八幡太郎勿来関図小柄
八幡太郎勿来関図小柄
河内源氏の義家は、父頼義が石清水八幡を勧請して氏神とし、八幡社で元服したことから八幡太郎と尊称されている。鎌倉に幕府を開いて武家政治の根幹を成した源頼朝の祖の一人であることから、存在感が強く示されている。河内国に基盤をおいていたが、畿内での競合をさけるべく東方地方を含む東国への領地拡大を画策。その最中での活躍譚は多い。
都を離れて陸奥国へ至るさなか、勿来関を越える辺りで桜の満開に出会い、都を思い出して歌を遺す。この場面は比較的多いのは、桜と武将の取り合わせに妙趣が漂っているからに他ならない。
この小柄は、赤銅魚子地高彫とし、金銀を巧みに用いていることはもちろんだが、素銅を背景に霞の如く配して情感を高めている。後藤の影響を受けた京金工であろう。
八幡太郎勿来関図小柄
河内源氏の義家は、父頼義が石清水八幡を勧請して氏神とし、八幡社で元服したことから八幡太郎と尊称されている。鎌倉に幕府を開いて武家政治の根幹を成した源頼朝の祖の一人であることから、存在感が強く示されている。河内国に基盤をおいていたが、畿内での競合をさけるべく東方地方を含む東国への領地拡大を画策。その最中での活躍譚は多い。
都を離れて陸奥国へ至るさなか、勿来関を越える辺りで桜の満開に出会い、都を思い出して歌を遺す。この場面は比較的多いのは、桜と武将の取り合わせに妙趣が漂っているからに他ならない。
この小柄は、赤銅魚子地高彫とし、金銀を巧みに用いていることはもちろんだが、素銅を背景に霞の如く配して情感を高めている。後藤の影響を受けた京金工であろう。