異国の男を買い妊娠まで…タイのコールセンターの日本人
高津祐典
2017年11月15日00時08分
タイの首都バンコクに、日本語が響くコールセンターがある。「お電話ありがとうございます。○○社です。ご注文ですか」。電話を受けるのは、タイに移住した日本人たちだ。
なぜ海を渡ってまで、コールセンターで働くのか。開高健ノンフィクション賞を受賞した作家の水谷竹秀さん(42)は、5年ほどかけて取材。『だから、居場所が欲しかった。』(集英社)にまとめた。登場するのは人間関係や借金に苦しむ人たち。彼らが「日本社会のきしみを投影している気がする」という水谷さんに、話を聞いた。
「今、妊娠しているんです」
最初に取材した30代半ばの女性に、水谷さんは衝撃を受けたという。「実は私、今、妊娠しているんです」と打ち明けられたからだ。父親は、東南アジアのある国から出稼ぎにきた買春相手だった。「どうするんだろう、と彼女と別れてホテルに帰ってからも頭から離れませんでした」
女性は大学卒業後、職を転々とした。東京での暮らしに物足りなさを感じたころ、旅先のバンコクで日本人向けの求人があると聞いた。インターネットで検索すると、コールセンターのオペレーター募集が見つかった。採用され、移住を決めたという。
実際、ネットで「タイ」「コールセンター」と検索すれば、求人情報は簡単に出てくる。「経験ゼロ、語学ゼロから海外でチャレンジできる環境」などとうたわれ、応募のハードルは低い。水谷さんが取材したフロアには80人ほどの日本人が並び、通信販売の受注やクレーム処理にあたっていたという。ただ移住が気軽な反面、環境は厳しい。日本の大手企業から派遣される駐在員の年収は、1千万円を超えることもざらだ。現地採用はその半分から5分の1。コールセンターは更に安い。ネット上では「底辺」とやゆされる。
「給料は月9万円か10万円ぐらい。大手企業の現地駐在員とは、同じ海外にいくのでも訳がちがう。格差があるんですよね。コールセンターで働く人は、後ろ向きというか、ネガティブな空気感を持っていることが多かったと感じます」
女性はコールセンターについて、作中で水谷さんにこう説明している。《日本社会に適応して、出世するとか、家庭を持つとか、そういうレールに何の疑問も持たず、すいすい世の中を渡っていける人はここにはいないなって感じがしますね》(「プロローグ」から)
貞淑を求める圧力
女性は日本では交際相手に恵まれなかった。暴力を振るわれることもあったという。彼女を癒やしたのが、男を連れ出せる「ゴーゴーボーイ」だった。友人に誘われて通い続けるうちに、はまっていった。最初は勇気がでなかったものの、《通っているうちに気に入った男の子が見つかったので、買ってみました》(第四章「男にハマる女たち」から)と語っている。
水谷さんは、タイのコールセンターが日本では受け入れられない彼女たちの居場所になっている、と話す。日本ではうまくいかない異性関係も、タイでは男性に「支配」されずに楽しむことができる。
水谷さんによると、料金は店側に1200~1500円を支払い、本人に3千~6千円を渡す仕組みだ。彼女はある日、友人がよく連れ出している男性を買った。そして出会って数カ月後、彼の子どもを妊娠したという。
本には、同じようにコールセンターで働き、ゴーゴーボーイにはまった別の日本人女性の人生も紹介されている。日本人の夫との離婚を経験したその女性は《手っ取り早くていいなって。金で解決!》(同)と語っている。
ゴーゴーボーイの大半は貧困層だ。大金を積まなくても、浅黒く彫りの深い男たちを買える。援助交際できる。《日本では金で解決できない色恋沙汰が、バンコクでは可能になる。王子様であっても金で動かせるという快感、そして女が男を支配できる》(同)
水谷さんが知人に「男を買って妊娠した人がいる」と話すと、一様に驚きの声が上がった。彼女たちに好奇の視線は向きやすい。
水谷さんは取材を通じて、その「視線」こそ彼女を生きづらくさせているのかもしれないと気づく。現地の日本語フリーペーパー「アーチプラス」の編集長を務める女性に話を聞いた時のことだ。その内容をそのまま本に書いた。
編集長はフリーペーパーに「男を買う日本人女性」の特集を組み、ゴーゴーボーイにはまった夫を持つ女性の話を書いた。すると男性読者からは「日本人の品格を落とす」と抗議されたという。編集長は、こう語気を強めた。《よく言うよ! と。自分だってそういう場所に行っているくせに、奥さんには貞淑でいてほしいというのは男性側の勝手な言い分でしかないと思いました》(同)
水谷さんは言う。「女性が男を買うというのは……。本当はたぶん、そんなに衝撃をうけるものではない。男性が女性を買うのと同じですから。でも僕も衝撃を受けた。それは女性に対して、僕自身もそういう見方になっているんです。貞淑でいてほしいという強烈な押しつけですよね」
ゴーゴーボーイで出会った異国の男性との子どもを妊娠した女性は、日本で出産。そして再び、タイにやってきたという。その時に再会した水谷さんに、彼女は《バンコクは気持ちが楽ですね。日本って何となく気詰まりな感じ。夢も希望もないというか》(同)と漏らしたという。
「恋愛や結婚のあり方も、ある種の王道が日本社会にしみついているのだと思います。そこから外れると、とたんに居場所がなくなってしまう」と水谷さんは話す。
職場に恵まれず、高校生の息子と…
タイのコールセンターには、日本社会から追いやられた人たちが引き寄せられているのではないか、と水谷さんは考えるようになった。
『だから、居場所が欲しかった。』では、日本の製造工場から派遣切りされた男性や、容姿にコンプレックスを持つ若者、LGBTの男女らに取材。なぜタイのコールセンターにやってきたのかを丹念に追った。「コールセンターで働く人たちは日本では非正規労働者として働いてきたり、30代40代で未婚だったりという人たち。心に悩みを抱えていたり、切ない過去を抱えていたりしていました。『良い大学にいって、良い企業に働いて、昇進を重ねて、結婚して子どもができて、都心のマンションを買って』という道があるとしたら、その道にはじかれた人たちが多く集まってきたというのが見えてきたんです」
水谷さんが最も身近に感じたのが、郵便局を退職して一家でタイに移住した40代の男性だった。水谷さんによると、彼の月給は10万円ほど。家賃1万5千円のアパートに、高校生の息子とタイ人の妻の3人で暮らしていた。
作中に描かれる経歴はこうだ。彼は地元の工業高校を卒業。建築会社に就職したが、体育会系の雰囲気になじめず退社。郵便局員になった。千葉県に配属され、タイ料理屋で働いていた妻と結婚した。その後、山形県に転勤になり、簡保の訪問販売を担当するようになったという。
その仕事もきつかった。朝はラジオ体操に始まり、事務室で訪問販売のトレーニング。上司にその日の予定を発表させられる。本には、その時の様子が描かれている。
《「午前中は××さんの家に行きます! ×歳の男性で、先日お伺いした話では体も健康で病院にも行っていないそうです。今日はこの商品を×××円で、できれば契約まで持っていきたいです!」
販売員が1人ずつ言うと、班長から「詰めがあまい!」と叱咤(しった)する声が飛んでくる。それでも販売員は「頑張ります!」と声を絞り出し、それぞれの現場へ散って行く》(第二章「一家夜逃げ」から)。
「コールセンターの給料は、一般的な現地採用よりも低い。にもかかわらず、奥さんと子どもを養っている。本当に物腰の柔らかい真面目な人で、どういう人生なのか、淡々と語ってくれました」
生い立ちから尋ねるうち、彼は日本でローンを抱え、その返済ができなくなったことが分かった。夜逃げ先がタイだったのだ。「40代になれば普通は抱えているじゃないですか。なのに仕事で行き詰まってしまって、稼げなくなって支払えなくなるのは起こり得るだろうなと。それでタイに渡った。息子もいきなりタイの高校に入学させられて、普通、ぐれますよね。そういう話を淡々と。息子さんも気になるわけですよ、どんなことを思って高校に通っているのかと。これは伝えなきゃいけないという衝動に駆られました」
そしてコールセンターが「転落した先」という意識もまた、生きづらさを助長していく。
「日本は嫉妬の社会。だから転落する、失敗する人を笑う。いまだに『3高』が理想で、正しい道という価値観が残っている。多様性といいながら、本当にそうなのかと思います」
コールセンターで働く人の多くが、水谷さんの取材に「日本に帰る理由がない。日本に帰っても居場所がない」と語っている。
水谷さんは「日本では例えば40代で脱落すると、敗者復活はないなと思います。個人差はありますよ、いい大学に行っていた人だったりすると違うかも知れないですが、ドロップアウトした人に救いの手は差し伸べられないですよね。団塊の世代が抜けて、いまは人手不足で就職がいい。でもまずは新卒採用を増やしますよね。30、40代のロストジェネレーションの世代は、非正規の状況が続かざるを得ない。もう、どうにもならないですよね」と話す。
最後に、水谷さんはこう記した。《心の優しい人間は、日本社会で生き続けるといつかは壊れてしまう。逆に壊れない方がおかしい。それほどまでに日本社会は病んでいるように私にも見える》《そもそも、日本社会に順応する必要があるのか》《日本で生きていくことが苦しいのであれば、無理に留まる必要はない》(「エピローグ」から)
「タイは温かいし、ご飯もおいしい。日本が包摂できる社会になればいいですが、そういう人をはじいてしまう。日本社会は今こうなっているんだというのは、提示できたと思います」
◇
みずたに・たけひで 1975年三重県生まれ。上智大外国語学部卒。新聞記者、カメラマンを経てフリーになり、現在はフィリピンを拠点に活動している。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』(集英社)で開高健ノンフィクション賞を受賞。著作に『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(小学館)など。(高津祐典)
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