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さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

日本書紀 神功皇后紀を読んでみる3

2016-11-29 | 日本書紀を読んでみる


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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

「日本書紀 神功皇后紀を読んでみる」

前回は神功皇后、おきながたらしひめのみことは、それはそれは美しく、叡智、聡明な方でいらした

という冒頭の部分を読んでみました

早速続きを読んでみましょう


「九年春二月足仲彥天皇崩於筑紫橿日宮時皇后傷天皇不從神教而早崩以爲知所崇之神欲求財寶國是以命群臣及百寮以解罪改過更造齋宮於小山田邑

三月壬申朔皇后選吉日入齋宮親爲神主則命武內宿禰令撫琴喚中臣烏賊津使主爲審神者因以千繒高繒置琴頭尾而請曰「先日教天皇者誰神也願欲知其名」逮于七日七夜乃答曰「神風伊勢國之百傳度逢縣之拆鈴五十鈴宮所居神名撞賢木嚴之御魂天疎向津媛命焉」亦問之「除是神復有神乎」答曰「幡荻穗出吾也於尾田吾田節之淡郡所居神之有也」問「亦有耶」答曰「於天事代於虛事代玉籤入彥嚴之事代主神有之也」問「亦有耶」答曰「有無之不知焉」

於是審神者曰「今不答而更後有言乎」則對曰「於日向國橘小門之水底所居而水葉稚之出居神名表筒男中筒男底筒男神之有也」問「亦有耶」答曰「有無之不知焉」遂不言且有神矣時得神語隨教而祭」




 仲哀天皇のご即位九年、春二月に天皇が(足仲彥天皇・たらしなかつひこのすめらのみこと)が筑紫の橿日宮(かしひのみや)で崩御された。

そのとき、皇后は天皇が神の言葉に従わなかったことで早く亡くなられたことに心を痛め、仲哀天皇を祟った神を知り、あらためてその言葉を聞き、御自ら、財宝の国を求めようと思われた。

そこで群臣と百僚(官僚)にお命じになられ、世の罪を祓い、過ちを改めて、さらに斎宮(いわいのみや)を小山田邑(おやまだのむら)に造らせられた。

三月一日、皇后は吉日を選んで斎宮にお入りになられ、御自ら神主となられた。

武内宿禰(たけしうちのすくね)に命じて琴を弾かせ、中臣烏賊津使主(なかとみのいかつのおみ)を呼び、審神者(さにわ・神託を聞き、その意を解す人)とされた。

そしてたくさんの織り物を、琴の頭と尾のところに供え、神に尋ねて言われた

「先の日に天皇に教えられたのはどちらの神でしょうか。願わくは、その御名を教えて頂けますか。」


七日七夜たって、ようやく答えがあった。

「神風(かむかぜ)の伊勢国の度逢県(わたらいのあがた)の五十鈴の宮においでになる神、名は撞賢木嚴之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)である。」

烏賊津使主(いかつのおみ)は尋ねた。

「この神の他にまだ神はおいでになりますか?」

答えがあった。

「旗のようにたなびくススキの穂のように現れ出でた吾は、尾田の吾田節(あかたふし)の淡郡(あはのこほり)にいる神である」と。

また尋ねた。

「まだおられますか?」

答えがあった。

「天事代於虛事代玉籤入彥嚴之事代主神(あめにことしろそらにことしろたまくしいりびこいつのことしろのかみ)がある」 と。

さらに尋ねた。

「まだおられますか?」

答えがあった。

「いるかいないか分からない」と。

そこで審神者(さにわ)烏賊津使主(いかつのおみ)は言った。

「今、お答えがなくとも、後にまたおことばがあるようなことがありましょうか?」

答えがあった。

「日向国(ひむかのくに)の橘の小門(たちばのおど)の水底にいて、海藻(かいそう)のように若々しく生命に満ちている神、名は表筒男(うわつつのを)、中筒男(なかつつのを)、底筒男(そこつつのを)の神がいる。」


「ほかにまだおられますか?」


「あるかないか分らない」


ついに、神がいるとは言わなくなった。

その神の言葉をうけ、教えられたままに祀った。


香椎宮 「橿日宮(かしひのみや)」の伝承地


簡単解説

冒頭の「仲哀天皇の崩御」ですが、仲哀天皇紀には、天皇が「西の宝の国(朝鮮)を治めよ」との神のおことばを信じず、無視したために急死したというようなことが記されております。病死のようですが、別説には、日本武尊(やまとたけるのみこと)を父とし、武人でもある?仲哀天皇が熊襲(くまそ・大和に従わない九州の勢力)征討のさい、敵の矢で射たれたというものもあります。いろいろ妄想膨らみますが、それは妄想的歴史探訪の方でいずれ


神がかりした神功皇后と審神者(さにわ)烏賊津使主(いかつのおみ)の掛け合いのシーンですが、ここは神がかりした皇后御自らお尋ねになられているとする訳者もいらっしゃるようです

神がかりした皇后が御自ら神のおことばを語り、御自らお尋ねになるってのも変な感じですが、もしそうであったなら

「まだおられますか?」

「〇〇である」

「まだおられますか」

「いるかいないか分からない」

実際は命懸けのシーンなわけですが、誠に不敬ながら神功皇后がちょっとかわいらしく思えてしまいます

小平次は実はこののちの新羅征討に向かう勇ましいシーンも好きですが、この神との掛け合いのシーンも結構好きなのです

現れた神は諸説ありますが

撞賢木嚴之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)は「天照大神様」(異説あり)

尾田吾田節之淡郡所居神はいろいろ説がありますが、土地の神様でしょうか

天事代於虛事代玉籤入彥嚴之事代主神(あめにことしろそらにことしろたまくしいりびこいつのことしろのかみ)は出雲で有名な「事代主神」

表筒男(うわつつのを)、中筒男(なかつつのを)、底筒男(そこつつのを)は「住吉三神」

このあたりのことを神話としてではなく、現実的な事件として考えると、またまた妄想が膨らみますが、それはまた別の機会で

では今日はここまでで

ありがとうございました




御免!





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安倍クン、安倍クン、いったいどこを見てるんだい?

2016-11-26 | 社会・経済



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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です


安倍首相…

一体この人、今どこを見てるんでしょう

トランプさんの当選でもはやTPPなぞ参加する意味も無かろうに

わざわざアメリカまで行ってTPPの必要性を訴えてみたり…

トランプさんはまだ一民間人ですよ

一民間人に

「世界で一番先にご挨拶に来ました~」

って…

先日のニュースでもやっていましたが、得票数だけで言えばクリントンさんが200万票以上の差をつけているとかで

「諦めない」

と言ってるとか言ってないとか

まあ無理なんでしょうけど、トランプさんで決まりってまだ断言まではできない段階で早くも

「アメリカ詣で」

そもそも自民党は、民主党からの政権奪取のさい、TPP参加は反対じゃなかったですか?

安倍さん自身は「そんなことは言っていない」とおっしゃっているそうですが、多くの国民の目には自民党は反TPPであるように映っていたのではないですか

TPPに参加するってのは、これまで英米が先頭に立ち推し進めてきた「新自由主義」「グローバリゼーション」の一貫上の事なわけですよね

簡単に言えばより一層の弱肉強食の世界

我が国日本は長い間その価値観を否定してきた国であって、TPPへの参加も、まあアメリカに言われ仕方なく…

ってことのように多くの日本人は思っていたのではないでしょうか

その弱肉強食の価値観、枠組み作りの先頭にいたイギリスがまずEU離脱、アメリカでは過剰な自由貿易を否定したトランプさんが大統領に当選

この意味はなんでしょうかね

簡単に考えましょう

みんな疲れちゃったんですよ

言いだしっぺのイギリス、アメリカ、その国内の大多数の中間層、それよりちょい下の人たち

「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る…」

もうその弱肉強食そのものである「自由競争」をやめようって

そういう結果のように見えるんですが…

そして、古代よりその弱肉強食の価値観を否定し、時に命を賭して戦ってきた先人のみなさまの事を想えば、その価値観の一貫上のTPPをアメリカ自らが排除にかかったわけですから、本来であれば我が国としては諸手をあげて喜ぶべき時であるかのように思うのですが…


かく言う小平次も、当初は安倍首相、安倍政権を支持していたのであります

それは、TPP反対は述べてきた通りですが、何より憲法を改正すると言っていたこと、拉致被害者を救出すると言っていたこと、それにつきるかと思います

当初から安倍首相を「従米の売国奴」と言って批判していた人たちもいらしたわけですが、小平次としては戦後70年、従米、媚中、媚韓でやってきた我が国を取り戻そうとすればそれは大変なことでしょう

一気にことをすすめることなどできない、そう考え、徐々に不信感を持ちながらも自分に言い聞かせるように応援してまいりました

しかし、軍艦島の世界遺産登録の際の失態、南京大虐殺の記憶遺産登録の際の対応、どんなに言い訳しても筋が通りません

従軍慰安婦の件についての日韓合意、あり得ないことでした

拉致被害者の救出も一向に進んでおりません(やるべきことはたくさんある)


そして8月8日

天皇陛下のおことば以降の政権の対応

もはや言葉もありません

まだ大統領就任前の「一民間人」に媚を売るため、我先にアメリカを訪問し、アメリカ国民がNOと言っているにもかかわらず弱肉強食の価値観である「自由貿易」の必要性を訴えに行く(軽くあしらわれTPPからの離脱を宣言される)

「一民間人」に媚を売りながら、我が国の「君」のおことばは無視

一体だれを見ているのですか、どこを見ているのですか


私たち国民一人一人、天皇の民としてしっかりと目を覚ましていましょう


※それにしても

「従米」

ならば、そのアメリカ様がやんないって言ってるんだから素直にそうすれば良いように思うのですが、ここまでしていまさら「自由貿易」の必要性って…

ほんとだれを、どこを見てるんでしょうかね…



御免!
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日本書紀 神功皇后紀を読んでみる 2

2016-11-23 | 日本書紀を読んでみる


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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

「日本書紀 神功皇后紀を読んでみる」

始めて見たいなと思います


前回プロローグで申し上げたとおり、あまり学術的にどうこうではなく、ただ一日本人として感じてみる、そんな感じでやっていきたいと思います


日本書紀 巻第九 神功皇后

氣長足姫尊 神功皇后

「氣長足姬尊稚日本根子彥大日々天皇之曾孫氣長宿禰王之女也母曰葛城高顙媛足仲彥天皇二年立爲皇后幼而聰明叡智貌容壯麗父王異焉」


訳文

「オキナガタラシヒメノミコト(神功皇后)は、ワカヤマトネコヒコオオヒヒノスメラミコト(開化天皇)の曾孫のオキナガスクネノオオキミの娘である 母をカツラキタカヌカヒメという タラシナカツヒコノスメラミコト(仲哀天皇)の即位2年のときに皇后となった 幼いころから聡明で叡智であらせられた その容貌も優れて美しく、父もいぶかしがられるほどであった」



簡単解説

氣長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト)とはもちろん神功皇后のことです

これまでご紹介してきたとおり、皇太子であらせられた応神天皇のご即位が西暦390年、古事記崩年干支からおそらく夫の仲哀天皇の崩年が、西暦362年と推測されますので、その翌年からが神功皇后の執政開始と考えられます

「氣長氏(オキナガ氏」とは一応名門氏族と言われておりますが、これについてもあーでもこーでも諸説ありすぎるので、そうなのか、と読んでおきましょう

小平次が何より心惹かれるのは、やはり

「幼而聰明叡智貌容壯麗父王異焉」

のくだり

「幼いころから聡明で叡智であらせられた その容貌も優れて美しく、父もいぶかしがられるほどであった」

後に雄々しく男装し、海を越え新羅征討に向かわれる古代の超スーパースター、スーパーヒロインはやはり「聡明にして叡智」かつ「美しい」方でなくてはなりません

「父もいぶかしがられる」

というのは「宇治谷孟」先生の「全現代語訳・日本書紀」(講談社学術文庫)など、ほかのいくつかの訳書にも見られる表現ですが

「異焉」

とは、「他と異なる」という意味に対し「焉」によって疑問文のような意味合いになっているようです

ですので他の訳文を見ますと

「父も不思議に思うほど」とか「父もあやしむほど」

というものもあります

小平次としてはこの

「いぶかしむほどの美しさ」

という表現が好きですね

「いぶかしむ」 → 「不審に思う、あやしむ」

といった意味ですが、何も「自分の子ではないのでは?」的なことではなく、子供離れした落着き、賢さ、驚くほどの美しさ、それがあまりにも人とかけ離れたものであったため、うれしいような反面、父としていてもたってもいられないような不安、心配、のような感情がにじみ出ているように思えるのです

さて、その美しくも聡明、時に雄々しくもあった神功皇后

この後、どのように我が国の「君」として歩まれるのでしょうか

また次回、続きをご一緒に読んでみましょう


御免! 


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「日本書紀 神功皇后紀」を読んでみる プロローグ

2016-11-14 | 日本書紀を読んでみる


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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

進めてまいりました「妄想的歴史探訪」でありますが、前回、古代日本は朝鮮半島の三国

「高句麗」 「百済」 「新羅」

に対し、時に軍事侵攻、大規模な戦争など、積極的に半島の国々への干渉をしていたようであることを述べました

特に「新羅」に対しては、朝鮮の史書「新羅本紀」に王都金城が八度も「倭軍」の侵攻を受け、包囲された等の記事を見つけることができます

「王都」まで外国の軍隊が侵攻してくる、尋常ならざる事態ではないでしょうか

例えば日本において、あの「元寇」のさい、元軍が京の御所の間近まで大群で押し寄せて来た、となっていたら我が国の歴史上、これまで以上に大変重大な事件として認識されることになっていたでしょう

というより、その後のわが国の歴史は一変していたかもしれません


金城までの侵攻に至らないものでも「倭軍が東海岸に侵入した」というような記事も数多あるわけです

こんなにも日本が新羅へ侵攻した理由はなんでしょうか

その妄想についてはいずれまたお話させて頂きたいと思っておりますが、最も単純な理由としては、新羅と隣接していた半島南部、南端部、この地域が元々は新羅や百済の建国前から

「日本領であった」

ことが関係しているのだろうと妄想できます

百済、新羅が建国される頃には、この地域はそれまでの「日本固有の領土」的なものではなく、任那と呼ばれるどちらかと言えば「植民地」に近いような国々の集合体のような地域になっていたかのようにも見えます

日本の「新羅」侵攻、それは単純にこの任那地域の権益を侵すような振る舞いを新羅が行ったのではないでしょうか

「任那地域の権益」

を侵す、といっても、それは単なる「国益」への侵犯、ということだけではなく、太古の昔から連綿と続いてきたこの地域に対する日本人の、なにか根源的な思い入れのようなものがあったのではないかと小平次は妄想しております

もちろん、高句麗などに対する本土防衛上の重要な軍事的要衝でもあったでしょうし


さて、この大和の新羅侵攻

ハイライトはやはり

「神功皇后の三韓征討」

でありましょう

戦前まで神功皇后は、日本史上の重要な実在の人物の一人として教育の場にも当然出てきましたし、お札の肖像にもなっておりました



しかし戦後、GHQの占領政策により日本の歴史教育、日本人の歴史感が一変させられると、神功皇后はあくまでも神話上の人物としてその実在性を否定されてしまったわけです

その上、歴史教育の場のみならず、日本人の生活そのものから「神話」を教える、語る、ということが消えていき、まさに歴史から抹殺されたがごとく今日にいたっております

そういうことから、日本人でありながら「神功皇后知らない」と言う人も大勢いるのです

小平次の知人でも、東京の六大学を出たような人が「知らない」と言います

小平次自身も、家がクリスチャンでしたし、大学受験は世界史を選択、大学で経営学部ながら取ったゼミが「日本の古典を読む」というものであったので、ようやくそこで「お名前だけ」は知るようになったくらいです
(そんなゼミをとっていましたが、漢文の古典なんてもはや読めませんが…)

学校の教科書にも出てこない、神話も教えられない

「神功皇后を知らない」

無理からぬことです

それでも最近になって、心ある研究者の方々の努力によって、その実在の論証が試みられるようになってきているのは喜ばしい限りであります

小平次としては、尊敬する大平裕さんの論証もさることながら、もっと単純に考え感じるままにその実在を確信しているのであります

それはまず、西日本を中心に残る、神功皇后にまつわるその伝承、伝承地(およそ三千とも)の多さがハンパないということが一つ

また、神功皇后を祭神として祀っている神社の数は、やはり西日本を中心に900を超え、歴代天皇、皇后の中でも群を抜いてダントツの一位であるということが一つ

神話上の伝説の人とするにはあまりに伝承、神社の数が多すぎるのではないかと思うのです

小平次としては、神功皇后の実在の証明は、これらの事実だけで十分であると感じております

また、後世につけられたものではありますが、そのお名前に「神」という字が使われていること、天皇、皇后のお名前として「神」の字が充てられているのは

「初代神武天皇」「十代崇神天皇」「十五代応神天皇(母君が神功皇后)」

そして

「神功皇后」

だけであります

こんなこともまた、妄想をたくましくさせてくれると思います

「神功皇后」

知れば知るほどとても魅力的なお方でいらっしゃいまして、色んな妄想も膨らむのですが、それはそれでお話させて頂くとして、今シリーズは、新たにカテゴリーを設け

「日本書紀 神功皇后紀を読んでみる」

と題しまして、原文をご紹介し、その上で様々な訳文を参照にしながら(くどいようですが小平次は漢文なんぞ読めませんので)、あまり学術的視点にとらわれずにフラットな目線で、日本史の超スーパースターにして「英雄」でいらっしゃる「神功皇后」をともに感じていくことができればと思っております

自身もあらためて勉強しながらゆっくりやっていければと思っております

よろしくお願い申し上げます







御免!
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韓国歴史ドラマと古代日本

2016-11-08 | 歴史


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小野派一刀流免許皆伝小平次です


さて、皆さん、韓国の歴史ドラマって見たことありますか?

小平次はですね

女房殿が見ていたのをちょっと一緒に見てみたら、何だか結構面白くてハマってしまったのですよ


ただですね、あまりにそのシリーズの回数が多い!

大体一つのドラマが50話とか60話、もっと長いものもあります

まあ、NHKの大河ドラマも50話くらいですからね、ありなのかもしれませんが、まあ長い長い…

あんまり長いもんですから、おっ、もう最終回かなって思うくらいのクライマックス的な話が何度もあります

韓国ドラマの基本は

「陰謀、謀略、裏切り、復讐、少し恋愛」

の連鎖、繰り返しです

主人公が謀略にはまり、濡れ衣を着せられピンチになり、幾人かの家族などが殺され、やがて復讐を遂げる

こんな感じの事が一つのシリーズで何度か繰り返されるって感じなんですが、まあ人の心を突くというか、こういう連鎖によってついつい続きを見たくなってしまうようにできているわけです

史実とかよりもそういった視点に力点が置かれており、特に時代を問わずどの歴史ドラマもそんな感じですので、1、2本見たら小平次としては飽きちゃいましたね

「歴史ドラマ」というよりは「時代劇」

日本で言えば「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」のような感覚で見ていれば、まあ面白く見られます

日本の歴史ドラマの代表格

「大河ドラマ」

もですね、基本的には幕末か戦国時代、少し忠臣蔵、くらいしかやらず、特に戦国時代なんかは豊臣秀吉が晩年、悪の権化のようにトチ狂ってしまう、みたいのばっかりで、とても陳腐で飽き飽きしていますが…

そういう意味では韓国の「ファンタジー歴史ドラマ」を「時代劇」感覚で見る方が面白かったりするかもしれません

そんな中、小平次が見て、ハマったのが、古代「新羅」に実在した「善徳女王」の生涯を描いた作品と

「善徳女王」

高麗時代、蒙古が攻めてきた時代のお話で、から武人の執権まで昇りつめた「金絢」という人の生涯を描いた作品の二つでした

「武神」

二つとも結構面白かったんですが、先にも言った通り、基本的に「陰謀、謀略、裏切り、復讐、少し恋愛」の連鎖、繰り返しですので、なかなかに疲れます

「善徳女王」の主演、イ・ヨヲンさんは大変美しい方で、小平次は結構好きで、年甲斐もなく一時期「LINE」のホーム画像につかってたりしたこともあります(恥!)



「武神」の方は崔氏政権の二代目、崔瑀(チェ・ウ)役のこの方




実に存在感あふれる演技をする方で、この方も小平次は好きですね(もちろんホーム画面には使いませんが)


で、今回ちょっと触れてみたいのは古代「新羅」の歴史について

小平次が見た「善徳女王」の時代は、西暦で言うところ、7世紀の前半から中頃、日本では中大兄皇子の「大化の改新」があったころであります

「善徳女王」の甥に「金春秋」という人がいて、ドラマにも出てまいりました

この金春秋こそ後の武烈王であり、新羅による朝鮮半島統一の礎を築いた朝鮮史における英雄のお一人でしょう

日本書紀にはこの金春秋が来日したことが記されておりまして、後の、白村江の戦いを含む「唐・新羅連合軍VS大和・百済連合軍の大戦争」に向かう流れの中での来日、妄想ふくらむお話です

日本書紀によれば、金春秋は、たいそうなイケメンであったそうで、大和の朝廷内でも結構な人気者だったようです

さて、これは韓国の歴史ドラマ、時代劇に限ったことではなく、日本の歴史ドラマなどにおいても言えることなのですが、その描いている時代時代での「国際情勢」「外交関係」といったものが、ほぼほぼ無視されているように思うのです

それでも韓国ドラマの方は、すぐ近くに絶えず支那王朝が存在していたこともあり、あり得ないような話が多々あるものの、少しは支那王朝との外交面に触れることもあります

そういう意味では日本の歴史ドラマや教科書の方が、「国際情勢」「外交関係」を無視していると言えるかもしれません

現代社会を見ても、アメリカ、中国、ロシア、EUなどとの関係は日本の国策に大きな影響を与えます

韓国や北朝鮮などの近隣国の状況もまたしかり

フィリピンなどの小国であっても、時の大統領の行動ひとつで大国が手玉にとられております

「古代」においては、大国の直接的な武力侵攻などもあったわけですから、今よりももっと国際情勢は緊迫したものであったことは想像に難くなく、近隣諸国、大国の情勢はそれぞれの国の国政、国策におおいに影響を及ぼしたはずです


「三国史記」

という、古代朝鮮半島に存在した「高句麗」「百済」「新羅」、の三国の歴史を記した朝鮮の史書、その中の「新羅本紀」をちょっと見てみますと、その記事の中に「倭国」、つまり大和、日本に関連した記事を大変数多く見つけることができます

「倭国から使者が来た」

というような外交上のものから

「倭軍が侵入し、金城を包囲した」

などというまるで戦争が起きていたかのような記述まで、たくさんあるのです

「金城」というのは当時の新羅の王都であり、新羅本紀には、この「王都」まで倭軍が侵攻して来たとの記事が、実に八回もあるのです(その他領海に侵入などの記事も多数あり)

「王都」まで外国の軍隊が侵攻して来るって、結構大変な出来事だと思うわけです

しかしながら、韓国の歴史学者はもちろん、戦後の日本の歴史学者もこのことについて触れることはあまりありません

当然のことながら教科書などにも出ておりません

「三国史記」の歴史的資料としての信憑性については、当然すべてを鵜呑みにはできません

そもそもの「新羅建国」が紀元前57年となっておりますが、支那の史書等から考えてもこれはあり得そうになく、実際は4世紀中ごろ、というのが定説であります

しかしながら、「日本書紀」もそうですが、その紀年等に疑義があるといっても、それで全てがウソということにはならないでしょう

そうして排除してしまったら、歴史研究なんて今の日本の学界のように、止まったままになってしまいます

先の「倭軍侵攻」については、例えば「高句麗」の第十九代「広開土王」の事績を、後を継いだ「長寿王」が父王の偉業を顕彰するために建立したと言われる、大変に歴史的価値の高い有名な石碑があります

この碑文中にも「倭軍」が新羅国内に満ち満ちている様子が記されていたりするわけです

その他にも碑文には、「倭軍」の侵攻を受けた「新羅」が高句麗に救援を求めていることや

「百済、新羅は古くから高句麗の属民である」

こと、にも関わらず百済が裏切り

「倭と通じた」

として軍を南下させたりしたことが記されており、半島三国の軍事的な優位性なども想像することができます


「高句麗」はこの後、大国「隋」と度々戦火を交え、互角以上の戦いをしている「軍事大国」です

碑文にはそのような状況の中、「倭軍」と度々戦火を交え、大規模な戦争をしていた様子も記されております

碑文中では「高句麗」の圧勝のように記されておりますが(実はそうでもなかったと思える記事が日本書紀にはある)、少なくとも当時、「百済・新羅」が「属民」扱いされている中、「大和軍(日本軍)」は海を渡り、強大な軍事大国「高句麗」と大規模な戦争をするだけの軍事力を持っていたことは間違いないように思われます

この「大和VS高句麗」は15年以上に渡っており、この時の天皇はどなたでいらしたか、とか、なにゆえこんなにも「新羅侵攻」を繰り返したのか、など大変妄想ふくらむお話ですが、それまた別の機会で


また「倭の五王」の時代、度々支那王朝に日本から使節が送られ、大和が支那王朝から「新羅」に対する「軍事統括権」を認められていたりすることや、新羅から大和に王子を人質として出しているこなどからも、大和と新羅の軍事的、政治的優位性がどうであったかは、想像できるのではないかと思うのです

少なくとも「新羅」は、海の向こうの「大和」を脅威に感じていたでしょうし、その国政、国策において「大和」を無視はできなかったでしょう

ドラマ「善徳女王」の時代は、この「大和VS高句麗」15年戦争よりもだいぶ後の事ですが、少なくともこのすぐあとに起こる白村江の戦いを含む「唐・新羅連合軍VS大和・百済連合軍の大戦争」の一連の流れの中で考えれば、やはり「大和」、日本を無視してはドラマは成り立たないのではと思うわけです

この時代の日本が「新羅」より優位にあったなどありえん!

という視点が先に立ってしまっているわけですが、「新羅」に関して言えば、さんざん「大和」から辛酸をなめさせられたかのようですが、最終的には唐と連合して「大和」の勢力を、ほぼ半島から排除することに成功しているわけですから、それまでの大和の優位性を認めたとしても、溜飲も下がるってもんでしょう

先にも申しました通り、このようなことは韓国側に限ったことではなく、日本においても同じことが言え、古代なんてドラマにもなりゃしないどころか、教科書にも載るべきことが載っていないと思うのです

神功皇后の事績なんて、映画にすれば絶対に面白いのに…

さて、このようなことから思うこと

日韓双方の学者さんも脚本家さんも、どっちが優れてたとかそういうことではなく、認めるところは認め、互いに影響し合いながら歴史を刻んできたという視点から物語や教科書を作って欲しいなあと思うのです




御免!

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