蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

梅原猛氏の訃報に接し

2019年01月15日 | 小説
(2019年1月15日)
昨朝(1月14日)、梅原氏死去の報道に接し、当ブログに立ち寄られる方と悲しみのが分かち合えるかと、ここに、哀悼の意を捧げます。享年94歳。彼の業績は知の新しい地平を切り開いたことにあります。これまでの説明、それはあまねく広まる世の定説かもしれないし、権威ある先人の主張かもしれない。それらに疑問を抱き、自身の解析手順でより合理的な解釈を試みる。新しい世界、知の地平線が目の前に浮かびます。

法隆寺は聖徳太子鎮魂の寺であると主張しました。中門に「真ん中に柱通るがこれはおかしい、通せんぼうをしている」(隠された十字架より)。救世観音が1200年に渡って秘仏であった事実。これらは「太子の霊魂を寺域と仏像の白衣ぐるぐる巻き閉じこめた」藤原一族の決意であった、また柿本人麿は流刑囚で水刑死を受けた(水底の歌)など氏の著作を通して投稿子は知りました。

投稿子が愛読する氏の著作の一部。左は法隆寺の秘仏救世観音、仏様にはあり得ない「等身大、優しい表情は聖徳太子の生き写し」と氏は論じていました。

疑わしきを疑いのままに残さない、この思考は哲学です。レヴィストロースが100歳をもって2009年に没した。初めての100歳まで生きた哲学者との訃報コメントを読み、次の100歳哲学者は梅原氏であろうと、長生を願っておりました。合掌。

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レヴィストロース「食事作法の起源」を読む(続き) 4

2019年01月15日 | 小説
(1月15日)
前回、途中まで紹介したM428 星(太陽と月)の妻(第5版)Arapaho族(176~179頁)の続きとなります。地上に降りて村を遠目に望む月、上品(ホン)一人のインディアン娘、とびきり別嬪に心を奪われた。ヤマアラシに変身し、枝に跨り娘を待ちかまえる。柴刈りにでた娘がヤマアラシを見つけた<<Ses piquants son longs, blanc, superbes. Il me les faut! Justement ma mere en manque…>あのトゲ毛を見て、白くて長い、ステキ!あのすべてが欲しいわ、かあさんにもいくらか分けてやれる。ヤマアラシを追い木に登り、天に至った目の前に、ヤマアラシならぬ若者の輝く姿に驚くも、彼の誘いにうなずく。この先は前々回に引用した神話(M426,M427)と同様の展開、太陽がカエルをつれて戻り、どっちが心地よい噛み音を立てるかの食べ競べ、人間娘が勝つ。
天空の嫁は人間娘と決まった。このM428には社会創造の逸話が挿入される。
その1人間社会の規律制度の起源。
<<A cette epoque remonte l’organisation de la vie humaine ; les objets d’usage recurrent leur nom et leur function, anisi que les substances alimentaires. Les hommes et les femmes apprirent a connaitres leurs besoins et leurs regles de conduite.(177頁)
訳;人間社会の仕組みはこの時期に形成された。食物と共に日常で使用する道具の名前、使い道が定まり。生活を営むための義務、行動の規則を男も女も学び、モノにした。
2は食物と家事
<<Quant aux maris, ils allaient a la chasse pour approvisionner leur foyer. En leur absence, la femme humaine s’empressait aux soins du menage. Elle devient vite une maitresse de maison consommée. Par contre, la <<Femme -coulante>> restait assise a sa couche, oisive, le nez au mur, paralysee par sa timidite.>(同)
訳;夫達は獲物を求め山野に出る。留守を預かる妻のうち、人間妻はこまめに家事にいそしみ、すぐに住み着いた家の女主人となった。水の妻は自分の居場所に座り込んだまま、ぐうたらに壁に向き合ったまま、やる気なさに麻痺してしまった。

解説でレヴィストロースは3の留意点を上げている。
1 社会生活の規範は同盟(人と星=月¬との結婚)を基礎としている。 
基盤は人のやり方であり、例えば、人間妻のかいがいしさが原初から生活の規範になっていた。カエル的生活、怠惰な気性、非社交は(le vieillard老人から)排除された。
2 太陽と月別個に規則正しくが狩りにでる、夜と昼の起源。(Le vieillard envoya ses fils dans des directions opposes. 老人(太陽と月の父)は狩りに挑む息子二人を必ず異なる方向へ向けた)
続く逸話は;
<<Venez vite! cria la femme humaine en haletant. La belle mere accourut, tata son corps, en fut stupefaite de decouvrir entre ses jambes un bebe bien constitue qui remuait>(178頁)
訳;すぐに来て、人間妻が喘ぎ叫んだ。義母はかけより、その体をさするとなんと股の間から赤ちゃんが出てきて、これには若妻が驚いた。五体満足、おぎゃと泣いて手足を動かした。
Constitueは「体格の良い」が意義であるが、人として初めての分娩なので(カエル的になったら大変の)心配があったが頭、四肢、手足が人らしくそろった、こうした意を与えたい。すなわち人が人を再生産できた。分娩起源の説話です。

またもle veillard (老人)が出てきて曰う。<<Tout cela est bel et bon, dit le veillard, mais je n’aime pas ces accouchemants brutaux qui n’ont rien de civilize. Dix lunaisons doivent s’ecouler entre la conception et l’accouchement…..>これからすべてが願い通り(beau=bel)で上手くいく。だけど今回の分娩騒動は乱雑だった。少しも文明化していなかった。懐妊と分娩の間は月の巡りの10重ねとしっかり心して…>
老人の説教は続く「人間の女なら、今月はさわりが訪れなかったを知るし、原因にも思い当たる。そこいらの獣とは違うのじゃ。その事態になったら十分の余裕をあて、前もって母と夫に告げるのじゃ。人は経血の固まりで作られると気付け、女の血が股から流れ落ちず10回も溜まったら人となるのじゃ」(179頁)

写真:Arapaho婦人の正装、白にトゲ毛が胸前に飾られている。

道具と食物、生業(狩りと家事)、男と女、結婚と再生産。これら生活の規範とあわせて日夜の規則的交代、四季、年が確立された。周期性を基盤とする人間界が天上でまとまったと教える神話です。
太陽が持ち込んだカエル的世界が危うくまとまりかけたが、arapaho娘が牛のレバーを「コリコリ」と音を立てて喰ったから、人間の原理で天が地が形成されたーこう解き明かしている。このM428に欠けている筋は天上の生活規範がいかにして地上に降りたかです。別神話で「太陽が人間妻、義理の妹に懸想し、人間妻が天から逃走した。紐が短く地に届かず、妻は落ちて死に、息子が人間の始祖となった」「月にカエルが飛びつき斑となった」「太陽には伴侶がいない、人食いのうえ地面を焼き尽くす」などが語られます。

M428(北米Arapaho)にはM1神話(南米Bororo鳥の巣あらし火の起源)、M354(南米Tukunaモンマネキの冒険)との関連が指摘されます。

レヴィストロース「食事作法の起源」を読む(続き) 4の了
(次回投稿予定は18日)
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レヴィストロース「食事作法の起源」を読む(続き) 3

2019年01月13日 | 小説
(2019年1月13日)
神話M425とM426を前回紹介しました。太陽と月の成り立ち、太陽の失敗、月と人(女)との関わりなど謳われています。レヴィストロースの解説がこれに続きます。太陽と月の分離が不完全なので、世界は暗闇に閉ざされるか光横溢かが、永く継続したり不規則に交代していた。人が天に昇り月になって絶対夜を創造した=この神話の一群と「太陽と月の妻」神話との類似を指摘する。またプレーンズ(北米の大平原)の各部族の総出の祭り「太陽のダンス」との連関も指摘する。

北米の太陽ダンスが南米インディアンの断食祭り(Sherenteシュランテ族)とつながりも述べる。「Sherente族の伝承する神話は生と料理」(神話学第一巻)で頻繁に引用されている。その居住域を同書で読むと南緯10度西経50度の周囲、現代の地図で参照するとそのあたりは「エストロンド山地」とある。Arapaho族の居住区をネブラスカ州とすると北緯40度(+)、緯度にして50度の隔たりとは約6000キロメートル距離、これに経度の差(Arapahoは西経100度近辺)を加えると両者を隔てる距離は8000キロほどだろう。途中には海あり山あり、蛮族が棲む。
これほど離れているにもかかわらず、レヴィストロースはさらりと、南北神話の共通性を述べる。

関連性を以下に指摘する。
<<Nous avons montre dans le Cru et le Cuit que le rituel shrente du grand jeune, et les mythes bororo du denisheur d’oiseax (M1) reproduisent le meme sheme>>(175頁、なおjeuneにアクサン^をuに被せられないけれど断食、若者ではない)
訳:断食祭りだけではないbororo族の「鳥の巣あらし」(神話M1,神話学のすべての神話の標準)神話も(太陽ダンスと)同様のスキームをもつと「生と料理」で論じた(同書279)。
それらは;
まず1 高みに昇る(太陽ダンスは棒の先端、鳥の巣あらしは巨木の頂) 2 昇った本人はしばし捕囚として孤立する(降りる願いは許されない、ジャガーの妻に仕置きされる) 3 地上に戻るきっかけが「文化の取得」(太陽から火を盗む、ジャガーから火と猟具を受ける)

次に神話同士の関連が続く、天に昇るきっかけとして、
まず1祭りに着用する服飾につながる。インコの尾羽とヤマアラシのトゲ毛は大斎(断食)太陽ダンスにて主宰者、あるいは高位カースト男の服飾に用いられる。その者の社会地位を誇示する道具であるから、その者の「存在理由」である 2娘はヤマアラシに誘われ(ためらいなど見せずに)天に昇った、bororoの息子は父の指図に逆らって(幼鳥の代わりに)石飛礫を投げつけた(=この行為の差異はレヴィストロースが解く筋道(sequence)での逆転、inversementです)

そして北米神話の基準となる
M428 星(太陽と月)の妻(第5)Arapaho族 (176~179頁)が紹介される。
前引用の2神話と筋道は似通います。一方で登場人物は増えているのと各sequenceの肉付けは豊かです。

写真:ネットで北米ヤマアラシを見つけた。トゲ毛を得ようとした娘は月に拐かされた。

太陽と月による地上の女評定の前段に二人の兄弟、父母とのテント生活。兄弟は狩りに(規則正しくないままあちこち)出ている。ある夜、二人揃って「そろそろ独立したな、妻をもらおう」このあと女評定がでて、太陽がカエル、月は人の娘を選ぶ手順は同じ。月が地上に降りる。川を西に沿い進む(ネブラスカ州ならミズーリ支流のニオブララ西から東に流れる)上流に向かった。見つけた村とは;
<<L’air etait embaume, la vue magnifique. Les oisaeux chantaient ansi que les reptiles et le insectes.(177頁) 村にながれるそよ風の芳しさ、広がる景色の美しさ。思わず月は見とれた。鳥は歌い、カエルもコオロギも唱和した。(reptilesとはトカゲ蛇のたぐいだが、歌う蛇など思いつかないからカエル(これはamphibiens両生類ながら)とした。insectesは昆虫、コオロギしか思いつかなかった。
<<Lune admirait cette scene idyllique quand il vit deux jeunes fille qui suivaient la berge en rammassant du bois mort. Vite change en porc-epic , il se fit remarquer de l’une d’elles.(同)
訳;月は娘を目にとめた。二人は枯れ枝集めに川縁を歩いていた。あまりも美しく牧歌的景色、月は息をのんで見つめた。すぐにヤマアラシに変身した。二人の一人、とびきり別嬪にに心を惹かれたのだ。

レヴィストロース「食事作法の起源」を読む(続き) 3の了
(次回投稿予定は15日)

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レヴィストロース「食事作法の起源」を読む(続き) 2

2019年01月10日 | 小説
(2018年1月10日)
第4部お手本のような少女たち(Ⅰお嬢様であるとき)では冒頭に2の神話が引用される。いずれもArapaho族の伝承。まずM425 les epouses des astres(星々の嫁達)を紹介する。(本書170~171頁)
題名のastreは星。星にはetoileがある。十分に目視でき時に人の運勢に影響を与える(目立つ)星をastreで表現する。太陽と月がその代表で、逆にそれらをetoileと呼ぶことはない。訳として星々としたが「太陽と月の嫁」でよろしいかと。Arapaho族は前回(7日)投稿の部族分布図ではアルゴンキン語族の最南部、witita族(カンザス)に近接するプレーンズ(乾燥平原)に居住する。ヤマアラシの生息域からは遠く離れる。
あら筋:昔々、地に住むインディアン娘は太陽か月かとの結婚を切望していた。一方、天の太陽と月は兄弟、地に棲む者との婚姻を望んでいた。二人は地の娘らの評定を交わした。
<<quoi de plus joli que les humaines, s’ecrie Lune ; quand elles levent les yeux vers moi, elles ont un charmant visage.人の娘より魅力的な女がどこにいるのか、月がため息混じりに呟く。目を上げて私を見つめるあの顔のなんと魅力的なことかと続けた。Je brule d’epouser l’une d’elles. 身を焼いてもそのうちのとびきりの一人と結婚したい。 
しかし太陽は同意しない
<<Comment ces horreurs? Jamais, elles ont un visages affreux, plein de rides et de tout petits yeux! C’est une creature aquatique que je veux! なんと恐ろしい選択か。絶対に無理だ、なぜなら彼女たちの顔は皺だらけ、目なんてとってもちっちゃい。水棲の生き物が私の望みだ。

新大陸のヤマアラシ(本書198頁)

さて地上、ある晴れた朝、薪集めに娘4人が森に出た。一人が大きな倒木を見つけ近寄ると、一匹のヤマアラシが枯れ枝に跨っていた。月が化け姿である。娘はそのトゲを取ろうと手をのばして棒を振るが、その度にヤマアラシはすーいと高みに逃げてしまう。娘は追うと、なんと木自体が高く伸びてゆく。「危ない、降りるのよ」地で心配する3人が叫ぶも、娘は「このヤマアラシには綺麗なトゲが生えている、私が望んでいた色具合そのものなのよ」忠告を聞きもしない。
<<Soudain le porc-epic se transforma en beau jeune homme qui declara etre Lune, que la fille avait souhaiter epouser. Elle consentit a le suivre et ils arriverent auciel ou les parents de l’astre firent bon accueil a leur nouvelle bru.ヤマアラシは突然、見目良い青年に変身し、月と自己を伝えた。月こそ娘が恋いこがれていた。若者に従い天に昇り、義理となる父母から優しく迎えられた。

一方、太陽は嫁探しに地に降り、天に戻ったが肝心の嫁の姿が見えない。嫁はどこ、問いに太陽はいらだち出入り戸を指した。そこに一匹のカエル。母が近づくとぴょんと跳び、ついでにおしっこをひっ掛けた。
<<La Lune la fit entrer dans la cabane et donna un morceau de tripe a chaque femme, pour voir laquelle ferait en mangeant le bruit le plus agreeable a l’oreille. La femme humaine se mit a mastiquer allegrement, la grenouille voulut tricher en faisant craquer un morceau de charbon de bois entre ses gencives. Une salive noire coulait de sa bouche. 月はカエルに屋内に入らせ、内臓の料理を一切れづつ嫁二人に与えた。耳に心地よい噛み音を立てるのはいずれか比べるためである。人の嫁は軽やかに咀嚼した。カエル嫁は炭を歯肉に挟んで(音を立てる真似)を試みた。真っ黒なよだれをしたたらせるだけに終わった。

カエルは月の大笑いに晒されたが「こんな目に会わせてくれたわね、あんたから離れないから」月に跳びかかった。その顔には昔からカエルが浮かぶ(斑)ワケである。

続くM426(部族、表題は同じ)は;
天には月も太陽も浮かばない原初のくだりが初めに記される。日の差さない地は暗い。そのためその人は妻と息子二人を連れて天に戻った。この息子が天上で太陽と月となる。同居をやめて別所帯を営むとする、しかし天上で嫁を見つけられない。嫁探しに二人は地に降りた。ここからの筋は前の引用神話と変わらない。

レヴィストロースは本書「食事作法の起源」の思想を「周期性」の追求としている。昨年11月に投稿した本書の前記分(モンマネキ神話)解説で「社会」の周期性を取り上げたが、「続き」での周期性は年、四季、日夜の天文周期の起源を語っている。
引用2神話で太陽と月のそもそもは人と記述されるが、要点は月の嫁取りの成功と太陽の失敗である。これを機会に二人は分かれ、異なる軌道での天上回周を始める。これで、二人が同時期に同場所を占める、すなわち「夜だけあるいは昼のみ」の不規則が消え、日夜の周期が確立された。さらに月の人に、特に女に対する関与の濃さ(月経の起源)の理由、太陽の残虐性が別系統の神話群で述べられる。
天の周期性開始のこれら神話にはヤマアラシの「仲介者=mediateur」としての(天地を結びつけた)役割、さらには「噛み音を立てる競争」、食事作法の起源が必ず重なる。

レヴィストロース「食事作法の起源」を読む(続き) 2の了
(次回投稿予定は12日)
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レヴィストロース「食事作法の起源」を読む(続き) 1

2019年01月07日 | 小説
(2019年1月7日)
平成31年西暦2019年の新年を迎えるに、本ブログ・部族民通信に来訪いただく皆様のご健康を心より祈念いたします。
昨年10月22日から始めて11月16日に終了した第一部(レヴィストロース神話学第3巻「食事作法の起源」を読む)全10回では基準神話(M354狩人モンマネキの妻問い譚)の紹介とその意味するところを、投稿子なりの解釈で展開しました。基準とその派生となるいくつかの神話の大成として、レヴィストロース自身が社会、天文、地理などのコード進行に分解して表としてとりまとめています(同書137頁)。
この表に経時進行の概念(=dialectique性)を加味して「モンマネキ神話の周期性パラダイム」なる図を作成しました(2018年11月12日投稿)。神話が伝える周期性の意味合いとはHumanite人間社会の形成と維持であります。旧約聖書モーゼの十戒ならぬモンマネキ老母の預言でした。
ここまでは本書の前半。訳本「食卓作法*の期限」(みすず書房渡辺公三など訳)を借りると;
序 第1部 バラバラにされた女の謎 I 犯罪の現場で II つきまとう半身 第2部 神話から小説へI 季節と日々 II 日々の営み 第3部 カヌーに乗った月と太陽の旅 I 異国的な愛 II 天体の運行 までとなります。それらの舞台は主として南米、アマゾン上流のTukuna族、下流のWarrau族などからの引用が多い。

本投稿から「続き」を連載するのですが、対象は
第4部 お手本のような少女たち I お嬢様であるとき II ヤマアラシの教え
第5部 オオカミのようにがつがつと I 困難な選択II マンダン風臓物料理
第6部 均衡 I 一〇個組 II 三つの服飾品 となります。
(第7部 生きる知恵の規則I 傷つきやすい渡し守 II 料理民族学小論はとばし)
神話学1~3巻の結語とも思える III 神話のモラル (原題はLa morale des mythes=あらゆる神話の共通する精神性=と訳したい)を最後に取り上げます。
そして;
対象は北米先住民**です。
図1(168頁)に主たる先住民とかつての居住域が表されています。
図の右下から左に上がる曲線がアメリカ西部を潤すミズーリ川です。民族名Blackfoot, GrosVentre, Cheyenne, Hidatsa, Mandan, Arapahoなどが本書引用の神話群を伝承していた部族、いずれもロッキー山脈の東側に位置します。
図2(190頁)で北米大陸全体での部族配置が明瞭に見えとれます。
図3はネットから拝借しました。
ロッキー、プレーンズ、プレーリーの位置関係が分かります。地誌をひもとくとロッキーが岩山なのは字義とおり。プレーンズとは乾燥、タケの低い草の繁茂。プレーリーとはより湿潤、草タケは高いが区別する基準。プレーンズは大平原、プレーリーは大草原と覚えればよろしいらしい。両者を分かつは西経100度ラインだそうです。図2と重ねるとGrosVentreやHodatsaなど部族がプレーンズ、プレーリーに棲み分けしている様が読めます。
なお投稿子は大平原と大草原の区別がつきませんので「両地域ともに森林、高木は育たない」と勝手解釈しました。
図4(220頁)は神話で活躍するヤマアラシ(Porc-epique)の分布図です。この齧歯類は木登りが得意で住みかは大木上方の木穴。神話の担い手の部族は大平原、大草原で森林まばら域に住むから、この分布で判断する限り、ヤマアラシを普段見かける事がない。しかし神話の筋回しでは重要な仲介役として登場する。
これも本書のテーマの一つとなります。

レヴィストロース「食事作法の起源」を読む(続き) 1の了
(次回投稿は10日)

*みすず訳書ではmanieres de tableを直訳して「食卓作法」としている。投稿子はフランス語のtableには空間としての食卓のみの意義を超え、食材の選択、調理方の基準、食べ方の儀礼を含む「思想」としての料理作法が現れると思う。モンマネキ神話では上記作法を遵守せよとの老母の言辞が伝わる。
tableとは「そこで食べる料理」の換喩(metonymie =辞典LeGrandRobertより)です。日本語の「食卓」は物質、空間の意が強く換喩の機能はありません。食事作法を訳としている理由です。

**北米先住民、投稿子は西部劇、インディアンを思い起こしてしまう。駅馬車、コマンチェロ(映画の題名)などで組織作りにたけ勇ましく、時には残酷な彼らの振る舞いとBororo族的世界創造の「神話」が結びつかなかった。いざ読み始めたら世界観、精神性に感銘を受けるまで彼らに心酔した。個人的感情でした。
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