なるほどな、近代哲学のはじまりは、
カントからだと
哲学批判や、理性批判を通じて、
人間の限定合理性に
行き着いたと。
「理性」が走りすぎるのも
問題じゃないかと思う。
あと、自然体系の中に、
真理があるのではなく、
あくまで人間の内側に「真理」があるのだと。
つまり、所詮は、人間の主観の内側の問題なのかな?
「経験的に知ること」が大事だな。
でも、「経験」とは何だろうか?
「経験」も、反省というか、省みないと
「定着」しないわな。
「走り」ながら「考えろ」ということか?
カントからだと
哲学批判や、理性批判を通じて、
人間の限定合理性に
行き着いたと。
「理性」が走りすぎるのも
問題じゃないかと思う。
あと、自然体系の中に、
真理があるのではなく、
あくまで人間の内側に「真理」があるのだと。
つまり、所詮は、人間の主観の内側の問題なのかな?
「経験的に知ること」が大事だな。
でも、「経験」とは何だろうか?
「経験」も、反省というか、省みないと
「定着」しないわな。
「走り」ながら「考えろ」ということか?