朝日新聞の連載小説「また会う日まで」が2020年8月から始まっています。
第16章 希望と失意
が12月1日から12月31日まで30回の連載で終わった。
家に一通の封書が届いていた。
学術研究会議の会員の任を解くという主旨のことが書いてあった。
これには落胆した。
海軍少将が予備役になったのはしかたがない。今やこの国に現役の将兵はいないのだ。
海軍の籍に未練はなかった。
しかし学者・研究者という身分はわたしの中で軍人よりも大きかった。
学術研究会議は第一次世界大戦の後で作られた万国学術研究会議に応じて国内機関として
創設された。会員の定数は百名。学識経験者の中から推薦に基づいて内閣が任命する。
わたしは1939年の6月に会員に任命された。なかなか名誉なことであると喜んだ。
それがなくなる。戦争に負けても、また海軍軍人でなくなっても、天文学におけるわたしの
業績が消えるわけではない。
しかし文面をよく読んでみるとわたしが解任されるわけではないらしい。学術研究会議
そのものが廃止されるとある。海軍省と同じようにここも消滅する。学者たちはそんなに
戦争に協力していただろうか。
もう一通は日本学術振興会からの封書。
こちらは辞任の促しだった。
わたしは1941年12月からここの第6常置委員会(海洋学と地理学)の委員を仰せつかって
きた。1943年5月からは第14特別委員会(海洋開発)に変わった。それがなくなる。
学術的な役職はいろいろあった。
1937年に測地学委員会委員。
同じ年に測地学及地球物理学本邦委員。
また学術振興会第3特別委員会委員(太平洋島嶼の昇降研究)。
更に日本天文学会評議員。
どれも名誉職ではない。会議では現役の研究者がそれぞれの学識をもって侃々諤々の議論をする。
人生のそういう局面をわたしは喪失したらしい。
☆最近では、菅内閣が日本学術会議の委員の任命問題がありましたが・・・。