(1月21日)
前回投稿で紹介したM428(太陽と月の嫁、Arapaho族)が本書「L’Origine des manierres de table, 食事作法の起源」後半の基準神話となります。Sequence(筋の流れ、場、シーケンス)は
1 太陽、月兄弟の地上の女評定
2 月の嫁探し、地上へ降臨
3 ヤマアラシに変身して(人の)娘を天に誘う。太陽はカエルを連れて帰った
4 カエルと娘の食べ比べ。娘は噛み音(ポリポリ)を立てて勝つ。
5 娘が出産する(妊娠期間は十月十日の決まりが出来る)
6 太陽と月の棲み分け。日夜、年の周期性の確率
レヴィストロースはいくつかの同類神話を引用する。それらいずれも輪郭は相似するが、M428ほどの内容の豊かさをもたない。一貫性が基準の理由である。
これら筋の流れに取り混ぜられ、逸話がいくつか語られる。
1 太陽は人の娘ではなくカエルを伴侶になぜ選んだのか。
女評定での太陽の言い分は;<<les humains sont laids, et vilains de figure: quand ils me regardent, ils clignent des paupieres. Leur visage me repugne>> 人は醜い、奴らを見る度に不愉快になる。彼らは私を見る度に瞬きししかめ面を見せる。私を嫌う証拠だ。(以下引用は略)<水棲の娘は綺麗だ、目が丸く大きくてしかめ面など見せない>と続けた。水棲娘とは雌のカエル。
2 月の言い分は
<Arapaho娘はしかめ面など見せない。夜の木陰からうっとりの眼差しを私に投げかける。彼女たちが最上だ>評価が割れる。
太陽に向かう人の瞬きは嫌うからではなく、眩しいから。ある日誰かがふと太陽を見て、眩しいから顔をしかめた。不注意の結果なのだが、その表情がすべて。しかめ面が太陽いらだたせ、人を憎んだ。
3 音を立てなかったらカエル王国
太陽月の父親はいずれが「正しい嫁か」を判定するため、二人に内臓煮込みを供した、食事作法の洗練度を比べたのだ。「くちゃくちゃ」と粘着音しか上げられなかったカエルに比べて、おおらかな噛みしめ具合で小気味よいポリポリ音をたてたArapaho娘の勝ち。娘は天上に残り家事料理など文化を吸収した。カエルは仕返しに月に取り憑き、斑と化した。
しかし危うい一瞬だった。もし娘が肉の一噛みを「グチャ」としくじったら、文化はカエルに伝承され、地上はカエル王国となっていた。

写真:<pretty nose>と呼ばれたArapahoの女性。彼女(の祖先)の機転がなかったら地上はカエル王国に果てていた。ネットから。
妻と選んだカエルは人の娘に軽蔑され、面目をすっかり失った太陽には人への憎しみが残った。
4 北米先住民は太陽を人食い「cannibale」と表現する。プレーンズ、荒々しい夏、乾燥と熱が猖獗する。作物は枯れ、人は消耗する。原因は嫁取りに失敗した太陽の怒り、人への敵愾である。不用意な者の「しかめ面」が原因だから、我々は祈らねばならぬ。悔い改めを見せてなだめて、太陽との交流を計ろう。「太陽の祭り、サンダンス」は融和を祈願する祭りである。
5 人は太陽を直視してはならない、月経中の娘は昼に外に出てはならないなどの禁忌は今でも(神話の採取時期の1930年代現在)生きている。
M428神話の系列にはヤマアラシが登場する。
理由はトゲ毛を生やすから。Arapaho族を含めプレーンズのインディアンは、衣服飾り付けにその毛を用いる。希少なうえ神聖な場(部族祭り)に欠かせないから、織り手であれば、見せつけられたトゲ毛の色合いに抵抗は出来なかった。しかし、Arapahoが住むプレーンズにはヤマアラシは棲息していない(生息域とプレーンズは重ならない、本投稿第一回を御高覧いただきたい)。それでも、ここでなぜ、重要な狂言回しに、樹上棲息の齧歯類が出てくるのか。
その登場と役割を説明するに、レヴィストロースは南米の神話を引き合いに出す。ボロロ族神話(M1鳥の巣あらし)では金剛インコの巣に少年を登らせる。地上で見張る父を少年は「巣は空っぽ、ひな鳥など見えない」騙す。北米では娘が「騙される」。南北神話の2系統はいずれも服飾にまつわる絡繰りが起因している。
目当ての品(尾羽、トゲ毛)は手に入らず、遠くに追いやられ(あるいは誘われ)、冒険試練の先に天上に行き着く。天上には文化があった。
彼らの出発点地上と比べてみる。そこでは未だ文化は創造されていなかった。
ボロロ神話で地上は母系社会の世界。
統制規則などないから、近親相姦の蔓延、食事の規則破り(捕れた魚すべてを女一人が平らげてしまうなど)の横行。実はこの無秩序が自然の元々の形態だった。自然とは連続性、分断されないから混乱が猖獗する世界である。Arapaho村では天の周期性の不整(太陽と月の不調和)に悩む。
対する天上、担い手がしっかり文化を維持していた。ジャガー(ボロロ神話)、彼と妻が狩猟具とかまど火を管理していた。Arapaho神話では、天上では家庭生活が営まれ食事作法は確立していた。噛みしめに心地よい音、ポリポリをたてる、給された肉片は「小さい」ほうから選ぶなど。ちなみにカエルは大きな片を取って、モグモグするしかなかった。
服の飾り物は手に出来なかったけれど、より重要な文化を取得する。火と狩猟(ボロロ)、家事と女の周期性(月経と出産)。これで社会の創造が可能となった。
天への昇りと地上戻りの過程を見ると;
二人を天上に導いた金剛インコとヤマアラシは、自然を文化に引きつけるmediateur仲介として働いた。文化を伝授させるに選ばれた者、ヒーローヒロインは、試練を経て地上に戻る。ボロロ神話ではヒーローはハゲワシについばまれ一端、死ぬ。Arapaho妻は夫の月が留守中に、義兄太陽に云い寄られて天上界を脱出する。垂らした紐の長さが足りない、地に叩きつけられ死ぬ。「パリパリ音立て喰い方作法」など食事作法の秘伝は息子に引き継がれ、人の世に行き渡った。
ボロロとArapaho, Takunaのモンマネキ神話を入れて、新大陸の南北を結ぶ3の神話、それらの相似性とは、食事作法の起源は天上にあったに尽きる。レヴィストロースがはたと気づいた。皆様の次回来訪を願う。
レヴィストロース「食事作法の起源」を読む(続き) 5の了
(次回投稿予定は23日)
前回投稿で紹介したM428(太陽と月の嫁、Arapaho族)が本書「L’Origine des manierres de table, 食事作法の起源」後半の基準神話となります。Sequence(筋の流れ、場、シーケンス)は
1 太陽、月兄弟の地上の女評定
2 月の嫁探し、地上へ降臨
3 ヤマアラシに変身して(人の)娘を天に誘う。太陽はカエルを連れて帰った
4 カエルと娘の食べ比べ。娘は噛み音(ポリポリ)を立てて勝つ。
5 娘が出産する(妊娠期間は十月十日の決まりが出来る)
6 太陽と月の棲み分け。日夜、年の周期性の確率
レヴィストロースはいくつかの同類神話を引用する。それらいずれも輪郭は相似するが、M428ほどの内容の豊かさをもたない。一貫性が基準の理由である。
これら筋の流れに取り混ぜられ、逸話がいくつか語られる。
1 太陽は人の娘ではなくカエルを伴侶になぜ選んだのか。
女評定での太陽の言い分は;<<les humains sont laids, et vilains de figure: quand ils me regardent, ils clignent des paupieres. Leur visage me repugne>> 人は醜い、奴らを見る度に不愉快になる。彼らは私を見る度に瞬きししかめ面を見せる。私を嫌う証拠だ。(以下引用は略)<水棲の娘は綺麗だ、目が丸く大きくてしかめ面など見せない>と続けた。水棲娘とは雌のカエル。
2 月の言い分は
<Arapaho娘はしかめ面など見せない。夜の木陰からうっとりの眼差しを私に投げかける。彼女たちが最上だ>評価が割れる。
太陽に向かう人の瞬きは嫌うからではなく、眩しいから。ある日誰かがふと太陽を見て、眩しいから顔をしかめた。不注意の結果なのだが、その表情がすべて。しかめ面が太陽いらだたせ、人を憎んだ。
3 音を立てなかったらカエル王国
太陽月の父親はいずれが「正しい嫁か」を判定するため、二人に内臓煮込みを供した、食事作法の洗練度を比べたのだ。「くちゃくちゃ」と粘着音しか上げられなかったカエルに比べて、おおらかな噛みしめ具合で小気味よいポリポリ音をたてたArapaho娘の勝ち。娘は天上に残り家事料理など文化を吸収した。カエルは仕返しに月に取り憑き、斑と化した。
しかし危うい一瞬だった。もし娘が肉の一噛みを「グチャ」としくじったら、文化はカエルに伝承され、地上はカエル王国となっていた。

写真:<pretty nose>と呼ばれたArapahoの女性。彼女(の祖先)の機転がなかったら地上はカエル王国に果てていた。ネットから。
妻と選んだカエルは人の娘に軽蔑され、面目をすっかり失った太陽には人への憎しみが残った。
4 北米先住民は太陽を人食い「cannibale」と表現する。プレーンズ、荒々しい夏、乾燥と熱が猖獗する。作物は枯れ、人は消耗する。原因は嫁取りに失敗した太陽の怒り、人への敵愾である。不用意な者の「しかめ面」が原因だから、我々は祈らねばならぬ。悔い改めを見せてなだめて、太陽との交流を計ろう。「太陽の祭り、サンダンス」は融和を祈願する祭りである。
5 人は太陽を直視してはならない、月経中の娘は昼に外に出てはならないなどの禁忌は今でも(神話の採取時期の1930年代現在)生きている。
M428神話の系列にはヤマアラシが登場する。
理由はトゲ毛を生やすから。Arapaho族を含めプレーンズのインディアンは、衣服飾り付けにその毛を用いる。希少なうえ神聖な場(部族祭り)に欠かせないから、織り手であれば、見せつけられたトゲ毛の色合いに抵抗は出来なかった。しかし、Arapahoが住むプレーンズにはヤマアラシは棲息していない(生息域とプレーンズは重ならない、本投稿第一回を御高覧いただきたい)。それでも、ここでなぜ、重要な狂言回しに、樹上棲息の齧歯類が出てくるのか。
その登場と役割を説明するに、レヴィストロースは南米の神話を引き合いに出す。ボロロ族神話(M1鳥の巣あらし)では金剛インコの巣に少年を登らせる。地上で見張る父を少年は「巣は空っぽ、ひな鳥など見えない」騙す。北米では娘が「騙される」。南北神話の2系統はいずれも服飾にまつわる絡繰りが起因している。
目当ての品(尾羽、トゲ毛)は手に入らず、遠くに追いやられ(あるいは誘われ)、冒険試練の先に天上に行き着く。天上には文化があった。
彼らの出発点地上と比べてみる。そこでは未だ文化は創造されていなかった。
ボロロ神話で地上は母系社会の世界。
統制規則などないから、近親相姦の蔓延、食事の規則破り(捕れた魚すべてを女一人が平らげてしまうなど)の横行。実はこの無秩序が自然の元々の形態だった。自然とは連続性、分断されないから混乱が猖獗する世界である。Arapaho村では天の周期性の不整(太陽と月の不調和)に悩む。
対する天上、担い手がしっかり文化を維持していた。ジャガー(ボロロ神話)、彼と妻が狩猟具とかまど火を管理していた。Arapaho神話では、天上では家庭生活が営まれ食事作法は確立していた。噛みしめに心地よい音、ポリポリをたてる、給された肉片は「小さい」ほうから選ぶなど。ちなみにカエルは大きな片を取って、モグモグするしかなかった。
服の飾り物は手に出来なかったけれど、より重要な文化を取得する。火と狩猟(ボロロ)、家事と女の周期性(月経と出産)。これで社会の創造が可能となった。
天への昇りと地上戻りの過程を見ると;
二人を天上に導いた金剛インコとヤマアラシは、自然を文化に引きつけるmediateur仲介として働いた。文化を伝授させるに選ばれた者、ヒーローヒロインは、試練を経て地上に戻る。ボロロ神話ではヒーローはハゲワシについばまれ一端、死ぬ。Arapaho妻は夫の月が留守中に、義兄太陽に云い寄られて天上界を脱出する。垂らした紐の長さが足りない、地に叩きつけられ死ぬ。「パリパリ音立て喰い方作法」など食事作法の秘伝は息子に引き継がれ、人の世に行き渡った。
ボロロとArapaho, Takunaのモンマネキ神話を入れて、新大陸の南北を結ぶ3の神話、それらの相似性とは、食事作法の起源は天上にあったに尽きる。レヴィストロースがはたと気づいた。皆様の次回来訪を願う。
レヴィストロース「食事作法の起源」を読む(続き) 5の了
(次回投稿予定は23日)