蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

ピアジェ批判の続き、親族の基本構造を読む 2

2020年05月12日 | 小説
>発達の行程はphylogenese(系統発達)とontogenese(個体発達)に分かれ<が前回(5月11日)の最終行。


wikiから引用>GézaRóheim(1891~1953年)はハンガリーの精神分析医および人類学者でした。 ある人から最も重要な人類学者であり精神分析者であると考えられており、彼はしばしば精神分析人類学の分野を創設したと信じられています。精神分析的に訓練された最初の人類学者であり、フィールド調査を<

phylogeneseは>L’evolution de l’espese, s’oppose a l’evolition de l’individu ontogenese (引用はDictionaire de philosophie, Nahan)。系統、集団、種、属などの発達(phylogenese)と個体がみせる発達(ontogenese)に分かれる。性衝動リピドーは人の「発達」過程に出現する。ではその過程とは系統発達なのか個体発達の結果なのか。
フロイトは答えていない。
弟子筋にあたるRoheim(Geza, 1981~1953ドイツ)は;
>Freud a montre que les theories sexuelles des enfants representent un heritage phylogenerique<
訳;フロイトは子供が顕わにする性衝動は系統発達を引き継ぐ。

口愛期から性愛に発達するリビドーの原動力は系統発生によるとなった。新たな疑問が湧く。系統発生であれば生物学の範疇である。すると人の性衝動の特異(段階性)は、同じく系統発生である人の身体、臓器、例えば睾丸やら子宮の形状、性能に支配されているとならないか。精神分析とは実は人の肉体形状を調べる学である、こんな極論につながる。

Roheimが系統発達とした背景はフロイト自身が「種としての人の発達過程を、個が再生する」(人の胎児が魚、は虫類などの形状を経時的になぞり、最終に人の子として産まれる説。後に否定されている)に関心を持っていた事実。しかしそれにまして、個体発達では自説を展開しきれない陥穽が潜むとフロイトは明確にしなかった。これを知るからである。


発達理論の陥穽とは;

精神の内部作用の発達様式が段階化され、あらゆる人がその段階を踏み、(誰彼の区別など無く同一の)目的点に到着する。この規格仕組みに合致しない人は、発達が阻害されて例外とされる。もしこの様態が個体発達であるならば、人が幾10億人いようと、これほどにも同一を目指す原動力、その根源は何処にあるのだろうか。目的点は同一、もし個体発達であれば、これほど強力な収斂(convergence)などあり得るのか。
これらを鑑みてRoheimはphylogeneriqueとせざるを得なかった。


ピアジェは「発達」をフロイトから取り込んだ。それをontogeneseと規定した。Phylogeneseだとすれば心理学の範囲から逸脱するからである。そしてこの極端な収斂性に独自の解釈を試みた。

>Piaget a eu , a cet egard, une attitude plus nuancee, mais qui manque souvent de clarte. Il retrouve dans la pensee enfantiles la magie, l’animismes et les mythes et, a propos du scrifice, il remarque qu’a chaque pas, on peut s’attendre a rencontrer des analogies entre la pensee de l’enfant et celle du primitif.(103頁)
注 ;nuanceニュアンスの勝る。ニュアンスとは一の色調の中での濃淡。赤で暗いが紫には入らない、赤の中での濃い薄いがニュアンス。これが原義の用法で二義的に「定義付けしていない」「曖昧」否定的意味合いが強い。
sacrificeを犠牲としたが具体的には「神に捧げる動物(屠る)」である。宗教、信心に伴う「屠り」習慣としても捉えられる。

上引用の訳; この点(未開と子供の心理を比較する問題)についてのピアジェの態度は濃淡、微妙さに勝り、明確に欠けていた。彼は子供の思考に魔術、霊魂、神話を認めた。そして犠牲の習慣について、彼の論調には、論を進める度に、子と未開人とを同類とする主張が展開し、読者にその論調は明らかとなる。

未開人の精神風土とは魔術、霊魂、神話そして犠牲(動物屠り)で充満している。文明人はそんな(非合理)をすっかり忘れているが、(発達途上の)子供にはそんな精神がわだかまる。ピアジェの主張である。

この下りに対してレヴィストロースの指摘は;
>il admet ‘ un certain parallelisme entre ontogenese et phylogenese’ , mais ‘ jamais nous n’avons songe a voir dans le contenue de la pensee de l’enfant un produit hereditaire de la mentalite primitive’, car ‘ ontogenese explique la phylogenese autant que l’inverse’.<
訳;彼は個体発達と系統発達にはある種の平行性が認められるとしている。しかし(西洋の)子供精神の中味が未開人精神を引き継いでいるとしているわけではない。なぜなら個体発達は系統発達を説明するし、その逆も言えるからである。

最後の句「個体発達は系統のそれを説明する」の下りを前の句と整合させ引用文を解説する;

1 ピアジェは西欧人と未開人を同一の「人」に括らず、別の系統としている。系統から個体へとつながる発達の様態は(生物学の法則から)同じと見ている。
2 系統発達に個体発達が平行する図式とは、種としての発達段階の終盤に個体発達が昂進する。それ以降は系統と個体が並列に発達し、種として個体として完成体を獲得する。

3 西欧人の系統発達の最終段は抽象概念と演繹思考の獲得まで進む、一方未開人は魔術と神話信仰(西欧人では低段階の個体発達)で終わる。この終段階は西欧では幼児期にあたる。
4 未開人の系統発達の最終点は「未完成な思考」なので、そこを起点とする個別発達の最終点は演繹思考を獲得できない(個別は系統を説明する;ピアジェ主張の意味)。西欧での個別発達の起点(未開人とは系統が異なる故に別の過程であるが)は幼児の未発達精神であり、その様態は感覚運動、行動してもその表象が掴めないである。

未開人の個体発達の最終期とこれが対比できる。

レヴィストロースが発起する問題とは;
「系統発達での劣位点から出発する未開人幼児は、上位点から出発する文明人幼児と比べ、未開と文明の成人同士の比較で思考力の優劣が「認められた」と同様に、出発点思考に遅れがあるのだろうか」

感覚運動期(幼児段階、5月7日投稿)の下位は「未開部族」の研究で発見できるのだろうか。続く

(上1~4はピアジェの原文に接せず、レヴィストロース批判を読んだ上での部族民蕃神の「一方的」解釈です。発達心理学に詳しい方からの反論、学会の内部での見解は蕃神と異なる解釈であるならご指摘を乞うtribesman*tribesman.asia *を@半角に変換)

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