こんにちは
小野派一刀流免許皆伝小平次です
相変わらず、ドタバタと忙しく過ごしております(泣)
先日、小平次の事務所に一本の電話が入りました
電話を受けた女性が「Y・Aさん、という方から沢田小平次さんはいらっしゃいますか、というお電話なんですけど…」、と怪訝そうに受話器を持ったまま保留にして小平次に伝えます
普通はフルネームでそんな確認したりする電話はあまりないですし、営業の電話でも代表者の方いますか、とかですので、小平次もちょっと怪訝そうに外線ボタンを押して電話を変わります
『はい、お電話変わりました、沢田ですが…』
『あ、沢田小平次さんですか、私Y・Aと申します』
『はい…、Y・Aさん… ?』
『あのう、沢田さん、昔神奈川県に住んでらしたことありますか?』
『……、えっ? あ、ああ、はい…。。』
『で、〇〇中学校ご出身ですかね?』
(なんだ? 新手の詐欺か…?)
『えっ? そうですけれど…?』
『おおお! 沢田君!良かった 見つけたー!! おれ、Y・A、覚えてない? 〇〇中で一緒だったY・A!!』
『Y・A、…、…、お? Y・A? おおおおお! Y・A! 覚えてるよ! あのY・A!、ちょっとガタイ良かった、〇〇の方に住んでたY・A君?』
『そう! そのY・A! いやぁ久しぶり!! 検索して一番先にヒットしたところで一発だった!』
『おおおお、ほんと久しぶり!! びっくりしたよ!』
『いや、実は〇中出身、あの時の全クラスの同窓会をしよう、って、生徒会長だったTが企画して、おれ305のクラス幹事になってさぁ!』
『そうなんだ、へえ~、おれ、今まで同窓会って、一度も出たことないんだよね、でもそれは面白そうだね、ぜひ行きたいよ』
『おお、それなら連絡先教えるんで時間ある時ショートメール送って、色々案内するから』
いやいや、びっくりしました、ほんと、不審な電話かと思いましたしね、でも、偶然ってすごいことがあって、たまたま数日前に中学校の卒業アルバムを屋根裏から引っ張り出して来て、この電話の前日、ちょっと眺めてたんですよね、いやびっくり
数日後、Y・A君からの連絡で、近々会いたいね、との連絡があり、小平次も是非、と返信
で、昨日、何十年ぶりかにY・A君と新宿の居酒屋で再会してきました
この日は、Y・A君が、今回の同窓会のことなどで連絡をとっていたK・K君も顔を見せてくれました
K・K君は小平次と幼稚園から一緒で、散々子供の頃遊びましたし、クリスチャンの家でお互い教会にも大学生まで通ってましたので、20代の前半頃までは良く遊んでいた友人です
少し遅れて顔を見せたK・K君、小平次の顔を見るなり満面の笑み
『おおおおおお!! さわだーーーー!!』
抱きつくような勢いで握手します
いやいや、本当に久しぶりの再開、小平次を含め、だいぶ歳をとりましたが、みんな面影が少し残っています
積もる話…、と言えば積もる話ばかりで大変に盛り上がりました
懐かしい同級生たちの話、担任教師の話、悪さした話、好きだった女子の話、また自慢話になりますが、小平次が女子にモテた話ww、本当に楽しい時間を過ごしました
Y・A君もK・K君も成績は小平次よりもかなり良く、二人とも偏差値の高い高校に進学していました
Y・A君とは中学卒業後はあまり会っていなかったのですが、K・K君とは大学生の時までは頻繁に会っていましたし、その後も教会の関係で度々顔を合わせてはいました
二人とも、大学卒業後は大手企業に就職、技術屋さんとしてずっと今日まで勤め上げて来たそうです
小平次は、まあ、インド行ったりとか、今の生業につくまでは色々ありすぎましたw
K・K君が言います
『沢田はさあ、インドとか確か放浪したよな、で、そのあと▲▲社に就職して、そのくらいまでは記憶にあるけど、その後は全然知らないよ』
『いやあ、ほんと色々あり過ぎて、一辺には話せないど、▲▲にいた時、新聞一面に載るような収賄事件を会社が起こして、某有名政治家や▲▲の幹部が逮捕されたりして、その時おれ、政治部門にいたもんだから、退職して…』
『その後も色々あって、おれは二人と違って典型的な文系人間だからさ、手に職も無いし、法律系の資格取ろうと、タクシードライバーしながら司法書士試験の勉強を始めて、でもハードルが高くて、何とか行政書士の資格取ってさ、一応自分の事務所開設して、▲▲のときの政治部門のトップだった人に仕事もらいがてら挨拶行ったら、そこからなんかとんとん拍子で、いつの間にか、自分の個人事務所とは別の、20人ちょっと職員抱える他の団体の代表になることになってさ、まあ、今そんな感じ』
『へえ、有資格者で代表者、すごいな』
『いやいや、その分、一杯人にも迷惑かけて、おれからしたら一つの会社で勤め上げる方がよほどすごいと思うよ、ところで、K・Kはさ、今も教会に行ってるの?』
『おお、行ってるよ、別の教会だけどな、今日も礼拝に出てから来たんだよ、沢田は?』
『おれは、もう決別っていうか…。』
『そうかぁ』
『いや、インドとか旅してさ、何人かのインド人に同じこと言われたんだよ、「お前たち日本人は、アメリカやイギリス、白人の差別に勇敢に立ち向い戦った、それが今じゃアメリカの言いなりだって…』
もちろん、今、熱い信仰心をもって教会に通っているK・K君や、他の人たちを批判したり否定したりする気は毛頭なく、それはそれで尊重しています
実際、教会に来ていた人たちは大概真面目でいい人ばかりでした
小平次やK・K君のように悪さをするのもいましたけど
『インド行ったずっと後のことだけど、ネパールのカトマンドゥで大地震に出くわしてさ、いつ帰れるかわからない状況で、空港で待っているとさ、中国やアメリカの救援機が飛んできて、救助隊が降り立つんだけど、中国機には中国人が歓声を上げても、他の国の人たちはシーンとしてて、米軍機が来ても周りはシーン、でも、オレンジのユニフォームの日本の救助隊が降り立ったらどこの国問わず、ロビーで大歓声が上がったんだよ、で、ネパール人っぽいヤツがおれに、嬉しそうにJAPAN!、JAPAN!って声かけて来て…、少なくともおれが訪れた国々では、かつての日本軍人をほめる人はいても、オレたちが教わった軍国主義の侵略国、と思っている人は、いなかった、こういう信頼って、簡単に築けるものではなくて、やっぱり先人たちの努力の結果なんだと思うんだよね』
小平次は続けます
『で、歴史見直して、日本って、同じ島国であるイギリスとは全く違っていて、実際のところキリスト教国は戦争や侵略を繰り返して来て、今もそうで、逆に日本人が長い年月を掛けて培ってきた武士道の精神、の方がよほど世界の平和に貢献できるはず、って思ったんだよね』
新渡戸稲造が記した『武士道』の精神は、近現代に突然現れた思想ではなく、長い日本の歴史の中、様々な思想、宗教などを日本的なものとして取り入れ熟成されてきたものだと思っております
宗教であるキリスト教の博愛は、神からそう命じられた外的なものであるのに対し、日本人の武士道の精神は、繰り返しますが、長い歴史の中で熟成された内から発せられる精神、この違いは大きいですし、それを発信することができるのも日本しかない、と思っています
程よく酔いが回りながらも、Y・A君とK・K君は小平次の与太話を聞いてくれています
K・K君がニヤっとして言います
『なあ、Y、コイツこんなこと真面目に話してるけど、学生の頃は随分女の子泣かせてるんだぞ』
『えっ?そうなの? あ、おれも思い出した、中学の頃何人かの女子が、沢田君にエッチなことされたりするから助けてって相談されたことあった!』
『えっ!? おれが? だれよ?』
『Y・Hさんとか〇〇さんとか…』
『えっ!? Y・H!! えっ!? うそでしょ! おれ、彼女のこと好きだったし、彼女にはエッチなこと言ったりしたりしてないよ!!』
『いやあ、沢田君はいじめられてるヤツとか助けたり、正義感の強いヤツってイメージだったけど、今思い出したよ、そんなヤツだったんだ』
『いやいや、Y!、正義感強かったのもオレ! ちょっとエッチな悪ガキだったのもオレ!全部沢田小平次少年!!』
(笑) (笑) (笑)
いや、ほんとに懐かしく楽しかったですよ、同窓会が楽しみです
二人ともいい大人になっていて、小平次なんぞまだまだです
御免!