さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

コロナ それでもまだ言い続ける

2021-07-14 | 社会・経済


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

このところ、コロナワクチンの接種が進み、5割程度の人が今月末には終えるそうです

小平次は、以前にも申し上げた通り、この度のファイザーやモデルナのワクチンを接種する気はありません

理由はいくつかあります、これらのワクチンは現在治験中、つまり実地に治験を行っている状態であること、イベルメクチン等、明らかにより安全性、実効性が高いと思われるものを国が頑なに承認しないことに不自然さを覚えること → これはHIVウイルスの時の、血液製剤の事情と酷似しているように見えること、実際に死者が出ているにもかかわらず、河野さんなど政治家がその辺には触れず、デマ、ばかりを強調する姿勢にも不自然さを覚えること、コロナそのものの脅威度の検証などまるでしていない中でワクチン接種を急ごうとする姿に違和感を覚えること、などなど

そんな中、接種をして頂いている方々には、本当に頭の下がる思いで感謝をしております(決して嫌味とかではありません)


接種したくはない、とは言ってもなかなか簡単には行かず、家族や自分自身にも、仕事上の関係から『接種の推奨』という形の『強制』が迫って来ています

妻の方は職業柄、その『強制』がかなり深刻です

法的にはいくらでも戦い方がありますし、圧倒的にこちらが有利ですが、世の中そんな単純でもありません

小平次の周りにもいますが、ワクチン接種は『国民の義務』くらいに本気で思っている人がそれなりにいて、さらにそれなりの立場にいるものですからやっかいです

さて、これまで当ブログでは、武漢で発生したと言われるこの新型ウイルス(その後の変異株だの含め以下コロナ)、昨年来、これに対する国やその他行政、マスコミの報道の仕方、人々の声について思うところを述べてきました

それでも言い足りないことがさくさんありますが、今回は最も言いたかったことの一つを述べたいと思います



「若い世代は重症化しないからワクチンを接種しなくて良い」は本当か



この方、よく政府の広報だとかテレビのコメンテーターとかで出ているので、見たことがある方も多いと思いますが、感染症の専門医さんです

上記記事で忽那さんが言っているのは、ごく簡単に要約すれば、重症化するリスクの少ない若者も自分自身の後遺症(これについてはそもそもの20代以下が重症化する統計的なデータを示していない)や周りに迷惑をかけない、というメリットを考え接種すべきだ、と言っています

この方の他、一部の医療関係者などが、若者のワクチン接種に向けて『社会貢献のため』『他人に迷惑をかけないため』『利他的にものを考えよう』などと言っています

乱暴な言い方をすれば、若者にとってコロナは大したことはなくても、高齢者には危険(と言ってもコロナで死ぬ70歳以上の方は1万人当たり1人から5人、それすら実態に即しているかはわかりませんが)、だから運が悪ければ重篤な副反応や、死に至るケースもあるが、高齢者のために受けましょう、と『自己犠牲の精神』を唱えているわけです

これら、メディアに露出し、ワクチン接種の積極的働きをかけている『専門家』の方々に共通して抜け落ちていることがあります

例えば、普通の『風邪』、が流行すれば、予防薬、治療薬の接種はもちろんですが、当然それだけでは毎年変異し、感染が拡大するうちにやはり変異し、流行が治まらない、こういったことは例年のインフルエンザを見ていればわかることです

それでも完璧にその流行を抑え込もうとすれば、経済的、精神的損失を伴ったとしても、今と同じように人流を抑制し、様々な制限を設けなくてはなりません

ですが、コロナよりも死者の多かったインフルエンザが大流行し、子どもが数十人以上死んでも(コロナの10代以下の死者はゼロ)そんなことはしませんでした

『たかが風邪にそこまではできない』

からにほかなりません

ではコロナは?

その『脅威度』について、1年半以上が経過し、様々な統計的データもそろって来ていると言うのに、上記推進派の『専門家』たちは、ただ『感染拡大を防止する』ことのみに執着し、コロナそのものの『脅威度』とその対策のバランスなどについて、全く考えもしていません

少なくとも接種直後に亡くなっている人がいる事実、についてそのリスクを調べ、説明するでもなく若者に『社会貢献のため』『他人に迷惑をかけないため』『利他的にものを考えよう』と笑いながら接種を勧めています

小平次から見ると人としての本能そのものが狂っているように見えます

さて、これについて、小平次の今回最も言いたいことの一つを、ブックマークをさせて頂いている国際政治学者の倉西雅子先生がブログ記事で述べられていますので、参考までに貼っておきます

『若者のワクチン接種問題』


現状の感染(曝露)状況を見れば、若者にコロナのリスクが小さいことは明らかです、その上で断言しますが、小平次が『高齢者』特に日本人の平均寿命程度の歳になったとき、自身への感染リスクを減らすために、コロナそのもののリスクのほとんどない子供や若者に、二度とない学校生活、学校行事、努力した成果を見せるべき発表の場を失わせてでも自粛しろ、などとは絶対に言いません

さらに、死者が出ているワクチンを、自分に感染させるリスクを減らすために接種しろ、などと口が裂けても言わないだろうと思います

今の現状、コロナそのものも、ワクチンもそうですが、高齢者のために若者に犠牲になれ!

とメディアも専門家も言っているに等しい、世の中狂っています

最も言いたかったことの一つ…

『年寄りのために若者が夢を奪われたり、鬱になったり、揚句に死人が出ているワクチンを打たせるのか!』

で、当の世のおじいちゃん、おばあちゃん、大半の方は、自分たちへのリスクのために孫たちの青春、下手をすれば命までを犠牲になんかして欲しくないと思っているでしょう、ですが、正しく報道などがなされていないからでしょうか、むしろ孫たちのために早く打たせてあげたい、と思っているのが現状のようです

最後に
本日、ワクチン接種により重篤な副反応、ひいては死亡した場合の補償について、行政に電話し、下記の通りのやり取りをしましたのでご報告します

予防接種後健康被害救済制度



小平次
『すみません…、ワクチンを接種しなきゃいけない、と思ってはいるんですが、デマなどとは別に、厚労省の発表ですと、すでに接種後556人、だったかの人が亡くなっているって…、接種券は来たんですが、どうにも家族が心配しちゃってるんですね、で、万が一の時は補償もあるとは聞いてますが、そうなんですか?』

役所の方
『はい、万一後遺症の残るような副反応、死亡、と言った場合、補償がなされます。』

小平次
『ああ、それならば少し安心ですね、あれ、でも厚労省のデータを見ると、死亡例のほとんどは因果関係について評価不能とありますけど…、ん? 関連あり、というのもわずかにありますが、コメント欄を見ますと基礎疾患等の情報が不足しており、評価不能ってなってますよね、そうしますとどうなるんですか?』

役所の方
『因果関係の証明ができないものは補償の対象になりません』

小平次
『それはそうですよね、でも、そうなりますと、ここに出ている方ほとんど…、あれ、全部かな…?ええーと、現状のままでは、これまで亡くなった方への補償は全て対象外、ってことになりますかね?』

役所の方
『個別の判断もありますが、証明できない以上、そうなります』

小平次
『なるほど、ご丁寧にありがとうございました』

『接種後の死亡例の概要(ファイザー社)』


こういうことですので、万一数年後に重篤な副反応、死亡、といったことになっても、今よりもっと因果関係が認められるようなことはないように思います

まあ、薬害について、数十年後に認められたケースもありますが…


御免!

PS 他にも紹介したい記事、言いたいこと、まだまだあります。ここでやめるわけにはいきません

※忽那 賢志 → この方が先月までお勤めしていた国立国際医療研究センター の所管行政庁は厚生労働省です

さて、実名を出し、批判をするならば自分も実名を出せ!と言う方が少なからずいます。政治家やメディアに露出するコメンテーター、専門家を批判するのに素人が実名を晒すことの必要性は全く感じませんが、一応またしばらくの間貼っておきます。

立場も違いますし、何より実名を晒すことにより発生するかもしれない実害はこの内容であれば批判相手よりもはるかに大きいと思われますので一定期間が過ぎましたら、仮名に代えさせて頂きます。

文責 沢田小平次



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いいこと言うな~ と思うのでご紹介

2021-07-09 | 社会・経済


『都内の繁華街を歩いて考えた…人心を読めない政治家たちが招いた無観客五輪、アスリートたちが政治主導にノーを突きつける時が来ている』

こんにちは
小野派一刀流免許皆伝小平次です

いいこと言うな~

と思ったので全文貼っておきます

*****以下引用

東京五輪の観客の有無をめぐって政治家や五輪関係者があれやこれやと論議をしているころ、都内の繁華街を歩いた。

 夕方の人出は通常時とほとんど変わらない。無数に立ち並ぶ居酒屋には客がちらほらと入り始め、店頭に「死んでも23時までやってます」と掲げているところもある。家賃、光熱費、従業員の給料、仕入れ、透明シールドや消毒液などの感染対策費用…。店を維持していくために、協力金だけではまかなえない飲食店は多くある。それどころか協力金の振り込みさえが4~5カ月遅れているのが当たり前。しびれを切らして都の担当部署に電話をかけても、なかなかつながらない。ようやく担当者が出たかと思えば「審査中です」のひと言で電話を切られる。「死んでも」の文字に怒りの思いが浮かび上がる。

 都が要請する「酒の提供は19時まで、閉店は20時」を張り出している店もある。だが、実際には19時に酒のラストオーダーを告げれば、その時点で大量の酒を注文する客が後を絶たなくなる。それを残り1時間で飲み干そうとイッキ飲みに近くなれば、店の秩序が崩壊しかねない。だから19時をすぎたら看板の明かりを消し、シャッターを下ろしてひっそりと営業を続ける。なじみの客に心地よい時間をすごしてもらうための苦肉の闇営業だ。

 「客は2人まで、滞在時間は90分まで」。小池百合子都知事が声高に唱えた要請は、もう話題にさえ上らない。西村康稔経済再生担当相が酒類の販売事業者に対して「政府の要請に応じず酒類の提供を続ける飲食店との取引停止を」と要請しても「言っていることがめちゃくちゃ。取引先との関係が分かっていない」と、ほとんどスルー。

 この1年半、日本はこのような人心を読めない政治家たちによって振り回されてきた。その象徴となっているのが五輪だ。招致活動時から「理念なき東京五輪」と言われたのを「東日本大震災から復興した姿を示すため」と無理やり取り繕い、それがいつの間にか「コロナに打ち勝った証を示す」に変わり、東京など一都三県での無観客開催が決まった今となってはこのスローガンさえが崩れさった。米大リーグ、サッカーなど欧米のスポーツが競技場に観客を入れ、熱狂に包まれて試合を行っている中で、無観客の五輪に世界が向ける目は「負けた証」となるはずだ。

 7日には、8月に茨城県で開催する予定だった音楽イベント、ロック・イン・ジャパン・フェスティバルの中止も決まった。感染対策を徹底して準備を続けてきた主催者はもちろん、このフェスをきっかけに大きく飛躍しようとしていたアーティストたちにとってもショックは計り知れない。それなのに、なぜ五輪だけは強引に開催しようとするのか。ミュージシャンたちから怒りの声が相次ぐ中で、8日に菅義偉首相は言う。

「安心安全な大会を成功させ、未来を生きる子どもたちに夢と希望を与える歴史的な大会を実現したいと思います」

 飲食店などを困窮させ、子どもたちの運動会や修学旅行も中止となり、アーティストをはじめ多くの人の夢と希望を奪い、それでも開催しようとする五輪は誰のための「安心安全」なのか。矛盾に矛盾を塗り重ねた結果がこのような事態を招いたにもかかわらず、なお表面的な言葉だけで乗り切ろうとしている限り、負のスパイラル=悪循環から抜け出せる時は来ないだろう。

 そもそもの始まりは昨年3月、選手代表であるはずの日本オリンピック委員会(JOC)山下泰裕会長を国際オリンピック委員会(IOC)バッハ会長と協議する場から外し、当時の安倍晋三首相や小池都知事らだけで東京五輪の1年延期を決めたことだった。アスリート・ファーストが消え去り政治ファーストとなったことは、政治の排除を理念とする五輪で大きな矛盾を生み出した。

 これは誰のための五輪なのか。開幕まで2週間を切ろうとしている今、このままでは選手たちは矛盾が渦巻く中で競技場に立たざるを得ない。負のスパイラルを断ち切るために、アスリートたちが政治主導にノーを突きつける声を上げる時が来ているのではないだろうか。そのことが、この五輪の唯一の救いとなるかもしれない。

 ◆ヘンリー鈴木(鈴木遍理) 東京中日スポーツ報道部長、東京新聞運動部長、同論説委員などを経て現東京中日スポーツ編集委員。これまで中日ドラゴンズ、東京ヤクルトスワローズ、大リーグ、名古屋グランパス、ゴルフ、五輪などを担当。



ちなみに小平次は、オリンピック、やるならば観客を入れて大々的に盛り上がるべきだ、と思っています
だってこんな状態で無観客なんて意味ないでしょ
        
「オリンピック関係者」と「特段の事情入国者」

リンク先の『テレビとうさん』さんは、これまで小平次が言ってきたようなことを、実に科学的に検証して下さっています

今のコロナ対策が理にかなった専門家たちの激論の末に行われている、と思っている人がいらしたら、ぜひ、テレビとうさんさんのブログをご覧ください

テレビとうさんさん、ちょっとMっ気を出されて、多くの反論、批判を寄せて欲しい、とおっしゃっていますので(笑)

上記記事の赤字部分、「客は2人まで、滞在時間は90分まで」。小池百合子都知事が声高に唱えた要請は、もう話題にさえ上らない。西村康稔経済再生担当相が酒類の販売事業者に対して「政府の要請に応じず酒類の提供を続ける飲食店との取引停止を」と要請しても「言っていることがめちゃくちゃ。取引先との関係が分かっていない」と、ほとんどスルー。

いずれ記事で書きたいと思っていますが、この姿こそ、江戸時代、大多数を占めた農民、本来の日本人の姿と重なります

『土地を売ってはいけない』

と、お上より〇〇の令、なんてものが出てるにも関わらず、古い古民家から土地の売買契約や、売買にまつわるトラブルの記録、などの古文書がたくさん出てきています。ご丁寧に禁止する側の役人の公証人としての署名入りのものまで…

『質素倹約に努め、祭りなどを禁止』

と言われているのに祭り実行許可など、その他もろもろ、見つかっています やっぱり役人の署名入りで…

『検地に来た役人』が、ろくすっぽ測量もせず日々接待を受け飲んだくれていたのを名主が訴え、クビにさせた記録なども…

このようなことから垣間見える、われわれのご先祖様の一般市民は、おかしな法律なんか無視、仕事をしない役人なんかに従わない、とにかく元気でしたね~

上記記事の飲食店の姿が正しい!

と思う理由は、これまで公的な数字やデータを示し述べてきましたので、異論、反論のある方、あとは『テレビとうさん』さんに言ってください



御免!




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インド放浪 本能の空腹33 インド博物館

2021-07-05 | インド放浪 本能の空腹


30年近く前、私のインド一人旅、当時つけていた日記を元にお送りしております。

前回バブーやロメオ、K君、とともに充実した時間を過ごしたプリーを後にし、再びカルカッタ、サダルストリートへ戻ってきた、というところまででした。

つづきをどうぞ


********************************

 おれがプリーからカルカッタへ戻ってから数日が経っていた。最初に来た時の衝撃、手のない人、足のない人、指が全部溶けてなくなっている人、目がくぼんで小さな白目だけの少年、両足を根元から失い、手製のスケートボードに乗り『マネー、』と手を出してきた老人、その他多くのポン引き、そんな凄まじい衝撃、夜のサダルストリートでビビりまくり、動けなくなり、詐欺師のラームに引っかかり、15万円もの高い買い物をする羽目になった。そして逃げるようにプリーへ旅立った。
 

 相変わらずポン引きも物乞いもたくさんいる。ホテルを出てサダルストリートに出ればすぐにワラワラと数人に囲まれる。物乞いは前と変わらず、手のない人足のない人が大勢いたが、声をかけて来るポン引きは来たばかりの時とは違う類のやつらに変わっていた。

 当初は、お上りさん感丸出しのおれに寄ってくるのは『ホテルの案内』か、『高級品の買い物』といった連中が中心だったが、おれの風貌も発するオーラも、インドに旅慣れてきた空気を醸していたのか…、

Hi、Japanee、drug? ガーンチャ?(マリファナ)
Hi、Japanee、オンナ? オンナ?
Hi、Japanee、US Dollrs change? Japanese Yen change?

と、少しばかりいかがわしげな奴らばかりから声をかけられるようになっていた。

No thank you!!
 

 おれは強い口調でその一点張り、それでもつきまとってくる奴には…、

うるせーな!! しつこいぞ! あっちに行け!!

と日本語でどやしつける、そうすると大概は…、

Ooooh…

と言って去って行く。プリーでバップーのような不良と渡り合った成果だ。

『インド博物館』

 は、サダルストリートが大通りとぶつかる角にある大きな博物館だ。
 
 ある日のこと、おれはインド博物館を訪れた。この日で3度目だ。

 インド博物館はなにしろ大きい、一度には見つくせない、膨大な展示物が置いてあるのだ。インドに生息する動植物、昆虫類の化石、骨格像、はく製、ホルマリン漬け、その他古代遺跡の神々の彫刻だとか壁の装飾、絵画、だの、その物量に圧倒される。そしてそれらが決して見やすいようには展示されていない、雑然と並んでいるのだ。建設されたのは19世紀初頭、いずれにせよ、その物量は、まさに植民地時代、イギリスがこの大地でどれだけ好き勝手に振る舞っていたか、それを物語っているように思えた。

 この博物館を訪れ、もっとも『インドらしい』と思えるのは、アンモナイトの化石のようなものが、ベランダ状の廊下にゴロゴロと転がっていることだ。古い遺跡の柱のようなものも転がっている、そう、転がっているのだ、展示されされているのではない。それがいかにも『インドらしい』のだ。

インド博物館中庭

 おれはインド博物館を出て、歩く。サダルストリートとぶつかる大通りと反対側の通りは、せまいながらも大変な人、人、人、車、車、車、リクシャ、リクシャ、リクシャ、けたたましいクラクション、大音量のインド音楽、むせ返るように薫るスパイスと油を中心に、人や犬の息、車の排気ガス、それらの全てが入り混じり、ごったがえしているような通りだ。

 一件の古本屋を見つけ、中へ入る。隅の方の棚に日本語の本が数冊置いてある、日本人旅行者がおいていったのであろう。

 その中にあった3冊の文庫本を手に取る。

 サン・テグジュペリの
『夜間飛行』

 フレデリック・フォーサイスの
『悪魔の選択・上、下』

 この大都会では、プリーの時のように友達はなかなかできないだろう、こういったお供がなければ長くはいられない、おれはその3冊を買ってホテルに戻った。

 部屋に入り、バッグから油絵用の小さなキャンバスと絵具、その他、筆などの画材道具を取り出し、絵を描く準備を始める。

『油絵』

 を描いたことなど、ただの一度もないのだが。

 水彩画については、少年のころ、行きたくもなかったが、絵画教室に『通わされて』いたことはあった。ある時、その教室の子どもたちの絵を、二科展に出品するために、皆一様にダイヤル式の黒電話の絵を描かされたことがあった。同じ小学校に通う友人たちは明らかにおれよりも上手にそれを描いた。そのせいだったのか、皆が黒電話の絵を出品したのに、おれだけが野外写生の時に描いた新築アパートの絵が出品された。そして、なぜかおれのその絵が入選、賞状をもらった。

 その絵が新宿のデパートに飾られることになり、母親と近所の子供数名とその母親たち、で、ロマンスカーに乗り見に行った。このことをもって、おれに絵心があったのかどうかはわからない。

 音楽はずっとやって来たが、絵画は中学卒業後まったくやっていない、マンガ程度のものは好きでよく描いていたが、もちろん油絵などやったことがない。にもかかわらず、おれはインドへ旅立つ直前、友人の画家の卵に付き合ってもらい、最低限の画材道具を揃え、インドへ持って来ていた。

 わからない、わからない、何がそうさせたのかはわからない。

 ただ、インドを旅することで、何か漠然と、おれの内にある何か、きっと溜まって溜まって破裂しそうになっているであろう何か、それを吐き出さざるを得なくなるだろう、そんなことを考えていたかもしれない、いや、感じていたのかもしれない、やったことのない油絵、無垢だからこそ、余計なことに惑わされず、小さなキャンバスに叩きつけられるかもしれない、きっとそんな風に思っていたのだろう。

 せまい部屋で小さなキャンバスと向き合う。

『ペイパー、ペイパー、ペイパー、ドゥン』
『ペイパー、ペイパー、ペイパー、ドゥン』

 薄っぺらいドアの向こうにトイレットペーパー売りの声が響く。

 しばらくキャンバスと向き合ったが、何か描く気は起らない。

 今のところ、何も吐き出せるものはないようだ。

 おれは、角の酒屋で買ったウイスキーの小瓶を呷り、『夜間飛行』を手に取り横になる。

 何も吐き出せるものはない、それでもカルカッタへ戻り数日、おれの中で何かが変わり始めていた、だが、それにおれが気づくのはまだ先のことである。


つづく****************************

記事本文にもあるように、このころから私の中で何かが変わりはじめます。それを日記からの文章で表現し切れるかどうかわかりませんが、お付き合いいただければ幸いです。

※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。引用元のない画像はフリー画像で、本文とは関係のないイメージ画像の場合もあります。


コメント (2)
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