さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

おかしなことに気づかない人達

2024-08-30 | 社会・経済



こんにちは
小野派一刀流免許皆伝小平次です

小平次が『陰謀論者』になって久しいのですが、小平次本人は何も陰謀論を語っているとは思っていません、今起きているただの現実を述べているだけなのですが、この日本においてはどうにもこうにも少数派になっています

多数派の人たちに、少しでも少数派の声であっても『議論を尽くして和を以て貴しと為す』という心があればまだいいんですが、なんでもかんでも『陰謀論』『そんな荒唐無稽なことはあり得ない』と言って聞く耳すら持ちません

例えばコロナ、これについては騒ぎの最初の頃から小平次はおかしいと声を上げていました

何度も当ブログで言ったことなんですが、高校野球の甲子園大会が、まだコロナの死者が一桁といった段階で早々に大会を中止にしてしまったんです

広い野外球場での野球を中止にするくらいに、感染が怖いというレベルのウイルスであるならば、朝夕の満員電車も止め、市民は外出禁止、国や自治体、自衛隊などが防護服を着て食料を配給するくらいのことをしなくてはならないはずでしたが、そんなことはしませんでした

死者の数がインフルエンザに及ばなかったことははっきりしているのに、緊急事態宣言などで人々の自由を奪いました

その緊急事態宣言も、大阪府の検証ではピークアウト後に宣言が出され、緊急事態宣言が感染者の減少に影響したのではない、という検証結果が出ているのに、馬鹿の一つ覚えのようにその後もマンボウだ緊急事態だ、と繰り返されました

それでも多数派の人たちは聞く耳を持ちません

おかしいと思わないんですかね?

で、死者数がインフルエンザよりも少なかったにもかかわらず緊急承認した人口ワクチン接種が、半強制のような形で始まりました

すると今度は、ワクチン接種回数と比例するように日本の超過死亡が激増し、今も増え続けている

おかしいと思わないんですかね?

これ、陰謀論じゃないですよね?

ただの現実ですよね

さて、今年は宗主国様の大統領選挙があります

日本人にトランプさんとカマラハリスのどちらが大統領になったらいいか調査したら、圧倒的にカマラハリスがリードする結果になりました

当の宗主国様の調査では、支持率が拮抗しているのに、なんで日本人はカマラハリスの方がいいと思うんですかね?

それは、日本の報道がおもにCNN、宗主国様民主党の広告塔みたいなメディアの、さらに劣化版みたいな報道ばかりがされているので、何の根拠もなくトランプさんが大統領になると民主主義が崩壊するとか、白人至上主義の差別が横行するだとか言う人がいますが、それならなんでトランプさんは有色人種の支持がそれなりに高いんでしょうかね、なんでトランプさんの大統領時代にはミンシュカにかこつけて宗主国様が介入する戦争が起きていないんですかね?なんでロシアが近隣に軍事侵攻するような事態が起きなかったんでしょうかね?

おかしいと思わないんですかね?

ハッキリ言って情弱にもほどがあるんじゃないんですかね?

もちろん小平次だって、世界の裏で何が起きているか、なんてことは想像でしかありませんし、わかりようもありません

それでも現実に起きていること、それが起きて今がどうなっているかくらいは少しだけ時間を使って調べれば、今の時代ある程度はわかります

前に書いた『清潔なファシズムと汚れた民主主義』という記事で述べましたが、ジョージソロスなどの主導するミンシュカ運動で内戦が起き、その後ミンシュシュギのため、ジユウのため、を口実に宗主国様を初めとする西側ミンシュシュギコクが軍事介入、政権を潰し、うまく行けば入り込み様々な分野に投資しボロ儲け、その国の国民がどうなろうか知ったこっちゃない、リビアはそれまで治安もよく高福祉社会として独裁国でありながらも国民生活は安定していた、今はもうボロボロですよ、イラクも同様です

その扇動ミンシュカ運動、革命がウクライナでも起きました

数年後、ウクライナがどうなっているか、よくよく見ておきましょう

さて、そのジョージソロス、今度の大統領選ではカマラハリスを全面支援、選挙資金も提供するそうです

こういうことから何が想像できますかね?

同じようにソロスが全面支援したバイデン政権になってから、宗主国様の崩壊っぷりはすごいスピードで加速し、街によっては安ドラッグ中毒者が蔓延、治安の悪化、これは何を意味しますかね

想像してごらん?

特におじいちゃん、おばあちゃん、かわいい孫の未来のために、少し何かに疑問を持ち、そして少し調べて

想像してごらん?



御免!

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インド珍道中 インド、再び② 『出発』

2024-08-19 | 2度目のインド
(イメージ)


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

以前連載した『インド放浪・本能の空腹』、あの時のインド訪問から6年後、私は再びインドを訪れました。

会社勤めをしておりましたので、2週間ほどの短い期間でしたが、まあまあ、色々な出来事がありましたので、その時の様子をまた日記風につづって行きたいと思います

****************
 
『そうだ!インドへ行こう!』

 と決断してから、おれは親友の前橋という男に電話をかけた。前橋は学生時代からの親友で、ジャンルは違ったが、音楽の仲間でもあった。おれがやっていたのは、まあ、幅広かったが、主にボサノヴァやサンバ、といったラテンジャズ、サンタナのようなラテンロック、時にはファンク系などであった。前橋は、主にアメリカンロックや、ガットギター一本で歌うボブ・ディランのようなスタイルの音楽をやっていた。私生活においても大変世話にもなった男である。
 
 前橋は、おれがどういう理由で心を病み、苦しんでいたかも良く知ってくれていた。だからおれとしてはちゃんと報告をしなくてはいけないだろう、と思ったのである。

『よう、おれさ、前に進むために、またインドへ行くことにしたよ』

『えっ!インド!? そうかぁ…』

 おれがインドへ再び行くと聞いて、前橋が思わぬことを口にした。

『なあ、小平次、インド行くならおれも一緒に行きたいな』

『えっ!?』

『おれ、お前が前にインド行った話聞いて、おれも一度行ってみたかったんだよ、いいだろ?』

『いやだよ』

 おれは即答した。

『なんでだよ!いいじゃないか、一緒に行こうぜ!』

『いやだよ、おれは一人で行きたいんだよ、何でお前と一緒に行かなきゃいけないんだよ、行きたいなら一人で行けよ』

『いや、だってさ、おれ、一度インドへ行ってみたいとは思ってるんだけどさ、インドだろ? ちょっと怖いじゃん、一人じゃ、頼むよ』

 面倒なことになって来た。前橋という男は、外見はロックミュージシャンっぽく、パーマのかかった長髪を後ろで結び、服装などもそれっぽかった。やや反社にも見え、学生時代にはヤ〇ザからスカウトされることすらあった。態度も割と横柄で、気にくわないやつには威圧するような態度を見せることも多かった。そのくせ、こうした局面ではビビリの顔をよく見せた。

 この時より10数年前の学生時代、おれは初めての海外旅行、ヨーロッパへ行こう、と思い立ち、行きと帰りの便だけ決まっていて、その間自由に行動できるフリーツアーに申し込むことを決め、それを前橋に話した。すると前橋が言った。

『いいなあ!ヨーロッパかぁ! おれも一緒に申し込もうかな』

『何でだよ、別のツアーに申し込めよ』

『いや、だってさ、怖いじゃん、一人じゃ』

 見た目と普段の態度、歌う姿からは想像もつかないほどのビビリである。

『一緒に申し込んだとして、おれはスペインに行くけど、お前はどうするの?』

『おれは…、ヨーロッパと言えば、スイスの山々を見てみたい』

『じゃあ、最初と最後だけは一緒で、おれは主にスペイン、お前はスイス、別行動だからな』

『……、わかったよ……』

 こうしておれの初めての海外旅行は、とりあえず前橋と一緒に行くこととなった。
 
 最初の地はドイツのフランクフルト、ここで二泊する予定がツアーに組み込まれていた。ここまでは俺と前橋の他、数人の日本人旅行者と一緒だった。この頃から『卒業旅行』というような言葉が生まれ、大学などを卒業するとき、最後の記念に海外旅行をする若者が増えていた。この時の参加者も、大学2年生だったおれと前橋を除き皆この春大学を卒業するという若者であった。

 初日、早速おれと前橋はフランクフルトの街を散策してみた。ネットもスマホももちろん無い時代、当然翻訳アプリなんかもない、そんなものはまさにドラえもんの世界、想像すらできないものであった。だからおれたちは旅行用のコンパクトな六ケ国語辞典という同じオレンジ色の本を持って来ていた。

 前橋が不安そうに言う。

『なあ、ドイツ語でさ、スミマセン、とかってなんて言うのかな、英語の『Sorry』、とか『Excuse me』みたいなの、けっこう使うと思うんだよな』

『英語でいいんじゃないの?』

『いや、やっぱここはドイツだし、後でパリとか行った時も、フランス人とかって英語で話されると嫌がるとか言うじゃん、ドイツもそうなんじゃないかな』

 前橋は六ケ国語辞典を開き、ドイツ語の『Sorry』などに当たる言葉を調べ始めた。そして見つけたのが『Entschuldigung(エントシュルディグング)』と、やや日本人には難しく感じる発音のようであった。前橋は六ケ国語辞典を開き、食い入るように『Entschuldigung』を見つめながら、繰り返し『エントシュルディグング、エントシュルディグング、エントシュルディグング、エントシュルディグング』とつぶやきながら歩いていた。

 と、その時、前から歩いてきた大柄のドイツ人とぶつかってしまったのだ。まさにその瞬間、前橋の口をついて出た第一声が。。

『あ、すみません!』

 何と日本語!!その光景を見ておれは大笑いをしてしまった。

『前橋!! 今だよ、今! まさに今の瞬間にエントシュルディグングだよ!! 今のような時のために本見ながらつぶやいてて、それで人にぶつかって、なんで、あ、すみません? なんで日本語!?』

『いや、、、、なんか咄嗟に……』

 そう、前橋とはこういう男なのである。

 初日の夜は、一緒にやって来た日本人グループで食事に行った。何といってもフランクフルト、ソーセージを食いながら、ビールを飲む、楽しいひと時であった。

 翌日は、近隣に有名な古城があるとのことで、皆でその古城を見に行くことになったが、おれは一人参加をしなかった。その城に興味は無かったし、スペインではグラナダのアルハンブラ宮殿、マドリードにあるピカソのゲルニカ、を見に行きたい、それ以外は短い時間であってもその街の『日常』を体験したい、という希望が強かった。だからおれは早速単独行動を取り、スーパーに立ち寄り食品売り場などを眺めたり、実際にパンを買って食ってみたり、当てもなく市電に乗って見たり、郊外の動物園にいる白い虎を見に行ったり、そんな中で道に迷い、頑固そうなドイツじいさんに助けてもらったり、『日常』を満喫したのであった。

 二日目の夜、食事を終えたおれと前橋はホテルの部屋に戻った。いよいよ明日、前橋はスイス、おれはスペインのバルセロナに向け列車の旅を始める、ところがである。前橋が言った。

『なあ、小平次、おれさ、やっぱりおれもお前と一緒にスペインに行こうかな…』

『はあ? なんで?』

『なんかさ、やっぱり一人は不安だよ…』

『あのさ、そりゃおれだって初めての海外旅行だから、不安はあるよ、でもさ、お前はスイスの山々を見たいんだろ? おれに合わせて旅行して、こんな旅行生涯で何度もできる事じゃないと思うよ、自分が見たいもの、行きたい場所、行かなかったら後で後悔すると思うよ、絶対にスイスに行った方がいいよ!』

『うーん、そうかあ、うーん、そうだよな…。』

 大学を卒業後、前橋がギター一本で歌うライブへ何度か行った。野性味の溢れる野太く声量のある声、それでも繊細な歌詞、不覚にも涙ぐみそうになったことすらあった。この旅行に来ても、トランジットで寄った香港、フランクフルトの空港、おれは税関の荷物検査などすんなり通れたが、前橋はその外見からか、一々隅々まで調べられ長い時間質問を受ける、そんな男であったが、こういう時は本当にビビリなのである。

 それでもどうにか前橋を納得させ、おれは翌日、バルセロナへ向けて列車に乗ったのであった。



『なあ、頼むよ、インド、おれも一緒に連れてってくれよ』

『わかった、わかったよ、インドへ一緒に行こう、でも約束してくれ、旅程は全部おれが決めるし、飯をどこで食うか、どこのホテルに泊まるか、全ておれが決める、いやだったら単独行動を取ってくれ、おれは自分の決めた旅の仕方を、お前に合わせることは一切ないけど、それを約束してくれるか?』

『おう!わかったよ! 全部お前に従って旅するよ!』

 こうしておれと前橋、インド珍道中が始まることとなった。

 予定は二週間、おれは上司に有給を申請した。たまたま運もあって、営業成績で全国トップを獲っていたおれは、すんなりと休暇申請書にハンコをもらった。

 すぐにHISの横浜営業所に行き、タイ航空、バンコク経由、インディアンエアライン、カルカッタ往復のチケットを2名分購入した。

 前橋と一緒に…、想定外のこととはなったが、腕を切るまでに病んでいたおれは、人生の再出発の儀式として、いよいよ二度目のインドへ旅に出る日を迎えるのであった。




****************
こうしてヨーロッパ旅行のことを思い出しながら書いてみますと、この時も色々あったなって思います。いずれこちらの珍道中も記憶にある限り書いてみたいと思います。

インドでは、ヨーロッパ同様、親友の前橋が予想通り結構やらかしてくれます。というより、大笑いさせてくれる珍道中となりました。

 

 
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インド珍道中 インド、再び⓵ 『決断』

2024-08-01 | 2度目のインド


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

以前連載した『インド放浪・本能の空腹』、あの時から6年後、私は再びインドを訪れました。

会社勤めをしておりましたので、2週間ほどの短い期間でしたが、まあまあ、色々な出来事がありましたので、その時の様子をまた日記風につづって行きたいと思います

まずは出発までのお話


*****************

 おれは相当に病んでいた。心が。

 順風満帆に思えていた人生、それがこの時のおれには、乗り越えることがかなり難しい問題に直面していた。いや、それは本当のところ、おれが一つ、ただ一つのこと決断さえすれば解決できる問題であったが、おれの心がその決断を受入れることができずにいたのだ。

 だから相当に病んでいた。心が。

 心の病んでいる人間のその気持ちなど、病んでいない人間には理解ができず、『しっかりしろ!』だとか『お前はそんな人間じゃなかった』だのと軽く言うものだから、おれ自身も悪いのはおれだ、実際そうだったのかもしれないが、より病んでいくことになる。

 ある日、二世帯住宅で同居していたおれの母の一言でおれの中で何かが切れた。おれはクリスチャンでもあったが、数年前よりキリスト教そのものに疑念を抱き、決別していくことを決めていた。クリスチャンであること、おれのアイデンティティの大きな部分を占めていたわけで、その決別は自己否定そのものと言っても良かった。それがこの時のおれの置かれた状況と相まって、より一層心を苦しめていたのだ。

 母の一言、何だったかは覚えていない、だがおれはその一言に絶望を感じ、キッチンに向かい包丁を手に取り、自分の左腕の思い切り何度も叩いたのだ。当然血が噴き出た。自分の腕から噴き出す真っ赤な血の噴水を見て我に返った。

『何やってんだ、おれ。。』

 母が泣きながら、それでも毅然と血まみれのおれの左腕をタオルでくるみ、救急車を呼んだ。何針縫ったかは忘れたが救急病院で処置をし、数日後には普通に動かせるようになった。その傷は今もおれの左腕に刻まれている、傷口の端を押すと、今でもピリピリと痺れを感じる。

 こうなる予兆は少し前からあったのだ。ある日のオフィス、何かの書類を書いていたおれの隣の席の同僚が、右手でボールペンを上下に振りながら言った。

『あれ、インクが無くなったかな、澤田さん、ちょっとボールペン貸してくれませんか』

『ボールペン? いいよ、ちょっと待って』

 おれはボールペンを手にとろうと自分のデスクの上を眺めた。だが、ここで少し異変が起こった。

(ボールペン、ボールペン、ボール、、ペン、 ボールペン、、て、どれだ? ボールペンって、なんだ?)

 胸の鼓動が激しくなってきた。(ボールペンがなんだかわからない? いや、そんなことがあるはずがないのだ、でも、本当にボールペンがわからない。。)

 おれは、よもや自分がボールペンが一体なんなのかがわからなくなっている、とは悟られないよう必死に冷静を装いながらデスクの上を探す仕草を見せた。

 同僚は作業を止め、おれからボールペンを受け取ろうと椅子をこちらに向け待っている、冷や汗をかきながら、ようやく目の前に会った赤と黒の二色ボールペンを見つけ、(あ、ああこれだ、これだよ!ボールペンは!)

 何事もなかったようにおれはその二色ボールペンを同僚に渡した。そしてすぐにオフィスを出て、荒くなった呼吸を整えるべく、非常階段に出る重たい金属扉を開け外に出た。7階から非常階段の鉄柵を少し乗り出し下を眺めた。不意に、今ここから飛び降りることがおれのすべきことのような感覚に襲われた。慌ててその感覚を打ち消し、このままこの場にいるのは危険だと判断しオフィスへと戻った。

(マズイな、これはけっこうマズイな。。)

 おれはすぐに早退を上司に申し出て、近くの大きな病院の精神科を受診した。医師に今の自分の置かれている状況などを説明し、たった今ボールペンがなんだか急にわからなくなったこと、非常階段の7階から、まるで自分の意思とは無関係であるかのように飛び降りそうになったことなどを説明した。
 医師は、結局のところ、おれの抱えている問題が解決することが最優先だろう、と言い、とりあえず精神安定剤を処方してくれた。自傷流血事件は、精神科に通院を始めて一か月後のことであった。

 左腕を吊るして来院したおれを見て医師は深刻そうな表情を見せ言った。

『マズいですね、うーーん、澤田さん、ちょっと今度ご家族と一緒に来てもらえますか、ご家族も含めてお話ししましょう』

 数日後、おれは父と病院に行った。

『結局は今、小平次さんが抱えていることを無くすことしかないんですね』

 医師はおれでなく、父に向って話をしている。

『一時的にはつらいかもしれませんが、前を向いて人生をやり直す、難しく考えずに時間をかけてゆっくり気持ちを切り替えて行く、時が薬、とも言いますからね』

 父もこの医師の言葉にうなずいていた。実際おれもそれしか道がないことはわかっていた。

 桜木町にあったその病院を出て、みなとみらいの方へと向かった。まるで子供のころの親子にもどったように、遊覧船に二人で乗った。潮風を浴び、海を眺めながらおれは言った。

『オヤジ、迷惑かけてすまなかった、もう決めたよ、前へ進む』

『そうか。。』

 同じように海を眺めながらオヤジが答えた。

『それにしても、横浜の海は随分きれいになったな。。』

『ああ、あそこに見える汽車道で、おれは随分たくさんスズキを釣っているんだよ。。』

 それからおれは、まるでずっと心に強く巻きついていた太い縄を断ち切るように、前に進むことを決断した。キリスト教からの決別も誓った。家族の他にもおれを支えてくれる人にもまた出会えた。完全に心が回復したと思えるようになったのは、さらに数年がかかった気もするが、この時はただ、

 前に進もう

 前に進もう

 そう強く思っていた。

 だが、それには大きく気持ちを切り替える、何か儀式のようなものが必要な気がした。

『儀式』

 しかも強烈にインパクトのある

『儀式』

 おれの頭に一つだけ浮かんだものがあった。

『そうだ! インドへ行こう!』

 そうだ、インドへ行こう、あの悠久の大地へ再び、人間の原点そのものがあからさまに蠢く街カルカッタ、バブーたちのいるプリー、そうだ、インドへ行こう!

 そう決めたおれだったが、心の回復がまだ完全ではなかったこともあり、親には反対をされたがおれの決意は変わることはなかった。


 インドへ! いざ、再び!


*****************

二度目の時は日記をつけていませんでしたので、記憶のみを頼りにつづってまいります。初回はいきなり暗い感じで始まりましたが、旅行中はとても楽しかったので、またお付き合い頂ければ幸いです。

 
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