遅ノ井図小柄
遅ノ井図小柄
義経の首を差し出して奥州安泰を願った藤原泰衡であったが、すでに頼朝の目は奥州の支配を確実にすることにおかれていた。二十万の大軍を組織した頼朝は奥州へと向かった。
この大軍が武蔵野台地の片隅、とある池の端に水を求めて宿泊地と定めた。ところが、本来は清い湧き水があり、満々と水を湛えているはずの池が涸れていた。
水がなければ農民も軍兵も困ろう。そこで井戸の辺りを掘って水脈を探ろうとするのだが、中々湧き水はない。夕刻、もうあきらめかけていた頃、最後にと、頼朝は弓を取って念じ、ここぞと掘り込んだとき、何と乾いていた地面に水が湧き出てきた。ついに水脈を探し得たのである。
今や遅しと待ち望んだ井戸ということから、この湧き水を『遅ノ井』と呼んでいる。現在の東京都杉並区善福寺池がこの地で、池の端には古い沸き水場がある。
弓を使って水脈を探り当てたとは、ダウジングのことであろうか。その秘術を頼朝が知っていたというのであれば頗る興味深い。
遅ノ井図小柄
義経の首を差し出して奥州安泰を願った藤原泰衡であったが、すでに頼朝の目は奥州の支配を確実にすることにおかれていた。二十万の大軍を組織した頼朝は奥州へと向かった。
この大軍が武蔵野台地の片隅、とある池の端に水を求めて宿泊地と定めた。ところが、本来は清い湧き水があり、満々と水を湛えているはずの池が涸れていた。
水がなければ農民も軍兵も困ろう。そこで井戸の辺りを掘って水脈を探ろうとするのだが、中々湧き水はない。夕刻、もうあきらめかけていた頃、最後にと、頼朝は弓を取って念じ、ここぞと掘り込んだとき、何と乾いていた地面に水が湧き出てきた。ついに水脈を探し得たのである。
今や遅しと待ち望んだ井戸ということから、この湧き水を『遅ノ井』と呼んでいる。現在の東京都杉並区善福寺池がこの地で、池の端には古い沸き水場がある。
弓を使って水脈を探り当てたとは、ダウジングのことであろうか。その秘術を頼朝が知っていたというのであれば頗る興味深い。