母の味
2006-01-25 | 風

自宅から車で20分と近いせいもあり、実家にちょくちょく寄っては野菜を分けてもらったりする。
そんな時、母はいつも夕飯を食べていくように勧めるのだが、自宅で食事の準備をしているので食べる機会はほとんど無い。
そんなこともあり、久しぶりに夕飯を実家で食べるとなると、母は私に何を食べさせようかと大思案となる。
とは言っても、特別な料理が出るわけでもなく、卵入りの野菜炒めだったり、おでんだったり、焼き魚だったりするのだが、気づくとその料理はほとんどが私が子供の頃に好きだった料理なのである。
そしてこれがやはり妙に美味い。
世の中は、グルメブームとか言う風潮で、やれ厳選素材だの、至高の味だの、何処其処の何々が最高だのと、とかくやかましい。
母親が作ってくれる料理は、高級素材でも無ければ、究極の味でもない。イタメシでも無いしフカヒレなんか出てはこない。しかしその味は、そんな浮かれた風潮の高級料理と見事に対峙してひけをとらないほど力強く、暖かく、そして美味しい。
母は、ただ子供の喜ぶ顔のために、そして子供の栄養が偏らないように嫌いなものを食べさせるための工夫をし、家計を考えたりして料理を作ってくれたのだ。
この日のおでんの大根も、わざわざ雪の畑を掘り起こして悴む手で採ってきてくれたものであった。
幾つになっても子は子で、親は親なのだと思う。
そして、そんなふうにして私はこの母に育てられてきたのだと思う。
それを思うとき、
切ないほどの美味しさが、母の味にはある。

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伊藤さん、こんばんは。
ちょっと涙ぐみながらこのコメントを書いています。
>その味は、そんな浮かれた風潮の高級料理と見事に対峙して
ひけをとらないほど強く懐かしく、そして美味しい。
本当に仰るとおりだと思います。
私の故郷は九州ですが、
関西に住んでいる今となりましては
母と会えるのも1年に1度だけです。
故郷に帰り久しぶりに母の手料理を味わうとき、
「絶対にこの味を忘れないぞ」と思いながら食べます。
そして親元を遠く離れた関西の地で
いろんな事で傷ついたりするたびに
「私、今年もお母さんの美味しいご飯をたくさん食べられたから頑張れる」と
自分に言い聞かせながら何とか頑張っています。
伊藤さんも、お母様の深い深い愛情に
包まれてこられたのですね(*^_^*)
実家を離れてから20年ぐらい経ちますが、最近特にこんな事を考えてしまいます。
歳をとった証拠でしょうか・・・。(^^ゞまだ40代ですが。
しかし、九州と関西ではかなり遠いですよね。私の何十倍も母上様の手料理が懐かしいのでしょうね。そして勇気づけられるのでしょうね。
とても良い話を、ありがとうございました。
会社でこの記事に目を通していたのですが
仕事の片手間にちょっとコメントするのが躊躇されて
自宅まで感想を持ってかえってきました
私は母と同性なので思春期や一緒に暮らしている頃
けんかもしたし反抗期もひどかったかもしれない
でも今日の伊藤さんの記事を読んで
母の味付けのありがたさをありがたく思いました
食材がいいからではなく、同じお料理だと同じ味になるから
それが母の味となり愛着が湧くのですね
今私は彼と同棲していますが、働きながら共同生活をしてみて
毎日の食事の支度がいちばん家事のなかで労力を要します
それはお洗濯とかと違い毎日しなければならないことだから。
母と離れて生活し私も黙っていてもあたたかな料理がでてくるありがたさを
感じるようになりました
私も高校生の頃は喧嘩ばっかりでしたよ。(もっとも、父親とですが。(^^ゞ)
でも、親元を離れて生活するようになって、急に仲良くなりましたね。
仕送品の中にお菓子がいっぱい入っていて、そのお菓子がポテトチップスなどでなく、「きな粉ねじり」だったり、「かりんとう」だったりするんですよね。
ちょっぴり恥ずかしくて、でも、嬉しい仕送りでした。
今私は2児の父親ですが、当時の親の気持ちが良く分かりますね。
今、歳を取った自分の親を見ていると、なんだかありがたい気持ちになります。
感動//感動
母の味、無償の愛の味ですね。