大川小訴訟、14億円賠償命令 津波襲来「予見できた」
船崎桜
2016年10月26日15時44分
東日本大震災の津波で74人の児童と10人の教職員が死亡・行方不明となった宮城県の石巻市立大川小学校をめぐり、児童23人の遺族が石巻市と宮城県に計23億円の損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁(高宮健二裁判長)は26日、市と県に約14億円の賠償を命じる判決を言い渡した。
判決は市の広報車が大川小付近で津波の接近を告げ、高台への避難を呼びかけた時点までには、教員らが大規模な津波の襲来を予見できたと指摘。その上で、被害を避けられる可能性が高かった学校の裏山に避難しなかったのは過失だと結論づけた。
大川小では、2011年3月11日、「帰りの会」の最中などに大きな揺れがあり、50分近くたった後、児童らは北上川にかかる橋のたもとの高台に向けて校庭から歩いて移動を始め、その直後に津波に襲われた。
最大の争点は「津波が大川小まで到達することを予想できたか」だった。
遺族側は、大津波警報を伝える学校敷地内の防災無線や、迎えに来た保護者が「津波が来るから山へ」と教員に話していたことなどから、学校側の過失を主張。市と県は、大川小が津波の浸水想定区域に入っておらず、津波の際の避難所として指定されていたことなどから「予想できなかった」と反論していた。(船崎桜)
大川小学校の津波訴訟 石巻市などに14億円余の賠償命令
10月26日 16時01分
東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校の児童の遺族が訴えた裁判で、仙台地方裁判所は「津波の危険が予測でき、近くの裏山に避難すべきだったのに、避難場所として不適当な場所に移動しようとしたのは過失がある」として石巻市などに対し原告全員に14億円余りの賠償を支払うよう命じました。
石巻市の大川小学校は、震災の津波で74人の児童が犠牲になり、このうち23人の児童の遺族は石巻市と宮城県に対し1人当たり1億円、合わせて23億円の賠償を求める訴えを起こしました。
裁判では、海岸からおよそ4キロ離れた小学校まで津波が来ることを学校側が予測できたかどうかが大きな争点となりました。
26日の判決で、仙台地方裁判所の高宮健二裁判長は石巻市と宮城県に対し原告全員に合わせて14億2600万円余りの賠償を支払うよう命じました。
判決では「津波が襲ってくる7分前の遅くとも午後3時半ごろまでには石巻市の広報車が津波が松林を越えて避難を呼びかけたのを教員らは聞いていたと認められ、小学校に津波が到達することを予測できた」と指摘しました。そのうえで、「教員らが校庭からの移動先として目指した川沿いの交差点の標高は7メートル余りしかなく、避難場所としては不適当だった。一方で、近くの裏山は過去に学習の場などで児童も登っていた場所で、小走りで1分程度で移動でき、避難するのに具体的支障はなく避難についての過失があった」と指摘しました。
大川小学校は当時、津波の避難場所に指定されていて、宮城、岩手、福島の3県の教育委員会によりますと、震災をめぐる裁判で、避難場所に指定された学校からさらに避難することについて過失が認められたのは初めてです。
大川小学校では学校の管理下としては震災で最も多い子どもたちが犠牲になり、裁判所の判断が注目されていました。
法廷で遺族たちは
原告の遺族たち20人余りは法廷で着席すると前を見つめ緊張した面持ちで判決を待ちました。そして裁判長が、石巻市などに賠償を命じる判決を言い渡すと、静かに目を閉じたり息をついたりしていました。
傍聴の抽選 倍率は5.6倍
判決を傍聴しようと、抽選の受け付けにはおよそ270人が訪れ、倍率は5倍を超えました。
仙台地方裁判所では、午後1時20分に傍聴券の抽選の受け付けが始まり、担当者が整理番号が書かれたバンドを、傍聴を希望する人たちの手首に巻いていきました。裁判所によりますと、抽選に参加した人は271人で、倍率はおよそ5.6倍になりました。
仙台市に住む80代の男性は「74人もの児童が犠牲になったのは大川小学校だけです。津波が来るまでのおよそ50分の間に何があったのか、真実を明らかにしてほしい」と話していました。また、宮城県亘理町で小学校の教員をしていたという70代の男性は「震災でかつての教え子を亡くしました。自分も教員時代に小学校の避難訓練で児童を並ばせた経験があり、どうすべきだったのか判断は迷うと思います。今回の裁判所の判断は今後の学校教育に大きな影響を与えると思います」と話していました。