さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

絶句 ! 志村けんさん死去 70歳 新型コロナに感染

2020-03-30 | NEWS


絶句 ! 志村けんさん死去 70歳 新型コロナに感染毎日新聞ニュース

絶句…

言葉もありません。

私のなかでは、志村けんさん以上のコメディアン、後にも先にもいらっしゃらないと思っております。心に大きな穴が開いたようです…。



ただやすらかに、ゆっくりとおやすみください


追伸 
しかしながら、これまでこのブログで述べてきたとおり、今回の武漢ウイルス騒ぎが過剰な反応である、という想いに変わりはありません。


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隅田川の生きものたち②&カレイ狙い!

2020-03-22 | 隅田川の生き物たち


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

本日は、だいぶ暖かくなってきましたので、隅田川生きもの調査第二段をお送りいたします

というより、この季節限定で、隅田川は両国付近、40cmクラスのカレイが釣れる、と東京に引っ越してきたばかりのころに聞いて、去年初めてチャレンジ、今年もやってきました

もう少し海のほうへ行けば釣れる気配も高くなりますが、あくまでも

『隅田川』

で釣る、というシチュエーションにこだわりたいと思います

カレイを狙いながら隅田川の生きものを調査したいと思います

前回の調査と、これまで釣り等により生息を確認している生きものを先にご紹介しておきます

①スズキ(釣り) ②マハゼ(釣り) ③ボラ(目視、玉網) ④ウグイ(釣り) ⑤モクズガニ(前回調査)
⑥オタマジャクシ(ウシガエル・前回調査) ⑦ベンケイガニ(目視) ⑧カレイ(マコ?目視) ⑨マアジ(目視) ⑩コノシロ(目視) ⑪テナガエビ(目視) ⑫コイ(目視) ⑬ミズクラゲ(目視) ⑭アカクラゲ(目視)

こんなとこですかね、では、カレイを狙いながらの生きもの調査、あらたな生きものを加えることができるでしょうか

まずは、キャスティングにより、アオイソメを購入、それからポイントを目指し、両国橋よりやや下流に座を構えます

釣り方はいたってシンプル、普通に投げ釣りです

今回は2本の竿を用意し、1本を流れ込みと本流がぶつかり潮目ができているところへ、1本は首都高の橋脚付近を狙い、それぞれ投げ込みます

あとはアタリを待つだけ…  待つだけ…  待つだけ…  待つだけ…  待つだけーーーーー!

待てども待てどもアタリはありません…

エサをチェックしても全く食われたような様子もありません

うーーーん…

この日は満潮が15時半ころ、間もなくです

下げ始めてからの夕マズメに期待です

その間、目視できる生き物を撮影してみました



護岸に付いているフジツボの仲間、フジツボも種類が多いのでちょっとこれではわかりません



クラゲ、ですがよく見かけるミズクラゲに似ていますが、ちょっと違うようにも見えます、調べてみましたがわかりません



これは、仕掛けに絡まった草の塊についていたんですが、なんでしょう、スジエビの幼体か、イサザアミの仲間か、今回は観察用の水槽を持ってきていないのでちょっとわかりません

で、あたりが暗くなって来たころ、ようやく待望のアタリ!!

結構な引きです、カレイっぽくはない、かと言って釣り慣れたスズキの引きとも違う

寄せて無事タモ入れ



マルタウグイですね

結構でかいです

前に釣っていたウグイとは違いますので、新たに1種加えたいと思います

貝類や、エビ類、この辺はもっと近くで見るか、水槽に一度入れるかして、ある程度でも種を特定出来たら数に加えたいと思います

で、結局カレイは…

今年もダメでした…


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インド放浪 本能の空腹 ⑮  『インド家庭料理にご満悦』

2020-03-19 | インド放浪 本能の空腹



30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記からお送りいたしております

前回、オーズビーと共に掘立小屋で甕の水で割ったウイスキーの水割りを飲み、一晩泊めてくれるというのでオーズビーの自宅へ、ベスパもどきのスクーターに二人乗りして到着、家族に挨拶をして、夕飯までの間、前夜の満員夜行列車の長旅の疲れから、男同士でベッドに横になり、泥のように眠ってしまった、と言うところまででした。

つづきの前に、私がフォローさせて頂いているブロガーさん、「25時間目  日々を哲学する」さんが、しばらく更新がなかったので気になり、訪れてみたら、お亡くなりになっていたようです

心よりご冥福をお祈り申し上げます

では、つづきをどうぞ


*****************************************************************

 オーズビーにゆすられ目を覚ます、辺りはすっかり暗く、夜になっていた。時間的にはさほどでもなかったように思うが、よほど疲れていたのだろう、随分と深く眠ったようだ。

『よく寝たな、夕飯の支度ができている』

 オーズビーはそう言っておれを食卓のある部屋へと案内する。オーズビーの両親、姉が笑顔で迎えてくれる。
 おれは上座のようにテーブルの中央に座らされた。左にオーズビー、その奥に姉、右に父、その奥に母、という具合だ。

 テーブルには見たことのないような料理が所せましと並べられていた。ビールも用意されている。料理はサラダなど野菜が目立つ、チャーハンだか、リゾットだか、コメの料理もある、鳥らしき肉も美味そうだ、あとはカレーらしきものが数種、ナンもある。なかなかに豪華だ。
 オーズビーの父がビールを注いでくれる、インドに来てから、酒ばかり飲んでいるような気がする。
 料理は美味かった。カレーは特に美味かった。おれはオーズビーの母につくり方を聞いた。全てが理解できたわけではないが、多分日本に帰ってからそれっぽいのは作れそうだ。

 会話の中心は主に父親だった。内容はほとんどが日本の機械製品、カメラとか時計、それに電化製品、そんなことだった。時折、専門的な事を聞いて来るので、おれはよくわからないまま適当に相槌をうってごまかしたりしていた。 母と姉は時々、初めて日本人の客と食事をする、という非日常なできごとに緊張してか、ちらちらとおれを見たりはしていたが、カレーの作り方以外、ほとんど会話には加わらなかった。オーズビーも時々父の質問におれが窮すると、代わりに答えてくれる以外は、食って飲むばかりだった。
 それでも宴は楽しかった。そして美味かった。ビールも随分と飲んだ。インドを旅する中で、こういう機会に恵まれることもあるだろうとは思っていたが、それが来て早々に実現するとは思わなかった。


オーズビーと父親の写真、また貼っておきます


 気持ちよく酔い、再びオーズビーの部屋へ戻る。

『オーズビー、とても美味しかった、本当にありがとう』

 おれたちはしばし談笑し、再び男同士、ベッドで横になる、昨夜の疲れ、ビールの酔い心地、昼寝をしたにもかかわらず、おれたちはすぐに眠りに就いた。

 翌朝、目を覚ますと窓から柔らかく優しい陽光が射し込んでいた。朝だ。
 傍らを見ると、すでに目を覚ましていたオーズビーが椅子に腰かけ、前屈みになってスニーカーの靴紐を結んでいる。

Good Morning…

 おれが声をかける。オーズビーが靴紐を結びながら応える。

Good Morning…

 そして、靴紐を結び終えると、両手でスニーカーをポンポンとはたきオーズビーは言った。

Thank you very much!  Just good ,for me

 …、目を覚ましたばかりのおれの頭はまだ回転が鈍い、オーズビーは何を言ってるんだ…? 何が『Thank you very much!』なんだ…?

 徐々に覚醒してきたおれは、オーズビーが履いている靴を見て仰天した。

おひおひ!! オーズビー君! それはおれの靴じゃないかい!!!


 おれは何が何だかわからない、なんでおれの靴をオーズビーが履いているのだ??? ありがとう、ってどういう意味だ? おれが靴をオーズビーにやった、と言うのか? おれの頭はだいぶ混乱していた。

 あまりに堂々とおれの靴を履き、『Thank you very much!』なんて言うからにはおれが靴をあげたのだろう…、いや、そんなはずはない…、おれはそのスニーカーしか持って来ていないのだ、やるはずがない…、それともあれか?、インド人は友達になった証にものを交換するって、お気に入りの懐中時計が、手書きでCASIO、と書かれた安物デジタル時計に変わっちゃうって、あれか?
 だいぶビールを飲んだが、記憶を失くすほどではない…、物々交換ならおれに何か代りのものがあっても良さそうだが今のところ見当たらない…。

 しばらく考えたが、それをやった覚えはない、と言ってゴタゴタするのは面倒だ、まっ いっか! おれの悪い癖だ。幸いカルカッタで買い物のお礼にと、店からインド人男の服と一緒に、そこそこ良さそうなサンダルももらっていた、しばらくはそれでいいだろう。
 ところが、靴だけで話は収まらなかった。オーズビーが言うのだ。

『なあ、コヘイジ、昨日キミが父に見せてくれた、あのカメラだけど…、あれをボクは父にプレゼントしたいんだ…、その代り、インド製だけど良いものをキミにプレゼントするから…。』

 出たーーーーーーーー!! 仲良くなった証の物々交換!!!!

 さて、おれのカメラの運命は… 長くなったのでそれはまた次回で


************************************つづく

日記を読み返している内に、日記には書かれていないことを思い出したり、逆に忘れていたことを思い出したり、楽しく書かせて頂いております。
オーズビーの母に教わったカレーのレシピは、日本に帰ってから日本人の口に合うようアレンジしまして、あるイベントで屋台を出店して、3日間やったんですが、3日目には噂を聞きつけ、他の出店者が行列を作るほどに大成功したんです。カレーに関しては、多分世界一美味しいのを作れる、と思っています(笑)

※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です。


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さすがドクター中松大先生!

2020-03-18 | NEWS


ドクター・中松氏コロナ対策の新発明「3兄弟」公開

日刊スポーツ


おお!!

さすがドクター中松大先生!!

これ、厚労省で公認して、全国へ配って欲しいですね

先生、早く日本全土を覆う、対核ミサイルバリアーを作ってください!!

失礼ながら、まだご存命でいらしたのですね

これからも長生きして頂き、日本国のため、世界のために発明を続けてください!


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あーーーやだやだ!コロナパニック!

2020-03-12 | 社会・経済


毎日毎日毎日、コロナコロナコロナ!

なんだってこんな大騒ぎしてんだ!?

そんなに怖いんですかね

不幸にも亡くなられた方のご冥福はお祈りするものの、そのほとんどの方は80歳以上の高齢者であると聞きます

高齢者だから良い、なんてことがあるはずもありませんが、80歳超えれば、元気なおじいちゃん、おばあちゃんもいらっしゃいますが、多くの人は衰え、体力も落ちます

小平次の父も、80超えてしばらくは元気で、散歩なんかもしてましたが、去年ぐらいから急激に衰え、ちょうどコロナの発生したころ、風邪をこじらせ、肺炎、入院となり、その他の病気も併発し、今年の2月に亡くなりました

病名は心筋梗塞、って病院で言ってましたが、元々は風邪をこじらせたところから始まったんです

コロナコロナって、風邪とどう違うんです?

コロナでなくとも、小平次の父は風邪が元で亡くなりましたよ?

老いる、ってそういうことでしょう

毎年インフルエンザが流行りますが、一体インフルエンザとコロナ、何が違うんです?

日本において、インフルエンザで亡くなっている方の数、ってご存知ですか?
(以下 PRESIDENT Online  「なんと1日50人以上「インフル死者」が日本で急増する不気味」 の記事からデータを引用します )



この記事を見ますとね、年々減少傾向ではあるものの、去年、一昨年はまた増えて、3,000人以上の方が亡くなっているんです

次に、月別の推移


去年の1月には、なんと月に1,700人近くの方が亡くなっています

それが記事のタイトルにもあるように、1日50人以上亡くなっているってことです

次に世界においては



「米国ではインフルエンザが原因で毎年少なくとも1万2000人以上が死亡。とりわけ感染が深刻だった17~18年のシーズンには患者数は4500万人に上り、6万1000人が死亡した」(産経新聞、2020年2月8日)。


インフルエンザによる死者は、何らかの基礎疾患を持っていた人がほとんどのようですが、コロナよりも年齢層が少々幅広く、若い世代でも亡くなっている方がいて、コロナよりも脅威であるように思います

さて、どうでしょう

これらの数字を見れば、コロナなんかよりインフルエンザの方がはるかに怖くないですか?
しかもずっと昔から姿、形を変え、予防接種も効くものあれば効かなくなってしまうものもあります

コロナとは感染者も死者の数もべらぼうに桁が違います

なのに!!

インフルエンザがこれだけ猛威を振るっていても、学級閉鎖があるくらいで、インフルエンザで高校野球が中止になったり、大相撲が無観客になったり、プロ野球やJリーグが延期になった、なんて聞いたことがありません

ちなみに、1日54人もの人がインフルエンザで亡くなった昨年の大相撲1月場所、優勝は関脇の玉鷲、大いに盛り上がってたんですよ

コロナなんかよりインフルエンザの予防接種に金使えよ!

コロナよりもはるかに怖いインフルエンザでは、みんな普通に日常を過ごしているのに、なんなんだ今のこの空気は

ちょっと落ち着けよ!!

こんなバカ騒ぎで高校球児の夢を奪っていいのか!

さて、小平次の尊敬するブロガー、「テレビ倒さん」さんが、コロナ関連のことでいくつか記事を書かれております

小平次なんかよりもはるかに理性的で理論的に述べられていらっしゃいます

冷静な方が多いGooブログブロガーのみなさん、ぜひ、一度ご訪問をお勧めします

そして冷静になろうと呼びかけましょうよ

「テレビ倒さん」さんのブログ 「日本新冠病毒疫」 と 「中国新冠病毒疫」

さて、「テレビ倒さん」さんは、ご自身のブログの中で、このたびの新型コロナウイルスについて、『武漢ウイルス』または『武漢肺炎』とおっしゃっています

その理由についてもぜひ考え、冷静になる必要性を感じると思います

小平次がやはり尊敬するブロガー、「猫の誠さん」も、「テレビ倒さん」さんの記事のコメントの中でそれに倣うとおっしゃっています

小平次も、お二人の考えに同意なのでそれにならいたいと思いますが、今回の記事ではあえて『コロナ』と言います

「テレビ倒さん」さんが、武漢ウイルス関連の記事の中(「感染者率」 と 「比較安全集合体」)で、交通事故での死者数を比較対象に、武漢ウイルスの二次感染確率について面白いことを述べられておりました こちらもご一読をお勧めします

小平次も、この交通事故の死者数とコロナについて述べてみたいと思います

交通事故で亡くなる方は、毎年減少傾向にありますが、2019年で3,215人だそうです

この数字について、余談ですが、小平次の恩師(故人)で、元警視庁OB、かなりの地位まで行った方がおっしゃっていたのですが、警察は、とにかく目に見える交通事故の死者数を減らしたい、それでなのか、交通事故での死者、は事故後24時間以内に亡くなった方だけをカウントし、それ以降の方は別な死因として事故死にカウントしないんだそうです

随分前に聞いたことなので今はどうか知りませんが…

なんとか生きよう、助けよう、とがんばり2日後に亡くなった方、後遺症を残し、随分後になって亡くなった方なんかを含めるともっと死者数は多いんだそうです

年間3,000人以上もの人が死んで、負傷者は50万人弱です

負傷者の中には、後遺症や重い障害を背負うことになった人もたくさんいるでしょう

コロナに感染するよりも、はるかに高い確率で死んでしまったり怪我や障害を負ったりする危険なものであるにも関わらず、この世から車を失くせ!と言う人はいません

当たり前です

経済的にも、利便性からも、もはや車の無い社会は考えられません

それはつまり、現代社会の効率や利益を考えれば、ある程度の被害者が出るのもやむなし、と皆が思っているからです

将来的には、安全性の高い乗り物が開発され、交通事故なんて無くなる時代が来るかもしれませんが、そんな時代の訪れよりも、とうの昔にコロナなんか終息して、あったとしても今のインフルエンザと同じような扱いになっているでしょう

コロナなんかよりもはるかに危険性の高いインフルエンザや交通事故に対しては非常に寛大でいながら、なんでこの有様だ?

マスコミやわけのわからん評論家、政治家なんかに惑わされてはいけません

バカマスコミにバカ政府!

初期段階で入国制限とかしていればここまでにならなかったろうに

経済的損失と、よくわからない外交的配慮でありとあらゆる対応を遅らせて、インフルエンザの恐怖に比べれば、まるで幻影のような恐怖を煽り、結局より深刻な経済的打撃を受けるはめになっている…

なんておろかなんでしょう



普通に過ごしましょう、普通に、みんながそう呼びかけて意識を持っていれば、高校球児に悔しい思いなんかさせずに済んだかもしれません


普通にしましょう、普通に


御免!

PS この方とは滅多に考えが合うことはないんですが、珍しくその通りだよなあ、と思ったので貼っておきます

古市憲寿氏、センバツ高校野球の中止に「観客席を工夫して何とかなったって気もする。自粛ムードで流されている」


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インド放浪 本能の空腹⑭ 『1日だけのホームステイ』

2020-03-03 | インド放浪 本能の空腹


画像引用元 そうだ、世界に行こう『インドの田舎村でホームステイしたらカルチャーショック祭りだった』



インド放浪 本能の空腹⑭ 『1日だけのホームステイ』

30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記からお送りいたしております

前回、どういういきさつでそうなったかはわからないまま、カルカッタからプリー行夜行列車でともに旅をしたオーズビー、彼と共に彼の愛車、ベスパもどきのスクーターに二人乗りし、海を見て、ヤシの葉でできた掘立小屋のオンボロレストランで卵焼きと、甕から汲んだ水で割ったウイスキーの水割りを飲んだ、というところまででした

では続きを


*******************************************


 卵焼きとウイスキーだけの簡単な食事を済ませ、おれたちは再びスクーターにまたがり走り出した。
 プリーの街は、人が少ない、と言うほどではないが静かだ。人、サイクルリクシャ、その他野良犬、道の真ん中には野良牛がどうどうと座っている。

 のんきな街だ。

 プリー到着間際、列車の中でざっと地球の歩き方に目を通したが、このプリーの街は、どちらかと言えば、西の地域に銀行や官公庁らしき施設があり、街の一応の中心となり、東側にはおれのような貧乏旅行をする外国人バックパッカーのための安宿やレストランがちらほらとあるようだった。
 駅を出てからのおれの方向感覚では、どうやら街の西の方へ向かっているようだ。こちらの方は外国人の旅行者などはあまり来ないようで、こうして走っていても一人も見かけない。
 
 やがてスクーターは、掘立小屋の並ぶ『住宅街?』のようなところの小路をすり抜ける、小屋の前で色褪せたサリーをまとった女たちが、タライに水を汲み、しゃがんで洗濯やら、野菜を洗ったりしている、前方に見えたばあさんと目が合った。ばあさんはスクーター、ではなく明らかにおれの顔を見て、卒倒するほどに驚いた顔でのけぞり、すれ違うまでおびえたような顔でおれを見つめていた。
 やはりこっちの西側にはあまり外国人は来ないのだろう、来てもこんな『住宅街?』を通ったりはしないのだろう。

 ほどなくしてオーズビーの自宅に着いた。平屋だが、壁一面を水色に塗った、コンクリ造りの割と立派な家だ。つい今しがた見てきた掘立小屋に比べれば、なおのこと立派に見える、そこそこ裕福な家なのだろう。

 手入れをしているとは思えない、緑の草や低木が雑に生える小さな庭から玄関へといざなわれ、中へと入る。

『ちょっと待っていてくれ』

 そう言ってオーズビーは奥の部屋へと消える、すぐに、オーズビーの家族が出てきた。年配の男女と、若い女、オーズビーの両親と姉、だそうだ。

『ナマステ―』

 おれと家族は向き合って胸の前で手を合わせ挨拶をした。家族はみな笑顔で迎えてくれた。

 基本的にインド人と言うのはシャイなのである。外国人に積極的に話しかけてくるやつ、ってのは大概悪巧みがあるやつだ、と聞いていた。必ずしもそうとは言えないまでも、大方当たっていると、おれはこの旅を通じて実感していくのだが、基本的にごく普通のインド人はシャイだから、コントで使うぐるぐるメガネのような目で興味津々、おれを見つめる父親を除けば、母と姉は笑顔は見せるものの、ちょっとぶっきらぼうな態度にも見える。

 『夕飯まで、ボクの部屋で休もう』

 おれはもう一度家族に笑顔で会釈をして、オーズビーに続いた。



※注釈 上の写真は、私が現地で撮った数少ない写真のうちの、さらに少ない現存する当時の写真です。目を塗りつぶしていますが、座っているのがぐるぐるメガネのオースビーの父親、その隣に立って背を向けているのがオーズビーです。

 
 小ざっぱりとした部屋だった。言われるままにおれは椅子に腰かけた。目の前の棚に、本やらカセットテープやらが並んでいる。オーズビーがカセットテープを指さし言う。

『コヘイジ、何か音楽を聴くか?何がいい?』

 何がいい?、と聞かれても、ミミズが這いつくばったような文字で書かれたタイトルを見ても、カルカッタの街中、大音量で流れていたあの独特のインド音楽であるだろう、ってこと以外分かるはずがない。

 と、その中に

『 Michael Jackson・Thriller 』

を見つける。  おお…

 マイケルジャクソンの音楽は、普段のおれにとっては、特別嫌いということはないが、わざわざ買って聴くほど好きでもない、というくらいの感じの音楽だった。だが、もはやすでに食傷気味のインド音楽よりはずっといい。

『マイケルジャクソンが聴きたい』
『OK』

 オーズビーは棚からカセットを取り出し、デッキへセットする。すぐに聴きなれたソウルフルな曲が流れ始める。そのマイケルの曲に合わせて、オーズビーがなんだか奇妙な踊りを踊り出す、どうやらさほど上手いとはおせじにも言えない『Moon Walk』をやって見せてくれているのだ。

 おれは笑っていいのか褒めていいのかよくわからず、生粋の日本人らしく無難な愛想笑いをして拍手を送った。
 まだ2曲ほどしか聴いていないうちに、オーズビーはカセットデッキから無言でテープを取り出しケースにしまい、棚からミミズの這いつくばったような文字のカセットテープを取り出し、ボリュームを上げてかけ始めた。またしてもあの不可思議な音階のインド音楽が部屋に響く…。やはり結局こっちの方が好きなんだな…。

 おれたちはしばらく談笑していたが、昨夜の、あの過酷な満員夜行列車の疲れもあり、つい男同志でベッドに横になると、甕の水の水割りの効果もあり、たちまち眠りについた。泥のように眠る、まさにそれだった。



*********************つづく

 このシリーズを書き始めた時、屋根裏部屋に入り、古いアルバムやらをひっくり返してみましたが、やはり写真はほとんど残っていませんでした。度重なる引越しで、無くなってしまったんでしょうか。ちょっと残念ですが、奇跡的に残っていた何枚かの写真、この日記の中でご紹介できるものは載せて行きたいと思います。
※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です。


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