30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記をもとにお送りしております。
本日もプリーでのある日のできごと
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ある日の午後、ミッキーマウスで昼食を済ませホテルへ戻ると、バブーとロメオが来ていた。彼らの友人を紹介するから出かけようと言う。
いつものようにスクーターに3人乗りをして向かったのは西側の海岸であった。こちらの西側ではほとんどバックパッカーっぽい外国人の姿は見かけない。オーシャンビューの割と高級なホテルなども海に向かって建っている。
プリーはヒンドゥー教の聖地の一つでもあり、この西側には比較的裕福そうなインド人観光客が多い。そんなインド人観光客で海岸も賑わっている。
野球場の弁当売りのようなスタイルで綺麗な貝細工などの土産物を売っている少年がチラホラいる。
海岸で待ち合わせをしていたバブーとロメオの友人4人、もちろん全員男、と落ち合い、皆で砂浜を歩き波打ち際へ行く。そこで互いに自己紹介などをして談笑が始まる。男たちはみなバブーとロメオの同級生だそうだ。気のいい奴らであった。
『インドへ初めて着いたときの感想は?』
と一人に尋ねられた。おれは正直に答えた。
『あまりにもたくさんの物乞いに驚いた、手や足の無い人たちがたくさんいることにも驚いた』
この返答を聞いた彼らの一人から、おれがインドへ来る前に聞いていた黒ウワサの一つについての真実を聞くことになった。
インドでは古くからヒンドゥー教の影響で、厳しい身分制度、学校でも習った『カースト制度』というものが存在していた。もちろん現在は法的には存在していない。授業で習った記憶では、このカーストにも入れない、『不可触民』という人たちが存在し、やはり古くから差別を受けてきた、とも聞いていた。
法的にはそのような身分制度は認めないもの、となっていても、長い年月をかけてインド人に染みついたそういう意識は簡単に消えるものではなく、身分の低そうな人に対する金持ちの横柄で傲慢な態度はインドへ来てから度々見かけていた。
ある日、おれはロメオのスクーターに二人乗りをしていた。煙草を切らせていたおれは、一軒の小さな雑貨屋の前で煙草を買うのでスクーターを停めてくれ、とロメオに言った。おれがスクーターを降りようとするとロメオがおれを手で制した。
『*%$##%&¥+$▼!!』
ロメオが店の男に何かを言うと、男は、おれがインドに来てから吸っていたショートホープサイズの煙草を投げてよこした。スクーターに乗ったままでうまく手を出せず、おれはその煙草を取り損ねた。降りて拾おうとすると、またしてもロメオがおれを手で制して男に言った。
『*%$##%&¥+$▼!!』
すると店の男は少し愛想笑いのような笑みを浮かべ、こちらに来て煙草を拾いおれに手渡した。おれは申し訳ない気持ちになりながら金を払った。
このできごとが古くからのインドの身分制度に由来するものなのかはわからない、だが、前回紹介したシメンチャロ―のように、小学校に行くことすらままならない家の子供が、どれだけ努力をしても這い上がることができない土壌がインドには確かに存在している、そう感じたのであった。
バブーとロメオの友人が語ったこと……。
『インドの母親たちはとてもひどいことをする人がいる、物乞いの女が子供を産むと、その子の片手を切り落とすんだ、少しでも物乞いとして憐れみを買い、稼げるようにと…』
実はこの話、インドへ行く前におれは人から聞いていた。ウソだと思っていた。しかし、ここにいた男たちはみな本当だ、と言う。この後、おれは再びカルカッタへ戻るが、そこで出会った多くの物乞いたち、貧しい人たち、どんなに足掻いても現世では這い上がることはできない人たちが大勢いる、そう思い知る、そして、その母親がどんな気持ちで我が子の手を切り落とすのか……。
実際のところ、この話が本当なのかどうかはわからない、だが、本当だとしてもなんら不思議なことではない…、これが物乞いの母の究極の愛情、と言われれば納得せざるを得ない人々の暮らし…、おれはインドでそのことを思い知る。
少し暗い話題になった。おれは少し話題をそらそうとして言った。
『そう言えば、カルカッタで出会った男から教わったんだけど、物乞いにしつこくされたらこう言えと…』
おれは両手を胸の前で合わせ、軽くお辞儀をするように、カルカッタでラームから教わった言葉を言ってみた。
『マーイ ネパリー フォン(私はネパール人です)』
おそらくはそう言うことで、貧乏人のネパール人に物乞いしても仕方ない、と思わせるのだろう、それはインド人がネパール人を下に見ていることに他ならない。おれはこれをカルカッタハウラー駅で実際に物乞い相手にやって、逆に蔑んだ目で見つめられたことは以前の日記の中で述べた。それ以来、おれはこれを物乞い相手にやるようなことはなかった。
おれの『マーイ ネパリー フォン』を見て、一同が大爆笑をした。
『違う、違うコヘイジ!! フォン!じゃなくて、フン!!だ、マーイ ネパリー フン!!』
ロメオが、フン!! のところで大げさに首を突き出すような仕草で言った。みながまた笑った。とりあえず暗い雰囲気は一掃された。その後みなの前でおれは何度か『マーイ ネパリー フォン』を練習して見せた。
だいぶ盛り上がったところで、近くにある遊園地、と言っても小さな古いものだがそちらへ向かおうということになり歩き出した。
一番後について歩き出したおれは、ふと右手からの視線に気づく。一人の男がおれを見つめいてる。じっと見つめている。よく見れば満面に笑みをたたえておれを見つめている。不思議に思ったおれは歩を止め、男を見る、男が近づいてくる、そして、おれの目の前に立ち、うれしそうに自分を指さし言った。
『マーイ………、ネパリー!!!』
『*%$##%&¥+$▼!!!!』
何てことだ!本物のネパール人が、おれの『マーイ ネパリー フォン』を見て同郷の仲間だと思ってしまったのだ!!
『 …えっと、えっと、あのその… … 』
おれはハウラー駅の時と同じように、またしても『マーイ ネパリー フォン』によって、一瞬にして強い自己嫌悪、罪悪感に襲われた。
しかし、ウソをつくわけにはいかない、ついたってすぐにバレる、おれは本当に申し訳ない思いになり、バツが悪そうに男に言った。
『I'm sorry……、 I'm Japanese……。』
見る見るうちに男の顔が悲しみに包まれていく……。これまでのことを思えば、このネパール人男はあまりこのインドでいい思いはしていないのだろう、そんな時、思わぬところで見つけた同郷の仲間…、本当にうれしかったのだろう…。
あああ…、なんてことをしてしまったのだ。悲しそうに去っていく男の後ろ姿を見つめ、おれはこの後、二度と『マーイ ネパリー フォン』を使うまい、そう誓ったのであった。
***************************** つづく
いやいや、この時は本当にすまないことをした、そう思いました。大多数のインド人は大人しくシャイな人でしたが、裕福そうな人は何かにつけ威張っているように見えました。随分後に、カトマンドゥで大地震に遭遇した時、帰れないのはみんな一緒なのに、裕福そうなインド人おばさんが空港職員をもの凄い大声で怒鳴り散らしているのを見たりもしました。
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