TULIP DIARY

届くといいな やさしい風に乗って

大切なもの

2019年05月27日 | ひとりごと

母が入院して1か月以上経ちました。母の大切なものが何だったんだろうとタンスの引き出しやいろいろ家の中を探してみました。母は物欲がなく、ネックレスや指輪などの装飾品がほとんど見つかりませんでした。普段も装飾品はほとんど付けない人でした。引き出しの中に、大切にしまってあったのは、私たち家族で今まで旅したときに私がいつも手書きで書いていた旅行の予定表や旅した場所でのいろいろな施設のパンフレットや半券、買ってきたキーホルダーなどのお土産、誕生日にいつもメッセージを書いて渡していた誕生日カードなどでした。母は、子どもの頃、実の母と実の弟を二人とも相次いで亡くすというこども時代を送っていたと父から聞いたことがあります。父と母の父親は親友同士で、父と母は幼いころに遊んでいたことあった時期もあったそうです。父も子どものころ、実の母を亡くしていて、二人とも義理の母がまもなくできて、その後に兄弟も何人かできるという二人とも同じような境遇のもとで育っていました。私が小学生の頃、母の実家に私を連れて帰っていたときに、義理の母親が当時お店をしていて、そのお客さんに「また、帰ってきてるのよ。」「大変ね。」という話をしていたのを母が聞いていたのを同じその場にいたのでしっかりと覚えていました。そのときの母の本当に悲しいような顔をしていたのもはっきり覚えています。母の実家には1年に1回くらいしか帰ったことがないはずなのに、変なこというなあとこどもながらにずっと思っていました。そのときに母の気持ちを考えたら、こどものときから母が背負ってきたいろいろな悲しみを知りました。父と結婚して、私が生まれても、父方の義理の母との関係が大変だったこと、父は母を一生懸命かばっていたことなど、母にとって父は本当に頼りになる優しい人だったのと思います。また、40年くらい前に、母は父の妹に当たる叔母からとても悲しい目に合されました。それ以来、私は母が悲しみを忘れるようにこれでもかというほど旅に連れて行くことにしました。母はいつもそれなりに楽しく一緒にいつも旅行についてきてくれました。母の生きてきた道のりはとても辛いことがいっぱいあったはずなのに、私は祖母や叔母などの悪口を聞いたことは一度もありませんでした。もちろんそのほかの人々の悪口も聞いたことはありませんでした。母が病床でしんどくても絶対にしんどいと言わないほど辛坊強いのは母の生きてきた人生そのものだったと思います。昔、今の家が1戸建てではないので、隣家の騒音が激しいので、もう少し大きくて静かな家を買って住まないかと提案したところ、今の家から動きたくないという気持ちを聞き、父と一緒に自分たちだけで貯めて買った家に対する愛着というか大切にしてきたことを知り、それ以来、家を買う話はしないようになりました。母にとって、私たち家族となにげない毎日を送ったことが一番の大切なものだったのかもしれないなあと思いました。母がケアマネージャーさんにいつも家族で一緒に行ってきた旅行のことを本当に楽しそうに話していたということを聞きました。本当に楽しく過ごしてくれたのかは母に聞いてみないとわからないけれど、幸せな日々だったと私は信じたいと思います。

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七変化とブラシの木の花

2019年05月26日 | 

七変化があちこちで咲き出してきています。今、旬の花ですね。

昔こどものころによくお参りした神社に先週に続いてお参りしてきました。神社の境内に先週は見かけなかったブラシの木の赤い花が咲いていました。

この日の朝、自転車で近所の公園に散歩に行ったときに、自転車を止めて歩いていて、自転車のもとに戻ってみたら、自転車の前カゴの中を一羽のカラスが一生懸命つついて何かを掘り出そうとしていました。前カゴの中に何か食べ物が入っていないか探していたみたいでした。あいにく、食べ物は何もなかったのです。前カゴの中には、帽子が入れてありました。もう少し遅かったら、帽子もどこかに捨てられていたのかもしれません。カラスは賢いので、私が自転車を止めてしばらく歩いて行くのを見張っていたのでしょう。私の自転車の前かごを密かに狙っていたのです。

 

 

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池上彰のニュースそうだったのか!

2019年05月26日 | ひとりごと

昨日、放送されていた『池上彰のニュースそうだったのか!』の番組を途中まで見ました。データでわかるニッポンのコーナーで、今一番日本で多いお店や事業所が、美容院だったそうです。喫茶店がいちばんたくさんある県は高知県だそうで、その理由が女性が働いている割合がいちばん多いからだそうです。女性が働いている割合が多い2位は大阪府でした。大阪府も喫茶店がまだ確かに多いですね。平成のあいだに減ったお店が、ゲームセンターだったこと、プリクラの数もスマホのアプリの影響で劇変しているらしいということなどが紹介されていました。ゲームセンターについで減っていたのは、書店、銭湯、喫茶店、CDレンタル店だそうです。街中でもずいぶん減っていたのを実感していました。逆に平成の間に増えたものは有料老人ホームだったそうです。近所でも老人ホームがあちこちで新しく建てられていたのをよく見かけるようになりました。外国人労働者が増加していたこと、中でもベトナムから働きに来られていた方が多いらしいということなど、データから見える日本の現状を知るひとつになった番組でした。後半では、トランプ大統領来日の目的や意味も解説されていました。

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しつこく、5月3回目

2019年05月25日 | ひとりごと

昨日、仕事からの帰り、ハローキティ環状線トレインに偶然また乗車しました。今回、昨日に引き続いてしつこく掲載しています。これで、全部で3回、5月に乗車したことになりました。

一番前を撮影

一番後ろを撮影

車内はこんな感じです。すいていたからたくさん撮影してきました。

吊革広告もいろいろな駅別の絵でした。

こんなにキティちゃんのトレインに遭遇できて、何かいいことがあるかなあと思っていたけれど、病院に出向いたら、深刻な話を主治医の先生からお伺いすることになり、精神的には相当参っていました。今日もいいこと何もなかったなあと思っていましたが、帰り際、私たち家族にとったら嬉しいことがたくさんありました。病院に入院していた母が私たち家族の呼びかけに目を開けて反応してくれました。また、2回もうなずいてくれました。母の耳元に向かって、母がいないと家にある食べ物が減らないんだとか、たわいないことをずっと話しまくっていました。1か月前の入院した初めの頃は、テレビから流れていたCMの歌を病室でも歌っていましたし、家でもよく歌っていたのを聞いたことがありました。耳元でその歌を歌ってみたら目をパチッと開けて、私たちが来ていたのをちゃんと目で追ってくれていました。私が帰ろうとしたときに、手を振ろうと頑張って手を伸ばしてくれていました。「気をつけて帰りや。」「来てくれてありがとう。」と、心で言ってくれていたということはよく伝わりました。嬉しかったです。母と言葉で会話したわけではないのですが、今までずっと細々と仲良く暮らしてきた私たち家族は言葉だけでないものでちゃんと心を通わせることができたということがとても嬉しかったです。母と目が合ったときに、母の目に涙が溢れていたのを見ました。母の涙は40年くらい見たことがありませんでした。このときの涙は、私が来ていたことや母にいろいろと声を掛けていた言葉に安心してくれていた涙だったと私は思います。悲しい涙ではなかったと思います。40年前に母が涙していたのを見たときはとても悲しい心からの叫びの涙でした。涙にもいろいろあるけれど、私は昨日のこの母の涙を一生忘れないと思います。たくさんの車両の中からたった一編成のキティちゃんのトレインに3回も出会えて、私に取ったら嬉しいと思えた日、よかったと思えた日になりました。

 

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仕事

2019年05月25日 | ひとりごと

昨日の朝、仕事で、買い物に行った道中できれいに咲いていたバラやペチュニアを撮影してみました。

今のところ、やらねばならないような最低限の仕事はこなして、他の人に迷惑が掛からないように仕事をこなしてきました。何のために仕事をしてきたんだろう。先週までは午後から仕事を休みやすかったけれど、来週からは少し休み辛い仕事もあって、仕事とプライベートの比重をどうしたらいいだろうかと悩む自分がいました。なぜ、私は今まで仕事をしてきたんだろう。何のために・・・・・・。定年まであと少しになった現在、ふと立ち止まって考えました。定年までは自分をずっと見てくれていた家族が必ずいるものというような確固たる信念みたいなものが以前はありました。家族が側にいてくれただけで頑張ってこれたんだと思います。定年までがんばる意味があるんだろうかとか、今、ふと考えていた自分がいます。仕事が家族に寄り添いたいという気持ちの壁になってしまっているという事実と向き合いながら、仕事でほかの人に迷惑をかけないようにしたいけれど、できない場合がたくさん出てくるという現状をどう乗り越えて行こうか、いろいろ悩んでいます。ちょっとした心ない言葉を発する上司や同僚にいつのまにか傷つけらていたとしても、家族がその傷すべてが無くなるくらい癒してくれていたという事実、職場内の傷つけても平気で何も感じていないであろうと想像される、私が係わりたくない、苦手な人たちと争わずに穏やかにやってこれたのも家族がいつも私の話をまともに受け止めなくても、傍で癒してくれていたからだったかもしれないということに気づきました。自分のためだけでは、なかった。家族が側で見守っていてくれたから仕事を頑張っこれたんだと気が付きました。

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サラリーマン川柳

2019年05月25日 | ひとりごと
先日の夕刊に第一生命保険が 『第32回サラリーマン川柳コンクール』の人気投票の結果、ベスト10になった川柳が紹介されていました。この中で、『いい数字 出るまで測る 血圧計』という川柳が2位になっていて、自分も常日頃やっていたので思わず笑ってしまいました。
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5月2回目

2019年05月24日 | ひとりごと

いつも大阪環状線を利用していますが、昨日の出勤時に、偶然乗車した電車は、『ハローキティトレイン』でした。今回で2回目の乗車になりました。この前は、ゴールデンウィーク明けに偶然乗車したので、2週間ぶりの乗車になりました。いつも乗る車両が決まっているので、前回と同じ車両に乗車したことになり、前回と全く同じ写真になっています。今回は、乗車して、すぐに、『ハローキティトレイン』だということがわかりました。車内がすいていた間に写真を撮影しましたが、車内で写真を撮影するのは勇気が要るので前回同様の写真になってしまいました。

「今日ね、キティちゃんの電車に乗ってきたんだよ。」と入院している母の耳元で語り掛けてきました。母は病院に入院して間もない、まだ病院内で空調が効いていなかった頃、家からたまたま持って行っていた、どこかの旅館でいただいたキティちゃんのうちわで仰いでいました。キティちゃんの電車に乗ったこの日、病室内の引き出しにしまってあった、キティちゃんのうちわが汚れていたのできれいに拭いておきました。

 

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外回りの仕事

2019年05月24日 | ひとりごと

今日、ある物品を買わないといけないことに急遽なったので、昨日、先に値段や物品の現状を調べるために下見に行きました。

途中、寄った場所ではアジサイがもうきれいに咲いていました。職場の近所のスーパーやちょっと遠くのスーパー全部で4軒寄って、一番いいものがあった、遠くのスーパーに今日の朝、買い物に行くことになりました。本当なら昨日のうちに行っておきたかったのですが、決済担当者がお休みということで、今日の朝せわしなく行くことになりました。融通が効かないので、急に買い物をしないといけないときは早めに伝えて欲しいです。12時過ぎからは職場の周りを約1.5キロくらい歩く仕事がありました。昨日は、気温が相当暑いと感じました。この日も午後から休みを取り、病院に。いつもなら病院に直行するのですが、この日は、病院に行く前に、大阪城公園を自転車で1周してきました。快晴で、真夏のようなお天気の中、緑の木々の中を疾走し、気分を入れ替えてから病院に向かいました。

公園内ではシモツケが咲き出してきていました。万歩計を帰宅してから見たら、1万5000歩でした。結構歩きました。

 

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ラジオから流れてきた曲を聴く

2019年05月24日 | ひとりごと

昨日、NHKのラジオを聴いていたら流れていた曲を偶然耳にしました。初めて聴いた曲でした。しんみりと胸が熱くなる曲でした。手紙という曲でした。https://www.youtube.com/watch?v=EFsGaiBWTxg

 
 
 
 
昨日、母が入院している病室で、隣の方が息を引き取られていたのが付き添っているときにカーテン越しにわかりました。ご家族が「ありがとう。」と涙声で何回もおっしゃっておられたのも聞こえていました。
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一緒にテレビ観戦

2019年05月23日 | ひとりごと

いつも母が入院している病院から、自分が先に自宅に戻り、父が面会時間が終わる時間までいた後、帰宅する毎日を最近は送るようになりました。病院通いをしなくてもよかったときは、仕事を終え、自宅に戻り、洗濯などの家事を済ませたら、両親がいる2階にあまりいることがなく、自分の部屋がある3階に上がって、それほど長い時間話すこともあまりなく、先に眠りについていました。昨日は、阪神対ヤクルトの試合を途中の回から7回裏まで父と一緒に、テレビ観戦しました。父が一人になってしまっている状況なので、たぶん話相手がいないので、口には出さないけれど、相当寂しいはずでした。この回まで見て行けとか言って、私が3階に早く上がってしまうのを止める回数が多くなりました。小さな家なので、3階にいると、両親がいた2階からは、いつもテレビを見ながら話している声や笑い声がいつもしていました。看病疲れや精神疲れの影響か、一回り小さくなってしまった父は阪神戦を観戦しながら野球の話を一緒に見ていた私と楽しそうにしばらく話をしていました。よく、友達や元同僚や知り合いが父のことを「優しいお父さんですね。」と私に向かって言われることが多く、「そんな風に見えてるのかな?母にはいつも優しいけれど、娘である私にはそれほど優しくないけどなあ。外面がいいのかなあ。」とかいろいろと考えたことがありました。3階に上がろうとしたときに最近は毎日のように「疲れんようにしてや。」と一言掛けてくれます。私も「疲れないようにしてね。」などお互いを労わる回数が増えました。昔は、怒りっぽくて、不機嫌になることも多かった父でしたので、忘れてしまっていましたが、本当は優しい人だったということを最近は実感しています。父は昔のいろいろなことを思い出しながら、今まで聞いたことがなかったような、若いころの話をぽつぽつと語るようになりました。父と母が歩んできた道のりは夫婦にしかわからないというか、子どもが入る余地がない夫婦の絆のような一体感があったと想像します。父も一生懸命、今の状況をしっかりと受け止めようと、父は父なりに頑張ってくれいたんですね。乗り越えて行かなければいけない壁はたくさんありますが、苦しいですが、乗り越えていかねばならないということ、それが、今、生きているということかもしれないです。

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