武内宿禰図縁頭 浜野直壽
武内宿禰図縁頭 銘 浜野直壽
神功皇后に仕えた武内宿禰について、実在か架空かは別として、大変興味深い存在であると思う。神功皇后による新羅への出兵に伴い、あるいは九州にあった権力が東へと移ってゆく過程において、何らかの働きをした人物と捉えれば判り易い。五月人形や五月飾りなどに、神功皇后に従い、その子である誉田別命を抱く姿が画題に採られたことでも知られている。武家の祖の一人ではあるのだが、同時に、神と人との交信に関わった男巫(おとこかんなぎ)であったと考えたい。
この図は、新羅から戻る船中、突然の嵐に遭遇したときのこと。嵐は、新羅から持ってきた龍神の珠を取り戻しに来た龍神によって起こされたもの。これに気付いた武内宿禰は、龍に神に珠を返す。すると、海は平穏を取り戻し、無事に帰ることができた。
朧銀地高彫色絵。直壽(なおとし)は江戸時代後期の江戸金工、浜野派の一人。同派らしい正確で精巧な彫刻表現を得意とした。
武内宿禰図縁頭 銘 浜野直壽
神功皇后に仕えた武内宿禰について、実在か架空かは別として、大変興味深い存在であると思う。神功皇后による新羅への出兵に伴い、あるいは九州にあった権力が東へと移ってゆく過程において、何らかの働きをした人物と捉えれば判り易い。五月人形や五月飾りなどに、神功皇后に従い、その子である誉田別命を抱く姿が画題に採られたことでも知られている。武家の祖の一人ではあるのだが、同時に、神と人との交信に関わった男巫(おとこかんなぎ)であったと考えたい。
この図は、新羅から戻る船中、突然の嵐に遭遇したときのこと。嵐は、新羅から持ってきた龍神の珠を取り戻しに来た龍神によって起こされたもの。これに気付いた武内宿禰は、龍に神に珠を返す。すると、海は平穏を取り戻し、無事に帰ることができた。
朧銀地高彫色絵。直壽(なおとし)は江戸時代後期の江戸金工、浜野派の一人。同派らしい正確で精巧な彫刻表現を得意とした。