さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

日本書記 神功皇后紀を読んでみる 番外編

2021-12-23 | 日本書紀を読んでみる



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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

ちょっと年末、また忙しくなりまして、書きたいことはあるんですが時間がなく、過去記事(2019年6月)を少し加筆訂正して再掲載します


ずっと更新をサボってしまっているシリーズですが…

『日本書紀 神功皇后紀を読んでみる』

久々に読んでみる、のではなく本日は番外編

番外編として少し余談


第十五代天皇

応神天皇

以前の記事でも少し詳しく書きましたが、朝鮮の史書、百済本紀などの百済王の薨去、即位などの記述と呼応する記事が日本書紀にもみつけることができます

それらの外国の史書にある複数の事件の年代と、日本書紀の応神天皇紀にある同一事件の記述の年代との一致から、応神天皇のご即位は西暦390年である、とおそらくは高い確率で断定できるのではないかという論を、小平次は支持しております

もしそうであれば、母君であらせられた神功皇后の執政期間はその直前となり、古事記崩年干支から神功皇后の夫であらせられた仲哀天皇のご崩御が362年と推測され、その翌年からが神功皇后の執政開始となれば、外国の史書、新羅本紀に記される、西暦364年(363年?)の『倭軍が大挙してやってきた』というような記述こそが、神功皇后の第一回新羅征討なのかもしれません

古代史は本当に妄想が膨らみます


さて、余談の本題

全国に数多ある『八幡宮』と呼ばれる神社

祀られる八幡神は応神天皇と言われ、母君の神功皇后もご一緒に祀られていることが多いのです

その八幡さまの総本山が、大分県宇佐市にある

『宇佐神宮』



2、3年前、小平次はこの宇佐神宮を参拝する機会に恵まれまして、小平次にとって日本史のスーパースターにしてスーパーヒロイン、神功皇后をお祀りするその総本山を参拝できる、とてもありがたいことでした

そのとき、たくさんの写真を撮ったのですが、何かわけのわからない操作をしたのか、スマホの機種変更をした時に無くなってしまいました

なので、借り物の画像で…



境内は中々に広く、荘厳、と言う言葉がとてもしっくりきます

参道の茶屋、土産屋は神社の規模からしたらこじんまりとしてちょっとレトロな感じです




ありがたく参拝させて頂き、境内を歩いておりますと、観光客は平日ということもあり、さほどではなかったのですが、そこかしこで聞こえる韓国語

韓国人観光客が多いようです

大分と言えば、日本有数の温泉地、湯布院、別府などなど

大分空港には韓国からの直行便もあり、距離も近いですから割と気軽に韓国の方も来られるのかもしれません

すれ違いざまに聴こえる楽しそうな韓国語の会話…


小平次は思わず、苦笑、というか微笑んでしまうというか…

心の中でつぶやきます

『おひおひ、あなたたちはここにお祀りされているのがどなたかご存知なのか、ここにお祀りされいているのは、のちに朝鮮半島を統一することとなる強国、新羅、その新羅へ、雄々しく男装し、軍を率い、海を越え攻め入り、新羅国王を跪かせ朝貢を約束させた大和の美しき女帝 おきながたらしひめのみこと、神功皇后であらせられるぞ… 』


きっと

知らなかったんでしょうね

だって豊臣秀吉のことは大っ嫌いなわけでしょう?

そうすると、新羅国王を跪かせ、朝貢を約束をさせた女帝なんて、とっても憎たらしいんじゃないんでしょうか


それとも知ってたけどさほど気にはしてないんですかね


言われているほど一般の韓国人は日本が嫌いじゃありません



御免!




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日本書紀 神功皇后紀を読んでみる12

2018-05-07 | 日本書紀を読んでみる



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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です


本日は久々、日本書紀 神功皇后紀を読んでみる、をお送りいたします

久々なので簡単に前説を

先日、テレビで(ちょろっとしか見ていないのですが)日本史の西暦でいうところの300年代を取り上げ

『空白の4世紀』

と言っておりました

日本の歴史学会のなかにも、この時代を『空白の4世紀』と評する学者さんがいるようです

なぜ

『空白?』

それは大陸の史書、特に支那王朝の記録に魏志倭人伝の日御子さま以降、倭の五王の時代のあたりまで、日本のことが出てこないからです

支那王朝の記録に出てこないからわからないというのです

わからないから空白だというのです

つまり、支那王朝の記録以外、歴史的価値を認めず、わからないまま放置しているのです

支那王朝以外の記録にはちゃんと出てきておりますし、なにより日本書紀にはしっかりと書かれているのです(紀年に関し干支を二順させたりしておりますが)

以前にも申し上げましたが、朝鮮の史書百済本記に記録されている複数の事件と、日本書紀に記録されている同一事件の年数の一致から、神功皇后の皇太子であらせられた応神天皇のご即位が西暦390年であるということがわかっております

そうなれば母君であらせられた神功皇后の執政期間は自ずとその前、ということになり、また真福寺本「古事記」の分注崩年干支から夫であらせられた仲哀天皇の崩年が362年、その翌年からが皇后の執政開始と推測されます

朝鮮の史書、新羅本記には、西暦364年、倭軍が大挙して海路よりやってきたというような記述があり、そうなりますと、この364年の倭軍による侵攻が神功皇后の新羅征伐である可能性が高いということです

決して

『空白』

などではないのです

さて、前回はいよいよ新羅に向け神功皇后の率いる『日本軍』が半島、新羅をめざし出航したところまででした

続きです

原文

冬十月己亥朔辛丑 從和珥津發之 時飛廉起風 陽侯擧浪 海中大魚 悉浮扶船 則大風順吹 帆舶隨波 不勞楫 便到新羅 時隨船潮浪 遠逮國中 即知 天神地祇悉助歟 新羅王 於是 戰戰慄慄厝身無所 則集諸人曰 新羅之建國以來 未甞聞海水凌國 若天運盡之 國爲海乎 是言未訖間 船師滿海 旌旗耀日 鼓吹起聲 山川悉振 新羅王遥望以爲 非常之兵 將滅己國 讋焉失志


訳文

 冬十月三日、和珥津(上対馬町鰐浦)から出発された。そのとき、飛廉(風の神)は風を起こし、陽侯(波の神)は波を挙げ、海の中の大魚は全て浮かんで船を助けた。
順調に追い風が吹き、帆船は潮流にのり進んだ。舵も櫂も使うことなく、すぐに新羅に着いた。
そのとき船を乗せた大波が国の中深くまで及んだ。すぐに知った。これは天の神、国の神が(神功皇后を)お助けになっているのだと。
新羅王は戦慄し、怖気づき、どうしてよいのかわからなくなった。すぐに多くの人を集め新羅王は言った。

『新羅建国以来、これまで海の水が国の中まで上ってきたことがあろうか、天運も尽き、国が海となるというのか』

その言葉もまだ終わらないうちに、軍船が海に満ち、軍旗は日に輝き、鼓笛の音は山川に鳴り響き震えた。

 新羅王は遥かに眺め、

『思いもよらぬ強兵が我が国を滅ぼそうしている』

そう思い狼狽え、なお怖気づいた。



さて、この後も、新羅本記には幾度となく『倭軍の侵攻』に悩まされたという記述を見つけることができます

高句麗の有名な石碑にも新羅国内に『倭軍が満ち満ちて…』という記述を見つけることができます

なぜ日本はそんなにも新羅を攻めたのでしょう

また、軍事力は圧倒的に日本の方が上であったように推測できますが、それでも決して新羅を滅ぼすまではしない

どういう意図があったのでしょう

日本書紀、神功皇后紀にある

『神託を受け宝の国を目指した…』

これはどういう意味なのでしょう

古代史を妄想するのはとても楽しいことです

ではまた次回


御免!


対馬から釜山を眺む
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日本書紀 神功皇后紀を読んでみる11

2017-09-17 | 日本書紀を読んでみる


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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です


今回は、少し間があいてしまいましたが、神功皇后紀を読んでみる11をお送りいたします


前回は

『 「敵が少なくとも侮ってはならぬ!、敵が多くてもくじけてはならぬ!暴力を振るい婦女を犯すようなことを許してはならぬ!自分から降伏する者を殺してはならぬ!戦いに勝てば、必ず賞がある。背走する者には罪がある」 』

と、美しき男装の神功皇后が、新羅出兵直前、兵士の前で檄をとばされる、なかなかにかっこいいシーンまででした

それ以前のあらすじについては、よろしければプロローグがからお読みいただければ幸いです


さて、続きです

『原文』


『既而神有誨曰 和魂服王身而守壽命 荒魂爲先鋒而導師船 和魂此云珥岐瀰多摩 荒魂此云阿邏瀰多摩 即得神敎而拜禮之 因以依網吾彦男垂見爲祭神主 于時也 適當皇后之開胎 皇后則取石插腰 而祈之曰 事竟還日産於玆土 其石今在于伊覩縣道邊 既而則撝荒魂爲軍先鋒 請和魂爲王船鎭』



『訳文』


『神の教えがあった。
「和魂(にぎみたま)は王の身(神功皇后)、命を守り、荒魂(あらみたま)は先鋒として軍船を導くだろう」 その神の教えを頂いてすぐに皇后は拝礼された。そして依網吾彦男垂見(よさみのあびこおたるみ)を祭の神主とした。時がたまたま皇后の臨月であった。皇后はすぐに石を取って腰にはさみ、お祈りして言われた。
「事が終わり還る日に、ここで産まれてほしい」
その石は今、伊都縣(いとのあがた:筑前国怡土郡)の道のほとりにある。 こうして荒魂をお招きし、軍の先鋒として、和魂をお呼びし、王船のお守りとされた。』




感想

さて、御腰に石を巻かれ、出産を遅らせたという故事
これにちなみ、京都の月読神社では安産祈願のお参りが今も盛んです



神功皇后が腰にあてられたと言われる月延石と安産祈願の祈願石




御免!


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日本書紀を読んでみる 神功皇后紀10

2017-07-10 | 日本書紀を読んでみる


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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です


本日は

『日本書紀を読んでみる 神功皇后紀10』

をおおくりいたします


前回、新羅への出兵を群臣たちに諮り

『船団を整えて、宝の国へ臨む。もし、事が成れば、群臣は共に功績があったということにる。もし事が成らなかったら、それは自分一人の罪である。すでにこの覚悟である』

と雄々しくもおっしゃった おきながたらしひめのみこと・神功皇后でした

さていよいよ新羅との開戦前夜? さっそく続きです


それまでのあらすじはプロローグからパート9までをお読みいただければ幸いです


『原文』

『秋九月庚午朔己卯 令諸國集船舶練兵甲 時軍卒難集 皇后曰 必神心焉 則立大三輪社 以奉刀矛矣 軍衆自聚 於是 使吾瓮海人烏摩呂 出於西海 令察有國耶 還曰 國不見也 又遣磯鹿海人名草而令視 數日還之曰 西北有山 帶雲横絚 蓋有國乎 爰卜吉日 而臨發有日 時皇后親執斧鉞 令三軍曰 金鼓無節 旌旗錯亂 則士卒不整 貪財多欲 懷私内顧 必爲敵所虜 其敵少而勿輕 敵強而無屈 則姧暴勿聽 自服勿殺 遂戰勝者必有賞 背走者自有罪』


『訳文』

『秋9月10日、諸国に命令して、船舶を集めて兵を精練した。そのときに軍卒が集まりにくかった。皇后はおっしゃった。

「これは神の御心なのだろう」

すぐに大三輪の神社をたて、刀、矛(たちとほこ)を奉られた。そうすると軍兵が自然と集まった。
 吾瓮海人烏摩呂(あへのあまおまろ)という者を派遣し、西の海に出て、国があるかと偵察させた。吾瓮海人烏摩呂(あへのあまおまろ)は帰還して言った。

「国は見えませんでした」

 又、磯鹿海人(しかのあま)で名を「草」(くさ)という者をを派遣して偵察させた。何日か経って帰ってくると

「西北に山があり、大きな雲が横たわっています、きっと国があるのだと思われます」

 そこで吉日を占ったところ、出陣のときまでまだ日があった。そのとき皇后は自ら斧鉞(おのまさかり)をとり、三軍に令して言われた。

「士気を高める鉦鼓の音が乱れ、軍旗が乱れるようならば、士卒(兵)は整わないだろう。財(たから)を貪り、物欲、私欲、自己のことばかりに心を奪われていれば、きっと敵に捕えられるだろう。敵が少なくとも侮ってはならぬ!、敵が多くてもくじけてはならぬ!暴力を振るい婦女を犯すようなことを許してはならぬ!自分から降伏する者を殺してはならぬ!戦いに勝てば、必ず賞がある。背走する者には罪がある」 』




おおお、なんとかっこいいシーンでしょうか

小平次はこのシーンが一番好きです

美しき男装のおきながたらしひめのみこと・神功皇后が、御自ら軍兵に向かい檄をとばされる

敵が多くとも…の下り、ほんとかっこいいですね

さて日本書紀ではこの新羅出兵の理由を、神々の命により宝の国を求めるため、としていますが、実際のところはどうだったのでしょう

日本書紀を読む限り、西の宝の国があるかないか等々、夫の仲哀天皇も神功皇后も、まるで海の向こうの新羅などという国を知らない感じで書かれておりますが、そんなことはあろうはずもなく、なにかしらの政治的、軍事的要請にもとづく出兵であったのでしょう

以前お話ししました、こののちの応神天皇のご即位年から神功皇后の執政期間は4世紀半ば過ぎから末にかけてと推測され、朝鮮側の史書、新羅本紀などに、この時代、たびたびの倭軍の侵攻があったことが記録されておりますので、単なる伝説、神話の世界で片づけることもできないと思います

小平次は、新羅出兵の前に征討した熊襲(くまそ)と新羅の関係等々に妄想が働いております


それはまたいずれ妄想的歴史探訪の方で

 



御免!

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日本書紀 神功皇后紀を読んでみる 9

2017-05-15 | 日本書紀を読んでみる



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こんにちは、小野派一刀流免許皆伝小平次です


本日は

『日本書紀 神功皇后紀を読んでみる 9』

をお送りいたします


前回までのあらすじ

といきたいのですが、そろそろお話も少しすすんできまして、前回までのあらすじをご紹介しますと、それだけで結構な字数になってしまいます

よろしければ『日本書紀 神功皇后紀を読んでみる プロローグ』から前回の『日本書紀 神功皇后紀を読んでみる 8』までをお読みいただければ幸いに存じます


ということで、さらっと前回のあらすじだけおさらいしてみます

西国(新羅)の征討をご決意なされた『おきながたらしひめのみこと(神功皇后)』は、海水で髪をそそがれ、二つに分かれた髪をみずら(古代男子の髪型)に結い上げ、そのご決意を群臣に語ろうされたところまででした


では続きです


『原文』 一部現代字使用

『夫興師動衆 國之大事 安危成敗 必在於斯 今有所征伐 以事付群臣 若事不成者 罪有於群臣 是甚傷焉 吾婦女之 加以不肖 然暫假男貌 強起雄略 上蒙神祗之靈 下藉群臣之助 振兵甲而度嶮浪 整艫船以求財土 若事成者 群臣共有功 事不就者 吾獨有罪 既有此意 其共議之 群臣皆曰 皇后爲天下 計所以安宗廟社稷 且罪不及于臣下 頓首奉詔』



『訳文』

『 皇后は 「 軍を起こして、衆を動かすのは国の大事である。国の安危も成敗も(勝つか負けるか、国が滅ぶか栄えるか)もここにかかっている、今、討たねばならぬところがある。群臣たちにゆだねよう。もしも事がならなかったのであれば、それは群臣の罪となってしまう。しかしこれはとても辛いことである。わたしは女で、なおまた未熟である。しかし、しばらく男の姿やつして、強いて雄々しく戦略をたてよう。上は神祇の霊威を被り、下は群臣の助けを借り、兵甲(軍、兵)を興して高い波を渡り、船団を整えて、宝の国へ臨む。もし、事が成れば、群臣はと共に功績があったということにる。もし事が成らなかったら、それは自分一人の罪である。すでにこの覚悟であるゆえ、皆でよく話し合うのだ。 」と言われた。
 
群臣は皆でこたえた。

「 皇后は天下のため、国家のため、安泰であるよう計っておられます。敗れて罪が臣下に及ぶようなことはありますまい。慎んで詔を承ります 」 』


簡単解説


小平次としましては、この後の出兵のシーンも好きですが、ここも好きですね~

美しき男装のおきながたらしひめのみこと・神功皇后が

『もし事が成らなかったら、それは自分一人の罪である!』

いやあ、カッコよすぎます!

妄想が膨らみ、とどまるところをしりません!




人のせいにばかりして生きている自分を思いますと、とほほ…、ですが



御免!


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日本書紀 神功皇后紀を読んでみる 8

2017-04-15 | 日本書紀を読んでみる


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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です


本日は

日本書紀 神功皇后紀を読んでみる 8

をお送りいたします


前回までのおさらいを軽く


おさないころから叡智聡明、大変にお美しい方でいらした『おきながたらしひめのみこと』神功皇后は、夫の仲哀天皇が神々の言葉に従わず、若くして急死なされたことに心を痛め、自ら神主となり神々のことばを聞き、西の宝の国を目指すことを決意なされました。

そこでまず、大和に従わない長年の宿敵、九州の熊襲(くまそ)の征討に向かわれ、鳥人『羽白熊鷲』や、土蜘蛛一味の魔女王『たぶらつひめ』を討ち取りました

次に『おきながたらしひめのみこと』神功皇后は、西の宝の国を求める、ということの成就を占うため、川で釣りをなされました

そして、もしことが成るなら『河のさかなよ!針を食え!』とおっしゃったところ、見事な鮎が釣れ、神々の言葉が正しいことを確信され、西国征討の決意をあらたにされました

そこで神田を定められ、水路を引こうとしたところ、大きな岩に阻まれますが、祈りをささげられたところ急に雷が激しく鳴り(雷電霹靂)、大岩を砕き、水路を通しました

その水路は『裂田溝(さくたのうなで』と呼ばれ、今も福岡の地に残っている、というところまででした


さて、では早速続きです


『原文』

皇后還詣橿日浦 解髮臨海曰 吾被神祗之敎 頼皇祖之靈 浮渉滄海 躬欲西征 是以 令頭滌海水 若有驗者 髮自分爲兩 即入海洗之 髮自分也 皇后便結分髮而爲髻 因以謂群臣曰

『訳文』

皇后は香椎宮(かしいのみや)にお帰りになられ、髪を解いて海に臨んで言われた

『私は神祇の教えを受けて、皇祖の霊を頼って、滄(あお)き海を渡り、自ら西の国を討とうと思います そこで頭を海水ですすぎます もし、霊験があるならば、髪がひとりで二つに分かれますように』

それで海に入って洗うと、髪は自然と分かれた。皇后はすぐに分かれた髪をそれぞれ結い上げ鬟(みずら)にされた。そして群臣たちに向かって言われた



簡単解説

いよいよ新羅出兵直前でありますね

ちなみに『みずら』は古代の男子の髪型

こんな感じ



でも美しき神功皇后が御自ら男子の髪型に結い上げ、群臣たちに向かっておことばを発せられるというなかなかにカッコいいシーンですので、こんな風な髪型を妄想してみましょう




神功皇后が髪をすすがれた地と言われる御島神社の動画


御免!

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日本書紀 神功皇后紀を読んでみる 7

2017-03-21 | 日本書紀を読んでみる


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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

本日は

『日本書紀 神功皇后紀を読んでみる 7』

をお送りいたします

『おさらい』

幼いころから叡智聡明、大変にお美しい方でいらした『おきながたらしひめのみこと』神功皇后は、夫の仲哀天皇が神々の言葉に従わず、若くして急死なされたことに心を痛め、自ら神主となり神々のことばを聞き、西の宝の国を目指すことを決意なされました。

そこでまず、大和に従わない長年の宿敵、九州の熊襲(くまそ)の征討に向かわれ、鳥人『羽白熊鷲』や、土蜘蛛一味の魔女王『たぶらつひめ』を討ち取りました

次に『おきながたらしひめのみこと』神功皇后は、西の宝の国を求める、ということの成就を占うため、川で釣りをなされました

そして、もしことが成るなら『河のさかなよ!針を食え!』と神功皇后がおっしゃったところ、見事な鮎が釣れた…

というところまででした


では早速続きを見てみましょう


『原文』一部現代字使用

『既而皇后 則識神教有驗 更祭祀神祗 躬欲西征 爰定神田而佃之 時引儺河水 欲潤神田而掘溝 及于迹驚岡 大磐塞之 不得穿溝 皇后召武內宿禰 捧劒鏡令禱祈神祗而求通溝 則當時 雷電霹靂 蹴裂其磐 令通水 故時人號其溝曰裂田溝也』


『訳文』

『皇后は神の教えの正しいことを知り、さらに神祇を祭り、自ら西の国をを討とうと思われた。そこで神田(神に供える稲を作る田・みとしろ)を定めた。そのときに儺の河(那珂川・福岡県筑紫郡)の水を引いて、神田を潤そうと思われ、溝(うなで・用水路)を掘られた。うなでが迹驚岡(とどろきのおか)まで及ぶと、大岩がふさがっており、うなでを通すことができなかった。皇后は武内宿禰(たけしうちのすくね)を召して、剣と鏡を捧げて神祇に祈りをさせられ、うなでを通したいと求められた。するとその時、急に雷が激しく鳴り(雷電霹靂)、その岩を踏み裂いて、水を通じさせた。それで時の人はその溝を名付けて裂田溝(さくたのうなで)と言った』


簡単解説


いよいよ新羅出兵が近付いてきた、ってシーンですね

さて、この時に神功皇后が作られた『裂田溝(さくたのうなで)』ですが、実は今も福岡県筑紫郡那珂川町に、日本最古の農業用水路として現存しています




裂田溝・動画



御免!
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日本書紀 神功皇后紀を読んでみる 6

2017-02-27 | 日本書紀を読んでみる


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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です


本日は神功皇后紀を読んでみる 6をお送りいたします


前回までの簡単なおさらい

幼いころから叡智聡明、かつ大変に美しい方でいらしたおきながたらしひめのみこと(神功皇后)は、夫の仲哀天皇の崩御後、御自ら神々の言葉を聞き、西の国を目指しました

その一貫上、九州の熊襲征伐に向かいます。そこで『鳥人・羽白熊鷲(はしろくまわし』や、『土蜘蛛一味の魔女王田油津媛(たぶらつひめ)』と対決し、これを討ち取った


というところまででした

では早速続きです


『原文』

『夏四月壬寅朔甲辰 北到火前國松浦縣 而進食於玉嶋里小河之側 於是 皇后勾針爲鉤 取粒爲餌 抽取裳縷爲緡 登河中石上 而投鉤祈之曰 朕西欲求財國 若有成事者 河魚飮鉤 因以擧竿 乃獲細鱗魚 時皇后曰 希見物也 希見 此云梅豆邏志 故時人號其處 曰梅豆羅國 今謂松浦訛焉 是以 其國女人 毎當四月上旬 以鉤投河中 捕年魚 於今不絶 唯男夫雖釣 以不能獲魚』



『訳文』

『夏四月三日。北の火前国(ひのみちのくちのくに=肥前国)の松浦県(まつらのあがた=現在の佐賀県唐津市付近?)に行って玉嶋里(たましまのさと)の小川のほとりで食事をされた。そこで皇后は針を曲げて釣り針をつくり、米粒を取って餌にして、裳(衣服)の糸を取って釣り糸にして、河の中の石の上に登り釣り針を投げて、神意を占おうと祈って言った。

「わたしは西の方の財(たから)の国を求めようと思っています。もしも事を成せるのであれば、河の魚よ、釣り針を食うのだ!」

そして竿をあげられたところ、鮎が釣れた。そこで皇后は言われた。

「これは珍しい魚だ」

“希見”は梅豆邏志(めずらし)と読む。そのため時の人はそこを名付けて梅豆羅国(めずらのくに)といった。今『松浦』というのはそれが訛ったものである。

それでその国の女の人は四月の上旬になると、針を川面に垂れて年魚(あゆ)を捕るということが今も絶えない。ただし、男は釣っても魚を獲ることができない。』


簡単解説

面白いシーンですね

鮎なんておそらくはそれまでも普通に日本人は食していたはずで、神宮皇后が「珍しい魚だ」というのはなんとも解せません

まあそれは置いといて、皇祖神天照大神さま(日御子さま)は女性であり、歴代天皇皇后の中でも祭神として祀られている神社の数が最も多いのが、女性である神功皇后です

前回ご紹介した、長年の宿敵であったであろう九州の勢力、その親玉が田油津媛(たぶらつひめ)と、また女性です

このシーンでも鮎を獲ることができるのは女性のみ

我が国日本がいかに古来より女性を中心に世を育んできたのか、象徴的であるように思います


さて、神功皇后が、この時鮎を釣る際に台座にされたと言われる石

『垂綸石』

が今も佐賀県唐津の玉島神社近くの「万葉垂綸公園」に残っています


垂綸石





本日はここまでで



御免!




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日本書紀 神功皇后紀を読んでみる 5

2017-02-06 | 日本書紀を読んでみる
神功皇后出陣図(廣田神社所蔵)


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です


本日は

「日本書紀 神功皇后紀を読んでみる5」

をお送りいたします

では、前回までのあらすじ

おきながたらしひめのみこと(神功皇后)

は、幼少のころから大変に美しく、叡智聡明でいらっしゃいました

仲哀天皇の皇后となられましたが、天皇が神々の言葉に従わず急死されてしまったことに心を痛め、御自ら神主となられ神々の言葉を聞き、それに従おうとなされました

そして、まずは長きにわたり大和に従わなかった九州の勢力、「熊襲」(くまそ)の征討に向かわれます

そして荷持田村(のとりたのふれ:地名)というところで略奪を繰り返していたという

空翔ける鳥人「羽白熊鷲(はしろくまわし)」

と対決し、これを討ち取った、というところまででした

では続きを読んでみましょう

「原文:一部文字修正」

『〇丙申 轉至山門縣 則誅土蜘蛛田油津媛 時 田油媛之兄夏羽 興軍而迎來 然聞其妹被誅而逃之』



「訳文」

『二十五日、(羽白熊鷲を討った「そそきの」から)移って山門県(やまとのあがた:現在の福岡県山門郡)へ行った。そこで土蜘蛛(つちぐも)の田油津媛(たぶらつひめ)を誅殺した。そのときに田油津媛(たぶらつひめ)の兄の夏羽(なつは)が軍を構えて迎撃に出たが、妹が誅殺されたことを聞いて逃走した』


簡単解説

本来、前回の記事と一緒にご紹介すれば区切りもよかったんですが、なんせ鳥人「羽白熊鷲」だとか「土蜘蛛」だとか…、触れると長くなりそうだったので区切ってご紹介いたしました

さて、この「土蜘蛛」、まるで仮面ライダーの敵の一味に出てきそうな名前です

この「土蜘蛛」だけを調べてみても大変興味深く妄想膨らむお話がたくさんあるのですが、今シリーズはできるだけ「ただ読んでみる」ことを大事にしたいと考えておりますので、さらりと触れてみます

「古事記」「日本書紀」、その他の伝承などから見る「土蜘蛛」は、基本的には天皇に従わない勢力をそう呼んでいたようです

字面も「土雲」「都知久母」等々、さまざまあるのですが、その語感から「雲」のイメージがあり、日御子さまの出雲神話などからも、「大和に従わなかった勢力」というのはしっくりくるように思います

また、古代朝鮮の言葉などとも照合していくとより面白そうな話になりますが、それはまたいずれ



「田油津媛(たぶらつひめ)」

敵の勢力の親玉らしき人が「女性」ってのもまた興味深いところです

語感からは「たぶらかす」的な「悪そうなヤツ」って感じで、大和側の蔑称のようにも思えます

日本書紀では、神功皇后があっさり田油津媛を討ち取ったように書かれておりますが、他の伝承などには、この

『古代の超スーパーヒロイン・おきながたらしひめのみこと(神功皇后)VS土蜘蛛一味の魔女王・たぶらつひめ』

の戦いは、結構な死闘となり、双方の謀(はかりごと)の応酬の末、軍師「武内宿禰(たけしうちのすくね)」の策が功を奏し、辛くも神功皇后が勝利したと伝えているものもあります


さて、魔女王「たぶらつひめ」の兄「夏羽」、名はかっこいいんですが妹の戦死を知ってさっさと逃げてしまったということで、当ブログでも深追いはせず、今日はこの辺で




ありがとうございました




御免!

※神功皇后にまつわる伝承の数は大変に多く、実は逃げた「夏羽のその後」を伝えるものもあります


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日本書紀 神功皇后紀を読んでみる 4

2017-01-11 | 日本書紀を読んでみる


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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です


本日は

「日本書紀・神功皇后紀を読んでみる」

第4回をお送りいたしたいと思います

前回までのあらすじ

幼いころから、それはそれは美しく、叡智聡明でいらした「おきながたらしひめのみこと(神功皇后)」は、夫でいらした仲哀天皇が「西の宝の国を求めよ」、という神々のおことばを無視したために、祟られ、早くに病死してしまったことに心を痛め、御自ら天皇を祟った神々のことばをお聞きになられ、それに従おうとされた

というところまででした


では、続きをご一緒に読んでみましょう


原文(文字一部常用文字に変換)

「然後遣吉備臣祖鴨別令撃熊襲國未經浹辰而自服焉且荷持田村荷持此云能登利有羽白熊鷲者其爲人強健亦身有翼能飛以高翔是以不從皇命毎略盜人民」

「戊子皇后欲撃熊鷲而自橿日宮遷于松峽宮時飄風忽起御笠墮風故時人號其處曰御笠也辛卯至層増岐野即舉兵撃羽白熊鷲而滅之謂左右曰取得熊鷲我心則安故號其處曰安也」


訳文

「その後、吉備臣の祖先である鴨別(かものわけ)を遣わして、熊襲の国を撃たせた。それからほどなくして(熊襲が)自ら服従してきた。荷持田村(のとりたのふれ:地名)に羽白熊鷲(はしろくまわし)という者があった。その人と成りは強健で、身体には翼があり、よく飛んで高く空を翔けた。皇命には従わず、常に民を掠め獲っていた」

「(三月)十七日、皇后は熊鷲(くまわし)を撃とうと思い、橿日宮(かしいのみや)から松峽宮(まつおのみや)に移られた。そのときにつむじ風がにわかに吹き、御笠(みかさ)が吹き飛ばされた。そこで時の人々はその地を御笠(ミカサ)と呼ぶようになった。二十日、に層増岐野(そそきの)に着き、すぐに兵をあげて羽白熊鷲(はしろくまわし)を撃って殺した。そしてそばに仕える者に『熊鷲を討ち取り、私の心は安らかになった』と言われた。それでその地を安(やす)と言うようになった。」



簡単解説

出てくる地名は現代の福岡県内です

日御子さまの時代から大和に従わなかったおそらくは九州の勢力

「狗奴国」

ここで言う熊襲(くまそ)との関連性ははっきりとはわかりませんが、いずれにせよ長き年月を経てようやく九州の平定に向かって来たような様子です



それにしても「翼」を持ち空高く飛翔する「羽白熊鷲(はしろくまわし)」とはナニモノなんでしょうか

まるで怪人のようです

羽白熊鷲



「古代の超スーパーヒロイン・『神功皇后』VS空翔ける鳥人・『羽白熊鷲』!」

いやいやあ!

楽しいですね!

羽白熊鷲や熊襲と大和の戦いなどについては非常に妄想膨らむお話ですが、それはまた妄想的歴史探訪の方で



まあ日本書紀には実際こんな話があるからでしょうか

戦後の多くの歴史学者は古事記・日本書紀はあくまでも神話の世界であり、歴史書としての価値を認めておりません

しかしですね、何回か申し上げましたが、小平次は以前割と熱心なクリスチャンでした

聖書にはイエス・キリストが科学的にはあり得ないような数々の奇跡を行っていることが記されています



ですが、キリスト教徒でなくとも、多くの人はそれをもってイエスが実在しなかったとは考えていないでしょう(そういう説を唱える人もいますが)

トロイの木馬にまつわる遺跡も、神話の世界と片付けてしまっていたら見つかってはいなかったわけです

古代の物語はこうしたフィクションとノンフィクションが混ざり合っているものも多いのです

何よりも神話ならば神話で、それはそれで子供たちの教育の場に取り入れていくべきだと思うのです


ではこの続きはまた


御免!
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