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出張ついでにわざわざ姫路駅で下車!?去年の11月も出張帰りに「天空の白鷺」と紅葉の「好古園」を見学に来ましたが、その時は世界遺産の保存修理工事をひとめ見ようと思っただけで、今回は黒田官兵衛ゆかり「姫路城」をもう一度と体が自然と動いたのでした。もちろん大河ドラマに感化されてのことですが前回と目的が違うのは明白です。
黒田家は官兵衛の祖父・重隆の代に備前・福岡から姫路に移り住み、秘伝の目薬に広峯神社のお札を付けて売り、大きな財を蓄えました。その後、播磨の有力豪族であった御着城の小寺氏の家臣となり姫路城代を任されます。官兵衛は1546年(天文15年)11月29日に父・職隆(もとたか)、母・明石氏の子として姫路に生まれ、その聡明さが早くから主君に認められ、弱冠16歳で禄高80石と破格の待遇で側近に22歳で家老となったのでした。三木城落城後、そこを居城としようとした秀吉に、官兵衛は中国攻めの拠点にふさわしいと姫路城を明け渡し、秀吉はここに三重の望楼式天守を持つ姫路城を築城。天下取りの足がかりとしたのでした。まさにドラマのストーリー通りですがね。戦国時代後期から安土桃山時代にかけて山陽道上の交通の要衝・姫路に置かれた姫路城は本格的な城郭に拡張され、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる大規模な城郭へとさらに拡張されたそうです。
大河ドラマは舞台を変えて九州の展開ですが、改めてゆかりの地を訪れワクワクと言うか感慨もひとしおでした。現在も改修工事中の世界遺産、空に向かって建ち並ぶ天守群と白く美しい白壁の広がり、天を舞う白鷺のように見える「姫路城」(別名「白鷺城」)は天下を見据えているようですね。
最近になって急にいろいろと実年の趣味探しということで出掛けていますが、絵画や工芸などの芸術鑑賞は自分に酔ってる風でちょっと違う?実に退屈でした。その点、学生時代から好きだった日本史はある程度の学習もあり興味津々と言うか性に合ってるような気がします。戦国乱世に引き込まれながら様々な偉人達の生き様や人生感を覗くのが実に楽しくて、時間を忘れるぐらい没頭している自分を見つけたのでした。
黒田家は官兵衛の祖父・重隆の代に備前・福岡から姫路に移り住み、秘伝の目薬に広峯神社のお札を付けて売り、大きな財を蓄えました。その後、播磨の有力豪族であった御着城の小寺氏の家臣となり姫路城代を任されます。官兵衛は1546年(天文15年)11月29日に父・職隆(もとたか)、母・明石氏の子として姫路に生まれ、その聡明さが早くから主君に認められ、弱冠16歳で禄高80石と破格の待遇で側近に22歳で家老となったのでした。三木城落城後、そこを居城としようとした秀吉に、官兵衛は中国攻めの拠点にふさわしいと姫路城を明け渡し、秀吉はここに三重の望楼式天守を持つ姫路城を築城。天下取りの足がかりとしたのでした。まさにドラマのストーリー通りですがね。戦国時代後期から安土桃山時代にかけて山陽道上の交通の要衝・姫路に置かれた姫路城は本格的な城郭に拡張され、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる大規模な城郭へとさらに拡張されたそうです。
大河ドラマは舞台を変えて九州の展開ですが、改めてゆかりの地を訪れワクワクと言うか感慨もひとしおでした。現在も改修工事中の世界遺産、空に向かって建ち並ぶ天守群と白く美しい白壁の広がり、天を舞う白鷺のように見える「姫路城」(別名「白鷺城」)は天下を見据えているようですね。
最近になって急にいろいろと実年の趣味探しということで出掛けていますが、絵画や工芸などの芸術鑑賞は自分に酔ってる風でちょっと違う?実に退屈でした。その点、学生時代から好きだった日本史はある程度の学習もあり興味津々と言うか性に合ってるような気がします。戦国乱世に引き込まれながら様々な偉人達の生き様や人生感を覗くのが実に楽しくて、時間を忘れるぐらい没頭している自分を見つけたのでした。