推理作家 道尾秀介さんの素晴らしい一文に同感し、その一部をご紹介致します。
「自分は歯車の一つ」-というのは自虐的な意味合いでよく口にされる表現だけど、僕はこの言葉が嫌いじゃない。歯車というのは、ぜんぶが同じかたちをしていたら複雑な機構は決して成り立たない。
それに歯車というのはそもそも、一つでも欠けたら全体の動きが止まってしまうという、この上なく重要なものなのだ。 自分という歯車のかたちを変えるのか、それともかたちは変えず、ぴったりと填る場所を探すのか。歯車として生きるのならば、人間どうしたってこの2通りの生き方しかできない。歯車はみんな大切なのだから、どちらがいいとはきっと言えないのだろう。ただ、歯車であることを放棄するような人間にだけはなりたくない。
以上が引用文ですが いかがでしょうか この著者は私が言おうとして表現しきれなかったものを見事に文章にして下さいました。個性だ個人だということが声高に主張されますが 組織の中に納まり処のない個性なんかは所詮存続できないわけです。人事労務管理、特に社員教育においてこの視点を持てば新しい展望が開けるのではないでしょうか?
私は定年退職後自営業を謳歌しておりますが
社会における良き歯車でもあり続けたいと
念じております。
歯車になれたらいいですね。
駆動機構を考える場合
バックアップの駆動ラインは
ありえませんから
歯車が1つ壊れたり
無くなったら
駆動は止まりますね。
ただ
歯車のつもりでも
次に駆動を伝えていなかったら
さみしいですね。。。