蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

聖ロカ病院って言ったら笑われた

2024年11月15日 | 小説
(2024年11月15日)本日のニュース、重篤な状態で聖路加病院にご入院中の三笠宮妃百合子様がご逝去なされた。御享年101歳。雑の身ながら御冥福を祈ります。

ここからが、どうでもいい話題シリーズ2弾の本文:ラジオ・テレビでは聖路加病院を「聖ロカ」と発音していた。聖ロカなる聖人は存在しない。新約聖書福音書ルカ伝は聖ルカ(Saint Luca)の口述による(自筆の説も)。ルカ(ラテン語)がリュック(仏)、ルークルーカス(英独語)と替わるが、ルはそのまま、ルから「ロ」への音韻変換は無い。聖路加病院も聖ルークを守護に掲げるので聖ルカと発音するはず。メディアの誤読みのみならず、同院関係者の皆様も聖ロカと発音していた(投稿子渡来部は一時、医療関係に職を得て、面談の機会を賜った)。


聖ルカ、ベリー公の時祷書(Wikiから拝借)


「路」が問題を引き起こしている。路にはロの音読みが当てられ「ル」は見当たらない(角川の大漢和など幾つかの漢和辞典での調べ)。聖路加とあるからセイロカと読むしかない。しかし大昔は明治、維新もその半ば、あらゆる文物事象を漢字に当てる作業に人々が勤しんだ。諭吉はlibertéを自由と、周がphilosophieを哲学と名訳をあてた頃と想定して、仏王ルイ14世を「路易14世」とした。14世に限らずあらゆるルイLouisには路易が用いられていた。またLuc読みはリュック、路来と書いた。ちなみにルイーズは路易子と書く。
誰が路を持ち込んだのか、なぜルと読ませる漢字を当てなかったかは不明。ルの漢字には留(進歩なし)、流(ながされる)、襤褸(ランル、ボロ服)など碌でもない字が並ぶ。ルイ14世に褸衣は当てられない。こんな事情があったと推測します。

リュックが路来ならルカは路加、同病院の創立の1901年(明治34年)ならば路をルと読むに抵抗はなかった(はず)。しかし昭和に入って、定着しなかった。ルカ伝など知らない人々がセイロカと言い出して、この読みが定位置に着地した感がある。
なおGoogleでは聖ルカ病院、聖ロカ病院、検索窓にいずれを入れても聖路加病院に行き着く。右肩のショートWikiには「せい=ろか=こくさいびょういん」は正式な読みではない」の但しが文頭に見える。行外に「聖ルカと読むのだ」「聖ロカなんてのは存在しないんだから」悲痛な叫びが聞こえる。了

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