船岡・山崎山公園を館山方面に歩いていくと、
左に石碑が見える
赤い頭巾が見えてくる
昭和60年に建立された「三界万霊之塔」と六地蔵
碑文には、次のように書かれている。
この地は 久円寺の墓苑であった 桜や椿の咲く頃 四季折々
里人たちの こよなき憩の森でもあった
しかるに 先の大戦の折 軍工廠用地として
東南部の大半が削られ広大な旧苑の 姿はもはやない
時うつり 昭和55年 山崎山「こどもの森」として 里人たちに
開放された 実に42年ぶりのことで まことに喜ばしいことである
さりながら 国策の名の下に 墓地移転となった 悲しみや
幼き日々 この森で 遊んだ友の多くが 戦場の露と消えた
あの戦争の痛ましさを忘れることはできない
このゆかりの地に 山内三郎氏の篤志により 今は亡き妙高山
大光寺第二十六世泰英老師の絶筆を刻した万霊之塔を建立し
三界の諸霊を供養するとともに 里人たちの平穏を祈るものである
昭和60年5月吉日
撰文 柴田町長 平野 博 書