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こんにちは
小野派一刀流免許皆伝小平次です
衆議院選挙が終わりました
良かったな、と思えることもありますし、残念だ、と思う気持ちもあります
さて、今日は日本人として
『国民の責任』
ということについて、高森明勅さんが京都帝国大学法科大学教授、佐々木惣一さんの
「一票の投げ所」と
いう論説をご紹介していらしたのでそのまま投稿してみます
大正4年(1915年)100年以上も前に書かれた論説です
(『立憲非立憲』講談社学術文庫より)
『形は他人の事のように見えて、 実は自分の事である場合が、世の中に多い。 選挙は正しくそれである。
国民は近来代議士を罵(ののし)り、 又(また)候補者の下劣を嘲(あざけ)ること甚(はなは)だしい。 代議士の腐敗も候補者の下劣も事実であろう。 併(しか)し翻(ひるがえ)って考うれば、 代議士の腐敗は、実は之(これ)を代議士たらしめた国民の腐敗に基(もとづ)くことが多い。
又下劣な者が敢(あえ)て候補者に立つのは、 従来国民が下劣なものを選挙し来(きた)ったからである。それ故に吾々(われわれ)国民は徒(いたず)らに代議士の腐敗や候補者の下劣のみを責むべきではなく、 寧(むし)ろ自らを責むべきである。…現今(げんこん)我が国民は一般に他を責めて自分を責めないと云う風がありは しないかと考える。そして、之が立憲政治の実現せられない根本の理由だと思う。…それ故に、候補者の顔触(かおぶれ)を良くする為には、 先ず選挙人自ら覚醒せねばならぬ。そこで…候補者の優劣の問題と共に、 選挙人の覚悟の問題が起(おこ)るのである』
わが身にあてはめ、大変に考えさせられる論説でありました…
御免!
こんにちは
小野派一刀流免許皆伝小平次です
衆議院選挙が終わりました
良かったな、と思えることもありますし、残念だ、と思う気持ちもあります
さて、今日は日本人として
『国民の責任』
ということについて、高森明勅さんが京都帝国大学法科大学教授、佐々木惣一さんの
「一票の投げ所」と
いう論説をご紹介していらしたのでそのまま投稿してみます
大正4年(1915年)100年以上も前に書かれた論説です
(『立憲非立憲』講談社学術文庫より)
『形は他人の事のように見えて、 実は自分の事である場合が、世の中に多い。 選挙は正しくそれである。
国民は近来代議士を罵(ののし)り、 又(また)候補者の下劣を嘲(あざけ)ること甚(はなは)だしい。 代議士の腐敗も候補者の下劣も事実であろう。 併(しか)し翻(ひるがえ)って考うれば、 代議士の腐敗は、実は之(これ)を代議士たらしめた国民の腐敗に基(もとづ)くことが多い。
又下劣な者が敢(あえ)て候補者に立つのは、 従来国民が下劣なものを選挙し来(きた)ったからである。それ故に吾々(われわれ)国民は徒(いたず)らに代議士の腐敗や候補者の下劣のみを責むべきではなく、 寧(むし)ろ自らを責むべきである。…現今(げんこん)我が国民は一般に他を責めて自分を責めないと云う風がありは しないかと考える。そして、之が立憲政治の実現せられない根本の理由だと思う。…それ故に、候補者の顔触(かおぶれ)を良くする為には、 先ず選挙人自ら覚醒せねばならぬ。そこで…候補者の優劣の問題と共に、 選挙人の覚悟の問題が起(おこ)るのである』
わが身にあてはめ、大変に考えさせられる論説でありました…
御免!