蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

親族の基本構造ヴェイユの証明第3 部 Commentaire 3

2021年12月21日 | 小説
(2021年12月21日) On voit à quel point Elkin se trompe, quand, se laissant entrainer par un empirisme inspiré de Malinowsky, il écrit « D’une façon générale, l’étude de l’élément purement formel des systèmes de parenté australiens ne vaut guère d’être entreprise…après tout , elle n’apporte que peu de satisfaction et ne donne aucune intelligence réelle de la vie de la tribu»
訳:Malinowskyに影響を受け経験主義に陥ったElkinがいかにして迷走したかを探る;彼は「一般的にオーストラリア人(先住民)の親族の形体としての省察はいかなる学術的成果をもたらさない。その試みは満足に至る結果をもたらさないし、部族生活の実利的理性など全く浮き上がってこないと結論づけた。

Elkin:アドルフス・ピーター・エルキンCMG( 聖ミカエル・聖ジョージ三等勲爵士)、1891~1979年オーストラリアは、英国国教会の聖職者、20世紀半ばの影響力のあるオーストラリアの人類学者であり、オーストラリア先住民の同化の支持者でした。 ウィキペディア(英語)の訳文から。
先住民同化とは優生学がもてはやされていた20世紀初頭の時代用語では「白人化」である事をお忘れなく。白人男がアボリジニ女に子を産ませ、その子を白人社会に取り込む。一方通行であり、その逆(白人女がアボリジニ男の子を生む)はあり得なかった事も。




Elkinは白人化を3代重ねると、かなり白人の相貌に近くなるとして、白人との混血を進め子を白人社会に同化すべしと主張した。写真はネットから。

[部族民]:前文との文脈でElkinは見かけでは曖昧さを孕む習俗規則などの背後に隠れる体系、構造あるいは思想…を見つけるまでに至らなかったとヴェイユが指摘している。Murngin体系の第一報告者であるWebb等が「奇妙な婚姻」と切り捨てた「たすき掛け」の婿入りを、レヴィストロース、ヴェイユは同族の壮大な親族体系を紐解く結び目と見抜いた。
おおよそ解析において2の手法があるとすれば、1は見えているモノを規定概念で説明する。2はその見える奥に潜むからくりの究明である。当然ながらそれぞれが別個の解決にたどり着く。
1の手法を採る観察者は見えているけれど説明できない現象は例外、無意味と断じてしまう。2の観察者は隠れる意思、思想に肉薄する。Murngin体系での例外性を「奇妙な」とする一派と、その奇妙さこそ「社会を存続させる知恵」と規定する別の派に分かれることになる。2派を分ける乖離とは思索を練り上げる過程においての浅さと深さにある、は言い過ぎか。しかしながら結論に見える両者の落差、その意義を吟味すればするほどに論理の質のあからさまな差異には驚きを隠せない。

仏語圏の思想家は英語圏で隆盛を極める実証、経験主義を否定する。Malinowskyはポーランド出身(英語圏)の民族学者であり機能主義の観点から先住民社会を説明した。Kulaはトロブリアンド諸島の贈答慣習であり諸島に散らばる部族の独自性を担保する機能を持つと彼は主張した。ここに誤りは無い。しかしこの説明は単に見えているモノ(贈る行為)を別のモノ(社会の成り立ち)に置き換えているだけ。レヴィストロースが本書で展開する交換の理念(不等価不均衡inégalité, déséquilibrité)、更にはヴェイユの非分割 (irréductibilité) 社会であるべきとの思考、これもまた理念。それらが隠れる4の階層であり全周交換でもある。理念を具現するための習俗、行為など見えている仕掛けの語りかけを探る手法こそ、レヴィストロース、ヴェイユが採った分析法である。構造主義としても言い外れではなかろう。
それを機能人類学と比較すると経験主義とは広範に手を広げるが、かくも浅いと判定したくなる。
偏見かもしれぬ。

En ce qui concerne la société Murngin proprement dite, il est difficilement concevable qu’une société fonctionne dans les conditions suggérées par la théorie tout en conservant son individualité. D’autre part, si la société Murngin était concrètement dédoublée en deux sociétés, le fait n’aurait pu passer inaperçu d’observateurs de la qualité de Warner et de Webb. Il faut que les Murngin s’en tiennent, en fait, à une formule qui leur permette de préserver l’unité de groupe.
訳:Murngin社会の本来の特性について語れば、もしこの社会が自身の存続性を保ち、理論に沿いながら規則を実践していたとは考えにくい。付け加えれば社会が確固と2重化の相貌を見せていたのだとしたら、Warner, Webb水準の観察者であればその実態を見落とすとは考えられない。結局、Murngin族は集団として族の統一を保証する、ある手順(規則を外してでも)を用いてでも存続しなければならない。

「規則を実践していたとは考えにくい」先の引用にあった[les conditions rigoureuses]厳格な規則遵守と同じ文意を持つ。先住民の思想が規則に反映されているが、そのとおりに遵守している訳ではない。

Nous étions donc fondés à supposer que le système, tel qu’il s’énonce dans les règles compliquées de sous-sections et du mariage optionnel, doit être considéré comme une théorie élaborée par des indigènes soumis à des influences contradictoires, et comme une rationali-sation de ces difficultés, plutôt que comme l’expression du réel. La réalité du système est ailleurs, et nous avons essayé d’en dégager la nature.
訳:我々は以下の考えに立脚している。この体系とはサブセクション、補完としての婚姻形体などの複雑規則を前面に出しているからに、それは先住民が常に晒されている諸事情、遵守しきれない困難を織り込んだ上での一の理論と見る。規則とは実際に実行する物にあらず、困難さへの妥協である。体系はそこにあらず、我々は実体から思想(nature)を引き出したのだ。(意訳を試みた。ご理解いただければありがたい)

[部族民] : Rationalisation直訳は合理化、合理体制。少しひねって「言い訳」、妥協とした。l’expression du réelは現実表現、これを実行とした。文を通してヴェイユは実体の背後に潜む思想(nature)を数値で構築した。「黄金時代」と蕃神はこれを評した。一方でそれらはあからさまに見えている、あるいは実践されているとはしていない。厳格実行を阻む諸事情influences contradictoiresと妥協rationalisationが絡み、理論がそのままには実践されていない。
この2の引用文からは数学者の思考を覗き見るようで興味深い。実体と理論、主体は理論にあり実体は客体。この論考は哲学的で現象論的であり、まさに構造主義でもある。

親族の基本構造ヴェイユの証明第3 部 Commentaire 3の了(2021年12月21日)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする