こんにちわ!
小野派一刀流免許皆伝小平次です
今回は、あの大河ドラマ
「軍師官兵衛」
について「しっくりこない」事を書き綴ってまいりたいと思います
「軍師官兵衛」
いやあ、なかなかに面白く見させていただいておりました
近頃人生に楽しいことも少なくなり、週に一度の楽しみでありました
それなのに!
数回前の放送あたりから何だかしっくりきません(;;)しくしく…
それは、あの豊臣秀吉が天下統一し、その人生の晩年に差し掛かってきたころからです
「豊臣秀吉」
今回の「軍師官兵衛」に限らず、これまでの幾多のドラマ、映画、小説、に登場してきましたが、それらほぼ全てにおいて、その晩年は何だかトチ狂い、まるで権力に溺れた「欲望の権化」のように描かれております
ドラマ、映画、小説だけではありません
小平次の娘(中2)も、学校の歴史の授業で、「豊臣秀吉は歳をとってからおかしくなった」と教わってきたと申します
まあ実際小平次も昔そう教わったわけでありますが
うーん…
何だかしっくりきません
しっくりこない理由は2つあります
一つ目…
それは…
豊臣秀吉…
いやあ!
あの豊臣秀吉ですよ!
先ほども申しました通り、これまで大河ドラマだけでも、どれだけ主役を張ってきたでしょうか
その他、映画や小説、また、今回の官兵衛のように脇役としての登場も合わせれば、おそらく、そのドラマやら小説やらへの出演回数はダントツの1位でありましょう
それだけ私たち日本人にとっては魅力的な、言わば日本史における超スーパースターであります
その豊臣秀吉が
今回の官兵衛でもそうですが、「バテレン追放」を決めた事を官兵衛に諫められて言います
「ぐわっはっはっはっはぁ!この日の本に王は一人でよいのじゃああああ!」
つまり唯一絶対の神を信仰するキリシタンには、自分の他に従うべきものがあるわけで、それが許せんと言うわけです
さらに、朝鮮出兵を決めた秀吉が言います
「ぐわっはっはっはっはぁ!明国をワシのものにするのじゃあああああああ!」
いやあどうでしょう!
しっくりきません!しっくりきません!
あのスーパースター豊臣秀吉がそんな理由で!
「欲望の権化」
と成り果てて!
何とも陳腐なストーリーに思えてなりません!
本当に秀吉は晩年ボケてしまって「欲望の権化」と化し、そんな理由で数々の政策を行ったのでしょうか
さあ、ここで突然話は変わりますが、私小平次、今は自由業に従事しておりますが、これまでいくつかの企業でサラリーマンをした事があります
その中で、ある中小企業の関連グループで、従業員60名ほどの会社の責任者をまかされたことがあります
時は景気低迷のどん底、バブルの絶頂期のようにイケイケどんどんではありません
がんばってもがんばっても中々利益がでません
小平次は社長から言われます
「とにかく人件費を抑えろ!経費を節減しろ!」
まあ経営者であれば当たり前です
しかしながら、そんな薄い利益を出すために、従業員のみんなは本当にがんばっています
特に生活の保証の無いパートの主婦の方々、時給が10円上がるだけでも大変なことであります
小平次としては、少ない利益の中ですが、せめて気持ちだけでも時給を、給料を、上げてやりたい
そんな風に思うわけであります
しかし社長は言います
「お前は従業員の側に立ちすぎる!もっと経営者側の立場でモノを考えろ!」
「もし!情に流され、会社を潰してしまって、従業員やその家族を路頭に迷わすことがあれば、それこそ経営者として殺人を犯したに等しい!」
社長の言葉も気持ちもわかります
小平次はまさに中間管理職として板ばさみでありました (;´д`)
そんな中、小平次は昇給どころか減給をみんなに強いなければならなくなります
もう少しだけ頑張れば、利益が上がるだろう確信もあり、その手も打ち、だからこそあとほんの少しだけ辛抱してほしい
でもそれは中々従業員には伝わりません
「アイツのやり方が悪いから利益が出ないんだ!アイツがバカだからみんなが苦労するんだ!」
こんな小平次への悪口が、従業員の酒の肴であります
この時の小平次の心情を理解してくれる従業員なんてほんの一握りです
社長は言います
「トップに立つと言うことは、孤独との戦いでもあるのだ!」
それは小平次の才覚の無さ、人徳の無さでもありましょうが、中々につらいものでありました
企業にお勤めで、管理職の経験がおありになる方なら、多少はこんな思いをした事があるのではないでしょうか
「親の心子知らず」
「上司の心部下知らず」
さて、中小企業の管理職ですらこんな有様です
それが、一筋縄では行かないツワモノばかりの戦国時代、そのツワモノ達を打ち負かし、そして一つにまとめ国を束ねることになった豊臣秀吉
その秀吉の行動、言動、心持ち、それをどれだけ周囲の者が理解できたでありましょうか
ましてや、その400年後の左翼的思想におぼれた凡人歴史学者たちが、どれだけ理解することができるのか
何をかいわんやです
凡人の小さな小さなモノサシで、かのスーパースター、天才的軍事戦略家、豊臣秀吉を語るから
「ぐわっはっはっはっはぁ!明国をワシのものにするのじゃあああああああ!」
のような陳腐な話になるのではないでしょうか
さて、二つ目は
それは、一つ目の理由より少々学術的であります
あの時代を語るドラマ、映画、小説、その他物語、教科書、ほぼ全てのものに共通して言える事なのですが、当時の世界情勢、つまり「世界の中の日本」と言う視点が全くもって欠如していると言うことなのであります
「当時の世界情勢」
とはいかなるものか
それは、白人キリスト教国家が「大航海時代」を経た後、キリスト教の大義による世界征服を目指し、まさに実現しつつあった時代なのであります
この白人国家による侵略、世界地図の塗り替えがまさしく現実のものであった時代、日本だけがそのカヤの外にあったなどということがあろうはずがありません
特に!
時の超大国
「スペイン」
その国家政策の原動力でもあった「キリスト教」の性質
それを理解せずして、秀吉のとった行動の理由がわかるはずもない
小平次はそう感じるのです
キリスト教の大義無しには語れない、時の「世界情勢」そしてその中に置かれた日本の状況、それらを無視して、時の為政者である豊臣秀吉のとった行動、政策の理由付けができるはずもありません
「ぐわっはっはっはっはぁ!明国をワシのものにするのじゃあああああああ!」
まるで漫画です
日本は漫画大国だから、まあ漫画になってしまうのもやむを得ないかもしれませんが…
それならば!
いっそ漫画ついでに「 Hideyoshi Toyotomi as SuperStar!」として、小平次なりに妄想を膨らませて、かの時代を語ってみたいと思います
歴史を妄想するにあたり、実際に秀吉がああ言った、こう言ったなどの記録があったとしても、そんなものは当てにはならない、と小平次は思っております
先述したように、凡人がスーパースターのその言動、行動などそうそう理解できるとも思えないからです
(もちろん小平次も凡人中の凡人ですが)
単純に、当時の世界情勢とキリスト教、スペイン、フェリペ2世、秀吉の「バテレン追放」「朝鮮出兵」これらの事実から妄想してみます
実際秀吉の様々な政策の分析には諸説あり、小平次よりもはるかに頭の良い学者さんたちも正反対の事を言い合っていますから、小平次ごときが妄想を語ってもまあ許されるでありましょう
ではまず、当時の世界情勢なるものを感じてみましょう
それにはまず、キリスト教なる宗教を少なからず理解する必要があります
なぜなら、この宗教の「大義」が、世界を変貌せしめていたからであります
幸いにして!この小平次、前回の記事でも触れましたとおり、20数年前まで、それなりに熱心なキリスト教信者であったのです
ですから、一般の人よりは、このキリスト教への信仰心なるものを理解しているつもりです
キリスト教とは、一言で言えば「博愛」の宗教であります
キリスト教の経典「聖書」にはこう書かれています
「右の頬を打たれたなら、左の頬を出しなさい」
つまり、自分に暴力をふるう者がいたとしても、それに暴力で返すのではなく、むしろその者が自分に暴力をふるう事で満足すると言うのならば、喜んでもっと打たれなさい
と言うわけです
さらに聖書は言います
「自分を愛するがごとく、あなたの隣人を愛しなさい」
そうなのです
たとえ自分に暴力をふるう者があったとしても、その者を自分を愛するがごとく愛せよ
そう言っているわけです
そして、その「愛」は、イエスキリストの究極の「愛」に集約されます
人間とは罪深く、神に背きながら生き続けています
神は大変に怒っており、もう我慢ができぬと、全ての人間をことごとく滅ぼしてしまおうと考えています
そして神の怒りに触れてしまった人類は、死んだ後、罰として地獄の業火で永遠に焼かれ続けなければなりません
永遠に焼かれ続けるとは、つまり一度死んだ人間はもう死ぬことはなく、死にたくとも死ねないまま業火の中で焼かれ、永遠に苦しみ続けるという事であります
いやあ中々に凄惨な末路であります
しかし!そんな神の怒りに触れた人類にも救いがあったのです
それは、神の子であり、かつ神自身でもある「イエスキリスト」が、十字架に手足を釘で打ち付けられ磔となって、自らの命を持って全ての人の身代わりとなり死んだことで、永遠の業火で焼かれ続けなければならないほどの人類の罪が贖われたのです
それでも、イエスが身代わりになったからと言って、それだけで人は救われるわけではありません
そのイエスの究極の愛を信じ、自らも実践する努力をしなくてはなりません
さらに、自分だけが救われてシメシメ、ではいけません
その愛を知った者は、その愛を知らぬ者に伝えていく使命を負うことになります
イエスの愛を信じ、実践し伝える事、それがキリスト教の信仰の本質であります
さてこれらのイエスの愛とは、その経典である「聖書」の内、イエスの生涯や、言葉を弟子たちが記した「新約聖書」の中に書かれているわけですが「聖書」とは、この「新約聖書」だけで成り立っているわけではなく、神の天地創造、そしてアダムとエヴァ(イヴ)という男女から始まる人類の創生から、その子孫達の造った世界のその後、ノアの方舟や、ダビデ王とソロモン王の栄華などを経て、イエスが誕生するまでの間の、神自身の直接の言葉を中心に書かれたもう一つの聖書、つまり「旧約聖書」と一つとなって
「聖書」
を構成しているのであります
「新約」と「旧約」と言う二つの聖書、その教えには随分と違いがあります
イエスの生涯とその言葉を記した「新約聖書」は、ヨハネの黙示録などを除けば概ねイエスの愛に満ちています
しかし一方の「旧約聖書」は、神自身が直接預言者(神の言葉を預かる者で予言者とは違います)に語りかけ、それは中々に愛を伝えるキリスト教とは思えぬほどの怖い言葉が随所に出てきます
神は言います
「私は嫉妬深い神である」
意味としては、他の神々を信じるな!、偶像崇拝、人間の手によって作られた仏像や銅像など神ではない、そんな物を拝むな!
私は嫉妬深いのだから浮気はするな!
と言うわけです
旧約聖書の中では、神は中々に厳しく、唯一絶対の神である自分を信じない者は滅ぼしてしまえ!異教徒を駆逐せよ!
と言っています
神は、その滅ぼした国々からの略奪も許しています
その略奪品の分配方法までもが神の言葉によって定められています
さらに、その略奪品は物品だけでなく、女子供も自分の物して良いと、唯一絶対の神の言葉として記されています
どうでしょう
「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」
と説いたイエスの教えとは随分違います
現代キリスト教徒が(以前の小平次もそうですが)、信仰しているのはもちろん愛に満ちた「新約聖書」のイエスの教えです
しかしながら、ローマ帝国がキリスト教を国教として以降、少なくともイギリスがスペインに打ち勝ち、布教よりも国益のために世界侵略の急先鋒となる頃までは、十字軍しかり、スペインの世界征服しかり、嫉妬深い神の言葉が、愛の宗教を伝える大義として、白人キリスト教国家の行動規範の一つとなっていた事は、残念ですが疑いようもありません
今現在、キリスト教を信仰している人たちにとっても、この愛に満ちた新約聖書と、残虐な侵略行為までをも命じる旧約聖書の教義の矛盾は、信仰上の葛藤を生み出しているようであります
事実、小平次自身、自分の通っていた教会の牧師に尋ねた事があります
「なぜ、イエス様はこんなにも慈しみと愛を説いておられるのに、旧約聖書の中で神は人殺しまでをも許容するのでしょうか」
牧師の答えは次のようでありました
「それは、私達人間には計り知れない、神様の壮大なご計画の一貫なのです」
この答えに小平次は、まあ釈然とはしませんでしたが、ひとまず納得しました
ちなみに小平次がキリスト教から離れた訳はこの事が原因ではありません
その辺の事はまたおいおいに
さて
「神様の壮大なご計画」
の元、人殺しまでもが許容されるのであれば、キリスト教はその当時、キリスト教を信仰したくない人達からすれば、恐るべき宗教であったでしょう
「オウム真理教」
教祖の麻原彰晃は言いました
「我々の計画を邪魔する者はポアしてしまえ!」
信者達は、麻原のその「壮大な計画」を信じて、人を殺し、地下鉄で毒ガスを撒き散らしたのです
オウムと現代キリスト教を同列に扱うのは失礼でありましょうが「信仰」の本質、その根っこは同じです
15世紀、コロンブスやマゼランらの大航海時代を経て、世界の全貌が明らかになっていきます
その大航海時代をリードしたポルトガルとスペイン
両国は、次々に新しく見つけた地で
「十字架か剣か!」
「キリスト教を信じるかそれとも剣を取って我々と戦うか!」と押し迫り、世界を侵略していきます
そしてついには世界地図を二分割し、その全てはポルトガルとスペインのものであるとして、本気で世界征服に乗り出します
やがて、ポルトガルと一つになったスペインは、それにより世界中のポルトガル領土を併せ持ち、かのフェリペ2世の治世下、世界最大の絶対主義帝国となるわけであります
「スペインが動けば世界が震える」
と言われ
その領土が世界全域にまたがったがゆえに
「太陽の沈まぬ国」
とうたわれたスペイン
それはスペイン以外の世界にとって、まさしく脅威そのものであったでしょう
小平次は学生時代、ヨーロッパを一人旅して、スペインマドリードのプラド美術館を訪れ、このフェリペ2世の肖像画を見たことがあります
いやあ、見入ってしまいしたね
これが16世紀末から、世界を震わすほどに恐れられた男なのかと
フェリペ2世は、良くも悪くも、世界史におけるスーパースターの一人でしょう
世界征服をまさに現実のものとして実践したアレクサンダー大王、チンギスハーン、そしてフェリペ2世
そんな世界史のスーパースターに、日本のスーパースター豊臣秀吉はどのように対峙したのでありましょうか
当初、貿易上の国益の重視から、キリスト教の布教を容認していた秀吉ですが、ご承知の通りある時からそれを禁じます
それは、キリスト教の本質を見抜き、白人国家がそれを大義に世界侵略に乗り出している事に危機感を持ったからでしょう
スペインはじめ、列強諸国は、征服しようとする国が軍事的に非力だと判断すれば武力によってたちまち制圧します
しかし、相手が軍事的に侮れないと判断すれば、武力ではなく、宣教師を送り込み、その布教によって内部からのキリスト教化を企てます
フェリペ2世は敬虔なカトリック信者であったと伝えられています
フェリペ2世にとっては、結果的に征服対象国がキリスト教化すれば、その手段はなんでも良かったのかもしれません
征服対象国がキリスト教化すれば、ローマ教皇の支配化に入るわけで、結局はその教皇からお墨付きをもらっていたフェリペ2世の支配下に入ると言う事です
国のキリスト教化、それはある意味武力による侵略よりも恐ろしいことかもしれません
日本はこの時、すでに、1000年以上の長きに渡り、天皇を頂点に戴き、文化文明を育んできた国です
唯一絶対の神は天皇をも否定します
それはもう別な国になる、つまり国の根底からの消滅を意味します
時の為政者として、国を根底から覆しかねない宗教が自国に蔓延し始め、なおかつその宗教の大義は殺戮による征服をも辞さないものであり、現実に世界の多くの地域がその支配下に入っている世界情勢の中、時の為政者として秀吉はいかなる政策をとるべきであったのか
「バテレン追放」
これは自国の防衛のために、時の為政者として当然にとるべき道、まさしく「英断」と言って良いのではないでしょうか
そしてこの「英断」は、秀吉にとっては相当な覚悟を持って下されたと推察されます
なぜなら、世界征服を目論んでいたスペインは、いやスペインに限らず、当時の白人列強諸国は、キリスト教の大義に基づきそれを行っていたわけですから、その宣教師を追い出し布教を禁じると言うことは、まさしく白人列強諸国に宣戦布告をしたに等しいと言うことなのであります
国防のため、このような英断を相当な覚悟をもって下した秀吉が
「ぐわっはっはっはっはぁ!この日の本に王は一人でよいのじゃああああ!」
のような漫画的理由でそれをしたとは思えません
いやむしろ、このような英断をする秀吉だからこそ、晩年トチ狂って欲望の権化と化していたとは到底思えないと言うことなのであります
秀吉は軽々しく宣戦布告をしたわけではないでしょう
あらゆる状況を想定し「バテレン追放」を決断したのでありましょう
これによりもし、スペインと一戦交えるような事になるとしたら、それはどのような状況なのか
「無敵艦隊」とうたわれ、世界が震えるほどの強力な海軍力を持っていたスペインでありますが、それでも、その海軍力に物を言わせようと遠路はるばる日本にやって来て一戦交えるのは現実的ではありません
それは秀吉も十分理解していたでしょう
少なくとも、この時点で日本側から見れば、好き好んで世界侵略に乗り出す必要も無いわけですから、一戦交えると言っても、迎撃、最終的には陸上戦による本土決戦に備えれば良いのです
海軍力では到底スペインに及ばないと言っても、こと陸上戦においては、意外に知られていない事でありますが、当時日本の鉄砲保有数は世界一であり群を抜いておりました
その鉄砲と、鍛えられた武士集団の弓の技術による遠距離戦、また元寇の際の高麗軍の記録にも「倭刀恐るべし」とあるように、「切る」事に関して驚異的な威力を見せた日本刀による接近戦、兵士の数、全てにおいて間違いなく陸軍力は世界最強であったでしょう
ですから、本土防衛のみを考えるのであれば、いかにスペインが無敵艦隊で日本に襲来する事が可能であったとしても、単独で遠路はるばるやって来るのであればさほどの脅威ではなかったでしょう
では、押し迫る白人キリスト教国家との一戦、秀吉がその可能性として最も案じたことは何でしょうか
それは、この日本が、ヒミコの、いやもっと以前の太古の昔から、外敵からの防衛として最も悩ましい存在であったのが朝鮮半島なのです
先にも申しました通り、侵略国家が遠路はるばる海を渡ってやって来るのならば、少なくともこの時代までは脅威ではなかったでしょう
しかし、目と鼻の先の朝鮮半島を南下し、日本に攻め入る事を可能にする国があった場合、それはたちまち日本の存亡に関わる脅威に変わるのです
決してこの時点では可能性としては高いものではないとしても、スペインが、白人列強諸国が東アジアの覇者である大明帝国を何らかの形で懐柔する事に成功し、共同戦線を張るようなことになったら、日本は大変な脅威にさらされます
古代から、我が国の先人達は、この朝鮮半島を南下してくる勢力にどれほど心をくだいていたか(この辺のことはまた別の機会にいたします)
スーパースター豊臣秀吉が最も警戒したシナリオはこれでしょう
また、隆盛を極めた永楽帝の治世以降、衰退の一途を辿っていた明は、北方からの脅威にもさらされ、白人列強諸国の手に落ちる可能性がゼロではなかったでしょう
事実その後の400年間、日本が有色人種として白人キリスト教国家に立ち向かい抵抗し敗戦に至るまでの間、世界は人種差別を基盤とした白人キリスト教国家の植民地争奪戦の時代になるわけですから
さて
その晩年の政策で、最も秀吉が「欲望の権化扱い」される政策
「朝鮮出兵」
小平次は、ここまでの様々な要因をもって妄想します
スーパースター豊臣秀吉は、この時点で、白人列強諸国の猛威を知り、日本防衛のため、いや日本防衛のみならず、白人国家の横暴に対抗するべく、この時すでに「大東亜共栄圏構想」を描いていたのではないでしょうか
この時からおよそ300年後
日本は同じ悩みを抱え大陸に進出します
散々議論を重ね、西郷隆盛や伊藤博文を失い、莫大な国費をかけ朝鮮半島の近代化をはかりました
秀吉はどうであったでしょうか
かの大陸の国々に対話を求め、白人列強諸国に対抗するための共栄圏を構築するという提案をもちかける事などは、それがまったく無駄なことであると重々承知していたのでありましょう
朝鮮に簡単な書簡を送りつけ、一気に攻め上ります
さて、秀吉が大東亜共栄圏の構想を持っていたとして、一旦戦争に踏み切ってしまった以上その着地点を考えなくてはなりません
おそらく秀吉は、電撃的に攻め上り、ある程度の戦果を挙げた時点で明と和平を結ぶ(事実そうしようとしていたわけでありますが)日本に優位な形で和平を結び、日本主導による共栄圏の構築に入るつもりであったのではないでしょうか
そこまでに至らなくとも、最悪陸上戦における日本の軍事力を誇示する事ができれば、諸外国に対し抑止力を働かせることができます
事実その後の約300年間、ペリー黒船艦隊が日本を襲うまで、現実的に日本を侵略しようとする白人国家はありませんでした
秀吉の朝鮮出兵は、あの天才的軍事戦略家の作戦とは思えないお粗末な計画であったと、後年指摘されています
それが、晩年秀吉が欲望の権化と化しトチ狂っていたと思われる要因の一つなのでありますが、実はそうではなく、秀吉にしてみれば、元々明も朝鮮も支配するつもりなどなかったのでありましょう
その着地点はあくまで、日本主導の共栄圏の構築ならびに抑止力の誇示であったわけで、そのためのある程度の勝利が治められれば良かったのです
残念ながら道半ばで秀吉はこの世を去りますが、もし、この秀吉の大東亜共栄圏構想が実現していたならば、その後400年に渡る人種差別を基盤とした白人列強諸国の植民地争奪戦に楔を打っていたかも知れません
そうすれば、国際法をも無視した、我が国への数十万人の民間人を焼き殺す絨毯爆撃も、人体実験をかねた恐るべき核兵器の使用も、未然に防げていたかもしれません
以上は小平次の妄想であります
妄想ではありますが
「ぐわっはっはっはっはぁ!明国をワシのものにするのじゃあああああああ!」
などと言う漫画のような「秀吉晩年欲望の権化説」よりはしっくりくる妄想ではないかと思っております
と、ここまで書いたところで先ほど、小平次の娘(中2)が、「学校の歴史の授業で教わったんだけど、満州事変って何?」と言ってノートを見せに来ました
娘のノートには
「日本が中国を悪者にし、中国のせいにして戦争をおこした」
と書かれておりました
はあ…、
私達もまだ道半ばです
ささやかながら戦いに向かわなければなりません
御免!
小野派一刀流免許皆伝小平次です
今回は、あの大河ドラマ
「軍師官兵衛」
について「しっくりこない」事を書き綴ってまいりたいと思います
「軍師官兵衛」
いやあ、なかなかに面白く見させていただいておりました
近頃人生に楽しいことも少なくなり、週に一度の楽しみでありました
それなのに!
数回前の放送あたりから何だかしっくりきません(;;)しくしく…
それは、あの豊臣秀吉が天下統一し、その人生の晩年に差し掛かってきたころからです
「豊臣秀吉」
今回の「軍師官兵衛」に限らず、これまでの幾多のドラマ、映画、小説、に登場してきましたが、それらほぼ全てにおいて、その晩年は何だかトチ狂い、まるで権力に溺れた「欲望の権化」のように描かれております
ドラマ、映画、小説だけではありません
小平次の娘(中2)も、学校の歴史の授業で、「豊臣秀吉は歳をとってからおかしくなった」と教わってきたと申します
まあ実際小平次も昔そう教わったわけでありますが
うーん…
何だかしっくりきません
しっくりこない理由は2つあります
一つ目…
それは…
豊臣秀吉…
いやあ!
あの豊臣秀吉ですよ!
先ほども申しました通り、これまで大河ドラマだけでも、どれだけ主役を張ってきたでしょうか
その他、映画や小説、また、今回の官兵衛のように脇役としての登場も合わせれば、おそらく、そのドラマやら小説やらへの出演回数はダントツの1位でありましょう
それだけ私たち日本人にとっては魅力的な、言わば日本史における超スーパースターであります
その豊臣秀吉が
今回の官兵衛でもそうですが、「バテレン追放」を決めた事を官兵衛に諫められて言います
「ぐわっはっはっはっはぁ!この日の本に王は一人でよいのじゃああああ!」
つまり唯一絶対の神を信仰するキリシタンには、自分の他に従うべきものがあるわけで、それが許せんと言うわけです
さらに、朝鮮出兵を決めた秀吉が言います
「ぐわっはっはっはっはぁ!明国をワシのものにするのじゃあああああああ!」
いやあどうでしょう!
しっくりきません!しっくりきません!
あのスーパースター豊臣秀吉がそんな理由で!
「欲望の権化」
と成り果てて!
何とも陳腐なストーリーに思えてなりません!
本当に秀吉は晩年ボケてしまって「欲望の権化」と化し、そんな理由で数々の政策を行ったのでしょうか
さあ、ここで突然話は変わりますが、私小平次、今は自由業に従事しておりますが、これまでいくつかの企業でサラリーマンをした事があります
その中で、ある中小企業の関連グループで、従業員60名ほどの会社の責任者をまかされたことがあります
時は景気低迷のどん底、バブルの絶頂期のようにイケイケどんどんではありません
がんばってもがんばっても中々利益がでません
小平次は社長から言われます
「とにかく人件費を抑えろ!経費を節減しろ!」
まあ経営者であれば当たり前です
しかしながら、そんな薄い利益を出すために、従業員のみんなは本当にがんばっています
特に生活の保証の無いパートの主婦の方々、時給が10円上がるだけでも大変なことであります
小平次としては、少ない利益の中ですが、せめて気持ちだけでも時給を、給料を、上げてやりたい
そんな風に思うわけであります
しかし社長は言います
「お前は従業員の側に立ちすぎる!もっと経営者側の立場でモノを考えろ!」
「もし!情に流され、会社を潰してしまって、従業員やその家族を路頭に迷わすことがあれば、それこそ経営者として殺人を犯したに等しい!」
社長の言葉も気持ちもわかります
小平次はまさに中間管理職として板ばさみでありました (;´д`)
そんな中、小平次は昇給どころか減給をみんなに強いなければならなくなります
もう少しだけ頑張れば、利益が上がるだろう確信もあり、その手も打ち、だからこそあとほんの少しだけ辛抱してほしい
でもそれは中々従業員には伝わりません
「アイツのやり方が悪いから利益が出ないんだ!アイツがバカだからみんなが苦労するんだ!」
こんな小平次への悪口が、従業員の酒の肴であります
この時の小平次の心情を理解してくれる従業員なんてほんの一握りです
社長は言います
「トップに立つと言うことは、孤独との戦いでもあるのだ!」
それは小平次の才覚の無さ、人徳の無さでもありましょうが、中々につらいものでありました
企業にお勤めで、管理職の経験がおありになる方なら、多少はこんな思いをした事があるのではないでしょうか
「親の心子知らず」
「上司の心部下知らず」
さて、中小企業の管理職ですらこんな有様です
それが、一筋縄では行かないツワモノばかりの戦国時代、そのツワモノ達を打ち負かし、そして一つにまとめ国を束ねることになった豊臣秀吉
その秀吉の行動、言動、心持ち、それをどれだけ周囲の者が理解できたでありましょうか
ましてや、その400年後の左翼的思想におぼれた凡人歴史学者たちが、どれだけ理解することができるのか
何をかいわんやです
凡人の小さな小さなモノサシで、かのスーパースター、天才的軍事戦略家、豊臣秀吉を語るから
「ぐわっはっはっはっはぁ!明国をワシのものにするのじゃあああああああ!」
のような陳腐な話になるのではないでしょうか
さて、二つ目は
それは、一つ目の理由より少々学術的であります
あの時代を語るドラマ、映画、小説、その他物語、教科書、ほぼ全てのものに共通して言える事なのですが、当時の世界情勢、つまり「世界の中の日本」と言う視点が全くもって欠如していると言うことなのであります
「当時の世界情勢」
とはいかなるものか
それは、白人キリスト教国家が「大航海時代」を経た後、キリスト教の大義による世界征服を目指し、まさに実現しつつあった時代なのであります
この白人国家による侵略、世界地図の塗り替えがまさしく現実のものであった時代、日本だけがそのカヤの外にあったなどということがあろうはずがありません
特に!
時の超大国
「スペイン」
その国家政策の原動力でもあった「キリスト教」の性質
それを理解せずして、秀吉のとった行動の理由がわかるはずもない
小平次はそう感じるのです
キリスト教の大義無しには語れない、時の「世界情勢」そしてその中に置かれた日本の状況、それらを無視して、時の為政者である豊臣秀吉のとった行動、政策の理由付けができるはずもありません
「ぐわっはっはっはっはぁ!明国をワシのものにするのじゃあああああああ!」
まるで漫画です
日本は漫画大国だから、まあ漫画になってしまうのもやむを得ないかもしれませんが…
それならば!
いっそ漫画ついでに「 Hideyoshi Toyotomi as SuperStar!」として、小平次なりに妄想を膨らませて、かの時代を語ってみたいと思います
歴史を妄想するにあたり、実際に秀吉がああ言った、こう言ったなどの記録があったとしても、そんなものは当てにはならない、と小平次は思っております
先述したように、凡人がスーパースターのその言動、行動などそうそう理解できるとも思えないからです
(もちろん小平次も凡人中の凡人ですが)
単純に、当時の世界情勢とキリスト教、スペイン、フェリペ2世、秀吉の「バテレン追放」「朝鮮出兵」これらの事実から妄想してみます
実際秀吉の様々な政策の分析には諸説あり、小平次よりもはるかに頭の良い学者さんたちも正反対の事を言い合っていますから、小平次ごときが妄想を語ってもまあ許されるでありましょう
ではまず、当時の世界情勢なるものを感じてみましょう
それにはまず、キリスト教なる宗教を少なからず理解する必要があります
なぜなら、この宗教の「大義」が、世界を変貌せしめていたからであります
幸いにして!この小平次、前回の記事でも触れましたとおり、20数年前まで、それなりに熱心なキリスト教信者であったのです
ですから、一般の人よりは、このキリスト教への信仰心なるものを理解しているつもりです
キリスト教とは、一言で言えば「博愛」の宗教であります
キリスト教の経典「聖書」にはこう書かれています
「右の頬を打たれたなら、左の頬を出しなさい」
つまり、自分に暴力をふるう者がいたとしても、それに暴力で返すのではなく、むしろその者が自分に暴力をふるう事で満足すると言うのならば、喜んでもっと打たれなさい
と言うわけです
さらに聖書は言います
「自分を愛するがごとく、あなたの隣人を愛しなさい」
そうなのです
たとえ自分に暴力をふるう者があったとしても、その者を自分を愛するがごとく愛せよ
そう言っているわけです
そして、その「愛」は、イエスキリストの究極の「愛」に集約されます
人間とは罪深く、神に背きながら生き続けています
神は大変に怒っており、もう我慢ができぬと、全ての人間をことごとく滅ぼしてしまおうと考えています
そして神の怒りに触れてしまった人類は、死んだ後、罰として地獄の業火で永遠に焼かれ続けなければなりません
永遠に焼かれ続けるとは、つまり一度死んだ人間はもう死ぬことはなく、死にたくとも死ねないまま業火の中で焼かれ、永遠に苦しみ続けるという事であります
いやあ中々に凄惨な末路であります
しかし!そんな神の怒りに触れた人類にも救いがあったのです
それは、神の子であり、かつ神自身でもある「イエスキリスト」が、十字架に手足を釘で打ち付けられ磔となって、自らの命を持って全ての人の身代わりとなり死んだことで、永遠の業火で焼かれ続けなければならないほどの人類の罪が贖われたのです
それでも、イエスが身代わりになったからと言って、それだけで人は救われるわけではありません
そのイエスの究極の愛を信じ、自らも実践する努力をしなくてはなりません
さらに、自分だけが救われてシメシメ、ではいけません
その愛を知った者は、その愛を知らぬ者に伝えていく使命を負うことになります
イエスの愛を信じ、実践し伝える事、それがキリスト教の信仰の本質であります
さてこれらのイエスの愛とは、その経典である「聖書」の内、イエスの生涯や、言葉を弟子たちが記した「新約聖書」の中に書かれているわけですが「聖書」とは、この「新約聖書」だけで成り立っているわけではなく、神の天地創造、そしてアダムとエヴァ(イヴ)という男女から始まる人類の創生から、その子孫達の造った世界のその後、ノアの方舟や、ダビデ王とソロモン王の栄華などを経て、イエスが誕生するまでの間の、神自身の直接の言葉を中心に書かれたもう一つの聖書、つまり「旧約聖書」と一つとなって
「聖書」
を構成しているのであります
「新約」と「旧約」と言う二つの聖書、その教えには随分と違いがあります
イエスの生涯とその言葉を記した「新約聖書」は、ヨハネの黙示録などを除けば概ねイエスの愛に満ちています
しかし一方の「旧約聖書」は、神自身が直接預言者(神の言葉を預かる者で予言者とは違います)に語りかけ、それは中々に愛を伝えるキリスト教とは思えぬほどの怖い言葉が随所に出てきます
神は言います
「私は嫉妬深い神である」
意味としては、他の神々を信じるな!、偶像崇拝、人間の手によって作られた仏像や銅像など神ではない、そんな物を拝むな!
私は嫉妬深いのだから浮気はするな!
と言うわけです
旧約聖書の中では、神は中々に厳しく、唯一絶対の神である自分を信じない者は滅ぼしてしまえ!異教徒を駆逐せよ!
と言っています
神は、その滅ぼした国々からの略奪も許しています
その略奪品の分配方法までもが神の言葉によって定められています
さらに、その略奪品は物品だけでなく、女子供も自分の物して良いと、唯一絶対の神の言葉として記されています
どうでしょう
「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」
と説いたイエスの教えとは随分違います
現代キリスト教徒が(以前の小平次もそうですが)、信仰しているのはもちろん愛に満ちた「新約聖書」のイエスの教えです
しかしながら、ローマ帝国がキリスト教を国教として以降、少なくともイギリスがスペインに打ち勝ち、布教よりも国益のために世界侵略の急先鋒となる頃までは、十字軍しかり、スペインの世界征服しかり、嫉妬深い神の言葉が、愛の宗教を伝える大義として、白人キリスト教国家の行動規範の一つとなっていた事は、残念ですが疑いようもありません
今現在、キリスト教を信仰している人たちにとっても、この愛に満ちた新約聖書と、残虐な侵略行為までをも命じる旧約聖書の教義の矛盾は、信仰上の葛藤を生み出しているようであります
事実、小平次自身、自分の通っていた教会の牧師に尋ねた事があります
「なぜ、イエス様はこんなにも慈しみと愛を説いておられるのに、旧約聖書の中で神は人殺しまでをも許容するのでしょうか」
牧師の答えは次のようでありました
「それは、私達人間には計り知れない、神様の壮大なご計画の一貫なのです」
この答えに小平次は、まあ釈然とはしませんでしたが、ひとまず納得しました
ちなみに小平次がキリスト教から離れた訳はこの事が原因ではありません
その辺の事はまたおいおいに
さて
「神様の壮大なご計画」
の元、人殺しまでもが許容されるのであれば、キリスト教はその当時、キリスト教を信仰したくない人達からすれば、恐るべき宗教であったでしょう
「オウム真理教」
教祖の麻原彰晃は言いました
「我々の計画を邪魔する者はポアしてしまえ!」
信者達は、麻原のその「壮大な計画」を信じて、人を殺し、地下鉄で毒ガスを撒き散らしたのです
オウムと現代キリスト教を同列に扱うのは失礼でありましょうが「信仰」の本質、その根っこは同じです
15世紀、コロンブスやマゼランらの大航海時代を経て、世界の全貌が明らかになっていきます
その大航海時代をリードしたポルトガルとスペイン
両国は、次々に新しく見つけた地で
「十字架か剣か!」
「キリスト教を信じるかそれとも剣を取って我々と戦うか!」と押し迫り、世界を侵略していきます
そしてついには世界地図を二分割し、その全てはポルトガルとスペインのものであるとして、本気で世界征服に乗り出します
やがて、ポルトガルと一つになったスペインは、それにより世界中のポルトガル領土を併せ持ち、かのフェリペ2世の治世下、世界最大の絶対主義帝国となるわけであります
「スペインが動けば世界が震える」
と言われ
その領土が世界全域にまたがったがゆえに
「太陽の沈まぬ国」
とうたわれたスペイン
それはスペイン以外の世界にとって、まさしく脅威そのものであったでしょう
小平次は学生時代、ヨーロッパを一人旅して、スペインマドリードのプラド美術館を訪れ、このフェリペ2世の肖像画を見たことがあります
いやあ、見入ってしまいしたね
これが16世紀末から、世界を震わすほどに恐れられた男なのかと
フェリペ2世は、良くも悪くも、世界史におけるスーパースターの一人でしょう
世界征服をまさに現実のものとして実践したアレクサンダー大王、チンギスハーン、そしてフェリペ2世
そんな世界史のスーパースターに、日本のスーパースター豊臣秀吉はどのように対峙したのでありましょうか
当初、貿易上の国益の重視から、キリスト教の布教を容認していた秀吉ですが、ご承知の通りある時からそれを禁じます
それは、キリスト教の本質を見抜き、白人国家がそれを大義に世界侵略に乗り出している事に危機感を持ったからでしょう
スペインはじめ、列強諸国は、征服しようとする国が軍事的に非力だと判断すれば武力によってたちまち制圧します
しかし、相手が軍事的に侮れないと判断すれば、武力ではなく、宣教師を送り込み、その布教によって内部からのキリスト教化を企てます
フェリペ2世は敬虔なカトリック信者であったと伝えられています
フェリペ2世にとっては、結果的に征服対象国がキリスト教化すれば、その手段はなんでも良かったのかもしれません
征服対象国がキリスト教化すれば、ローマ教皇の支配化に入るわけで、結局はその教皇からお墨付きをもらっていたフェリペ2世の支配下に入ると言う事です
国のキリスト教化、それはある意味武力による侵略よりも恐ろしいことかもしれません
日本はこの時、すでに、1000年以上の長きに渡り、天皇を頂点に戴き、文化文明を育んできた国です
唯一絶対の神は天皇をも否定します
それはもう別な国になる、つまり国の根底からの消滅を意味します
時の為政者として、国を根底から覆しかねない宗教が自国に蔓延し始め、なおかつその宗教の大義は殺戮による征服をも辞さないものであり、現実に世界の多くの地域がその支配下に入っている世界情勢の中、時の為政者として秀吉はいかなる政策をとるべきであったのか
「バテレン追放」
これは自国の防衛のために、時の為政者として当然にとるべき道、まさしく「英断」と言って良いのではないでしょうか
そしてこの「英断」は、秀吉にとっては相当な覚悟を持って下されたと推察されます
なぜなら、世界征服を目論んでいたスペインは、いやスペインに限らず、当時の白人列強諸国は、キリスト教の大義に基づきそれを行っていたわけですから、その宣教師を追い出し布教を禁じると言うことは、まさしく白人列強諸国に宣戦布告をしたに等しいと言うことなのであります
国防のため、このような英断を相当な覚悟をもって下した秀吉が
「ぐわっはっはっはっはぁ!この日の本に王は一人でよいのじゃああああ!」
のような漫画的理由でそれをしたとは思えません
いやむしろ、このような英断をする秀吉だからこそ、晩年トチ狂って欲望の権化と化していたとは到底思えないと言うことなのであります
秀吉は軽々しく宣戦布告をしたわけではないでしょう
あらゆる状況を想定し「バテレン追放」を決断したのでありましょう
これによりもし、スペインと一戦交えるような事になるとしたら、それはどのような状況なのか
「無敵艦隊」とうたわれ、世界が震えるほどの強力な海軍力を持っていたスペインでありますが、それでも、その海軍力に物を言わせようと遠路はるばる日本にやって来て一戦交えるのは現実的ではありません
それは秀吉も十分理解していたでしょう
少なくとも、この時点で日本側から見れば、好き好んで世界侵略に乗り出す必要も無いわけですから、一戦交えると言っても、迎撃、最終的には陸上戦による本土決戦に備えれば良いのです
海軍力では到底スペインに及ばないと言っても、こと陸上戦においては、意外に知られていない事でありますが、当時日本の鉄砲保有数は世界一であり群を抜いておりました
その鉄砲と、鍛えられた武士集団の弓の技術による遠距離戦、また元寇の際の高麗軍の記録にも「倭刀恐るべし」とあるように、「切る」事に関して驚異的な威力を見せた日本刀による接近戦、兵士の数、全てにおいて間違いなく陸軍力は世界最強であったでしょう
ですから、本土防衛のみを考えるのであれば、いかにスペインが無敵艦隊で日本に襲来する事が可能であったとしても、単独で遠路はるばるやって来るのであればさほどの脅威ではなかったでしょう
では、押し迫る白人キリスト教国家との一戦、秀吉がその可能性として最も案じたことは何でしょうか
それは、この日本が、ヒミコの、いやもっと以前の太古の昔から、外敵からの防衛として最も悩ましい存在であったのが朝鮮半島なのです
先にも申しました通り、侵略国家が遠路はるばる海を渡ってやって来るのならば、少なくともこの時代までは脅威ではなかったでしょう
しかし、目と鼻の先の朝鮮半島を南下し、日本に攻め入る事を可能にする国があった場合、それはたちまち日本の存亡に関わる脅威に変わるのです
決してこの時点では可能性としては高いものではないとしても、スペインが、白人列強諸国が東アジアの覇者である大明帝国を何らかの形で懐柔する事に成功し、共同戦線を張るようなことになったら、日本は大変な脅威にさらされます
古代から、我が国の先人達は、この朝鮮半島を南下してくる勢力にどれほど心をくだいていたか(この辺のことはまた別の機会にいたします)
スーパースター豊臣秀吉が最も警戒したシナリオはこれでしょう
また、隆盛を極めた永楽帝の治世以降、衰退の一途を辿っていた明は、北方からの脅威にもさらされ、白人列強諸国の手に落ちる可能性がゼロではなかったでしょう
事実その後の400年間、日本が有色人種として白人キリスト教国家に立ち向かい抵抗し敗戦に至るまでの間、世界は人種差別を基盤とした白人キリスト教国家の植民地争奪戦の時代になるわけですから
さて
その晩年の政策で、最も秀吉が「欲望の権化扱い」される政策
「朝鮮出兵」
小平次は、ここまでの様々な要因をもって妄想します
スーパースター豊臣秀吉は、この時点で、白人列強諸国の猛威を知り、日本防衛のため、いや日本防衛のみならず、白人国家の横暴に対抗するべく、この時すでに「大東亜共栄圏構想」を描いていたのではないでしょうか
この時からおよそ300年後
日本は同じ悩みを抱え大陸に進出します
散々議論を重ね、西郷隆盛や伊藤博文を失い、莫大な国費をかけ朝鮮半島の近代化をはかりました
秀吉はどうであったでしょうか
かの大陸の国々に対話を求め、白人列強諸国に対抗するための共栄圏を構築するという提案をもちかける事などは、それがまったく無駄なことであると重々承知していたのでありましょう
朝鮮に簡単な書簡を送りつけ、一気に攻め上ります
さて、秀吉が大東亜共栄圏の構想を持っていたとして、一旦戦争に踏み切ってしまった以上その着地点を考えなくてはなりません
おそらく秀吉は、電撃的に攻め上り、ある程度の戦果を挙げた時点で明と和平を結ぶ(事実そうしようとしていたわけでありますが)日本に優位な形で和平を結び、日本主導による共栄圏の構築に入るつもりであったのではないでしょうか
そこまでに至らなくとも、最悪陸上戦における日本の軍事力を誇示する事ができれば、諸外国に対し抑止力を働かせることができます
事実その後の約300年間、ペリー黒船艦隊が日本を襲うまで、現実的に日本を侵略しようとする白人国家はありませんでした
秀吉の朝鮮出兵は、あの天才的軍事戦略家の作戦とは思えないお粗末な計画であったと、後年指摘されています
それが、晩年秀吉が欲望の権化と化しトチ狂っていたと思われる要因の一つなのでありますが、実はそうではなく、秀吉にしてみれば、元々明も朝鮮も支配するつもりなどなかったのでありましょう
その着地点はあくまで、日本主導の共栄圏の構築ならびに抑止力の誇示であったわけで、そのためのある程度の勝利が治められれば良かったのです
残念ながら道半ばで秀吉はこの世を去りますが、もし、この秀吉の大東亜共栄圏構想が実現していたならば、その後400年に渡る人種差別を基盤とした白人列強諸国の植民地争奪戦に楔を打っていたかも知れません
そうすれば、国際法をも無視した、我が国への数十万人の民間人を焼き殺す絨毯爆撃も、人体実験をかねた恐るべき核兵器の使用も、未然に防げていたかもしれません
以上は小平次の妄想であります
妄想ではありますが
「ぐわっはっはっはっはぁ!明国をワシのものにするのじゃあああああああ!」
などと言う漫画のような「秀吉晩年欲望の権化説」よりはしっくりくる妄想ではないかと思っております
と、ここまで書いたところで先ほど、小平次の娘(中2)が、「学校の歴史の授業で教わったんだけど、満州事変って何?」と言ってノートを見せに来ました
娘のノートには
「日本が中国を悪者にし、中国のせいにして戦争をおこした」
と書かれておりました
はあ…、
私達もまだ道半ばです
ささやかながら戦いに向かわなければなりません
御免!