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久しぶりに夫婦揃って公共機関で春いっぱいの天神に出た。いつものように妻はウィンドウショッピング兼ね欲しい物探し、付き合いは勘弁と別行動してLINEで連絡取り合うことにした。要るモノも、まして楽しむコトも無いと亭主、毎週仕事で通過する天神に発見や感動などある筈もなかった。
「私はいつも都会をもとめる。都会のにぎやかな群集の中に居ることをもとめる。群集はおほきな感情をもった浪のやうなものだ。どこへでも流れてゆくひとつのさかんな意志と愛欲とのぐるうぷだ。・・・(中略)・・・このひとびとの群は 建築と建築との軒をおよいでどこへどうしてながれ行かうとするのか。私のかなしい憂鬱をつつんでゐる ひとつのおほきな地上の日影。ただよふ無心の浪のながれ。ああ、どこまでもどこまでもこの群集の浪の中をもまれて行きたい。浪の行方は地平にけむるひとつのただひとつの方角ばかりさしてながれ行かうよ。」(萩原朔太郎「群集の中を求めて歩く」より)
朔太郎の詩を口ずさみ警固公園のベンチでブログを書いていた。ビルの谷間の日向、どこからともなく聞こえてくる軽音楽に癒され、ふと見渡すとそこら中にインバウンドの群れ?意味不明の言語が飛び交い「どこでもドア」の世界に紛れ込んでいた。街の至る所に色とりどりの花々が競うように咲いていた。
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「私はいつも都会をもとめる。都会のにぎやかな群集の中に居ることをもとめる。群集はおほきな感情をもった浪のやうなものだ。どこへでも流れてゆくひとつのさかんな意志と愛欲とのぐるうぷだ。・・・(中略)・・・このひとびとの群は 建築と建築との軒をおよいでどこへどうしてながれ行かうとするのか。私のかなしい憂鬱をつつんでゐる ひとつのおほきな地上の日影。ただよふ無心の浪のながれ。ああ、どこまでもどこまでもこの群集の浪の中をもまれて行きたい。浪の行方は地平にけむるひとつのただひとつの方角ばかりさしてながれ行かうよ。」(萩原朔太郎「群集の中を求めて歩く」より)
朔太郎の詩を口ずさみ警固公園のベンチでブログを書いていた。ビルの谷間の日向、どこからともなく聞こえてくる軽音楽に癒され、ふと見渡すとそこら中にインバウンドの群れ?意味不明の言語が飛び交い「どこでもドア」の世界に紛れ込んでいた。街の至る所に色とりどりの花々が競うように咲いていた。
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