さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

卑弥呼ではない 日御子様です!  小平次の妄想的歴史探訪(再編集) 

2016-06-24 | 歴史
こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

本日はあの!

日本史における超有名人

「邪馬台(臺)国の卑弥呼」

について妄想を進めて参りたいと思います


さて

「卑弥呼」

初めて学校で歴史を習うとき、その最初に学ぶ人として小学生でも知っている我が国の歴史上の超有名人ですね


しかし!

表題でも述べた通り

「卑弥呼」

なんて、自分たち以外は「蛮族」だと居丈高に振舞っていた大陸の国の史書の記述通りに「私たち日本人が」、その古代の女王に対し「卑しい」なんて当て字をそのまんま使ってていいものでしょうか

少なくとも学校の教科書なんかではこんな汚らしい字面で我が国の古代の女王を表現してほしくないと思いますよ

もし、このころ我が国の先人たちが「漢字」を常用していたらこんな字を当てたでしょうか

前回の記事「漢字流入を阻止せよ」でも述べましたが、この時代、先人たちは間違いなく外交文書や交易などで漢字を使用していたはずです

としますと、古代人たちは自らの女王様にどのような「字」が適切てあるかをわかっていたのではないでしょうか

少なくとも「卑弥呼」は、公孫氏の滅亡に素早く反応し、魏に絶妙なタイミングで使節を送り「親魏倭王」の金印を受け、自らが「倭王」であることを国際的に認知させ、その後長きにわたり宿敵となる半島南進を目論む高句麗や、国内で対立していた狗奴国などの牽制に成功しています

そんな戦略的外交を展開していた「ヒミコ」であります

その時の外交文書などはへりくだって自らを表記したかもしれませんが、公孫氏や高句麗などとの外交文書においてはひょっとすればその「適切な漢字表記」で記していたかもしれません

さて、ではどのような「字」が我が国の古代女王様にふさわしいでしょうか


小平次は断然

「日御子」

であったと考えています


そして

「邪馬台(臺)国」



「大和国」

であろうと思っております

つまり

「大和国の日御子」

です


「邪馬台(臺)国の卑弥呼」だと


(こんな感じ)


「大和国の日御子」だと


(こんな感じ)

どうでしょう

まったくイメージが変わってくるではありませんか!


「邪馬台(臺)国の卑弥呼」

だと、どうにもなんだか悪魔崇拝の呪術師のような感じになってしまいますね

その政治も鹿の骨をばら撒いて吉凶を占ってやっていたような…

その字面からついつい魏志倭人伝の

「名曰卑彌呼事鬼道能惑衆」

鬼道につかえ、よく衆をまどわす。」

といったような記述に目が行きがちになり、一層おどろおどろしい感じになってしまいます



さて、そんなわけで当ブログにおいては今後、あくまでも

「大和国の日御子」

としてその実像を妄想して参りたいと思います

「大和国の日御子」

としてアプローチしてみますと、日御子(ひのみこ)はその名の通り、太陽を中心とした万物に感謝するための「神事」を司る「神官」であり、大変清々しく美しいイメージへと変わってまいります


また「大和国の日御子」であるならば、魏志倭人伝の記述についても、注目すべき視点が変わってきます



「大和国の日御子」を妄想する上で、小平次が最も注目する魏志倭人伝の記述は

「鬼道能惑衆」

の前

「其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子爲王」

「その国は、もともと男子をもって王としていた。七、八十年前倭国は乱れ、互いに攻撃し合い年を歴た。そこで共に一女子をたてて王とした…」

この「住七八十年」の解釈については、魏志倭人伝の成立から七、八十年前とか、日御子即位の直前の七、八十年間とか諸説あるのですが、当ブログではその辺あまり深く考えず、いずれにせよ日御子の即位直前まで国が乱れていた、と簡単に解釈していきます

「共立」

とありますので、それまで争い合っていた有力者たちが、何とか争いを止めるために共に話し合い、日御子を女王として擁立したということなのでしょう

さて、ここで素朴な疑問です

なぜ日御子を女王とすることで争いが治まったのでしょうか

ちょっと極端な例で考えてみます

例えば、日露戦争の真っただ中に、敵国のロシア皇帝ニコライ2世が退位し、皇女の一人であったアナスタシアが新たに女王となったとします

しかしながらその皇位の交代は、日本にとってなんら武器を置く理由にはならないわけです


では、日御子が女王となり王位の交代が行われたことによってそれまで争い合っていた者たちが武器を置いたのはなぜなのでしょうか

それは、争いの理由が王位の継承に他ならなかったからでしょう

ニコライ2世の退位とアナスタシアの即位は、日本には何の関係もないことですから日本が武器を置く理由にはなりません


しかし日御子の即位はそれが王位の継承争いであり、皆が関係者であったから武器を置いたのでありましょう

「共立」

ですから、武器を置くために「日御子」をたてた、とも考えられるわけです

いずれにせよ、当然のことながら「日御子」はそれまでの王の系統の血筋の人であり、争い合っていた人たちも皆多かれ少なかれその血筋の人、もしくはそれを推挙しようとしていた有力者、ということになるのではないでしょうか

それにしてもその血筋の中から日御子が選ばれた理由はなんでしょうか


「血筋そのものはそこそこであるが、争い合っていた有力者の誰とも利害がからまず当たり障りのない人物であったから」

逆に

「争い合っていた者たちの誰もが文句のつけようのない正当な血筋であったから」

どうなんでしょうか

小平次の思うところ「日御子」の治世は即位後、約60年と長期にわたっています

もし、単に血筋もそこそこ、政治的能力よりも「当たり障りのないこと」が選ばれた理由だとしたら、このように長期にわたり治世を担うということは考えにくい事のように思えます

「誰もが文句のつけようのない血筋」であり、なおかつ先の外交戦略などを見ても、政治的能力も長けていた

さらに、神秘的なオーラやカリスマ性を兼ね備えていたのではないでしょうか


日御子の治世が長期にわたっていることについて、当時の平均寿命からすると考えられない、という人もいるようですが、小平次はあり得ないというほどのことではないように思います

平均寿命が現代よりもはるかに短かったことは間違いないでしょうが、それこそ現代のような残留農薬、化学薬品をふんだんに使った加工食品なんてない時代です

自然の恵みをいただく、それこそすべてが今流行りのスローフードです

大きな病気にかからなければ、現代人よりも長く生きた人もそれなりにいた可能性は十分にあります


さて、神聖なオーラとカリスマ性を十分すぎるほどに兼ねそなえ、なおかつ誰も文句のつけようのない正当な血筋

唯一障害があったとすれば、それまで「男王」が治めていた、とありますように、「女王」の誕生には賛否があったかしれませんが、それでも皆が武器を置き、争いを止めるほどの正当な納得できる血筋の後継者…

「日御子」

をおいて他になかったのでしょう


神性とカリスマ性、そしてだれもが認める正当な血筋…

このような血筋は我が国日本にはたった一つしかありません


「皇統」


です


ええええええええーーーーーーーーっ!


「日御子」は皇統の中のどなたかであらせられたのでしょうか!

もしそうであれば、もはや「日御子」などと呼び捨てにするわけにはいきません

今後当ブログでは「日御子様」と呼ばせて頂きます


さて、そうなりますと当然、古事記や日本書紀に「日御子様」の事績が記されていなくてはなりません

そんなことがあるんでしょうか

実は日本書紀の「神功皇后紀」には、あくまでも断定することなく、さりげない形で魏志倭人伝の卑弥呼の記述が「引用」されているのです

少なくとも日本書紀編纂者たちは、海外にまで名をはせた女王を、その事績から考えても神功皇后の他なく、そう比定しようとした風に思われます




さて、日御子様は神功皇后であらせられたのか

その辺の妄想はまた次回に



御免!


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今更ながら保育園落ちた 日本死ね!と、杉並区の保育所建設反対について(再更新)

2016-06-08 | 社会・経済


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です



今回、本当は妄想的歴史探訪の方で「ヒミコ」の記事を書いている最中だったんですが、先日杉並区の保育所建設に地域住民が反対しているってなニュースをテレビで見まして、何だかいてもたってもいられなくなってしまって、今回はそのことについて書いてみたいと思います


「保育園落ちた 日本死ね!」


以前、一主婦のブログ(ヤラセ説もあるそうで)を国会で取り上げ、マスコミなんかも大騒ぎしたなんてことがあったんですが、これに関してはですね、乳幼児を抱えている共働き家庭の切実な思いってものには大いに共感するところであります

ただですね

「日本死ね」

はいけませんね

なぜなら、日本は素晴らしい国だからです

なぜ素晴らしいのか

それは天皇陛下があらせられ、皇室があるからです

この素晴らしい日本をダメにしているのは、一部の金に目のくらんだ亡者たちと、やはり金に目のくらんだ利権で動く政治家たちです

そしてそんな政治家を選挙で選び、野放しにし、いつの間にか金の亡者たちに取り込まれてしまっているている私たち国民一人一人なのです

天皇陛下は、そんな私を含めた愚民たちの平和と安寧を日々、祈っていらしゃるのです

天皇陛下の神事はとても一般人には耐えられない大変なお仕事です

自分のためではないからこそ、そのようなご負担の大きいお仕事をなさることができるのです

それについてはいずれまた


私たちはもっと学ばなくてはなりません

知恵をつけなくてはなりません

感性を磨かなくてはなりません

そうすれば自ずと天皇陛下があらせられる「素晴らしい国」を取り戻していける、小平次はそう信じております


さて、先日のニュース、杉並区がある公園の敷地の一部を取り壊し、そこにあらたに保育園を造るってな計画をたてたところ、近隣地域の住民が激しく反対して、行政と反対住民が言い合いしている集会の映像が流されたていたのです(ほぼ一方的な住民の抗議の映像でしたが)


他に代替地があるのなら、何も公園をつぶさなくても良いだろう、とも思えるんですが、このニュースで映っていた人達はですね、そんなんじゃないでしょう まあ決めつけちゃいけませんが…

「子供たちの遊び場を奪うのか!」

「区は譲り合ってと言うが譲っているのは子供たちと地域住民だけで、区は何を譲っているのか!」

パチパチパチパチ(拍手)

後から聞きましたが、保育所の必要性を訴える乳幼児を抱えた母親に反対派からヤジまで飛んでいたそうです


今、日本人の平均年収は400万前後です

平均ですからもっと少ない人たちもたくさんいるわけです
でしたら
当然共働きですね

小平次は以前それなりに稼いでいた時もありましたが、一時没落しましてね、まあ今も大変ですが、その没落した時期に丁度子供が保育園に行くような歳でした

それまで専業主婦だった女房殿も働きに出なきゃいけなくて、保育所一つ探すのも大変でしたよ

乳幼児なんかいつ熱出したり体調が悪くなったりするかわかりませんから、そんな時に仕事を抜け出して迎えに行ったり、仕事が終わらなくても時間が来れば迎えに行かなきゃならなかったり、当然家や職場に近い保育所を探さなきゃならないわけで、さらに職場もそういうことに理解のあるところを探すとなると、とにかく大変なんですね

「保育園落ちた」

の人の切実な叫びはよくわかりますよ

日本は昔、3世代くらいで暮らすのが当たり前で、だれかが子供の面倒は見ることが出来たのですね

つい最近までは近所の人たちと助け合ったり、家族ぐるみ、町ぐるみで子供を育てていたわけです

明治維新直後の日本を、長期に渡り旅をしたイギリス人女性旅行家のイザベラバードさんが、その著書「日本紀行」の中で

「とにかく日本人ほど子供をかわいがり大事にしている民族はいない」

みたいなことを述べています

今はそんな時代じゃないかもしれません

この「保育所建設反対」は今回の杉並ばかりじゃなく、都市近郊の住宅地なんかでは全国あちこちでおきているようですよ

実際に建設が中止になった話もあるわけですね


その理由の主なものに

「子供の声がウルサイ!」

なんてのもちらほら聞くわけです

子供たちの元気な声が

「騒音」

だってわけです


実は小平次の家の前はですね

割と規模の大きな保育園なんですよ

小平次は今の生業に就く前、タクシードライバーを4年ほどしていたことがありまして

24時間夜通し朝まで走って、家に帰ってきます

その日はとりあえず休みになるのですが(明番)、次の日はまた朝から夜中まで走るわけです

当然帰ってきたら寝なくてはなりません

寝るのも仕事、とよく先輩から言われましたよ

仕事明けの朝、疲れ果ててさて寝よう!

ってベッドに横になりますとね


家の前は保育園…

それはそれは元気な大勢の子供たちの叫び声…

流行りのアニメソングの大合唱…


そりゃ思いますよ

「うーるーせーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

って

でもですね、すぐ思いなおします

「ああ、自分たちも娘が小さいころ、たいへんだったではないか…」

さらに

「ああ、あの子たちがこれからの日本を背負ってたつのではないか…、ガンバレ!」

そんな風に思っていますと、いつしかその子供たちの「騒音」も、何だか子守唄のように聞こえてきて、心地よい眠りにいざなってくれるのでありますよ

昨今の保育所建設反対のニュース

何かですね、、もはや子孫を残そうという本能、次世代を、子々孫々を想う気持ち、こういったごく当たり前の動物的な本能すら狂っているんじゃないかって感じるわけです

人どころか動物ですらない

妖怪ですよ

件の杉並の保育所建設についての集会での反対派の人たち

こんな大人の言い合いの席に自分たちの子供であろう小学生まで出席させて、さらに発言までさせている

「僕たちの遊び場をこわさないで!」

……







お前お兄ちゃんだろ!

自分より小さな子のために譲ることもできないのか!

親の顔が見てみたい!

ってそこに映っていた親の顔はですね

何とか和解し合おうという気持ちなど微塵もなく、自分たちの主張で抗議するだけ、それはもはや小平次には人には見えません

その妖怪たちに、違和感、などではなく、怒り、いやもう恐怖すら感じますよ

確かに代替地があるのなら、ただでさえ遊び場の少ない東京で公園つぶさなくてもできないのかって話はあるでしょう

しかしですね

子供たちの声が「騒音」だって言って、あっちで反対、こっちで反対

行政も候補地が公園ぐらいしか無くなっちゃてんじゃないですか



何よりそういう大人の言い合いの席に子供を参加させて発言までさせている

小平次には理解できないのですよ


子供たちの元気な声が

「騒音」

だといって保育所建設計画を頓挫させてしまう

小平次には理解できないのですよ


常々マスコミの報道なんてものが一方的なのは重々承知しています

それでも子供たちの声を「騒音」呼ばわりしている人たちや、テレビの撮影までされている大人の言い合いの席に子供を参加させ、発言させている杉並の反対派住民のことを「妖怪」呼ばわりしていることを、小平次は今のところ訂正する気はありませんね

小平次がおかしいんですかね?


それともなんですか?

都内に韓国人学校建設を強行しようとした舛添都知事に対して

「代替地がそこにあるではないか」

という強烈なイヤミをこめた

「ヤラセ」

ですか?



御免!








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