こんにちは
小野派一刀流免許皆伝小平次です
今回は東京書籍出版教科書の歴史探訪シリーズはお休み致しまして、2ヶ月ほど前、作家の曽野綾子さんが新聞のコラムにて、現在まことしやかに政府が進めようとしているという、年間20万人の「移民受入れ政策」について、ご自身の考えを述べたところ、その内容が、南アフリカの人種隔離政策、悪名高き「アパルトヘイト」を賛美していると、南アフリカ大使館始め、国内外のマスコミ、ネット上などで、散々非難、批判、抗議をされた件について触れたみたいと思います
さて、以下にそのコラム全文を載せます
※赤字引用部曽野綾子さん
最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずかしいと思う。一方で若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めなければならないという立場に追い込まれている。
特に高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。つまり高齢者の面倒を見るのにある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ。
どの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。孫には衛生上の専門的な知識もない。しかし優しければそれでいいのだ。
「おばあちゃん、これ食べるか?」
という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。
日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ。
しかし同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。条件を納得の上で日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。
不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは長続きしない。
ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。
もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。
南アのヨハネスブルクに一軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。
ところがこの共同生活はまもなく破綻した。
黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンションにどんどん一族を呼び寄せた。
白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
住人がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。しかしマンションの水は、一戸あたり常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションはいつでも水栓から水のでない建物になった。
それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。
爾来、私は言っている。
「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」
(産経新聞『曽野綾子の透明な歳月の光』、2015.2.11
さて、どうでしょう
この文面から曽野さんが、アパルトヘイトを賛美しているように受け取れるでしょうか
上記コラムを要約すると
「介護の分野における労働移民の在留要件を緩和しなくてはならない、しかしながら、文化、習俗、宗教などの異なる人たちが共に暮らすのは難しい、人間は共に何でもできるが、居住だけは別にした方が良い」
という内容に小平次には読めるのですが、いかがでしょう
少なくとも「差別主義者」として罵られるようなものではないように思えます
一部の非難、批判には、曽野さんを「差別主義者」として罵っているものもあります
http://news.livedoor.com/article/detail/9779067/
小平次ごときのブログとは言え、他人の記事を批判するようなことはしたくないのですが、上記アドレスの方の曽野さんバッシングはあまりに酷い
コラムの全文を載せることもなく、読むことの出来るサイトを紹介するでもなく、断片的な曽野さんの言葉だけを切り取り、「差別主義者」と罵っております
つまり全文を読んでいない人たちをターゲットに、そう思い込ませようとしているのです
このようなやり方はあまりに卑怯卑劣で、姑息です
およそ左翼的主張をネットなどで見る時、このような手法で誰かを罵るというようなものを大変多く見かけます
しっかりと自分の目で確かめて、自分の感性で感じ取りましょう
さて、この小平次、この曽野さんのコラムが差別的であると、物議をかもした時点で、上記の全文など読んでおりませんでしたが、おそらくはまた一部の偏った思想の人たちが曽野さんを批判しているのだろうと思ったわけでありました(南アフリカ大使館等、理解不足と思われるもの除く)
全文も読まずに…
なぜそう思ったのか
そんなの読まなくたってわかるんです
これまでの曽野さんの著作等々を読んで見れば、比較的論調のきつい言い回しをする時もある方ですが、少なくとも肌の色の違いや、習俗、宗教の違いによる「言われなき差別」を良しとするような人ではないと小平次には感じられます
「曽野綾子の知り合いでもないのにそんなことがわかるもんか!」
いいえわかります
その著作、自論などを読めばわかります
上記コラムの内容につき、いつものように頭のいい人たちが言い合いをしています
ならば曽野さんの本を読んでみればいいのです
そうすれば感じられるでしょう
また、曽野さんはクリスチャンでもあります
以前の小平次のような、視野の狭いクリスチャンではなく、ご自分の感性により、独特な神との向き合い方をされているように見えます
曽野さんの信仰心の一端を見るだけでも、何かを感じる事が出来るでしょう
(小平次がクリスチャンだった件につき以前の記事漠然と昔日本は悪いことをしたと…参照 )
さて、もう一つついでに申し上げたいと思います
上記コラムの中の
どの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。孫には衛生上の専門的な知識もない。しかし優しければそれでいいのだ。
との曽野さんの言葉に対し
「介護の現状を全くわかっていない!」
「介護はそんな甘いものじゃない!」
との批判も多くあるようです
それは確かにそうかも知れません
しかし、小平次はもう少し思うところがあります
曽野さんは決して介護の仕事が簡単で甘いものだなどとは考えておられないでしょう
よほどのバカでなければそんな風には思わないでしょう
「優しければそれでいい」
それは、介護という仕事において、最も重要なファクターであろう、ということのように思います
小平次も仕事柄、福祉の現場に携わることがありますが、その中で、基本的に、例えばおばあちゃん、おじいちゃんの、子どもたちの、その笑顔を見ることにやりがいを感じられるような人ならば、たとえ技術的に未熟な点があったとしても、その「優しさ」が、「笑顔を見たい」という気持ちが、決して楽ではない仕事をやる上での未熟さを、やがては克服していくだろうと感じています
逆にそれがなければ、その仕事から離れていくことになるだろう、という事です
現実にそのようなことをたくさん見てきました
もちろんすべてがそうであるとは申しませんし、高齢者の方や、幼い子供、その他、人の助けを必要とする方々に関わるのですから、必要最低限の技術や知識の習得は不可欠であることは当然のことではあります
さてこの小平次、このように申しながらも
曽野さんの言う「移民要件の緩和」については正直今の時点では反対です
まことしやかに言われる「移民政策」などは断固阻止したいと思っております
それでもこの少子高齢化社会の打開策として移民政策を実行すると言うのであれば、曽野さんの言うように是非とも住み分けはした方が良いと思います
文化、習俗、宗教の違うもの同士、お互いのためです
また、今回の曽野さんのコラムにおける
「住み分け」
に反対の立場の意見として
「居住を分けるのではなく、移民総数を完全に管理しつつ、移民の日本文化への適切な同化政策こそが唯一のこの国の移民政策を成功裏に進める手段である」
というのを見かけました
「移民総数を完全に管理しつつ…」
というのは絶対的条件であると小平次も思いますが、「適切な同化」という事に対しては懐疑的であります
この「適切な同化」がもしできるのであれば、もちろんそれにこしたことはないのですが、小平次はそんな事は不可能だと思っています
なぜなら、もし、そのような同化が可能ならば、今現在、世界が国ごとに分かれて国家を形成する必要なんてなかったことになると思うのであります
そういう文化、習俗、宗教の違いが時に対立を繰り返しながら「国」を分け「地域」を分けてきたのでありますから、それぞれの移民先に同化していくことが可能なのであれば、人類はとっくにそうしてきたでしょう
そして、どこかの政党が言うような「世界市民」「地球市民」なんて世の中を実現していたことでしょう
ですが実際に起きているのは、人類誕生以来、文化、習俗、宗教の違いによる対立、争いばかりです
さて、最後になります
この曽野さんのコラムが産経新聞に掲載されたのは2ヶ月ほど前のことですが、その時点では、その昔アパルトヘイト先進国であった南アフリカ大使館からも抗議が入った上、世界中のメディアでも報道されたようであります
それに対し、その後産経新聞並びに関係者が、どのような対応をしたのか小平次はよく知りませんが、この事につき、産経新聞並びに関係者は、その真意を丁寧に説明し、理解してもらわねばなりません
それはおそらく大変困難なことでありましょうが…
なぜなら、上記バッシングのように(http://news.livedoor.com/article/detail/9779067/)、明らかな悪意と思想によって巧みに情報を操作し、対立を煽り、利益を得ようとする輩がたくさんいるからです
私たちは、日本人として、祖国を守るために、感性を磨き、しっかりと目を覚ましていなくてはなりません
そして、私たち日本人は、世界中に人種差別の猛威が吹き荒れていた時代に、世界で初めて人種差別撤廃を訴えた先人の子孫であることを忘れてはなりません
御免!