草摺曳図小柄 赤城軒元孚
草摺曳図小柄 銘 赤城軒元孚
この富士の巻狩の最中に行われたのが、曽我兄弟(五郎時致と十郎祐成)による仇討。
『夜討曽我』と題されて能や歌舞伎の演題として人気を集めたこの事件の背景には、頼朝による武家社会の構築の中で生じているヒズミ、即ち、拝領した領地を横領するなどのような、地域的な力関係が生じていることが考えられている。
仇討の要因と兄弟の生い立ちは、歌舞伎のストーリーのように複雑であるから略すが、簡単に言えば兄弟の父を殺した相手を討つという物語(簡単すぎるか)。
仇討が実行されるまでにも幾つかの物語がある。たとえばこの草摺曳の場面も歌舞伎などに採られている。
大磯の宿に、祐成とは相思相愛の虎御前と称する遊女がいた。頼朝の信任を得ていた和田義盛も虎御前に思いを寄せるが、もちろん靡かない。ある日、祐成と虎御前の席に義盛が割り込み、無理難題を浴びせかける。このとき、別の場所にいた時致は何やら胸騒ぎが起こり、太刀を片手に大磯へと馬を走らせる。宿の前では義盛の子であり怪力として知られる義秀が警護している。祐成の所へ行かせろ、いや通させぬと押し問答、その末に力比べとなり、ついに祐成の草摺が引きちぎられるという結果となった。
草摺曳図小柄 銘 赤城軒元孚
この富士の巻狩の最中に行われたのが、曽我兄弟(五郎時致と十郎祐成)による仇討。
『夜討曽我』と題されて能や歌舞伎の演題として人気を集めたこの事件の背景には、頼朝による武家社会の構築の中で生じているヒズミ、即ち、拝領した領地を横領するなどのような、地域的な力関係が生じていることが考えられている。
仇討の要因と兄弟の生い立ちは、歌舞伎のストーリーのように複雑であるから略すが、簡単に言えば兄弟の父を殺した相手を討つという物語(簡単すぎるか)。
仇討が実行されるまでにも幾つかの物語がある。たとえばこの草摺曳の場面も歌舞伎などに採られている。
大磯の宿に、祐成とは相思相愛の虎御前と称する遊女がいた。頼朝の信任を得ていた和田義盛も虎御前に思いを寄せるが、もちろん靡かない。ある日、祐成と虎御前の席に義盛が割り込み、無理難題を浴びせかける。このとき、別の場所にいた時致は何やら胸騒ぎが起こり、太刀を片手に大磯へと馬を走らせる。宿の前では義盛の子であり怪力として知られる義秀が警護している。祐成の所へ行かせろ、いや通させぬと押し問答、その末に力比べとなり、ついに祐成の草摺が引きちぎられるという結果となった。