蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

ピアジェ批判の続き、親族の基本構造を読む 1

2020年05月11日 | 小説
(2020年5月11日)
5月7,8日にピアジェ批判を取り上げた。「裸の男フィナーレ」抜粋である。

ピアジェ批判は神話学第4巻「裸の男」最終章に、突如取り上げられた感を与えるが1947年刊行の「親族の基本構造」Les structures elemetaires de la parante第7章「古代という幻想」L’illusion archaique(98~113頁)で子細にかつ徹底して論じられていた。裸の男の脱稿は1970年、23年を経ての再批判となる。ピアジェの論旨に危惧、あるいは忌避感を感覚えたよほどさがあったと推察してしまう。

親族の基本構造、表紙

そこで「裸の男フィナーレ」を一旦離れ、「親族の...」でのレヴィストロースのピアジェ批判1947年版の骨子をここで紹介する。過去投稿(2020年5月7,8,9日)で取り上げた展開と重なる言い回しが一部に認められるが、その点をご容赦。

(以下は雑なる一節;新型コロナ禍に巻き込まれ高熱を発し(9日投稿)、さらに焼き鳥店「南平ヨッチャン」のバイトを飲み屋不況で解かれたから、4月はもっぱら「読む楽しみ」(徳永恂氏一生の名言)にふけった。書庫(と称する段ボール)から「親族の...」を引っ張り出して再読したら、ピアジェ批判にぶつかった。「裸の…フィナーレ」を先に読んでいたから、両の筋立てを照らし合わせた。理解の深まりもより一層と、勘違いしながら思った)


レヴィストロースからの批判の骨子
1 ピアジェは「未開社会住民の精神構造は文明社会の幼児のそれにあたる」。「未開」なる差別語を容認しない人類学者としての反論である。それにしても、ピアジェ説は読み流しにするも今にして、奇妙きわまりのない説である。
2 レヴィストロース論点の基準としてgenese=発達、発生の否定である。ピアジェの心理学は幼児期から青年期までを4段階に分け、精神の成熟を説く。その原動力にgeneseが位置する。論の基本理念を否定する訳だから、彼の理論、論旨と仕掛け様々の全否定につながる。
3 「構造」へのピアジェの思考の曖昧さ、その不確かに立脚したレヴィストロース批判への反論も読み応えは重い。


内表紙。前付けで当該個体は第2版の第2刷、初版1947年、本刷は1968年。フランスでは刷あたり8~9000部を発刊する。ここまでで3万部弱が売れた(刷った)事を表し、学術書としては大ヒット。

98頁から数頁は前項のおさらい、省略して102頁に入る。

<Le probleme des rapports entre pensee primitive et pensee enfantine n’est pas nouveau>
訳;未開人と幼児を比較する問題は目新しくはない。
Le problemeは<そうした問題>、すなわち比較の進め方を追求する論理手順の「問題」ではない。比較する事自体に問題があるとしている。
<Il a ete pose dans des termes a peu pres immuables par des auteurs aussi eloignes ailleurs que les psychanalystes et certains psycholoques comme Blondel et Piaget>

>termes a peu pres immuablesのimmuablesは不変、継続したの意味。本意は両者(精神分析と心理学)にこの判断の影響を与えた思考があったと示唆している。

訳;この問題は精神分析家と心理学者というそれなりに離れている、例えばブロンデルとピアジェの関係だが、場合においても、ほとんど同類の表現手法で論ぜられた。

Blondel(Charles、1876~1939年、フランス)は精神分析家らしい。明治に当てれば9年生まれとなる、ピアジェは1886年の生1980年没。比較の意味で西田幾多郎は1870年(明治3年)生、1945年没。レヴィストロースは世紀が変わって1908年生、2009没。上の2名は生まれ死もレヴィストロースの一世代の前である。

当事者らの生年に拘泥した理由は、19世紀後半20世紀前半、一次大戦勃発まで欧州一部に不穏な思想が跳梁していた。そして上の2者は生年からしてそうした思想に感化されたはずと(蕃神は)勝手解釈しているからである。

シャルル・ブロンデル(ネットから)ソルボンヌの心理学教授職をDumaに譲り、そのDumaがレヴィストロースの指導教官だった。一世代前としたが、2世代前が正しいかもしれぬ。

産業革命と植民地支配で西欧が潤っていた時期、白人至上が西欧に猖獗していた。以下の文節は私感にすぎないが、この時期に教育を受け言論を展開し、施政していた者らには西欧優位を思想の漂いが底流に感じとれる。政治の分野でその典型例として、日本人を「サル」と呼び朝鮮を併合するとして日露戦争を起こしたロシア皇帝ニコライ2世があげられる。
学術界ではその風潮の先駆けとして人類学者にレヴィ-ブリュールLevy-Bruhl(1857年生)の名が思い浮かぶ。

ブロンデルもピアジェもこの時代の風潮に蚕食されていた。
それなりに(用語、思考判断で)離反しているはずの精神分析と心理学においてでも、その差異を乗り越える西洋至上の時代風潮に影響を受けているから、同じ用語を用い未開人と幼児の精神を重ねていた。

ここがピアジェ批判の出発点である。なおレヴィストロースのレヴィ-ブリュール批判は前の投稿で取り上げている。一世代遅れの生を受けたレヴィストロースは「西欧至上」を批判している、

親族の基本構造に戻る。続く分節でフロイトを取り上げる。

性衝動(リビドー)において口愛期、肛門愛期...などと発達し性愛に向かう。性愛は禽獣には見られない人に特有な情緒である。いわば人精神の極点に位置する。このフロイト説における「発達」の仕組みがピアジェの「心理発達」につながる。

発達はgeneseである。大文字Geneseはバイブルが語る「天地創造」を意味する。小文字で始まる普通名詞の意義は>le procesus qui commande le devenir d’une chose <Dictionaire de philosophie, Nahan出版>ある物の(始めから決定されている)未来に向かう行程。

この行程がphylogenese(系統発達)とontogenese(個体発達)に分かれている。


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