蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

神話「蜜から灰へ」を構造主義で分析する 4

2018年06月18日 | 小説
(6月18日)

南米先住民の神話を収集し分析を試みる「蜜から灰へ Du miel aux cendres」筆者は構造主義の創始、クロード・レヴィストロースです。構成は第一回投稿(6月11日)にあります。第2章カエルの饗宴(le festin de la grenouille)を取りあげています。自然と文化の融和、同盟の試みと苦闘。かならず断絶へと向かう宿命。文化である食物と蜜を得るに人が、かくも苦労する理由は、かつて自然に見放されたからと嘆き、それがこの章のテーマであります。
これまで(3回の投稿)で出会いと融和、不調和をまとめました。では断絶、分離はどの様に描かれるか。
神話番号M259、Warrau族神話の木の婚約者la fiancée de bois に戻ります。


写真:Fiancee de bois ならぬ能面小面 

婚約者の閉鎖された膣も開通させてYar(太陽神)とUsi-du(木の婚約者の名前)は互いの愛を確かめられた。老人Nahakoboniは婚約期間(膣の閉鎖)がYarの機転でかってに短縮され、嫌がらせを続けたが、
Ayant acheve de construire une cabane pour son beau-pere en depit des malefices du vieillard, il put enfin se soncsacer a son foyer et, pendant longtemps, sa femme et lui vecurent tres heureux>>
小屋を建てやるなどで老人に報い、Yarも新しい家庭に過ごせる事となった。二人は末永く睦みあい暮らします。
この結末は自然文化の同盟の成功を謳うばかりですが、神話は次章に続き、幸せが一転します。
Un jour, Yar decida de partir en voyage vers l’ouest. Comme Usi-du etait enceinte, il lui conseilla de faire des petites etapes. Elle n’aurait qu’suivre ses traces en ayant soin de prendre toujours adroite>>
拙訳;Yarはある日、西を目指すと旅に出た。Usi-duは妊娠していたので、少しづつ歩みを進めよと彼女に忠告しました。彼女はともかく注意深く、常にまっすぐに、Yarの足跡をたどるしかなかった。

Prestationに労力を費やしやっとの事で手に入れた嫁、その腹には己の子を宿すその時になって太陽神Yarは出奔します。この理由についての記述はありません。
特別な理由もなく旅に出る記述は他にも幾つか拾えます。番号が近いところで、
M241 Warrau族 Haburi物語(152頁)。Haburiは自然と文化の同盟で生まれた。母と共に逃避行しカエルに拾われた。カエルは魔術でHaburiを一夜で成人に変身させ愛人とした。経緯を知ったHaburiは母と伯母を引きつれて旅たちます。

実松克義著の「アマゾン文明の研究」(現代書館)の一節を紹介します。
「Tupi-Guarani語族文化の仲に理想の土地を求めて旅をするという独特の思想が存在する事が知られている。悪なき土地と呼ばれ山の彼方に存在した=中略=1000~13000人が居住地を捨てて西に向かい、ペルーアマゾンの源流まで足を運んだ(1534~1549年)生き残ったのは300人であった。旅には必ず引率者がいた。身分的に自由な予言者(シャーマン)であったと言われている」

Warrau族はTupi-Guarani語族には入らないが、神話世界において密接な関連を持っている。Warrau族にも西方を「悪なき土地」浄土とする信仰が、かつてあったとしたら、Yarの突然の西行きが説明できる。舅とのいざこざに厭きたなどとの卑近な理由ではない。部族、村落のからめる何らかの事情があって、太陽神ならばおそらくは指導者としても無理はない。そして族民を引きつれての旅立ちがあったとの記憶にYarを重ねて、突然のYar旅立ちを神話の筋に盛り込んだのであろう。
その底流に、たとえYarと妻が仲良く暮らしたとして、自然と文化の融和はあり得ない。二人で過ごすそのことが不条理、この関係が世を汚すとの暗示。仲良く暮らせば暮らすほど、分断の可能性はたかまる。突然の出奔をこの信仰のあり方で説明できないだろうか。

さて、M259 にもどると;夫を追いかける妻は疲れ果て、カエルに拾われます。お礼にシラミとりの奉公の最中、人シラミと異なるとは知らずカエルの毒シラミを口にはさんで死にます。カエルは死体を開け双子の胎児を取り出し養子にする。

ここでも自然文化の融和は分断の結末となります。

神話「蜜から灰へ」を構造主義で分析する 4 の了
(次回投稿は6月20日 予定)


コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 神話「蜜から灰へ」を構造主... | トップ | エリュアールの詩、ユゴーの... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
千年マルテンサイト (グローバルサムライ)
2024-03-28 18:47:06
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本の独創とも呼べるような多神教的発想と考えられる。
返信する

コメントを投稿

小説」カテゴリの最新記事