連載投稿の「レヴィストロース「食事作法の起源」を読む(続き) の第12回2019年2月8日で「L’enfer, c’est les autres=地獄は他者」なる語を紹介しました。この語に引っかかりググると、サルトルの戯曲(Huit clos=出口なし1945年初演)の一セリフと知った。当時の読書人にも反応すくなからず。詩、歌、文芸作品にカバー引用されていたと聞く(ここまでが前回の投稿)。
とうの昔はやったこの文句も忘れられた今(1967年)、原作者のサルトルに敬意を払ってか無断か、神話学を執筆中(1967年頃)のレヴィストロースが「何気なく」借りている。
借りた趣旨は罪なる汚れの元がどこに浮遊し停留するかに、人の身の「外」と「内」があるとして、西洋人の考えと新大陸先住民のそれとを図式として対照させたかったからである。西洋はギリシャの昔から伝統的に「汚れ」は外(これがL’enfer c’est les autres)。一方、先住民どの部族にしても汚れは身の内としている。本書では主に女性の汚れを論じている。そこで(L’enfer, c’et nous-meme、地獄は我々自身)なる対句をレヴィストロースが造語した。
澱んだ空気を病気の元とする考え「瘴気(しょうき)説」は西洋社会である意味、いまも流布している。悪臭、むかつく臭いが瘴気である。とくに腐臭に人は敏感で、それに気づくと強い反発と恐れを覚える。「瘴気=悪臭」に気づくのは人の外界認識の一歩であり、かつそれは易く、否定の感情に容易につながる。よって病の元の悪臭に気づいたら、身を遠ざける。ならば罹患しない。信心である。
この判断は間違いではないが、正しくはない。対局否定にあたる「むかつく臭いを感じなければ安全」、とはならないからである。1853年にロンドンで猖獗したコレラ禍を記述した書、感染地図(ジョンソン筆、河出書房新社)と開けると;
>ロンドン中央部、4の井戸が水を供給していた。市民の多くは「ブロードストリート」井戸からの水を求めていた。ソーホー住民はルバートストリート、あるいはリトルマルバラストリート井戸が近くても、遠くの「ブロード…」の清涼な水を求めていた(同書より)。
この井戸をコレラ菌が侵した。その経緯、被害の様を省くが、市当局も市民も原因に思い当たるところがない。空気は相変わらず澱んでいたとしても(汚物を窓から放り投げて「処理」していた)、それは昔から変わらず。ブロード...の水は前と同じく清涼なままだった。しかしロンドンの市央、ブロード…近辺にのみコレラが猛威をふるった<
原因をつかめないが「何かが悪さしている」ブロード…井戸を閉鎖して(1854年)、下火となった。
真因に至る原理を解明したのが細菌学の始祖、パスツールである。
>微粒子病がカイコの卵へのノゼマと呼ばれる原始生物(=細菌)の感染であることをつきとめ<1865年(wikiより引用)細菌学の勃興に伴い病気の元は細菌、瘴気説は否定された。
しかしL’enfer c’est les autres.が否定された訳ではない。悪臭が細菌にすり替わっただけで「悪は外気」は已然として西洋社会では顕在である。なにせギリシャの昔、プシュケなる娘が「開けてはならぬ」と固く言い含められたパンドラ箱を開けてしまって、害虫や臭虫なり、悪のすべてが外に逃げ出てしまった歴史を負うから。
投稿子は日本人にして「地獄は他者」には理解が至らないが「地獄は身の内」をすんなりと受け止めた。
古くは黄泉から戻ったイザナギが黄泉行きで身に生じた悪、穢れを水垢離で払った(禊ぎ)と古事記で記載される。古事記の成立を西暦700年代初頭とすると(和銅5年712年に編纂)、記中を流れる思想風習は600年代、それ以前からの伝承と思われる。縄文からの信心かもしれない。
縄文時代の永きに渡って作成された土偶に「L’enfer c’est nous-meme 悪は身のうち」求めれば、その身体一部を破損させ、破棄するかに土中に埋めていた習慣にたどり着く。土偶とは拝みたてる神仏ではなくもう一人の私、アルターエゴ、悪を背負わされた身代わりである。
>身体の悪い所を破壊することで快癒を祈った。ばらばらになるまで粉砕された土偶は大地にばら蒔くことで豊作を願ったのではないか(Wikipedia)<
縄文人は「悪は身のうち」を信心しており悪の在所のこの己身を破棄は出来ないから土偶を身代わりにしたと言えようか。
今の世にも穢れ、禊ぎの風習は残る。禁断の神域沖の島は5年に一度、信徒に解放される。選ばれた男は入島の前、裸になって海に飛び込み心身の悪を祓う(Wiki)。投稿子の住む日野市の近く、高尾山では滝に打たれる「水垢離」苦行を衆生に課す。これも穢れの祓い儀式であろう。
もう一例、身近なところの地獄は身の内。
写真:矢崎の庚申塚。JR中央線豊田駅南口から5分ほど。矢崎信号の近く。移設工事も完了した。
<庚申塔とは江戸時代、農村で盛んだった庚申信仰の名残を今に伝えます。60日に一度巡る庚申(かのえさる)の深夜、寝入った人の体から三尸(し)の虫が抜け出し天帝に宿主人間の悪行をつげて>(広報日野、2019年2月1日号、ふるさとこぼれ話より)
虫の告げ口で人の寿命が短くなるのだと。そもそもこれは道教の教義から来ている。本来信仰として課していた各儀礼、種々な手順を一切省いて、呑んで歌って眠らないで♪Nessun dormaネッスンドルマ、誰も寝てはならぬ♪歌劇turandotそのままの大騒ぎ。そしたら寿命が永くなる、一石二鳥の実利です。
写真:享保12年(1727年)の建立、190年の歳月の風化にもめげず正面青面金剛像が視認できる。
<<L’enfer c’est nous-memeなどは、江戸期の日野豊田の在の農民もしっかり知っていたと言えよう。(了)
とうの昔はやったこの文句も忘れられた今(1967年)、原作者のサルトルに敬意を払ってか無断か、神話学を執筆中(1967年頃)のレヴィストロースが「何気なく」借りている。
借りた趣旨は罪なる汚れの元がどこに浮遊し停留するかに、人の身の「外」と「内」があるとして、西洋人の考えと新大陸先住民のそれとを図式として対照させたかったからである。西洋はギリシャの昔から伝統的に「汚れ」は外(これがL’enfer c’est les autres)。一方、先住民どの部族にしても汚れは身の内としている。本書では主に女性の汚れを論じている。そこで(L’enfer, c’et nous-meme、地獄は我々自身)なる対句をレヴィストロースが造語した。
澱んだ空気を病気の元とする考え「瘴気(しょうき)説」は西洋社会である意味、いまも流布している。悪臭、むかつく臭いが瘴気である。とくに腐臭に人は敏感で、それに気づくと強い反発と恐れを覚える。「瘴気=悪臭」に気づくのは人の外界認識の一歩であり、かつそれは易く、否定の感情に容易につながる。よって病の元の悪臭に気づいたら、身を遠ざける。ならば罹患しない。信心である。
この判断は間違いではないが、正しくはない。対局否定にあたる「むかつく臭いを感じなければ安全」、とはならないからである。1853年にロンドンで猖獗したコレラ禍を記述した書、感染地図(ジョンソン筆、河出書房新社)と開けると;
>ロンドン中央部、4の井戸が水を供給していた。市民の多くは「ブロードストリート」井戸からの水を求めていた。ソーホー住民はルバートストリート、あるいはリトルマルバラストリート井戸が近くても、遠くの「ブロード…」の清涼な水を求めていた(同書より)。
この井戸をコレラ菌が侵した。その経緯、被害の様を省くが、市当局も市民も原因に思い当たるところがない。空気は相変わらず澱んでいたとしても(汚物を窓から放り投げて「処理」していた)、それは昔から変わらず。ブロード...の水は前と同じく清涼なままだった。しかしロンドンの市央、ブロード…近辺にのみコレラが猛威をふるった<
原因をつかめないが「何かが悪さしている」ブロード…井戸を閉鎖して(1854年)、下火となった。
真因に至る原理を解明したのが細菌学の始祖、パスツールである。
>微粒子病がカイコの卵へのノゼマと呼ばれる原始生物(=細菌)の感染であることをつきとめ<1865年(wikiより引用)細菌学の勃興に伴い病気の元は細菌、瘴気説は否定された。
しかしL’enfer c’est les autres.が否定された訳ではない。悪臭が細菌にすり替わっただけで「悪は外気」は已然として西洋社会では顕在である。なにせギリシャの昔、プシュケなる娘が「開けてはならぬ」と固く言い含められたパンドラ箱を開けてしまって、害虫や臭虫なり、悪のすべてが外に逃げ出てしまった歴史を負うから。
投稿子は日本人にして「地獄は他者」には理解が至らないが「地獄は身の内」をすんなりと受け止めた。
古くは黄泉から戻ったイザナギが黄泉行きで身に生じた悪、穢れを水垢離で払った(禊ぎ)と古事記で記載される。古事記の成立を西暦700年代初頭とすると(和銅5年712年に編纂)、記中を流れる思想風習は600年代、それ以前からの伝承と思われる。縄文からの信心かもしれない。
縄文時代の永きに渡って作成された土偶に「L’enfer c’est nous-meme 悪は身のうち」求めれば、その身体一部を破損させ、破棄するかに土中に埋めていた習慣にたどり着く。土偶とは拝みたてる神仏ではなくもう一人の私、アルターエゴ、悪を背負わされた身代わりである。
>身体の悪い所を破壊することで快癒を祈った。ばらばらになるまで粉砕された土偶は大地にばら蒔くことで豊作を願ったのではないか(Wikipedia)<
縄文人は「悪は身のうち」を信心しており悪の在所のこの己身を破棄は出来ないから土偶を身代わりにしたと言えようか。
今の世にも穢れ、禊ぎの風習は残る。禁断の神域沖の島は5年に一度、信徒に解放される。選ばれた男は入島の前、裸になって海に飛び込み心身の悪を祓う(Wiki)。投稿子の住む日野市の近く、高尾山では滝に打たれる「水垢離」苦行を衆生に課す。これも穢れの祓い儀式であろう。
もう一例、身近なところの地獄は身の内。
写真:矢崎の庚申塚。JR中央線豊田駅南口から5分ほど。矢崎信号の近く。移設工事も完了した。
<庚申塔とは江戸時代、農村で盛んだった庚申信仰の名残を今に伝えます。60日に一度巡る庚申(かのえさる)の深夜、寝入った人の体から三尸(し)の虫が抜け出し天帝に宿主人間の悪行をつげて>(広報日野、2019年2月1日号、ふるさとこぼれ話より)
虫の告げ口で人の寿命が短くなるのだと。そもそもこれは道教の教義から来ている。本来信仰として課していた各儀礼、種々な手順を一切省いて、呑んで歌って眠らないで♪Nessun dormaネッスンドルマ、誰も寝てはならぬ♪歌劇turandotそのままの大騒ぎ。そしたら寿命が永くなる、一石二鳥の実利です。
写真:享保12年(1727年)の建立、190年の歳月の風化にもめげず正面青面金剛像が視認できる。
<<L’enfer c’est nous-memeなどは、江戸期の日野豊田の在の農民もしっかり知っていたと言えよう。(了)
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