TULIP DIARY

届くといいな やさしい風に乗って

絵描きの植田さん

2008年05月21日 | 読書日記
絵描きの植田さん いしいしんじ 著 新潮文庫
ストーブの爆発事故で聴覚と恋人を失ってしまった絵描きの植田さんは
高原の小さな村に住んで親切な村人からいつも野菜をもらったりして暮らしていた。
ある日、植田さんの家の近くに母と娘が引っ越してきた。
舞台は氷に閉ざされた雪国なのだが、このほわっとした暖かい出会いで
植田さんの閉ざされていた心がゆっくりと暖かく、熱く、開かれていくのだ。
このアンバランスな感じが逆に調和しているようでとてもいいのだ。
まるで映画か絵を眺めているかのように流れていく小説だった。
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自虐の詩

2008年05月20日 | 映画鑑賞日記
自虐の詩をDVDで鑑賞した。
舞台は大阪の通天閣が見える下町。
中谷美紀がささいな幸せを望む健気な主人公幸江を演じていた。
夫イサオ役は安部寛で何かあると卓袱台をひっくり返す変な人でもあり、
無口で乱暴者でパチンコにあけくれるギャンブル好きの個性的なお兄さんだ。
巨人の星の父親もあれだけ頻繁に卓袱台をひっくり返さない。
幸江はそんなイサオを心から愛していた。
極貧生活の中で繰り広げるささやかな毎日の生活を描き、
時には人生の真髄を思わしめるような哲学的な場面も織り込まれていて
なかなか見ごたえがあった映画だった。
ジーンと胸が熱くなる場面もあったし、笑いのツボも心得ている映画だった。
二人の住むアパートに住むカルセール麻紀演ずる小春もいい味を出していて、
おもしろさを加味していた。
母に家出され、西田敏行演ずる父は借金まみれで飲んだくれ。
あげくの果てに父は銀行強盗までしてしまった。
幸江は新聞配達と内職で生活を支えてきたが、中学卒業とともに上京するが、
転落の人生を歩むことになる。
そんなときに一筋の光を与えてくれた人が夫のイサオであったのだ。
極貧で転落人生を歩んできた幸江がイサオと巡り合っての
幸せストーリーというだけでなく、
幸江の精一杯生きてきた人生にも重みを持たせた展開でストーリーは進んでいく。
同じ中学校での同級生の熊本さんとの友情を描いたシーンは
二人の友情をきちっと描いていて好感が持てた。
幸江が気仙沼から家出するときには弁当を作って駅まで持ってきてくれたシーンや、
私たちはどこにいても友達だと確かめ合うシーン、
最後、空港で再会する二人のシーンなどどれも印象的であった。



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勉強してきましたクイズ ガリベン!

2008年05月19日 | ひとりごと
「勉強してきましたクイズ ガリベン!」を土曜日に見た。
この頃多いクイズ番組のひとつだ。今回見たのは2回目だった。
「勉強してきましたクイズ ガリベン!」は忘れていた記憶を呼び戻す番組だ。
前回見たときはクラシックの名曲のタイトルを当てる問題が出されていた。
今回は世界的な名画の絵のタイトルの問題が出されていた。
昔、教科書で見たことあっても全部言えなかった。
慣用句の問題も結構忘れていたり知らないものもあったりと
自分の中に潜んでいた浅い記憶と格闘したが思い出せないものも多かった。
全く知らなかったことも問題に出されていた。
花の写真を見せて花のタイトルを当てる問題では
回答者のタレントさんたちがよく見かける花の名前を回答できない人や
水芭蕉の名前を知らない人もいた。
回答者の人たちがよく知っているなあと思ったら
収録の前に2週間、先にガリベンして勉強しておく番組のようだ。
それにしてもピカソのフルネームが長いことや
南瓜の別名がナンキンというのは南京を経由して日本に渡ってきたからとか
いろいろな雑学を習得できるクイズ番組だ。


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チューリップを求めて

2008年05月18日 | 
関西でチューリップが咲いている風景を見られる時期も
終わってしまった。
チューリップがきれいに咲く名所を結構あちこち旅行してきたが
数の多さで圧倒されたのは今年出かけたなばなの里と
世羅高原農場だった。
チューリップがたくさん咲いている風景を初めて見たのは鶴見緑地だった。
大阪市内では4月中旬頃に咲く鶴見緑地のチューリップがいちばん有名だ。
風車をバックに無料で見れるのでここも好きなところの一つだ。
早い時期に見たいときはハウステンボスに限る。
ここもお気に入りで今年も足を運んだ。
3月の初め、入口付近できれいに咲いていた風景を見れた。
3月下旬には園内の到るところでチューリップを見れるので
3月中に見たいときはここへ行くことにしている。
大阪からは遠いので頻繁に行けないのが残念。
兵庫県立フラワーセンターのチューリップも3月下旬ころから
数はそんなに多くないがあちこちに咲いているのが見れる。
兵庫県立フラワーセンターへは直行のバスの便が平日だとないので
ものすごく不便なのでそう頻繁には行けない。
前行ったときは間引き運転していたみたいだったので大分待たされたので要注意だ。
淡路島のチューリップもきれいだ。4月中旬くらいがいつも見頃だ。
今年は少し早く咲いたみたいだった。
チューリップの品種が書かれたきれいな冊子を入るときにもらえるので
帰ってからでも写したチューリップの写真をその冊子で
どういう名前のチューリップかを確かめることができるのもいい。
砺波のチューリップは人の多さもピカ一だった。
ゴールデンウィークだったからかもしれないが遠いので1回しか行ってない。
飛鳥のたかいちチューリップ園も4月中旬ころがいちばんきれいみたい。
3年前の4月の下旬に行ったときは遅すぎてもう終わりかけだった。
車で行けない者にとったら自転車で行く方法がいちばんいい。
自転車だと天気の日に限るという条件が付く。
神戸フルーツフラワーパークのチューリップは4月中旬から下旬がいい。
ここは三田からバスが出ているので便利だ。
この前行ったときは尼ヶ崎のJR脱線事故があった一週間ほど前だった。
この同じ線を電車で通った。
その1週間後にあんな事故が起きるなんて思いもしなかったのを思い出した。
大阪吹田の万博公園のチューリップも4月初めが見頃。
この頃、桜やポピーなどいろいろな花々も公園内で一度に見れることが多い。
一度にたくさん見ることができないけれど
来年もたくさんのチューリップを見にどこかを訪れたいなあ。
写真は世羅高原農場のチューリップ。

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交通事故

2008年05月17日 | ひとりごと
昨日の朝、交通事故現場を見てしまった。
車同士の衝突らしかった。
事故があってまだ数分くらいしかたっていないのか
パトカーだけが事故現場に到着したころだった。
軽自動車の運転手が車の下にあおむけに横たわっておられた。
タクシーと衝突したみたいだった。
タクシーは車体の前が衝突の加減で壊れていた。
反対方向の横断歩道のところで止まっていた。
このとき横断している人がもしいたら大変だっただろうと思う。
直進と右折の際にどうも衝突したのではないのだろうか。
あの壊れ方だと結構早いスピードが出ていたみたいだ。
あの交差点で信号が赤になる寸前に
全速力で曲がろうとする車が時々見かける。
こわい交差点だ。
朝は車がまだ少ないので歩行者や自転車が
信号無視していく人が多いところでもある。





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旅の計画

2008年05月16日 | ひとりごと
夏の休暇にあわせて今年、どこに行こうかと旅の計画を練っている。
最近はほとんどどこでも旅館やホテルのホームページがあるので
そのホームページで予約したほうが値段が安いときはそこから予約する。
ただ、宿泊日の2ヶ月前とか、3ヶ月前くらいしか予約できないように
設定されているところが結構多いのに気付く。
旅行社のほうが安いときは旅行社のホームページで予約する。
行き当たりばったりの旅も1回してみたいがこわくてできないたちなので
おおまかな予定を立てて置かないと落ち着かないのだ。
あれこれ構想を練るときは想像だけが一足早く旅先を駆け巡る。
行きたいが日数的に時間的に行けない場所の取捨選択をしないといけないときは
ちょっと面倒だけれどこのときがいちばん楽しいひとときだ。



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車掌さんの恋

2008年05月15日 | 読書日記
車掌さんの恋 有吉玉青 著 講談社
電車を背景にさまざまな人間模様を描いた短編小説。
第1話は乗務員室に乗り込んできた女子高生との淡い恋心をもつ車掌さんの話だった。
電車の後ろに乗っている車掌さんから見た毎日の電車の風景、
ドアを閉めるときの光景が描かれていた。
車掌さんの立場に立ってみたらかけこみ乗車の意味も違う意味を持つのだ。
第2話は電車の中のアイドルが載っている中吊広告を泥棒する中高生のお話。
最近の中吊広告は立体的なものや見本がついているものとか凝ったものも
見かけることが多いが、ときどき敗れていたりするのは泥棒されているからなのか
もしれないと思いを巡らせた。
第3話はお互い夫と妻がいる男女二人が旅行に出かける。
ボックスシートに座ったときの視点に焦点をあわせて物語が展開していく。
ボックスシートに座ったいろいろな乗客とこの男女との会話を通して
電車の中でよく見かけそうなリアルな光景が上手に書かれていた。
JRの快速で通勤していたときはボックスシートしか席が空いていないことが
多かったのでこの席によく座った。
この小説の中で、通路側にしか座らない人々の心理とかが書かれていた。
同じことを思ったことがあった。
著者も同じ思いをしたことがあるのかなあと思いながら読んだ。
第4話はキセル常習犯の成績優秀な女子高生の話。
第5話はあみだなの上の忘れ物が主人公の男性の心残りの象徴なのだろうか、
銀河鉄道のように電車を運転して花畑に辿り着く死への旅立ちの物語。
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雷と生活騒音

2008年05月14日 | ひとりごと
明け方の雷はすごかった。大きな音で目が覚めて止むかと思ったら
いきなりまたピカッと光って光とともに大きな音を立てた。
3時間くらいなっていたように思う。雷のおかげで寝不足だ。
それでなくても近所に住む人が毎朝、午前3時半頃にいつもシャッターをうるさく開けて
車を出し、どこかに出かけて朝5時頃に帰ってくるのでそのときいつでも起こされる。
生活音の騒音問題でニュースになることが増えているが、まさしくうるさい人が
近所に住んでいると起こされることが頻繁に起こるのだ。
その人は実に音に無頓着な人なのである。
晩12時過ぎていても階段はドタドタとわざと音を立てて登り降りする人だ。
深夜に掃除機をかけて平気でガタガタするし、動物のほうがまだましなくらいだ。
それで熱心な宗教信仰家らしい。
人に迷惑をかけているとも想像できないなんて偽宗教家なのじゃないかとも思う。
自分が立てる音についての想像力が著しく欠如した人々がこのような騒音を作り出している。
わからないから自覚していないから音で迷惑をかけているなんて気にも留めない。
そういう人ほど、何も感じることがないからのうのうと暮らしていける。
駅前でよく歌を弾き語っている若者がいるが
この前は家の近所の道でライブコンサートをしていたのを見かけたことがある。
真夜中に路上で大声でしょうもないことをしゃべっている人々や
大声でとても上手には聞こえない歌を歌ったりしていたり、
路上に車を止め、長時間、大音量のエンジン音を立て続けて
おまけにゴミまで路上に捨てていく人などなど・・・・・
大型ゴミは朝から出さないといけない決まりでも何をほかしているのか
見られるのがいやなのか深夜に家族ぐるみで運んできて
大音響を立ててほうりなげていく人たち。
布団を干してむやみに大きい音をたてて騒音おばさんみたいに埃を払う人も多い。
自転車駐輪所でも大阪市は止めるところが
AブロックとかBブロックとかしかおおまかにしか決まっていないので
自分の自転車を端の柵にチエーンをくくりつけるために
わざわざ人の自転車をどかしてまで自分の自転車を端におく人たち。
自転車置き場の一件は生活騒音とは関係ないが、なんだと思うことの一つだ。
近隣の騒音は我慢するしか道がないのではないかと思い続けている。
騒音を気にせずに暮らせるように防衛策を練るしかないのである。
怒らないようにすることが精神衛生上よいのだと考えないとしょうがないか。




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路上に捨てられたゴミ

2008年05月13日 | ひとりごと
朝、家のシャッターを開けるとどこかのファーストフードで買ってきたと
思われるゴミが山盛り捨てられていた。
この日はゴミの日だったので家の中にそのゴミの臭気を残さずに済んだ。
昔、家の前にゴミ箱を置いていたとき、ツカツカとハイヒール音をたてて近づいてきた
20代くらいの女性が私らが側にいるのにゴミ箱のふたを突然投げ捨てた。
直径30cmくらいの手に持っていたゴミを捨てて
ゴミ箱のフタを思いっきり乱雑に音を立てて閉めた。
そして、ツカツカとハイヒール音をまた立てながら
何事もなかったように去って行ったことがある。
私らは一瞬の出来事であってただ唖然として立ちすくんだ。
ちょっと捨てていいですかの一言もなくただ無言のままの行動だった。
大阪城をウォーキングしていると桜の時期よりは大分ゴミは少なくなったが
炭火焼きをして楽しんだ後のゴミが散乱していたり、花火をしたあとのゴミが到るところに
散乱しているのをよく見かける。
駅の階段の途中に空き缶が無造作に捨ててあったり、ゴミをあちこちに見かけることが
20年前に比べるとすごく増えたように感じる。
これはシャッターとかに落書きが増えだしたころから路上のゴミも増えだしたように思う。
まだ、日本の路上にゴミが少なくて落書きもほとんど目立たなかった頃に、
ローマやミラノできたない街の風景を見た。そのときにきたない街だなあと思ったことがある。
たぶん今、日本を訪れた外国の方々もきっときたないと思っておられるのかもしれない。



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国際児童文学館

2008年05月12日 | ひとりごと
大阪府の吹田市にある国際児童文学館の廃止が決まったが反対の署名がたくさん
知事に寄せられていると新聞に載っていた。
大阪府の赤字対策の一環として大阪府立の施設の廃止が検討されていたが、
国際児童文学館は廃止される施設の9施設のうちのひとつに決定してしまった。
資料は大阪府立中央図書館に収められるそうだが、全部入りきらないので整理されるらしい。
整理というのは隠れた言い方であって本を選別して廃棄するものを決めるということだ。
国際児童文学館の資料のうち、選別されて残される資料は大阪府立中央図書館に
移されるということだ。
大阪府立中央図書館には東大阪市の荒本に移転してからは1度しか行ったことがないが、
収容能力は限られていると思う。入りきらない資料は処分されてしまうのだろう。
廃棄されたら貴重な文献もまた散逸してしまうのだろう。
貴重な文化施設が廃止されていくのはとても残念だ。
予算削減の対象にされるときにはだいたいいつでも
図書館の予算だったりこのような文化的な施設の予算であることが多い。
大阪はそれでなくても文化にお金をかけないところだと思う。
文化の保護なくして子供も大人も笑えない。
あれだけの資料を一からまた収集するのは時間と労力がかかっているし、
一回廃棄してしまうと散逸してしまった資料を再収集するのは非常に難しいだろう。

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