さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

都知事なんて誰がやっても同じですよ

2016-07-25 | 社会・経済


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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です


本日は

「都知事なんて誰がやっても同じだよ…」

と題してお送りいたします


「都知事なんて誰がやっても同じだよ…」

「政治家なんて誰がやっても同じだよ…」

小平次はですね、こういうことを言う輩が大嫌いなんです…


まあ無責任というか、自分の事しか考えてないと言うか…

にも関わらず今回この

「お題」

どういうことかと申しますと、変わらなきゃいけないのは「都知事」じゃなくて「都民」の方なんじゃないか、ひいては「国民」なんじゃないかって感じているんです

前都知事の舛添さんバッシング…

自分たちで選んだ知事だということも忘れ、無責任に糾弾し辞任に追い込む…  うーーん…

選挙で舛添さんに投票した多くの都民は

「舛添があんなケシカランやつだとは思ってもいなかった」

とでも言うんでしょうか

いやいや、わかりそうなもんですよ

過去のあの人の言動や行動を見ていれば

小平次は舛添さんだけには絶対に都知事になってほしくなかったし、以前「首相にしたい人ナンバー1」なんて世論調査の結果を見たときには、まあ愕然としましたよ


それでも今回舛添バッシングが始まるとですね

「いいじゃないか出張先でちょっといいホテルに泊まるぐらい…」

なんて思ったもんです

都知事と言えばそりゃあ日々都政のために激務に耐えてらっしゃるのでしょう(舛添さんはこの辺が足らなかったかもしれませんが…)

出張の時くらい

「いい部屋でゆっくり休んでくださいね」

くらいのこと、投票した都民は言えないのかね

なんて思ってましたがね

「都知事を選んだのも引きずりおろしたの自分たちである」

このことに自覚のない都民がまた選挙をするのであれば

「都知事なんて誰がやっても同じだよ」

ってことになるんだと思うんですよ


「待機児童をなくす!」「保育所を建設する!」

今回多くの候補者が公約に掲げています

前にも話しましたが、止まらない少子化、貧困と格差の拡大、乳幼児を抱えたママさんたちが働ける環境を創る、これは本当に自治体としても国としても切実な政策課題だと小平次は思っております

だからみなさん公約に掲げているのでしょう

ですけどね、ほんとうにそんな公約実現できるんですか?

いざ行政が保育所を建てようとしたら

「子供の声がウルサイ!騒音だ!」

って、あっちで反対こっちで反対

「せっかく静かな住宅街に家を買ったんだ!オレの家の近くに保育園なんか建てさせるもんか!」

って、こっちで反対、そっちで反対

もはや候補地が公園ぐらいしかないってんで、公園の一部を壊して保育園建てようとしたら

「僕たちの遊び場を壊さないで…」

って大人の言い合いの席に子どもを参加させ発言までさせている…

結果、いくつもの保育所建設計画が頓挫し、中止に追い込まれている…



って、都民がこんななんですよ

本当に公約実現できるんですか?

都民は自分たちが選んだ知事が

「保育所建設推進」

を始めたら、都民として、公共のために協力できるんですか?

ついこないだまで自分が保育所を必要としていた人が、自分の子どもが大きくなって保育所が必要でなくなったら、今度は

「子供たちの遊び場を奪うな!」

と叫んでいるんです


「ああ、優しくないなあ…、譲り合う気持ちとか、そんなのないのかなあ…、公共心もないし…、」

とにかく

「優しくないなあ…」

投票する側がこんなでは、誰が都知事になっても同じではないですか



ことは保育所のことだけでなく、日々の日常の中で、自分さえ良ければ良い、もちろん小平次を含めてですが、そんな愚民の中からはやはり愚かな政治家しか生まれません

「へっへっへっ、愚民たちをダマして金儲けしてやる、フハハハハハハハハッ!」

みたいな政治家ばかりになってしまいます

小平次も偉そうなことは言えません

生活に追われ自分の事しか見えない、なんてことも多々あります

それでもですね、やはりお互い思いやり、優しくありたい、そう心がけていたいと思っております

そうして皆が

「和を以て貴しと為す」

を国是として歩んできた日本人として、思いやりの心や、優しさの心、ほんの少しそこへと立ち返ろうとするならば、おのずとそれにふさわしい人が政治家として立つようになると思うのです

小平次はですね

決して都民、国民、日本人は、まだまだ捨ててもんじゃない、そう心で信じているのです

お互いに頑張りましょう!


さて、今回の都知事選、小平次は一つだけ譲ることのできない投票への判断基準があります


「外国人地方参政権の付与」


です

過去の判例を拡大的に解釈した一部の人たちが、あたかも地方においては外国人に参政権を付与しても良いのだと言っているわけです

もちろんそれを実現しようとしたら様々な法整備等が必要でありそう簡単ではないですが、一部自治体などでは、すでにその道筋としての条例もできているところもあるのです


小平次には仕事柄、多くの中国人の知人がいます

彼らと接していると、やっぱり感覚が「大陸的」だなあと思うところもあれば、中には逆に日本人より日本人らしい中国人もいます


その中の一人、Sさん(男性)

以前、仕事上で、ある会社の社長さんが非常に卑劣極まりない振る舞いをしたことがあったのですが、その時Sさん、その社長さんに言いました

「あなた、本当に日本人ですか!日本人ならそんな卑怯なことはしないでしょう!」

びっくりしましたね

Sさんだけでなく、日本で真面目に仕事をしている中国人の方と接しているとですね、感じることがあるのです(裏社会の人とか別ですよ)

彼らは日本で、日本人らしく振舞うことを誇りに思っているように見えるということです

それは単に先進国の一員とかそんなことではなく、日本人らしい礼儀、マナー、思いやり、気遣い、そういったことを自然に自分が感じられるようになり、振舞えることが嬉しい、誇らしい、という風に見えるのです

出会った中国人の10人中10人が

「日本は素晴らしい国だ」

と言います

それも先進国とかそういうことでなく、今申し上げた日本人の文化、伝統から育まれた感性に対してそう言っているのです

先日Sさんと都知事選の話をしていたらですね

「僕には選挙権がありませんから」

Sさんは笑いながら言いました

「ああ、そうか!」

彼が中国人であることが、小平次の頭からすっかり抜け落ちていたのです

それくらい日本人のような中国人なのです


一瞬思いましたね

「長く日本に住み、日本でマンションを買い、子供を日本人のように育てながら、日本の学校に通わせている、日本人より日本人らしいSさんのような人なら選挙権があっても良いのではないか…」



いやいや、それでもダメなのです

ダメなものはダメなのです


だって「Sさんのような人」という判断基準は非常に曖昧なものなのですから

普段普通に暮らしているような一見日本人のような人が、部屋の中に金日成、正日親子の肖像を掲げていたなんてことだってあるのです



好きで掲げているわけではないかもしれません

しかしながら、少なくともかの国の影響下において日本で暮らしている、ということに変わりはありません

このような人たちが日本において「参政権」を持つ、これが一体どういうことなのか考えなくてもわかるでしょう

「参政権」

というからには、立候補する側に立つことだって起こりうるということです

ダメに決まっているじゃないですか

ですから、この「外国人地方参政権」を、軽々しく「与えても良いのではないか」

なんて言っている人は、国防の意識なぞ微塵もなく、日本人としての本能が狂っているのです


今回の候補者



特に有力3候補のうち2人はこの

「外国人地方参政権の付与」

について前向きな発言をしています

そのうちの一人はつい最近でもこんなことを言っています

「外国人参政権、アメリカでも一定年齢を過ぎて資格があれば市民権が得られます。それと同じように日本でも、例えば10年住んでいれば参政権得られると、いうようなシステムを作る必要があると思いますね」

http://matome.naver.jp/odai/2146866090544106501


なんでこんなのが「有力候補」で事前調査で「接戦」なんだ?

勘弁してくれよ!もう… とりごえ~っ!  (あっ)

ってな感じです

これはあくまでも小平次の個人的見解ですから、だれが何を思い、だれに投票するかはもちろん自由ですが…


さて、最後にもう一人、知人の中国人(女性)Cさんのお話をさせていただきます

このCさん、以前、ある中国人同士の仕事上のトラブルに巻き込まれ、ちょっと大変だったことがありまして

小平次の知り合いの法律家のMに相談したんですね

そのときですね、Mがそういったトラブルの解決を請け負ってくれる別な中国人に相談したらどうかって言ったんですね

そしたらCさん

「とんでもない!中国人なんて裏でどうつながっているかわからないんですよ!」

つまりその別な中国人とCさんのトラブル相手が裏でつながっているかもしれない、というわけです

日本人からすれば、相当に離れた場所に住んでいて、これまで接点なんてあろうはずもない、って感覚でしたが、Cさん

「日本人は共産党の情報力、組織力、恐ろしさをまったくわかっていません、大使館員だって信用できないのです」

って、Cさん、泣きそうな顔で言ってましたよ(この件は無事解決しました)

その他にもですね、特に中国人は人身売買ブローカーみたいのが横行してましてね、偽造パスポート、在留カードなんてお茶の子さいさい、不法滞在者をあっちこっちに送り出しているって実態もあるんです

こんな状態で

「外国人地方参政権の付与」?

我が同胞を理不尽に誘拐し、常時ミサイルを我が国に向けている国の影響下にある人たちに

「外国人地方参政権の付与」?

頭おかしいんじゃないんですか?

くどいようですが、これはあくまでも小平次の個人的見解ですから、だれが何を思い、だれに投票するかはもちろん自由です



とにかくしっかりと目を覚まし、自分たちの責任で都知事を選ぶのだ、と心にとめ、東京を、日本を良くするのも悪くするのも自分たち自身だと自覚し

「和を以て貴しと為す」

を国是として歩んできた日本人として、優しさや思いやりある社会を取り戻す、小平次を含め、一般の人は、ささやかに自分の手の届くところでそう心がけていればいいのです

それでもそれが集まればですね

「日本人は皆で助け合い、笑顔である」

外国人からそんな風に言われた日本を取り戻していけるんじゃないでしょうか


まあ今でも日本は捨てたもんじゃないって思っておりますが…



御免 !




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卑弥呼ではない!日御子様です!ぱーと2

2016-07-20 | 歴史



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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

本日は

「卑弥呼ではない!日御子様です!パート2」

をお送りいたします



で、ちょっとパート1の妄想のおさらい


パート1では

「卑弥呼」という当て字はもうやめにしようということ

当時漢字を常用国語文字として使用していたのであれば

「邪馬台国の卑弥呼」ではなく「大和国の日御子」

であったのではないかということ

「日御子」擁立の過程と、即位後の長期政権の事実から「日御子」は神聖なオーラとカリスマ性を備え、そして誰も文句のつけようない正当な血筋の人であったのではないかと考えられること

そしてそのような血筋は、日本には、いや世界でも一つしかない、つまりは「皇統」ではないかということ

そうであればもはや「日御子様」とお呼びしなくてはならないのでは、ということ

また「皇統」のどなたかであらせられたのであれば、古事記、日本書紀にその事績が記されているはずであるということ

日本書紀の神功皇后紀に、あくまでも魏志の引用である、と、ことわりを入れた上で「卑弥呼」について触れられており、日本書紀編纂者たちは「日御子様」を「神功皇后」に比定しようとしていたこと

では日御子様は「神功皇后」であらせられたのか

というところまででした



では早速妄想の続きをすすめましょう

そもそも日本書紀の編纂者たちは、そのことについてあくまでも魏志からの引用しか記載していません

日本書紀では、一つの事績に対し他に異説や別な伝承があればそれを載せています

しかし、神功皇后三十九年条他の記事は、あくまでもこの魏志の引用だけが記されています

つまりこれは自分たちが調べた範囲の中に「神功皇后が魏に使節を送った」ということについて、魏志の他、そのような事実が見当たらなかったという事だろうと思います

それでも大陸の史書に登場する海外にまで名を馳せた女王の記述を無視もできない

また、細かい話はいずれ「日本書紀」について触れる機会があれば述べさせて頂きますが、まずは神武天皇の即位を紀元前659年(660年)に定めたこと(これについてはまたあらためて)により、当然のことながらその後「倭国」を束ねていた日御子様の治世は、大和国の治世でならなくてはなりません

公孫氏の滅亡に素早く反応し、使節を送り、半島南進を目論む高句麗、国内にて大和に従わない狗奴国を牽制すると同時に自らを「倭国王」として国際的に認知させた、そんな華麗な外交をやってのけた古代女王

まさに自ら雄々しく男装し、海を越え三韓征討を果たした神功皇后をおいて他にいらっしゃるまい



そう考えたのでありましょう

この日御子様を神功皇后に比定したことは、日本書紀の編纂の根幹に関わる重要な事でありました

そこには日本書紀編纂者たちの実に緻密なカラクリがあるのですがそれもまたあらためて…


さて、日本書紀編纂者たちは、日御子様を神功皇后に比定しようとしたわけですが、そもそも日御子様の治世と、神功皇后の執政の時代は一致すると考えていたのでしょうか

日本書紀の成立した8世紀初頭からそれ以前、それまで支那地域から輸入されていた「暦」は、特に天武天皇の治世下ころよりかなり精緻なものとして研究されて精度の高いものになっていました



つまり編纂者たちは、少なくとも、魏志倭人伝にはっきりと年代の記されていた日御子様の治世が3世紀初頭頃であったことは確実にわかっていたと考えられます

ならばそれが神功皇后の執政期間と一致すると導き出していたのでしょうか


その件につき、決定的とも思えることを述べている方がいらっしゃいます


歴史学者の「倉西裕子さん」です

その著書「日本書紀の真実 その紀年論を解く」

によれば

「東国通鑑」(1484年成立)と「三国史記」(1145年?成立)の「百済本紀」、この二つの朝鮮半島の史書が百済王である「辰斯王の薨去」と「阿花王の即位」について、いずれも西暦換算において「392年」の事と記しています

この記事に呼応する記事が、実は日本書紀にもあるのです

「応神天皇紀3年条」

に、辰斯王の薨去と阿花王の即位が詳細に記されております

この事実の一致は応神天皇のご即位が

「390年」

であったことを物語っています

さらに「東国通鑑」と「百済本紀」は「百済の腆支王」が即位前に倭国に人質に出された年代を西暦で「397年」の事として記しています

これに呼応する記事が日本書紀では

「応神天皇紀8年条」

にあり、同じように逆算して求められる応神天皇のご即位は

「390年」

となります

さらにさらに、「百済本紀」の伝える阿花王の薨去は「405年」

日本書紀では

「応神天皇紀16年条」

にその記述があり求められる応神天皇のご即位は、やはり

「390年」

となります

さてさて、歴史、特に古代史などは文献的資料が少ないこともあり、一つの説に異論反論、数多ありますが、上記の応神天皇のご即位については、外国の史書と日本の史書において、複数の事件でその一致を見ることができるわけでして、異論反論もあるのでしょうが、素直に西暦「390年」と考え、古代史のひも解き、謎解きの一つの「起点」として、そこからの考察をすすめても良いように思えます

そうであれば、応神天皇のご即位が「390年」であるという「事実」は、応神天皇の母君であらせられた「神功皇后」の執政期間が、当然その直前となることを物語るわけで、日御子様の崩年は248年(?)ですから、日御子様の治世と神功皇后の執政期間には150年近い開きがあることとなります


「150年…」

うーーーーん…

日御子様=神功皇后

とするにはあまりに時代が違いすぎます

先の応神天皇のご即位の年代特定ばかりではなく、神功皇后の執政期間が4世紀中葉から末にかけてというのは(後日また)他の理由からもほぼ間違いないだろうと考えられます


となりますと結論としては日御子様と神功皇后は同一の方ではあらせられなかった…

ということです


では日御子様はどなたであらせられたのか

そもそも皇統の方ではないのではないか?

そのように言う人も大勢います

しかしパート1でも申し上げましたが、王位の継承争いをしていた者たちが、その即位によって一斉に武器を置き、その後最低でも40年以上(小平次は60年以上と思っています)の長きにわたり「倭国」を束ねた女王

だれもが認める正当なる血筋を持ち、神性とカリスマ性を兼ね備え、古代の我が国を治めていた女王は、やはり皇統のどなたかであらせられた、小平次にはそう感じられるのです


では一体…  


それはまた次回ということで




御免!
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東京都知事選 今度は誰だ!?

2016-07-12 | 社会・経済
こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です


さて、舛添都知事の辞任を受けて、小平次を含め、東京都民は次の都知事を選挙で選ばなくてはならなくなりました

世界有数の先進国、日本の首都の首長選挙ですから日本だけでなく、世界の注目度もなかなかに高いでしょう

話は逸れますが、小平次は以前タクシードライバーをして東京中を走り回っていまして、また、若かりし頃から結構いろんな国を旅してきた経験から、東京は世界一の街であると思っています

決してお国自慢ってわけではなく、少なくとも規模の大きさだけでもそう思えるのです

タクシーで乗せた外国人のお客さんの何人かもそう言っていましたし


世界一の街の首長選挙ですから、大変大事な選挙になります

オリンピックもありますし…

今回はその都知事選挙について触れてみたいと思います


全然関係ないんですが麻生太郎さんという人をみなさん当然ご存知であると思います





元日本国の首相であり、現在も副総理他複数の要職に就く閣僚のお一人であります

この麻生さん、首相になる前、このようなことをおっしゃっていました

「少子高齢化社会が進行する中で、消費税の増税により社会保険などの社会保障費の財源に充てる。そうすることで個人の負担は減り、手取り収入も増える。会社も会社負担分が減り、経営上のメリットも大きく、また実質減った会社負担分を、一部でも社員の賃金に充てればなお個人の手取り額が増える可能性もある。反面、物を買う場合増税分負担は増える、どちらが良いか国民も選択の時期に来ているのではないか」

小平次はこの麻生さんの発言、まっとうな論だと思います


ではそのような社会保障費の財源として、消費税増税といった場合、一体どれだけ税率を上げれば良いのでしょうか

今の8%から10%なんてことで足りるのでしょうか

中途半端な増税で、結局社会保障費の財源には充てられないなんてことになったりはしないのでしょうか

今、多くの国民は、社会保障費の財源として消費税増税はやむなしとわかっていると思います

「消費税アップなんて今言ったら票が獲れない」

なんて言ってごまかしてないで、しっかりと政策の議論にし、国民に説明すべきだと思います

ついでに言えば小平次は、医療費もタダにしてほしいと思っています

もし、社会保障費の他、医療、その他いくつかの税金(自動車重量税やガソリン税)を無くす、もしくは軽減するためには一体何%の税率アップが必要なんでしょうか

小平次はそれらが実現するのであれば、消費税は20%から25%でもかまわないと思っています

前々回の記事(参院選の争点…)でも申し上げましたが、今格差や貧困が拡がる中、病気になっても医者にかかれないなんて人が大勢いるのです

大きな病気や怪我をして、医者にかからなきゃ命にかかわるなんてなったら、もはや待ったなしです

反面消費税という形の納税は、選ぶことができるのです

例えば税率が20%として、1,000円の予算で1,000円のものを買おうと思ったら税込で1,200円

「ああ、予算オーバーだ…」

ってんなら少しグレードを落とし、800円の税込960円のものを買おうとか、選択することができるのです

もちろん、日常の負担は増えるでしょうが、医療などの選んでる場合ではない待ったなしのものの負担を減らしてもらった方がよほど良い

小平次はそう思っております

もちろんそう思わない人もいるでしょう

だから麻生さんの

「選択の時期に来ている」

というのは実にまっとうなことをおっしゃていると思うわけです


さてその麻生さん、その後首相になられたわけです

もちろん麻生さんを選んだのは他ならぬ自民党です

ところが首相になってみると、言ってることはまともだと小平次は思っておりましたが、まあ使う言葉が悪い…

「失言王」

などと揶揄され、毎日マスコミが「今日は何言うか、明日は何言うか」って添削先生のごとく張り付き報道したもんで、あっという間に支持率が低下、加えて先にも述べた通り、消費税増税推進論者だってんでなおのこと

地方選挙で民主党に連敗が続き、


「麻生では次の選挙は戦えない」

自民党内からもそんな声が噴出、麻生降ろしまで始まったわけです

まあもうなんだか、実に醜いすったもんだでした

そんな自民党にあきれた国民は、次の総選挙で民主党を選んじゃったわけですね



元々消費税増税は必要だと言っていた麻生さんを、自分たちで総裁に選び、首相にしておいて

「麻生では戦えない…」

からと、一部幹部なんかずいぶんな物言いで麻生さんを批判したりしていましたよ

実に醜いもんでした

そんな自民党内でも麻生降ろしが、批判が噴出する中でですね

こんなことをおっしゃっている方がいらっしゃいました

「わたしどもには麻生政権を実現させた『製造物責任』がある。だからここは一丸となって麻生首相を支える」

まあ賛否あるかもしれませんし、派閥や力関係上でそう言っただけかもしれませんが、政策以前に票読みの事しか頭にない議員ばかりの中で

「おお、随分と立派なことをおっしゃる方がいる…」

と小平次は感心した覚えがあるのです

で、それをおっしゃったのが今回都知事選に出馬を決めた小池百合子さんなのですね



出馬と同時にまたしても文春が小池さんの「政治資金規制法違反」の疑いの記事を載せていましたが…

文春はもはや朝日よりタチが悪い

舛添さんのときもそうですが、政治家のみならず私たち一般人だって

「過去に犯罪など犯したことなどない!人に迷惑かけたこともない!」

なんて人がいますか

事の大小はあるにしても、そんな聖人君子みたいな人だけが政治をやれってんですかね

逆にそんな人がいたとしても小平次はいやですけどね


言論の自由は保障されるべき大事な自由でしょう

しかし、全国区のメジャー誌としてただただ国政都政を混乱させるだけではだめでしょうよ


さて、小平次は先の発言をもって次の都知事は小池さんが良い、と言いたいわけでもなく、自身そう決めているわけでもありません

申し上げたいこと、一緒に考え、感じていきたいこと

それはまさに小池さんのおっしゃる

「製造物責任」

を私たち国民、都民も感じなくてはならないということです

そのためにしっかりと今回の候補者たちが過去に何を言い、どんな行動をしてきたか

いまどきネットを見ればすぐにわかります

今自分は政治、都政に何を望むのか

「保育所の建設」

だっていいです

そのことに候補者は何と言っているか

「舛添さんが強行しようとした韓国人学校の建設」

そのことに候補者は何と言っているか

「東京オリンピックについて」

候補者は何と言っているか

「自分や自分の周りにかかわること」

それについて何と言っているか

「それぞれの候補者がどのような公約、政策を挙げているか」

全てがヒットするわけではないでしょうが、いくつかのことはきっとわかるはずです

都民として、お互いせめてそれくらいのことはしてから投票に行きましょう

ちなみに今はっきりしていることとして、小平次は石田純一さんだけには出てきても投票しません

シールズ君達と安保デモに出て演説している人と小平次は相容れるものは一切ないでしょうから




本当はドクター中松さんが出てきたらちょっと心動かされますけどね…




いずれいせよ舛添さんのときように、自分たちで知事で選んでいながら、それどころか以前首相にしたい人No.1とまで言っておいて、回転寿司で公費を使ったなんていうチンケな話で、辞任するまで攻撃し続けるなんてことはやめにしたいものです




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ダッカでテロ…

2016-07-08 | 社会・経済
こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です


バングラディシュのダッカで、日本人を巻き込んだ、というより狙ったであろうテロ事件が発生しました

まずは犠牲になられた皆様に、心よりお悔み申し上げます

ご遺族の方々のご心情を想うと言葉もありませんが、心よりお見舞い申し上げます


なぜこのような事件が起きたのか

言うまでもないことです

日本は個々の国民が意識しているかいないかに関わらず、もはやこのイスラムテロ集団との戦争に加わっているということです

以前より

「テロは許さない!」「断固テロとは戦う!」

と、政治家も世の中もマスコミも、そう言ってきたではないですか

私たち国民も、大勢の人たちがそれを支持してきたのではないですか


なぜ日本はイスラムテロ集団と戦争することになってしまったのでしょう

一言で言えば敗戦後、アメリカの主導に従い、従属国のように歩みをすすめてきたからでしょう

安倍首相は就任当初にはそのような敗戦国としての歩みを止めるべく

「戦後レジームからの脱却」

を掲げてきたはずでした

それはとりもなおさず、憲法を改正し、自国軍を持ち自主防衛可能な国家として、独立国家として、日本として、日本の立場を対等にアメリカ始め諸外国に主張できるようにすることであるはずです

しかし、現状はそうはなっておりません

集団的自衛権の行使容認も安保法制も、本来そこへ向かう道の一歩に過ぎず、非常に中途半端な状態です

安倍首相を

「従米主義者」「グローバリズムの旗手」

と批判する人たちがいます

確かに現状はそう見られても仕方ないと思いますし、以前から安倍首相を支持してきた小平次にもそう見えます

しかしですね、憲法を改正し自主防衛可能な自国軍を持ち、真の独立国家として歩む、ということを今の時点で一気に進めるなんて不可能でしょう

内外の反発に遭い、国民投票で憲法改正が否定されれば、もう二度と憲法の改正なんてできなくなるかもしれません


小平次は自戒の念を込めて想います

集団的自衛権の行使と安保法制は、あくまでも独立国家として憲法改正へ向かう道筋の一つであったとずっと思ってきましたし、現在もそうあって欲しいと願っています

しかしですね、アメリカと足並みを揃えるってことはまさに共にテロとの戦争に歩みだすってことでもあるんです

頭ではわかっていましたが、戦争に突入するということに対し「覚悟」があったのかと問われれば言葉もありません

以前の記事、妄想的歴史探訪プロローグの中でも申し上げましたが、日本を除く世界の主要な先進国の歴史は「戦争、侵略、滅亡、繁栄、虐殺、支配」の連鎖の歴史です

その埒外にあった日本は、戦争に加わるのではなく、戦争をしない独自の立場で世界と向き合わねばなりません

過去、独自の立場で世界と向き合い、横暴な価値観と戦った我が国は、核爆弾まで落とされて跪かされました

今度はよりしたたかにやらねばなりません


さて、バングラディシュのダッカ

小平次は一度この街を訪れたことがあるのです

若かりし頃、インドを放浪した際、カルカッタ(現コルコタ)に入る前にトランジットで立ち寄り、2日ほど滞在したのです

「喧騒と混沌…」

こんな街が世界にあるのか…

というのが最初の印象でした

その後カルカッタに入り、ダッカの数倍規模の「喧騒と混沌」に、さらに圧倒され、ショックを受けたのでした

また、小平次の知人で、東大の大学院を卒業後、自らを捧げるかのようにダッカの貧困に立ち向かうべく日本を離れた女性がいらっしゃいました

小平次が以前クリスチャンだったころに通っていた教会にいらした方ですが、大変美しい方で、学生だった小平次や友人の男どもの憧れのお姉さんみたいな方でした

そんなこともあってか、小平次にはなぜかフランスなどでのイスラムテロよりも、より身近に感じます

ダッカという街で日本人が狙われたのは、これまでとは明らかに違う流れがイスラムテロ集団の中にあるように感じずにはおれません

自身も仕事で東南アジア方面に行く事もあり、他人事とも思えません

それどころか、もはや日本国内でテロが起きてもなんら不思議ではない状況のように思えます


「テロは断じて許さない!」

本当ですか?

もはや戦争ですよ

足枷いっぱいつけさせて、自衛隊員を戦地へ送り込むってんですか?

護憲派の人たちに尋ねたい

「憲法9条がこれからの世界を平和に導いてくれるのですか」

「憲法9条の理念を日本から発信すれば世界中が耳を傾けてくれるのですか」

もし、そんな憲法9条ごときで世界が平和になるのであれば、なぜ人類は数千年もの間「戦争、侵略、滅亡、繁栄、虐殺、支配」の連鎖の歴史を現代まで刻み続けてきたのでしょうか

そんなもので世界の平和を維持することなんてできないからですよ

もしかしたら遠い未来に、日本の憲法9条の理念に世界が耳を傾けてくれる時代が来るかもしれません

しかしそれまでの間、どれほどの犠牲が出るのでしょうか

私たちは歴史を学び、よくよく感じとらなくてはなりません

私たちの国

「日本」

が、なぜ古代より「戦争、侵略、滅亡、繁栄、虐殺、支配の連鎖の歴史」の埒外にあり続けてきたのか

また、我が国は以前、そのような連鎖の埒外にあり続けるために、外国との渡航貿易を制限していた時代もありました

それを無理やりこじ開けられ、弱肉強食の連鎖の中に引きずりこまれたのです

「弱肉強食」

そのような価値観を否定し続けてきた我が国だからこそ、世界に発信すべきことがあるはずなのです

それをするためには皆で学び、真の独立国家とならなくてはならないのです

一部の金の亡者たちが創り続ける

「戦争、侵略、滅亡、繁栄、虐殺、支配の連鎖の歴史」

に取り込まれないよう、しっかりと目を覚まし、今回のダッカの事件が何を意味するのか、今の日本の現状どう現わしているのか

感じて行かなくてはならないと思います

今回犠牲となった私たちの同胞のためにも

しっかりと目を覚ましてこの国のあり方を感じ取って行かなくてはならないと思うのです



さて、世論調査では憲法改正に反対の立場の人の方が多いようです

そのためか自民党は今回の参院選、憲法改正を表立った争点にはしていません

世論調査の結果などから、表立って争点にすると票読みができないからでしょう

選挙後、安倍内閣が憲法改正に舵を切ったら、選挙の争点にもせず「強引なやり方だ!」「民主主義の否定だ!」と、きっと大騒ぎになるでしょう 

安倍首相が、真の保守政治家として今道半ばで倒れるわけには行かず、だから少々強引なやり方であろうと選挙で勝ち、真の独立国家を目指そうとしているのか、単に世論におもねり、自己保身のために従米政権を維持しようとしているだけなのか

それは後に歴史が判断するでしょう

ただ言えることは、安倍首相が名宰相であろうとなかろうと、小平次を含め国民がバカだから「票読み」で政策が決定されるようなことになってしまうんです

一方で

「憲法9条を守れ!」

一方で

「テロは許さない!」

そんな道理は通らないでしょう

金の亡者たちはそんなことに耳を貸しません

何度でも何度でも言います

私たちは縄文時代からの先人たちの振る舞いをしっかりと学び感じ取らなければ、何を護るために誰と戦っているかすらわからないまま、今回のように貴い命を犠牲にし続けることになってしまうのです



御免!




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参院選 その争点とは!

2016-07-06 | 社会・経済



こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です


本日は来る参議院選挙について小平次の感じるところをお話しさせて頂きたいと思います


さて、早速ですが下記の数字をご覧ください

「あなたは、参議院選挙で投票を判断するうえで、最も重視する政策は何ですか?次の8つから1つを挙げて下さい」

という「報道ステーション」の世論調査の結果です


「経済対策」…………………… 33%

「年金・社会保障制度」………  30%

「憲法改正」……………………  8%

「外交・安全保障」…………… 8%

「原子力発電問題」…………   7%

「消費税引き上げ再延期」……  7%

「TPP・貿易自由化拡大」………  1%

「答えない」……………………  6%

「わからない」…………………  0%


「あなたは、参議院選挙で投票を判断するうえで、最も重視する政策は何ですか?次の8つから1つを挙げて下さい」

との質問に最も多かった回答が「経済対策」であるようです

TPPや消費税もまあ経済対策でしょうから合わせれば40%の人が「経済対策」を最も重視していると言っているわけです

いやあ、なんかすごいなあと思うのです

一流大学の教授やその出身者である学者、経済評論家なんて人達や政治家までもが、連日

「こーすれば経済は良くなる!」「いや!あーすれば経済は良くなる!」「そーしても経済は良くならない!」

「アベノミクスは成功だ!」「いや失敗だ!」

と正反対のこと言い合っているわけですが、そんな専門家たちでも論の合わない難しい話を、この40%の人達はよくよく理解し、正しく結論を出し、最も重要な投票の判断基準とすることができるということなのでしょうか


TPPや消費税については、一見「賛成」と「反対」というわかりやすそうな図式にも見えますが、そう単純な話でもないでしょう


どうなんでしょう

小平次がバカだからそう思うだけかもしれませんが、この40%の人達は、単純に「景気を良くしてくれそうな政党、政治家に投票する」ってぐらいの漠然とした感覚で回答したというのが実際のところなんじゃないでしょうか



さて、単純に

「景気が悪い、だから景気を良くしてくれそうな政党、政治家に投票する!」

ってことなんでしょうけど、今実際景気はそんなに悪いんでしょうか

まあ良いとは言えないと思いますが、そもそも景気の良し悪しの判断基準も様々なわけでして

一方で悪いと思っても一方では良いなんてこともあるんですね

確かにバブル期に比べれば景気は悪いんでしょうが、あの時代と比べたって仕方ないのです

それにあの時代だってですね、自分のやりたいことを仕事にできた人なんて一握りでしたし、実際大儲けしていた人たちなんてのもごく一部であり、ほとんどの人は毎日必死に働いていましたよ

小平次だってですね、一か月に一日休みがあるかないか、連日の早朝から深夜まで仕事、そんなでしたよ


まあそれでも就職口は確かに多かったかな

就活で何十社も面接しても内定もらえないなんて、今の学生さんの話を聞くと、大変だなあとも思います

やっぱり景気は悪いのかなとも思います

しかしですね、がんばってもがんばっても報われないってほど、日本は落ちぶれちゃいないと思いますよ

この小平次もですね、今の仕事、法律系の仕事を生業にしようと思い立ったのが40過ぎてからです

それまでの仕事を辞め、タクシードライバーをしながら勉強していくつかの資格をとりました

一度没落した身ですから、決して生活が楽だとは言えませんが、それでも何とか家族が笑顔でいられるくらいまでにはなりました

娘のこれからを考えれば、もう少し稼げるようにならなくてはいけませんが、稼げないからと言って、それは景気が悪いとかではなく、まだまだ自分の努力が足りないからであります

小平次の知り合いにもですね

ダンスや音楽、その他の仕事、色々夢見てがんばっている若者がたくさんいます

日本はまだまだそういう夢や目標をもってがんばってもいい国だと思います


暑い日が続くでしょう

就活の学生さん、がんばれ!

もう一度言います

「がんばってもがんばっても報われないってほど日本は落ちぶれちゃいない!」


ちょっと横道にそれましたが、結局言いたいのは、景気の良し悪しなんてまさに一人一人の気の持ち方一つであろうってことです

しかし、実際今の世の中、実質賃金は下がり、格差は広がり、貧困層まで生まれています

仕事柄、離婚した母子家庭の悩み相談なんかも受けることがあります

大変ですよ、本当に

乳飲み子抱えて実家にも世話になれず、仕事をしたくても近くに保育所一つない

そんな母子家庭の子どもが少し成長し、小学校にいくと、その子の一日の食事は給食一回だなんて話が報道されたこともありますね

確実に貧困層は増えています

「やっぱり景気が悪いんじゃないか!」

いや、そうじゃないと思うんです

そういった格差や貧困、これは経済対策、景気対策の問題ではなく、もはや国のあり方の問題であろうと思うのです

ひいては、その国あり方と同時に、その国民のあり方の問題であろうと思うのです

どれだけ景気対策を講じても、そのあり方が正しくなければ、貧困や格差の拡がりにブレーキをかけることなんてできないでしょう

一方的に金の亡者たちだけが得するしくみができあがるだけのように思います

わかりやすい話が、以前の記事(今更ながら保育園落ちた…)でも書きましたが、家族の生活のために乳幼児を抱えた母親が仕事をしようと思っても、子供の声が「騒音」だと言って次々と行政の保育所建設計画を頓挫させてしまうような国のあり方、国民のあり方では貧困や格差拡大にブレーキはかからないということです

古い時代、日本にやってきた外国人の旅行記や手記には

「日本人は苦しい時でも助け合い、みな笑顔である」

みたいな言葉を見つけることができます

今は時代が違う、いえ、違うのなら取り戻す他ないでしょう

「国家国民のあり方」

を選挙で問うのであれば

「外交と安全保障」

こそが最も重要な政策になるでしょう

自国を自国の軍隊で護る術もない状態では、独立国家とは言えず、金の亡者たちのしくみに取り込まれ、世界共通の価値観の中に埋め込まれ

「自分だけが良ければ良い」

そうして貧困と格差が拡がり続けていくのです

そもそも、自国民、同胞が理不尽に誘拐されたままになっているというのに、報道番組などで各党の議論に北朝鮮の拉致事件なんて話題にも上っていません

「それを言っても票にならないから…」

という政治家を

「最も大事な政策は経済対策だ!」

と意味もわからず言っている国民が生み出しているということです

「ミンシュシュギ」

ですから、主権は国民にあるのです

国を良くするのも悪くするのも、その責任も、国民一人一人にあるということです

チンケな飲食に公費を使った知事を悪者にして、投票したのは自分だということを忘れてしまってはなりません

そんな政治家を生み出すのも自分だという事を忘れてはなりません

難しいことではなく、ほんの少しその自覚を持てば、世の中は変わっていくと思います

「日本人は苦しい時でも助け合い、みな笑顔である」

そんな日本を取り戻していけると思います



御免!
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