(2021年1月18日)
2 第2章Le problème de l’inceste近親婚の問題の1
レヴィストロースの著作「親族の基本構造Les Structures élémentaires de la parenté」の紹介を続けています。
第2章Le probléme de l’inceste近親婚の問題では「近親婚の禁止」(以下「近親婚…」)の2面性を指摘する。章頭の文は;
<Le problème de la prohibition de l’inceste se presente à la reflextion avec toute l’ambiguité qui, sur un plan différent , rend compte du caractère sacré de la prohibition elle-même.
Cette règle, sociale par sa nature de règle et en même temps pré-sociale à un double titre : d’abord, par son université, ensuite, par le type de relations auxquelles elle impose sa norme.>(14頁)
「近親婚…」の問題を解こうとするにもそれは曖昧なまま立ちはだかる。しかし別の取り組み方をすれば、禁止自体が神聖さ(sacre)を隠れ蓑としている故にと見当がつく。この規則(regle)は、規則である故に社会的であり、同時に前社会的(pré-sociales)でもあるのだ。その理由はまず汎人類性が挙げられる。次に、禁止が適応される(男女)関係には部族、社会ごとの多彩さが認められる。
「規則」は文化の範疇である。一方、「前社会的」とは自然を意味する。両の相反する性格がこの制度「近親婚…」に認められるとの指摘である。人が文化を獲得する以前にこの制度が生まれ、文化を持って族民社会が、決め事としてそれぞれの制度で確立した。ここが本章の伝えかけ(メッセージ)である。
一方、
取り組みは曖昧さを貫き、解決にいたらない。「神聖sacré」故にとレヴィストロースは気遣うが、先達の研究は人の性状や心理を「制度」と分離せずに議論していただけ。すなわち自然性と社会性を混同していたからと言外に指摘する。
本章本論に入る、
これまでの学説を3の典型(生物学、心理、歴史から説明する)に挙げて、いずれも否定する。そして自身の解析、引用文では「ある一つの別の取り組み方sur un plan différent」と謙遜しながらも、これが決め手と言いたげであり、章後半にそれ(社会制度とする)を開陳する。「近親婚…」は、前社会 (自然)からの遺構を孕むものの、確固とした社会性格を持つ。これまでの説明の主流であった「心理、欲望」などは、規則制度にはなじまない。「禁止」こそが神聖と祭り上げている要素を分離しなければ、「近親婚…」の理解に至らない。
文中のuniversiteを汎人類とした。
族民であれ文明人にしても、いかなる人間社会にも「近親婚…」は存在する。これをして汎人類とする(誰とでも婚姻できる制度を持つ社会はない、の反論として)。
しかるに禁止する(男女関係の)範囲は社会ごとに差が激しい。例を挙げると;イトコ婚に関して交差いとこを推奨(あるいは強制)する民族が多いが、その中でも父系交差、母系交差の待遇さは峻別である。また民族によっては血縁が近いとして禁止している。姪と叔父、甥と叔母は同じく(日本などで)禁止されるが、これを特定の関係であれば認める社会もある。
どの社会も「近親婚…」の概念を持ち、それを規則と制度で定めている。
汎人類性かつ生物学的由来を持つ「近親婚…」の概念、前社会でそれが形成されたとレヴィストロースは主張する。それはどのように存在していたか;
「新石器革命」を人類の大転換期としてレヴィストロースは取り上げている。本書でも諸々の社会制度=文化は新石器以降とする記述が見られる。
すると前社会性とは、
旧石器の生活は家畜持たない、栽培小麦なしオデンなんかを煮込むに土器がない。土地の生産性は新石器期と比べ低い。1~2家族5~10人程度の群がバンドの一単位、この家族バンドと取り巻く環境を「前社会」と想定しよう。
(旧石器期のバンド構成などは考古学の分野である、その方面の知識を小筆は持たない。「悲しき熱帯」で報告される半定住のNambikwara族の生活、彼らが旧石器人と主張などするものではないが、土地生産性ではそれに近いと見て、彼らのバンド構成を参考にした。悲しき熱帯では「数家族20人ほど」のバンドとしている)
Nambikvara族の親子
雨期には定住し耕作、乾期に移動生活に入り採取と狩猟の「原始的」生活をおくる。
このような前社会でもfiliationの概念は確立していたとレヴィストロースが伝える。家族内で「世代再生産」に励んでいた訳では決してない。少なくとも上下婚(=親子たわけ)禁止の規則はあった(はずだ)。これをして「近親婚…」の自然由来と(部族民通信は)解釈する。ここまでは前章(nature et culture自然と文化)の繰り返しとなります。1,2章とのつながりを強調していると理解する。
第2章Le probléme de l’inceste近親婚の問題の1の了
2 第2章Le problème de l’inceste近親婚の問題の1
レヴィストロースの著作「親族の基本構造Les Structures élémentaires de la parenté」の紹介を続けています。
第2章Le probléme de l’inceste近親婚の問題では「近親婚の禁止」(以下「近親婚…」)の2面性を指摘する。章頭の文は;
<Le problème de la prohibition de l’inceste se presente à la reflextion avec toute l’ambiguité qui, sur un plan différent , rend compte du caractère sacré de la prohibition elle-même.
Cette règle, sociale par sa nature de règle et en même temps pré-sociale à un double titre : d’abord, par son université, ensuite, par le type de relations auxquelles elle impose sa norme.>(14頁)
「近親婚…」の問題を解こうとするにもそれは曖昧なまま立ちはだかる。しかし別の取り組み方をすれば、禁止自体が神聖さ(sacre)を隠れ蓑としている故にと見当がつく。この規則(regle)は、規則である故に社会的であり、同時に前社会的(pré-sociales)でもあるのだ。その理由はまず汎人類性が挙げられる。次に、禁止が適応される(男女)関係には部族、社会ごとの多彩さが認められる。
「規則」は文化の範疇である。一方、「前社会的」とは自然を意味する。両の相反する性格がこの制度「近親婚…」に認められるとの指摘である。人が文化を獲得する以前にこの制度が生まれ、文化を持って族民社会が、決め事としてそれぞれの制度で確立した。ここが本章の伝えかけ(メッセージ)である。
一方、
取り組みは曖昧さを貫き、解決にいたらない。「神聖sacré」故にとレヴィストロースは気遣うが、先達の研究は人の性状や心理を「制度」と分離せずに議論していただけ。すなわち自然性と社会性を混同していたからと言外に指摘する。
本章本論に入る、
これまでの学説を3の典型(生物学、心理、歴史から説明する)に挙げて、いずれも否定する。そして自身の解析、引用文では「ある一つの別の取り組み方sur un plan différent」と謙遜しながらも、これが決め手と言いたげであり、章後半にそれ(社会制度とする)を開陳する。「近親婚…」は、前社会 (自然)からの遺構を孕むものの、確固とした社会性格を持つ。これまでの説明の主流であった「心理、欲望」などは、規則制度にはなじまない。「禁止」こそが神聖と祭り上げている要素を分離しなければ、「近親婚…」の理解に至らない。
文中のuniversiteを汎人類とした。
族民であれ文明人にしても、いかなる人間社会にも「近親婚…」は存在する。これをして汎人類とする(誰とでも婚姻できる制度を持つ社会はない、の反論として)。
しかるに禁止する(男女関係の)範囲は社会ごとに差が激しい。例を挙げると;イトコ婚に関して交差いとこを推奨(あるいは強制)する民族が多いが、その中でも父系交差、母系交差の待遇さは峻別である。また民族によっては血縁が近いとして禁止している。姪と叔父、甥と叔母は同じく(日本などで)禁止されるが、これを特定の関係であれば認める社会もある。
どの社会も「近親婚…」の概念を持ち、それを規則と制度で定めている。
汎人類性かつ生物学的由来を持つ「近親婚…」の概念、前社会でそれが形成されたとレヴィストロースは主張する。それはどのように存在していたか;
「新石器革命」を人類の大転換期としてレヴィストロースは取り上げている。本書でも諸々の社会制度=文化は新石器以降とする記述が見られる。
すると前社会性とは、
旧石器の生活は家畜持たない、栽培小麦なしオデンなんかを煮込むに土器がない。土地の生産性は新石器期と比べ低い。1~2家族5~10人程度の群がバンドの一単位、この家族バンドと取り巻く環境を「前社会」と想定しよう。
(旧石器期のバンド構成などは考古学の分野である、その方面の知識を小筆は持たない。「悲しき熱帯」で報告される半定住のNambikwara族の生活、彼らが旧石器人と主張などするものではないが、土地生産性ではそれに近いと見て、彼らのバンド構成を参考にした。悲しき熱帯では「数家族20人ほど」のバンドとしている)
Nambikvara族の親子
雨期には定住し耕作、乾期に移動生活に入り採取と狩猟の「原始的」生活をおくる。
このような前社会でもfiliationの概念は確立していたとレヴィストロースが伝える。家族内で「世代再生産」に励んでいた訳では決してない。少なくとも上下婚(=親子たわけ)禁止の規則はあった(はずだ)。これをして「近親婚…」の自然由来と(部族民通信は)解釈する。ここまでは前章(nature et culture自然と文化)の繰り返しとなります。1,2章とのつながりを強調していると理解する。
第2章Le probléme de l’inceste近親婚の問題の1の了