トランジットで立ち寄ったダッカでのできごとを話しておかなければならない。
 おれが週に1便だけ成田から飛んでいたBiman・Bangladesh航空の飛行機に乗り、ダッカに到着したのは現地時刻で午後の10時頃であった。その便に乗っていた日本人は、途中経由したシンガポールやバンコクでほとんど降りており、ダッカまで来たのは10人にも満たなかった。そこからヒマラヤ観光のためにカトマンドゥへ向かう人と、カルカッタへ向かう人がさらに別れた。
 トランジットの手続きにはひどく時間がかかった。日本人全員のパスポートを預かったまま、カウンターの男は、乗客名簿か何かなのだろうか、分厚い紙の資料をゆっくりめくりながら作業をしていた。
 野良猫も走り回るトランジットカウンターの前で、おれたちは結局4時間も待たされ、ようやくホテルへ向かう送迎バス、扉も閉まらない、今にも分解しそうなオンボロバス、に乗ったのは午前2時を回っていた。
 

 バスの出発前、おれが座った座席の窓を、誰かが外からコンコン、と叩いた。
 窓に目を向け、おれは大いに驚いた。
 そこに立ち、おれを見上げていたのは、年端もいかぬうつろな目をした少年だったのだ。
 こんな夜中になぜ少年が!おれは反射的に、思わず窓を開けた。

 『Money…、』

 うつろな目のまま、少年は手を差し出した。

 この先、インドを旅していれば、こうして『Money…、』と手を差し出されることは何度もあるだろう、と覚悟はしていたが、この時は完全に不意をつかれてしまった。心の準備が全くできていなかったのだ。この夜中に、こんな少年が、想像すらしいていなかったのだ。どうしていいのかわからなかったおれは、心を相当にざわつかせながらも、無視を決め込むしかなかったのだった。

 同じ便でやって来た日本人で、カルカッタ組の中に、K君というおれより2つ下の青年がいた。K君はさわやかな顔立ちで、明るくとても元気な青年だった。
 
『おれ、海外旅行初めてなんですよ! でも中学しか出てないから英語なんてさっぱりわからないっす!でぃすいずあぺん、くらいしかほんと、わからないっす!』

 K君はそう言って陽気に笑った。
 当時、初めての海外一人旅でインドを選ぶやつもあまりいなかったが、K君がおれを驚かせたのはそのことではない。
 インドという国は、アジア大陸から突き出た巨大な半島である。



 カルカッタはその半島の東側の付け根付近に位置している。K君は、なんとこの付け根から半島最南端の町、カーニャクマリまでおよそ2300キロ、これを自転車で走破するために来た、と言うのだ。
 

 初めての海外がインド!
 英語もさっぱりわからない、と言いながら、2300キロもの距離を自転車で!
 
 自転車で、となれば、当然ガイドブックなどには出ていない街や道を走ることになるだろう…、不安はないのか

 『何とかなりますよ!』

 そう言ってK君はやはり陽気に笑う。
 
 ダッカでの2日目、おれはK君と共に街へ出てみた。すさまじい喧騒と混沌におれたちはかなりの衝撃を受けた。『何とかなりますよ!』と言っていたK君が、ホテルへ帰ると不安そうにおれに言った。
『カルカッタって、ここよりもっとすごいらしいですよね、小平次さん、海外一人旅、初めてじゃないって言ってましたよね? おれ、なんか不安になっちゃって、良ければなんスけど、慣れるまでの間、一週間くらいでいいんで、一緒に行動してくれませんか?』
 海外一人旅と言っても、おれが行ったのはヨーロッパ、あまりに勝手が違う。それに、3年間の社会人生活で、冒険心などすっかり失い臆病になっていたおれにとっても、その提案はありがたいことだった。
 だが一つだけ問題があった。おれとK君のカルカッタへの便が違うのだ。先にK君が出発、数時間遅れでおれが出発、どこで落ち合うか…。空港で待っていてくれるのが一番良いのだが、カルカッタの空港がどんな造りで何があるのかもわからない、待ち合わせるにも空港のどこですれば良いのかわからない、今思えばいくつか空港で待ち合わせる方法もあったのだが、その時は思いつかない。結局、地球の歩き方に出ていたホテル、一泊70ルピー、Sホテルで落ち合うことに決めたのだった。

 『Taxi Booking』

 の机の前で、おれは地球の歩き方に出ているSホテル付近の地図を食い入るように見つめ、どこで降りるのが良いか、慎重に慎重に考えてから、予約所の男に行き先を告げた。

 『Indian museum まで!』



************************************ つづく


※注Calcutta(カルカッタ) → 現Kolkata(コルカタ) 記事は20数年前のできごとです。また、画像はイメージです


 
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インド放浪 本能の空腹① 『カルカッタへやって来た!』

2019-10-29 | インド放浪 本能の空腹



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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

小平次は20ン年前、一人インドを放浪したことがあります

放浪と言うと大げさですが、要は特に目的もなく、行きたい観光地があるわけでもなく、ただ行きたい、行き当たりばったりで旅をしたい、そんな感じでした

その時に日記をつけておりまして、いつかその日記を人に読んでもらっても良いようにまとめてみよう、そう思っていたのですが、随分と時が流れてしまいました

で、今回から新カテゴリー『インド放浪 本能の空腹』を設けて綴ってまいりたいと思います

もちろん何事もない日も多数ありましたので、印象的だったできごとを、できるだけ日記に忠実に、とは言ってもそのままじゃとても文章がおかしいので、少しまとめながら、それでも日記の感じを残しつつ、今の想いなども少し加えお送りできたらと思います

あ、写真はですね、あんまり撮らなかった、というより撮る気にもなれなかったこともあり、ほとんど残っておりませんので、借り物の画像であしからず


では、第1回

『カルカッタへやって来た!』

******************************

 おれがカルカッタダムダム空港に降り立ったときには、すでに日が暮れかけていた。
 これだけは避けたかったのだ。3年間忙しく働いて、それなりにお金も貯まっていたのだから、何も一番安い航空券で来る必要なんてなかったのに…。へんなところをケチったせいで、入国審査などを受けていたら辺りはすっかり暗くなってしまうだろう。

 初めての国、インド! 本当ならば明るい内に街へ着いていたかったのだ…。だがもうあとの祭りだ。

 空港はさびれていた。
 少なくともそういう風に見えた。
 一応は1000万人もの人が住む大都市カルカッタ、その大都市にある国際空港、自分の常識では、どんなに貧しい国でも、玄関口となる国際空港ぐらいは綺麗だろう…。そう信じていた。ましてインドは貧富の差こそあれ、貧しい国でもなかろう、だがそれは、おれのちっぽけなちっぽけな常識だった。現にここへ来る前にトランジットで立ち寄ったダッカでは、空港内に野良猫が走り回ってさえいたのだから……。
 
 滑走路のアスファルトのヒビから雑草が生えている…、ような気がした。さすがに実際には滑走路に雑草などはなかったのであろうが、あった方がこの空港には良く似合う気がした。
 空港ビルの屋上に『 C・A・L・C・U・T・T・A 』と一文字ずつのネオン看板が立っていた。真ん中の『 C 』一文字だけ電気が消えている。日本であればあんなものはすぐに修理されるであろうに…

 ああ、おれは本当にインドへやって来たのだ!。

 などとワクワクするような感慨深い気持ちなど全くなかった。むしろ、何でおれはインドなんかに来たんだろう…。トランジットで立ち寄ったダッカ…、混沌の極みのような街に、おれはすでに相当な衝撃を受けていた。カルカッタはそのダッカをさらに上回る喧騒と混沌の街だ、と聞いていた。
 初めてのインドで、カルカッタから入ると、あまりの衝撃にホテルから一歩も外へ出られなかった、そんな日本人もいるらしいとか、『地球の歩き方』にすら初めてインドへ行く場合、ニューデリーから入り、少しずつインドに慣れた方が良い、などと書かれている始末だ。何にせよ、ダッカでの衝撃がとにかくおれを不安にさせていたのは間違いない。



 ワクワクしていないのはそれだけが理由ではない。
 大学3年の春休み、おれはスペインを中心に、一人ヨーロッパの旅をした。バルセロナ、刺激的な街だった。来年、就職をすればこんなにも自由気ままに海外を旅するなんてきっとできなくなるんだろう…、そう思うと悲しくなった。いっそ就職なんかするのは止しにしようか…、バイトして、金が貯まったら旅に出る、せめて20代のうちはそんな感じで生きちゃだめかな、そんな風に考えていたこともあった。
 だが、大学4年の時、2時間以上も時間をかけて受けさせられた就職適正検査、その結果、おれは『社会不適応型』との診断を受けた。

 社会不適応型!
 
 そんなことあるはずがない!

 『空想の中に友達がいる』

 という質問に『はい』と答えたことがいけなかったのだろうか…。 音楽なんかやっているからこんな結果になったのだろうか…、いずれにしてもそれを簡単に受け入れるわけにはいかない、こんなおれでもいつかは好きな女と結婚し、家庭だって持ちたい、そうであれば社会不適応型、なんてわけにはいかないのだ。
 それでもあのスペインのバルセロナよりももっと刺激的な国を、街を、期限も目的地も決めずに旅をしてみたい…、あと1回でいい、そんな自由気ままな旅をさせてもらえたら素直に仕事を持ち働こう、そう考えたおれは、ある決め事をした。

『3年会社勤めをしてみよう、3年勤められたなら、社会不適応ということもあるまい… それができたら旅に出よう、どこがいい?、スペイン以上に刺激的な国、どこだ?、きっとそれが、下手をすれば人生最後の放浪の旅、になるだろう、これ以上ない刺激的な国…』

 インド!

 そうだインドだ!3年無事に会社勤めができたなら、インドへ行こう!
 自由に!気ままに!

 そうしておれは卒業後、ある会社に就職をした。
 厳しい会社だった。
 入社早々、気の荒い上司に胸ぐらをつかまれ怒鳴り散らされたりもした。
 だが、続けている内に仕事が面白くなってきた。やりがいも感じた。1年もすると、おれの胸ぐらをつかんだ上司からも信頼されるようになっていた。上司、先輩、同僚、みなと共に目標に向かって邁進するのが心地よかった。結婚をしたい、そう思える女性とも巡り会ってしまった。

 3年目を迎えたころには、もう、インドなんか行かなくてもいいんじゃないか…、そんな思いがおれの中で少しずつ支配的になって行った。だが、大学卒業後、事あるごとにおれは、会社の同僚やバンドのメンバーなどに『おれは3年働いたらインドを放浪するのだ』、と吹聴してきた。そんなおれを応援してくれる人も少なからずいた。

 今さら…
 
 後へは引けない…

 行かなくてもいいという気持ちが8割、それでも行かなくてはならない、という強迫観念にも似た気持ちが2割、くらいだったろう…。

 おれは『インド放浪』などという、少し冒険じみた行動に対し、すっかり臆病になっていたのだ。

 だから、ダッカで受けた衝撃を引きずったまま空港に降り立ち、夕暮れ時の『 C 』の文字の消えたネオン看板を見上げて

 なんでおれはインドなんかに来たんだろう…

 と大きくため息をついたのだ。


 ****************************  つづく



 
 ※注Calcutta(カルカッタ) → 現Kolkata(コルカタ) 記事は20数年前のできごとです。また、画像はイメージです
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解せないニュース 『芸術の鑑賞の仕方について?』

2019-10-23 | 社会・経済




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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

いい加減あいちトリエンナーレ関連の記事なんか放っておきたいんですが、あんまりにもおかしなこと言っている人がいるものなので…

どうしてこんなこといちいちニュースになって出るんだろう…

ご一緒に考えて頂ければ幸いと思い記事に致しました


「あいトリ」騒動は「芸術は自由に見ていい」教育の末路かもしれない 明らかになった、芸術をめぐる「分断」

ちょっと長い記事なので、リンクだけ貼っておきます 興味のある方は読んでみてください

書いたのは森 功次さんという方で、大妻女子大学国際センターの専任講師だそうです

記事の中で森さんは、まずChim↑Pomという方々の『気合100連発』という『作品』が『放射能最高!』という言葉を発して批判を浴びた、ということに対し『作品の一部だけを切り取り、悪意をもって批判している』とおっしゃっています

この作品は、福島の若者が円陣をくみ、自らの思いを叫び合っている内に高揚した感情の中で自虐的にそう叫んでいるものだそうで、決して福島の被災者を傷つけることを意図したものではないということです

これはおっしゃる通りで、一部だけ切り取り批判するというのはよろしくないですし、対立を煽ろうとするメディアの常とう手段でもあります

ですが、この『作品』に対してはさほどの批判もなかったようにも思いますし、あいちトリエンナーレの一部『作品』に不快な思いをして批判が殺到したのは明らかに他の『作品』でしょう

いかにも擁護しやすい『作品』について触れ、表現の不自由を強調し『分断』などというのは卑怯なやり方だと思います

で、この人はさらにこんなことを言って、今回の騒動があたかも『見る側』に原因があるかのような主張をなさっています

『作者本人には思いもよらない解釈を持ち込む、といったやり口が許されるのは、あくまでそのベースに相互理解と尊重があるからだ。』

『芸術作品をもはや芸術の枠内で見ない人達がそれなりにいる』

『今回の騒動を加熱させていたのは、芸術の評価軸を採用しない批判、つまり、芸術を芸術として見ようとしない者たちからの批判である』



この人は一方的に発表された『作品』の作者の意図したことを見る側も理解しようとして尊重し合うべきだ、とおっしゃり、その上で批判しろと、そこから議論があればすべきと

開いた口がふさがりません

一方的に発表された『作品』を芸術として鑑賞に堪えるか堪えないか、それを見たその個人個人の感じ方、受け止め方に対し、製作者側の意図を押し付けようとしております

表現の自由どころか、思想・良心の自由を侵害しているように思えます

いろいろ言ってますが、要は見る側の姿勢が悪ければ、こうした分断につながる、と言っているように見えます

そしてこの人は最後にこんなことを言っています

『悪意ある解釈は誠実につぶしていかねばならない』

これが本音ですね

確かに悪意ある切り取りによる批判などはよくありませんが、そもそもどこで『悪意』を判断するってんでしょ?

どこからどこまでが悪意のある批判なのかなんて判断基準がないでしょう

自分たちの意図したとおりに見る側が見なければ、それは悪意ある解釈だ、っていくらでも言えちゃいますよ

自分の意図したとおりに解釈されないのは、その『作品』がそんなもんだからでしょう

さらに

最も擁護しやすいChim↑Pomさんの『気合100連発』をもとに語っている、との批判でもあったのでしょうか

森 功次さんは追記を出しています

あいトリ「燃やされた天皇の肖像」「放射能最高!」を批判するなら知っておきたいこと 「燃えやすい素材」を表現者たちが扱わなくなる未来は暗い

この中で森さんは

『製作者は天皇を批判するとか冒涜する意図はまったくありませんとコメントしており、もしその公式声明に逆らってこの作品は天皇を冒涜するものだ、というなら批判者はそれなりの根拠を示さなければならない』

いやいやいや、その『作品』を見た人が感じたことについていちいち根拠を示さなければ感じた思いも発信してはならない、ってんならもはやそんなものは芸術なんかじゃないでしょう

感じ方なんか人それぞれです

それを批判されたからと言って根拠示せってのはいくらなんでも無理があるでしょう

小平次が夏目漱石の『それから』を初めて読んだのは高校生の時でした

その時に受けた感覚、20代になってあらためて読んで受けた感覚、家族を持ってあらためて読んだ時の感覚、すべて違います

ある程度歳を重ねてから読んだ時の方が、漱石の伝えたかったことを理解できたかな、とは勝手に思ったとしても、それが正解かどうかなんかわかりようもありません

漱石もいちいち説明なんかしませんし、もう聞くこともできません

そもそもその意図を説明したりしなきゃ伝えられないんなら、やはり芸術なんかじゃないでしょう

夏目漱石だって、言葉にしては伝えられない、もしくは言葉にしたら陳腐なものになってしまう、そんな激烈な内なる感情を表現したかったから『物語』にしたんじゃないんですかね

それを読んだ人たちが受けた想いを自由に語る、その中に正解があるかなんかわからない

漱石自身もひょっとすれば自分が伝えたいものは非常に漠然としたものであったかもしれないのです

だから言葉にはできない、物語にするしかなかったのかもしれません



誤解のないように申し上げたいのですが、小平次は天皇と皇室のみなさまに崇敬の念を持っております

ですから、作者の意図がどうあれ、昭和天皇の肖像を燃やし、灰を踏みつける行為を見るのは不快です

でも、だからと言ってそういう表現をしたい人の自由を奪っていいとも思いません

天皇陛下は、もしご自身を侮辱するとも受け取られる表現があったとしても、表現の自由を護るべきとおっしゃるとも思います

一番腹が立つのはですね

世の中には芸術製作を志しながら、世の中に認めてもらえない人なんかごまんといるんです

その人たちが、自分たちが認められないのは見る側の姿勢の問題だ、と言ったとして、そんな道理が通りますか?

それでも、内なる激情を表現したい、そう思って絵を描いたり、音を奏でたり、物語を造ったり、こういう人たちは権力に媚びたりしてはいけないんです

それはつまり、公金なんかあてにして芸術を造るなってことです

その公金が不交付になったからと言って、そのことを批判したり文句言ったりするのは政治家や批評家の仕事であって、『作品』を通じて感情を表現しようとする人たちが口に出して文句言うほどみっともないものはありません

『自分の意図したことはこーなんだー!』

と言って『芸術家』がわざわざ説明しなきゃならないなんてものほど野暮なものもありません


それにしてもですね

このたびご紹介した森氏の論、小平次にはとても暴論に聞こえるんですがどうでしょ

文春もなんだってこんな暴論をわざわざ発信するんでしょ

本当に分断を煽っているのはだれなんでしょ?

解せません…



御免!


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有田芳生氏 神戸いじめ教員「リーダーが女性教師、唖然とする」 思わず笑ってしまったニュース

2019-10-15 | 思わず笑ってしまったニュース


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思わず笑ってしまったニュース

有田芳生氏 神戸いじめ教員「リーダーが女性教師、唖然とする」

有田氏は、同小学校での陰湿な教員いじめを報じる地元紙の報道を引用し、「【教員暴行詳報】飲酒強要し平手打ち プロレス技で首絞め 髪の毛に接着剤」とし、「リーダーが女性教師とは唖然とする現実です」と投稿。「曖昧な処分で終わらないように監視しなければなりません。国会でも取り上げられるでしょう」とツイートした。



なんでいじめ教師のリーダーが『女性』だと唖然とすんだ?

女性はいじめなんかしない! 女性は優しい生き物だ! 

ってことですかね


そりゃあ女性差別じゃないのかい?

有田さん、日ごろのご主張とはずいぶんと矛盾するように思いますが…



御免!


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ゲノム食品、年内にも食卓へ 思わず笑えないニュース

2019-10-07 | 社会・経済


≪写真・記事≫時事ドットコムニュースより

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『ゲノム食品、年内にも食卓へ=安全審査、表示義務なく-消費者に懸念も』


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です


大変だー!!

遺伝子を操作した食品が市場に出回るぞーーーーー! 
ゲノム編集食品が出回るぞーーーーーーー!


と、叫んでみましたが、実は小平次、遺伝子組換え食品、ゲノム編集食品なんてものについてまるで無知です

なので、ちょっとだけネットで、軽~く調べてみました

知識のないところでネットの情報のみで書いた記事ですので、そんな感じでお読みいただければ幸いに存じます


よくスーパーなんかで食材を見てますと

『この商品は遺伝子組換えではありません』

ってな表示を見かけることがあります

わざわざそんな表示をしなければいけない、ってことは、遺伝子組換え食品が欲しい人のために表示しているってこともないでしょうから、逆の人、遺伝子組み換え食品を買いたくない人のために表示しているんでしょう

遺伝子組換えをした食品はその表示義務があるそうです

遺伝子組換えしたかしてないかの表示、分別していない食品は、『遺伝子組換え不分別』と表示しなくてはいけないそうです

なんでそんなことしなくてはいけないのか

遺伝子を組み換えた食品を人間が食べた場合の安全性に疑問を持っている人がいるからのようです

一応


•「食品」としての安全性を確保するために「食品衛生法」及び「食品安全基本法」
•「飼料」としての安全性を確保するために「飼料安全法」及び「食品安全基本法」
•「生物多様性」への影響がないように「カルタヘナ法」

に基づき、それぞれ科学的な評価を行い、問題のないもののみが栽培や流通させることができる仕組みとなっている


そうです

安全が確保されているならばいいようにも思いますが、今回のニュースの『ゲノム編集食品』ってのは、酵素を使って遺伝子を切る、って技術を用いるそうですが、それだと『遺伝子組換え』と見なされないため、表示等の義務がないそうで、それで不安になる人もいるってニュースです

遺伝子組換えによる危険性ってのは、遺伝子操作によって、予期しない毒物が生み出されるとかって可能性は否定できないそうで、実際のところ、そのあたりのことはよくわかっていないようです

アメリカあたりじゃゲノム編集食品はすでに市場に出回っているそうですが、口にして体調不良を訴えている人がいるとかいないとか…


さて、小平次は釣り好きです

以前、ある場所でボート釣りをしてまして、そこは結構な数の養殖イケスが沖に浮かんでいるんですが、イケス自体が潮の流れを複雑にしたりすることでプランクトンが良く集まり、魚もイケスの周りに集まってくるわけです

さらに、定時になれば合成飼料が撒かれ、その飼料がイケスの網目から結構こぼれるってんで、怠け者の魚が居ついちゃったりもするわけです

この場所でジギングしてましたら、なんとマダイがHIT!

小平次は大喜びです!

持って帰って家族や釣り仲間と刺身にして食べようとしたところ、このマダイの切り身を醤油につけましたら…

ぶわっ!と油が醤油に広がるんです、ぶわわわっ!と…

タイやスズキ、ヒラメなんかの白身魚からこんなに油が出るなんて見たことありません

で、口にしてみますと

うーーーん…

養殖のハマチ(ワラサ)とおんなじ味がします…

これはタイじゃない!

食べた人みんなそう言ってました

この時のタイ、苦労せず落ちてくる合成飼料に魅せられてイケス周りに居ついちゃってたヤツだと思うんです

丁度記事の写真のマダイのようにでっぷりしてましたし…

あ、冒頭の写真は下がゲノム編集マダイです

で、思うんです、記事では

『肉厚のマダイを開発した京都大の木下政人助教は「通常の餌の量で身の多いマダイを取れるようになればコスト削減につながり、価格低下など消費者のメリットになる」と強調する。』

と、言ってますが、余計なお世話だ、って気がします

マダイは高級魚だからいいんじゃないの?

高価であるべきものは高価であるべきだ、と思ったりします

で、マダイを安くしてまで食べる必要性を小平次はまるで感じません

こりゃやっぱりマダイじゃない!って思います

美味しくないと思いますよ、きっと


アレルギーのない卵とかの生産に役立つとか、人口増により、深刻な食糧不足が懸念され、飢餓を救済するため、ってんなら話は別ですが、飢餓や貧困は別な理由によるものでしょう

儲かりゃそれでいい、そんな一部の人が牛耳っているような世の中のしくみを変えなければ、人口増に伴い貧困層や飢餓に苦しむ人たちも比例して多くなるだけのように思います


とりとめのない記事で…


御免!



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