酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

ある友人の手記 その十一

2011-05-30 09:16:24 | 東日本大震災

コメントを控えます。

このまま続けることにいたします。

 

久しぶりにゆっくりと目にした大きな画面の向こうでは、大震災そのものよりも福島原発の話題がすでに中心になっている。狼狽しているのか、怒っているのか、キャスターたちの喧騒はまったく変わらない。むしろワンセグの小さい画面で見ていた時よりも、その異様なパニックは更に増幅されて感じた。どう好意的に見ても、冷静には見えない人が多いし、不安な表情がうかがえる。反応は過敏で神経質だし、本意ではないのだろうがパニックを煽っているだけにしか見えてこない。こんなものを見せ続けられた人は、それだけで不安定で鬱な気分になるだろう。

 とにかくなんとも形容しがたい違和感で、僕は別世界の話を見ている気にさせられた。原発まで百キロのところに住んでいる上、被災地にいて逃げようがない僕らよりも、原発から二百キロ離れたところにいて、いくらでも逃げる方法を持っている人たちの方が、妙に緊迫して右往左往している。なんだか僕らから見ると、オーロラの近くにいる人に、わざわざテレビの衛星放送を通して、凄いでしょうとそれを見せているようなおかしさだ。

 もしかしたら逃げるという選択肢がある分、本当はこのキャスターたちも逃げたいのかもしれない。ただ立場的にそうも出来ないので、その口実を見つけようと必要以上に悪い情報を求めているようにさえ感じた。

 意地の悪い見方だけれど、多分、彼らよりも被災者の方がいろいろと腹をくくっていたから、冷静だったように思う。

 そんなキャスターたちの喧騒の合間に、やたらと被災地支援のために節電しようと語る芸能人たちのコメントやCMが差し挟まれる。

 節電?初めはその意味が分からなかった。節電がなぜ被災地支援に役に立つのだろう?

よく聞いていると、福島にある原発が被災したのだから、東北の電力を確保するために、その不足分を首都圏がカバーしなければならないと勘違いしているように思えた。

東京電力の原発なのだから、首都圏の電力なのに決まっている。そもそも福島原発だけでなく、東電の原発はすべて電力供給域の外にある。いろいろな経緯はあるが、原発を受け入れる自治体が関東にはなく、阿武隈山地と地続きで地震に強い地盤だという名目で、地域活性のために受け入れたのが福島県だった。電力は送電線で送る間にも自然に放電されロスがある。東京から二百キロも離れ、効率が悪いのにも関わらず、首都圏の需要を満たすために福島県に作られた。ほとんどの人が知らないようだが、青森県の下北半島にある東通原発は東北電力のものだが、東京電力も同じ所に新しい原発をすでに着工している。首都圏から約六百キロ。首都圏を支える原発は、受益者の目の届かないところに置かれている。

 もちろん誘致した側にも利益があるのだし、首都圏の人が無理に押し付けたわけでもないのだから、それで首都圏の人が卑屈になる必要はない。ただ公共財というべき電力だから、受益者負担はある程度必要だし、その一端として計画停電があるのは仕方がないわけで、節電も自分たちの生活を自分たちで助ける行動でしかない。それをまるで震災支援であるかのようなニュアンスで伝えるのはどうもおかしい。

意地が悪い上に、疑い深い性格でもある僕は、多くの人が被災地を助けたいと思っている気持ちを利用して、計画停電による不満の声を軽減しようとする誰かの意図的を感じてしまう。もちろん憶測に過ぎないが。

 続いて流れてきたニュースには、もっとあ然とさせられた。

地震と原発、それに伴う計画停電のパニックで、首都圏を中心に各地で食糧や電池、ガソリンなどの買い占めが起こっているという。

 僕は勘弁してよと思った。

 いろいろと心配なのは分かる。

 東京でも大きな揺れだったようだし、余震も少なくはないだろう。放射能にしても、何キロ離れていようが、とれない染みのように不安が消えないのだと思う。それはある程度は仕方のない事だろう。

 しかし首都圏など大きな消費地で買い占めが起これば、一般物流は更に入ってこなくなる。どうやら東京と青森を結ぶ国道四号線が使える筈なのに物資が入ってこないのは、福島県内で放射能を浴びるのが怖くて日本海を経由して物資を運んでいる運送会社があるからだというし、それなら流通コストも上がるので、売れるならできるだけ近場で売ってしまいたいのが業者の本音の筈だ。

 コメンテーターのひとりが、支援物資は別に確保されてはいるから、被災者支援自体には大きな影響はないというような事を言っていたが、そういう訳知り顔で事情通ぶる話が一番当てにならない。結局のところ、マスコミには取り上げられる事のない膨大な数の自宅避難者が完全に忘れさられているのだ。多くの自宅避難者は支援物資などはほとんどもらってはいない。避難所に行っても、そこにいる人が優先だと言われ、余ってでもいない限りもらえないのが実情である。だからほとんどが自力で生きている。仙台市内でも新聞によれば市ガスの三十六万戸は津波による施設壊滅で一ヶ月以上かけても復旧は出来ないといし、水道も仙台市内も三月いっぱいまでかかるところもある。だからすぐに食べられるものが多く必要なのに、被災地に近い地域でそういうものの買い占めが起これば、結果として回ってはこない。流通コストをかけなくても、手近な所で普段の何倍も売れるのだから。

 後になって、買い占めよりも東北で生産していたものが入らなくなって物不足が発生したという報道もある。一部は確かにそうだろう。ところが大手スーパーの調べでは、三月十六日に首都圏では、水もカップ麺も米も通常の二倍以上の供給量だった(つまりそれだけ在庫などがあった)のに、需要の方は平時にくらべ、水が三十一倍、カップ麺十四倍、米十倍、ボンベ三十倍、乾電池十六倍だったそうだ。首都圏の人口は三千六百万人もいる。たとえ一部の人間の行為であれ、その総量はかなり大きい。たった一割で宮城県の総人口二百三十万人を軽く越えてしまうのだ。少なくとも平時の二倍以上の流通量になっているのだから、売れる首都圏に相当量が出回り、コストのかかる被災地に向かう量が少なかったのは間違いない。最大の問題は、まさに被災地でこそ必要とされる物が買い占められた事だ。水分の補給は水でなければならなかったのか?カップ麺やパンでなければならなかったのか?どれも代わりはあった筈だ。「物不足」ではなく「欲しい物不足」なのだから。だが被災地には代替品すらなかった。

 マリー・アントワネットは「パンがなければケーキを食べればいい」と言って、今も庶民生活が分からない人として苦笑の対象になっているが、買い占めをした人は彼女を笑えない。被災者以外が出来るだけケーキを食べるようにしてくれれば、少しはパンが行き渡った筈だ。ただそれだけの気遣いで、あとは特別な事はせず、普通でさえいてくれたなら、ボランティアや協力自治体、その他にも様々な経路を通して、本当に必要な被災者たちにもっと物資が回っていただろうと思う。

 妻にメールをくれた東京の人が「冷静なふりをして内心はパニックしている人たちが多い」と書いていたという。そんな落ち着いた見方のできる人が多数であれば、いずれパニックはおさまるだろう。結局は泰山鳴動し鼠一匹という事になるかもしれない。

 でも大事なのは今この時だ。

 落ち着きを取り戻した時には、被災地の首をしめた事実だけが残る。

もしも首都圏で大きな災害が起こった時に、果たしてどれくらいの人が冷静でいられるのだろう?

 余計なお世話だろうが、妻の親族や二人の友人もたくさん住んでいるから心配したくもなる。だから今回の大震災だけでなく、阪神淡路大震災など大きな災害で何が起こったのか、よく見ておくといい。よく知っておくといい。

 たとえば遺体をすでに千人分も見て歩き、大事な妻を探し続けている人がいる。顔が分からないほど傷んでいるけれど、指にはめられた婚約指輪を見て、安心したように泣き崩れる人がいる。病院が孤立してしまわないように、必死で無線機を手渡してから、流されていった人を胸に、懸命に治療にあたる医療スタッフがいる。

 そこにいるすべての人にそれぞれ物語があった。今は瓦礫となった物すべてに、すっかり変わってしまった風景すべてに、いろいろな生活があった。

 明日の心配は分かるし、見えない不安も分かるけど、永遠に失われてしまったものは、本当に何も戻っては来ない。

もう少し考えてみて欲しい。

 何もできない僕たちが、人として誇れる事があるとすれば、生き残ってその思いをつないで行こうと人たちに、自分にやれる範囲でささやかな手を差しのべる事しかない。そういう意味では誰だってどこの町だってつながる事はできるし、つながってもいる。

 石巻市に雄勝町というところがある。やはり津波で被害を受けた海沿いの町だ。そこのスレート材は有名で高級な硯とか瓦になる。東京駅の瓦はこの町のスレートだ。ふと足を止めてみて欲しい。ささやかだけど駅の屋根でさえつながっている。

 

 それにしても政府も政府だと思う。江戸時代にあった明暦の大火の時、保科正之は蔵前の米倉を庶民に開放した。物資を回しもしないで「がんばれ」というだけでは、無策だしちょっとむごい。そもそもこれらのパニックの根本は、政府の対応のまずさにあるのは間違いない。皮肉なのはその保科正之は渦中にある福島県の会津藩祖だ。

 物事を深読みしたがる癖がある僕は、ふと妻の知り合いが使っていた「隔離」という言葉を思い出す。

もしかしたら政府が東北道の物流まで止めた理由は、福島原発の事故で東北を隔離するつもりだったのではないだろうか?被曝による二次災害を怖れて、円滑な救援を口実に東北道を制限し、とりあえず東北を隔離しておいてから、日本海経由で福島を迂回し、おそるおそる状況をうかがい、中に入った自衛隊によって安全の確認がされた後に支援を開始した。初動の遅れはそのせいなのかもしれない。政府は最悪の場合として東北ごと切り捨てるつもりだった気がする。実際に首相は「東日本がつぶれることも想定せねばならない」と発言しているし、理系で原子力に詳しいと公言(大学をロックアウトしていた全共闘世代が授業に出て勉強していたとは思えないれど)もしているのだから、水素爆発があった時点で隔離を決めた可能性はある。それに勘づいているマスコミはどこかヒステリックになり、それを見ている視聴者は不安にかられて買い占めに走った。

 もちろんただの市井にいる中年の憶測だ。けれどそう思われても仕方がない対応だし、首相の立場としてはあまりに安易な発言だった。

 それにしても報道の在り方にも首を傾げたくなる。津波被害の大きかった町にばかり入り、何度も「食糧は?」「衛生面は?」と尋ね続けて、「おかげさまで良くなった」という答えを引き出しては、報道の力により改善されたとばかりに、その存在を誇示したがっているように見える。でも正直に言えば自宅被災者の方が一部の避難所よりも食事は貧しいし、お風呂はいつ入れるのかまったく分からない。自衛隊の仮設お風呂をうらやましいなとさえ思う。もちろん僕らには家があるし、被害は彼らよりずっと少ないから、不足を不満だと言いたいわけじゃない。

 見落としてはいないか?

 目の届くところだけが、世界ではない。

 単にそう言いたいだけだ。

 伝えるべきは単純に被害の大きさだけではない。この災害で何が失われ、何が残されたかだ。間接的な影響を含めれば、東日本で何も失わなかった人間の方が少ない筈だと思う。そういったものに目を向けるのは報道にか出来ない事だ。

 それにしても暴力装置と言われた自衛隊は、どんな組織よりも頑張っている。アルバムを拾い集めたり、被災者への様々な気配りもあるし、状況の把握と行動も迅速だ。毎日、無惨な光景の中で、遺体を探すなど、精神的にも相当にきつい仕事をしている。

米軍も空母まで使って支援してくれてた。気仙沼沖の大島は米軍の強襲揚陸艦が上陸し、瓦礫の撤去から住民へのシャワーの提供まで行ってくれている。仙台空港の復旧には戦場で飛行場を整備するスペシャルチームが尽力してくれている。一部からは沖縄の基地問題との兼ね合いでいろいろと言われているようだが、被災地からすれば素直に感謝すべき事だ。

 いつもは日の当たらない自衛隊や、おもいやり予算を食いつぶすだけで日本にとって役に立つのかと言われていた米軍が本当に活躍している。

日が当たらないといえば福島県でもいわき市沿岸の津波被害はほとんど取り上げられていない。茨城県沿岸もそうだ。むしろ宮城や岩手よりもはるかに首都圏から近い地域で、取材もしやすい筈なのにどうにも不思議な事だ。

いわきの人は地理的な事もあってか、東北というよりは関東に目が向いている。そのせいか、いわき市では東北らしからぬ、アバウトさを感じる。駅前で大判焼きと売っていたものどう見てもドラ焼きだったし、店でハンバーグピラフを頼んだら、皿いっぱいのピラフとは別にもう一品、大きなハンバーグのセットが出てきた。要するに一品料理のピラフとハンバーグを二品そのまま組み合わせたのだ。それで料金はおどろくほど安かった。でも財布を店に忘れて焦っていたら、誰かがちゃんと店員に渡して保管していてくれた。すごく素敵な水族館もある。記憶は少し曖昧なのだが小学校低学年か、幼稚園くらいの時に、フラガールで有名な常磐ハワイアンセンターだったか、松島のヘルスセンターだったか、そのどちらかで生まれてはじめてステージに立った。記憶に残る規模から考えて、前者だったと思うのだが、確か「ステージでご一緒に」みたいな呼びかけがあって、僕は当然のように出ていった。母親は大人しい子どもだった僕がそんなところに臆せず出ていったのに驚いたそうだ。僕は高校から大学まで演劇部だったのだが、そこがルーツなのかもしれない。

またそのいわき市から茨城県に入ってすぐの北茨城市沿岸に平潟港温泉という所がある。そこで泊まった宿は、なぜか温泉の洗い場がすべて畳敷になっている不思議な所だった。すごいなあと感心はしたけれど、裸のまま直に畳に座る気はおきない。魚料理は美味しかったが、翌朝は早くに叩き起こされて名物料理を無理矢理振る舞われた。福島県からほんのわずかな距離なのに、何につけ「ああ、ここは東北じゃないんだよな」と妻と二人で話した記憶がある。ただ小さな漁港という町の雰囲気は散歩していても気持ちがいい。

あの宿や町はどうなったんだろう?

 思いつくままに記憶をたぐり寄せたり、考え事をしたりしながら、ぼんやりとテレビ画面を眺めていたのだが、ふいにずっとぬぐい去れなかった違和感の理由に思い至った。

 それは民放テレビの論調には、首都圏にいる自分たちも被災者であるかのようなものが多い事だ。極端な人は「日本人すべてが被災者だ」とか言っている。

確かに地震の影響はいろいろな所にあっただろう。首都圏では帰宅できなかった人が十万人以上いたというのも聞いた。計画停電の不自由さのみならず、東北と取引のある企業はいろいろと大変だった筈だ。そしてテレビをつければ、繰り返し凄まじい津波の力を見せつけられ、原発の建屋が吹き飛ぶ映像を見ていれば、自然に自分たちもその渦中にいる被災者のように思えてしまうものなのかも知れない。中にはあわてて買い占める人がいたり、いそいそと東京から脱出する人たちがいる。私はここにいて大丈夫なのかと不安にかられたりもするのだろう。

 でも落ち着いて考えてみて欲しい。

 原発自体は人が作ったもので、買い占めも首都圏脱出も人が行っている。すべては人の営みの中にあるのだから、人が負うべき責任の中にある。

 けれども地震は違う。津波も違う。人にはどうしようもない、人には背負えない違う次元のものだ。首都圏の人(千葉の沿岸部はのぞいて)が経験している事は、地震以外は人の行為の延長上にある。要するにヒューマンエラーであり、「人災」だ。

 だから大震災の「被災者」とはいえない。

 その影響から起こった人災に巻き込まれている。

 その差は大きい。

 たとえば首都圏でも物がないと訴える人がテレビに映っている。見る限り、店の棚には豊富にいろいろな商品が並んでいる。単に欲しい品がないだけだ。こちらは本当に何もない。そもそも店自体が開いていない。そっと閉まっているコンビニの中をのぞけば、廃業した店のように、棚はほとんどからっぽ。残っているのは売れ残った雑誌類や化粧品など、すぐには必要とされないものだけだ。食糧も水もガソリンも、底をついてしまっている。

 ホテルで優雅にランチを取りながら「怖くて大変です」と言っているおばさんに至っては、あなたのような存在の方がよほど怖いと言ってやりたくなる。

 そしてそう言う人たちの多くはこう答える。「いざという時のために」と。

 今、こっちはその時だ。

 それらのギャップが、大きな違和感になっている。

 そうギャップだ。

 きっと西日本や北海道の人もまた違うギャップを感じているだろう。被災地、首都圏をはじめ被災地に隣接する地域、その他の地域、実際のところ日本はひとつなどでなく、そんな風にいろいろと分断されている。たとえば被災地同士だって被害の差で、首都圏だって出身地や哲学などの違いで、もっと細かに分断されている筈だ。


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