音楽専科 1974年 7月号
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/3d/4e0df59e403c37a4442be78345bb0db3.jpg)
グレッグ・レイクがキース他界時に述べていた追悼の翻訳の中に、
「人生で最も良い時を一緒に過ごしました。」
という言葉があったように思います。
音楽専科誌のこの号も、
その時を象徴させるカラー頁が1枚あります。
1頁でありますが、
表紙をめくると半ページの目次の上に、
いきなりカールが出現します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/22/d5bd384ef5c9c6423b253f469aeed478.jpg)
そして、
目次の半ページをめくると、
3人のステージの配置が解る写真が載っているという具合です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/f3/39ae3fe82d1d6720a5574e5b40b6c5ae.jpg)
当時の熱心はEL&Pファンは、
「なんだ!この1頁で終わりか!」
と思ったのかも知れないし、
頁をめくるなり、
本誌を携えてレジに向かった人もいた事でしょう。
私の中高生の頃は、
田舎という事もあったかも知れませんが、
中高生が、
小遣い銭から、一月(ひとつき)に、
ミュージックライフ誌と音楽専科誌の両方を買うという事は、
ほぼあり得なかった事です。
好きなミュージシャンが、
どちらに掲載されているかをよく見て、
どちらを買うかを決めている感じでしたね。
また、他に洋楽の情報誌が店頭にないという事もあり、
好きなミュージシャンが載っていなくても、
どちらかを購入して楽しんでいた覚えがあります。
(中学2年の秋ごろから、ザ・ミュージックという洋楽専門誌が、小学館から創刊されていましたね。
毎月の販売か隔月の販売だったかは、しっかりと覚えておりません)
ラヴ・ビーチの後になって、
ロッキンオン誌を田舎の書店でも見かけるようになりましたが、
それまでは、どの音楽誌のカラーグラビアでも、
必ず説明文が載っていたので、
ロッキンオン誌の説明無しカラーの頁は独特の印象がありましたね。
いずれにしましても、
私がEL&Pのカラー頁が掲載された音楽誌をリアルタイムで購入したのは、
1977年からです。
そのため、グレッグのいう「人生で最も良い時」に、1977年が含まれていなければ、
私は「良い時」には間に合わなかったという事になります。
私より後に熱心なEL&Pファンになった人には、
ラヴ・ビーチをリアルタイムで聴く事ができなかった方もいらっしゃるかと思います。
そう考えると、頭脳改革には間に合いませんでしたが、
1977年にEL&Pファンになれたのは本当に幸いでした。
以上。
![](//music.blogmura.com/progressive/img/progressive88_31.gif)
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グレッグ・レイクがキース他界時に述べていた追悼の翻訳の中に、
「人生で最も良い時を一緒に過ごしました。」
という言葉があったように思います。
音楽専科誌のこの号も、
その時を象徴させるカラー頁が1枚あります。
1頁でありますが、
表紙をめくると半ページの目次の上に、
いきなりカールが出現します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/22/d5bd384ef5c9c6423b253f469aeed478.jpg)
そして、
目次の半ページをめくると、
3人のステージの配置が解る写真が載っているという具合です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/f3/39ae3fe82d1d6720a5574e5b40b6c5ae.jpg)
当時の熱心はEL&Pファンは、
「なんだ!この1頁で終わりか!」
と思ったのかも知れないし、
頁をめくるなり、
本誌を携えてレジに向かった人もいた事でしょう。
私の中高生の頃は、
田舎という事もあったかも知れませんが、
中高生が、
小遣い銭から、一月(ひとつき)に、
ミュージックライフ誌と音楽専科誌の両方を買うという事は、
ほぼあり得なかった事です。
好きなミュージシャンが、
どちらに掲載されているかをよく見て、
どちらを買うかを決めている感じでしたね。
また、他に洋楽の情報誌が店頭にないという事もあり、
好きなミュージシャンが載っていなくても、
どちらかを購入して楽しんでいた覚えがあります。
(中学2年の秋ごろから、ザ・ミュージックという洋楽専門誌が、小学館から創刊されていましたね。
毎月の販売か隔月の販売だったかは、しっかりと覚えておりません)
ラヴ・ビーチの後になって、
ロッキンオン誌を田舎の書店でも見かけるようになりましたが、
それまでは、どの音楽誌のカラーグラビアでも、
必ず説明文が載っていたので、
ロッキンオン誌の説明無しカラーの頁は独特の印象がありましたね。
いずれにしましても、
私がEL&Pのカラー頁が掲載された音楽誌をリアルタイムで購入したのは、
1977年からです。
そのため、グレッグのいう「人生で最も良い時」に、1977年が含まれていなければ、
私は「良い時」には間に合わなかったという事になります。
私より後に熱心なEL&Pファンになった人には、
ラヴ・ビーチをリアルタイムで聴く事ができなかった方もいらっしゃるかと思います。
そう考えると、頭脳改革には間に合いませんでしたが、
1977年にEL&Pファンになれたのは本当に幸いでした。
以上。
![](http://music.blogmura.com/progressive/img/progressive88_31.gif)
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グレッグの言った、キースと『人生で最も良い時を一緒に過ごしました』という発言は本当にそうだったんだろうな・・・ってストンと腑に落ちた発言です。
ご存知の通り、私はELPファンですが、グレッグの大ファンであり、彼がいなければ、今の私はないと言って差支えない程の影響を受けています。グレッグは物の本質を見抜き、適切に表現する力を持っている人です。グレッグ曰く、キースは1977年のワークス時代から既に鬱と戦っていたそうです。
グレッグが人生で最も良い時を一緒に過ごした・・・というのは、ELP結成当初から1974年くらいまでの、若くして大成功した時期を指しているのではないかと、勝手に思っております。本当に凄い勢いと音楽的な頂点にあった時期ですね。色々な問題もあったでしょうが、兎に角、楽しかったはずです。
私はtoriodenさんが指摘された通り、ラブビーチすら知らない後進ファンで、ELPの人生で最も良い時を知りません。でも、音楽は永遠ですよね。今でもその当時に音楽が何時でも聴けます。ELPというバンドに出会えただけでも幸せです。ミュージックライフと音楽専科とロッキンオンとロッキンFという雑誌を1981年くらいから購読しましたが、ELPは全く出てなかった記憶です( ;∀;)
余談ですが・・キースが亡くなった後、ナイスのデイビーが『2年間も同じアパートに一緒に住んだ友達だったんだ。今でも皿洗いしていると、キースが話しかけてくる』って言ってました。デイビーは皿洗いしないってキースが自伝で文句書いてたの思い出して、笑っていいのか泣いていいのか分からなくて、言葉を失いました・・・
表紙はベッドミドラーかな?
レスがまたまた遅くなりまして、ごめんなさい。
仕事の用事で事務所にいない時間が多かったためですね。
>グレッグは物の本質を見抜き、適切に表現する力を持っている人です。
私はその事に気がつくのが、遅かったように思います。
でも、気が付く事ができて本当に良かったし、
私が思っている以上に、キースは偉大な存在であるという認識にいたる事ができました。
そんな事もあって、自分に対する1000本ノックが終わって、
その後に青天の霹靂のような他界ショックがあったとしても、
このブログを続けていられるのだと思いますね。
グレッグに感謝ですね。
音楽選科はミュージシャンの絵を表紙に載せていた時期があるのですが、
そのミュージシャンが誰なのかを途中から表記するようになったようです。
表紙は今回、スキャンしたので、パソコン等からポチをすると、
画像が大きくなります。
そうすると表紙の向かって右側下部に、
英文字でモデルの名前が記されていまして、
仰る通りの名前になっています。
(^ ^)